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2008.11.22 (Sat)

グランド・ファンク・レイルロードを聴く

 グランド・ファンク・レイルロードのデビュー・アルバム『オン・タイム』
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 1971年初来日時のコンサート・チケット
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 グランド・ファンク・レイルロードというハード・ロック・グループが、今から40年以上前に大ブレークした。時は1969年7月、アトランタ・ポップ・フェスティバルにグランド・ファンク・レイルロード(GFR)は、聴取の前に初登場。12万人のファンの前で大喝采を浴び、デビュー・アルバムであるオン・タイムを1969年10月に出し、直後にレッド・ツェッペリン全米ツアーの前座として同行し、レッド・ツェッペリン目当てのファンの前で度肝を抜いたという。ファンは何度もアンコールを要求し、レッド・ツェッペリンがなかなかステージに上がることが出来なかった。そして彼らについたキャッチ・フレーズが「レッド・ツェッペリンも吹っ飛んだ超大型新人グループ」で、このようにしてGFRは華々しくミュージック・シーンに登場したのである。

 メンバーはたったの3人。ヴォーカル、リード・ギターのマーク・ファーナー、ベース・ギターのメル・サッチャー、ドラムスのドン・ブリューワー。そもそもGFRは1965年、デトロイトのDJ、テリー・ナイトが結成したグループにマーク・ファーナーとドン・ブリューワーが参加したことから始まる。だが紆余曲折があって、上記の3人で出発したのが1969年夏で、マネージャーとしてテリー・ナイトがついた。

 デビューからセンセーショナルだった彼らだが日本で人気が出るのは遅れ、1年半経過して突然のように火がついたのである。当初、このデビュー・アルバムは日本でさほどヒットしなかったように思う。でもアメリカでの評判が日本にも伝わり、1970年に『ライヴ・アルバム』を出した頃には、グランド・ファンク・レイルロードの知名度は急速に広がっていた。そして、1971年7月の初来日コンサートが東京と大阪で行なわれることになったのである。

 まずは東京・後楽園球場での生ライヴ。嵐の中でのライヴは伝説と成り、文章として記録されている通りであるが、数日後に行なわれた大阪球場のライヴも、雷鳴と豪雨の中で強行されたことは余り知られていない。

 当時、高校生だった私は仲間4人と出かけ、前座のセミ・プロ・グループや、マッシュ・マッカーン等の演奏で、除々に盛り上がり、最後にグランド・ファンク・レイルロードが登場したときの喚声は忘れない。彼らはオープニングの曲『アー・ユー・レディ』からハイテンションで演奏しまくった。激しい雨と電光、稲妻が轟いているのだろうが、GFRの奏でる大音量に打ち消され、雷鳴の欠片も聞こえない。聴取は総立ちでビショ濡れ、だが傘をさしている者もほとんどいない。3人はパワフルな演奏で、『タイム・マシーン』『クローサー・トゥ・ホーム』を始め、名曲『ハート・ブレイカー』やアニマルズのカヴァー曲『孤独の叫び』等を演奏。1時間余りの演奏時間で、さっさとステージに横付けされていた車に乗って退場して行った。

 翌日、私の耳は余りの大音量に晒されたせいで、やや難聴になっていた。この時のライヴのエピソードとしては、大阪球場から200m離れた民家の電話の呼び鈴が、GFRの奏でる音量のせいで全く聞こえなかったという。とにかく音楽性よりも音がでかいとか、ライヴのノリがいいとか、演奏がワイルドだとか、二次的な話題ばかりが先行するGFRの初来日コンサートであった。

 ところで今、思うことなのだが、GFRは本当にレッド・ツェッペリンを吹っ飛ばしたのだろうか。多分、音の大きさとアグレッシブな演奏で衝撃が大きくて圧倒されてしまい、初めて観たファンは舞い上がってしまったのではないだろうかと思う。

 音楽的な奥深さからいうと、GFRはレッド・ツェッペリンの足元にも及ばないだろう。でもたった3人で、あれだけ聴取を虜にするステージをこなす彼らのパフォーマンスといえ情熱というものは、あの時代において確かに輝いていたのである。実働7年ほどでGFRは解散してしまい、すっかり今となっては過去のグループでしかない。その後、81年にベーシストにデリス・ベリンジャーをメル・サッチャーに替えて再結成したが、もう彼らの時代ではなく、サウンドの変化は僅かに見られるものの、若いときの彼らのような溌剌さがなく、あまり話題にもならなかった。だが、今から37年前の彼らが繰り広げたライヴは、何時までも私の記憶の中にはっきりと残っている。

 『ハートブレイカー』を演奏するグランド・ファンク・レイルロード。この曲を聴いて井上陽水は『傘がない』を思いついたという。


 『孤独の叫び』を演奏するGFR。アニマルズの演奏とはだいぶ違っている。

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