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2008.09.07 (Sun)

尾崎紅葉の『金色夜叉』を読む

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 尾崎紅葉が今から100年以上前に書いた小説である。1897年~1902年に読売新聞に連載され、後年に『新小説』に新続編を発表するが、続編は未完に終わっている。

 そういえば熱海の海岸に昔から貫一と宮の像があって、明治時代に如何に人気のあった小説であったということの証明にもなるが、『不如帰(ほととぎす)』『婦系図』等と共に新派劇の古典となり、さらには映画、流行歌等によっていっそう有名になった小説であろう。・・・・・といっても最近は『金色夜叉』という題名さえも知る人は少なくなった。とにかく古い小説であり、また読みづらくておそらく今の若者が敬遠する小説の一つかもしれない。

 父母に早く死別して間貫一は鴫沢隆三の家に養われ、そこの娘である鴫沢宮と許婚の間柄であった。が、美貌の宮をカルタ会で見そめた銀行家の息子・富山唯継は宮に求婚し、結局、宮は富沢と結婚することとなった。その償いとして鴫沢家の両親は貫一を将来洋行させようといった。でも納得のいかない貫一は不本意ととらえ、熱海の海岸で宮の本心を確認しようとした。ところが宮はの心はすっかり富山に傾いていることを知る。貫一はその場で絶縁を告げ、泣きすがる宮を蹴倒し行方をくらました。以来、貫一は高利貸しの手代と成り金銭の鬼と化した。貫一は同業の赤樫満枝に慕われていたが動じずすつかり冷酷な人間に変っていた。一方、富山と結婚した宮は夫と愛しえない。何時しか悔恨の宮から貫一の元に詫び状が届く。だが貫一は開封しようともしない。しかし、或る日、また届いた手紙をふと開けてみると、死を願う哀れな宮の現状が記されてあった・・・・・・・。

 明治30年代の話である。その頃のエリート中のエリートであった一高生・間貫一は、身寄りがなくて鴫沢家に養われて同居していたが、そこの娘である宮と許婚の関係になった。今ではあまり聞かれない話であるが、今から100年前にはよくあった話である。ちょうど日清戦争から日露戦争の間の頃で、ブルジョワ階級の台頭を背景に、金と愛の争いを描いたスケールの大きい小説なのだが、和漢混淆、雅俗折衷のこった文学で同時代の夏目漱石の小説と比較しても読みにくい文体である。

 ~未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず~  

 こんな書き出しで始まるが慣れてないと読み辛い。だから現在では読む人もあまりいないのかもしれないが、明治文学を代表する小説であることに異論はない。エリートの中のエリートである間貫一が何故、許婚裏切られたというだけで、ここまで人間が豹変してしまうのだろうか・・・・・。鴫沢宮は美貌であったがため、経済的な理由で男性の従属物であった明治期の女性の男性へ対抗する唯一の武器を備えていた。たとえ学士という当時の超エリートで将来は保証されていた身にせよ、経済的に不安定な貫一よりも銀行家のという富豪の富山へ宮の心は移っていったが、心中、貫一を思う心は残っていて、やがて富山の冷酷さにあってなおさら貫一へひかれていくか、すっかり貫一は報復の鬼と化していた。しかし、時代は違えども小説の題材としては今でもありがちな話でストーリーで通俗小説の域を出ることは出来なかったようだ。ただ尾崎紅葉が完成の途中で亡くなってしまい、当時の読者は話の完結を知ることが出来ず残念な思いであったことは想像できる。だが、もしかして完結を知ってしまえば、案外つまらない結末であったということも予想できるので、話は未完で終わった方が良かったのかもしれない。

 最後に熱海の海岸で貫一が宮に絶縁状を叩きつけるところがある。その時の貫一の台詞は余りにも有名なので、その部分を抜粋してこの記事を終えるとしよう。

「ああ、宮さんかうして二人が一処に居るのも今夜かぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるものも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜・・・・・・十年後の今月今夜・・・・・・一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも忘れんよ! 可いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・・・・月が・・・・・・月が・・・・・・曇ったらば、宮さんは何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思ってくれ」

 しかし、阪神間の人にとって1月17日は、別の意味で忘れられないが・・・・・・(阪神淡路大震災の日である)
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