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2008.08.10 (Sun)

花火大会

 一昨日の8月8日、帰宅時にちょうど『びわこ花火大会』が開かれていた。JRの電車に乗っているとびわこの浜大津付近で花火が打ち上げられているのが観てとれた。そういえば花火大会なんて、長らく行ってないなあと思いながら、ぼんやりと眺めていた。関西ではPL教団の花火大会が有名だが、人が集中的に混雑するイベントというのが大嫌いな小生としては行く気も起こらない。また大阪の十三でも最近は毎年のように花火大会が催されているが、見物客はおよそ100万人だという。それで花火大会が終了すると、その人たちが一斉に帰宅の途につくので大混雑の極みとなる。だから帰りは電車に乗るのに2時間も3時間もかかってしまい、下手をすれば家に帰れなくなる。みんなそこまでして花火を観たいのかと思うが、とにかく日本人は花火が好きである。それは日本人の探究心がそうさせるのか、世界でも珍しい新種の花火が披露されるからで、実にカラフルなのだ。それに比べると西洋の花火は丸く拡がらず枝垂れ柳のようにパーンと火の粉が落ちていくように観えて、色彩も単純で種類も少ない。だから海外の花火と比較すると日本の花火は観ていて飽きないというのもある。

 そもそも花火というのは中国で始まったとされるが、日本で製造されるのは16世紀とされる。時代からすると戦国時代だろうか。おそらく鉄砲伝来と前後するのだろう。でも見世物として盛んになったのは江戸時代に入ってからといわれ、この時代に有名な花火業者が出現している。その人が鍵屋弥兵衛である。弥兵衛は奈良・吉野の人で、1659年江戸の両国に店を構えた。それが『鍵屋』である。その後、『鍵屋』の手代であった清吉が1810年に暖簾分けをして、やはり両国に『玉屋』を開業する。そういった経緯があって、花火の打ち上げの時に「鍵屋! 玉屋!」という掛け声を叫ぶようになったということである。

 ところで電車から花火大会を観ていたが、花火の種類も色々あって、最近はさらに増えているなあと感じる。今から30年以上前に、私は奄美大島で花火大会を見学したことがあるが、その時代から比べると格段に種類が増えている。一般的に打ち上げ花火というのには基本的に菊、牡丹、錦冠(にしきかむろ)、銀冠(ぎんかむろ)、蜂、椰子、分砲、葉落、柳、千輪、虎の尾などがあって、そこに型物といわれる種類がある。これらには土星、UFО、リングと様々あり、そこにスターマインという速射連発花火が加わるのだ。だから少なくとも北京オリンピックの開会式で打ち上げられた花火よりも、日本の各地で打ち上げられる花火の方が多彩で絢爛豪華である。

 日本の花火というのは今や、種類にしろ色彩にしろ世界において冠たるものであろう。だからみんな浴衣を着て、どれだけ人で混雑しようが花火大会というと眼の色を変えて見学に行くのかもしれない。
でも朝早くから炎天下で席取りをしてまで、花火を特等席で観ようという執念は私には無い。そういえば電車からぼんやりと打ちあがる花火を観ていたら、何時の間にか電車が膳所に到着した。すると溢れんばかりの人が乗ってきたではないか。まだ花火大会も終わってないのに、帰宅を急ぐ人で電車が瞬くに超満員になった。でも駅のホームに溢れている人たち全てを捌き切れなくて、積み残しの人が大勢いた。だが次の大津駅でも同様で、さらに大勢の人が乗り込んできて、電車に入りきれない人で混雑し、電車が大幅に遅れてしまった。ああ、仕事帰りのこちらとしてはいい迷惑である。だから花火大会は行きたくないというのが、正直な気持ちであるが、こんな時、花火大会会場近くの超高層マンションに住んでいる住民というのは、夏になると恩恵に授かるのだなあと意を強くしたのである。

PL教団の花火大会

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