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2008.12.01 (Mon)

サヨナラ0系新幹線

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 写真はこれから新大阪駅を発車しようとする0系新幹線車両(写真提供MM氏)

 昨日の11月30日をもって0系新幹線車両が定期ダイヤから完全に姿を消した。あとはイベントのような形で僅かの便だけ臨時運転されるらしいが、それも年内中のことで、いずれにしても夢の超特急といわれた初代新幹線車両の0系がレール上を疾走する姿が見られなくなる。

 思えば私が走る新幹線の姿を初めて見たのは昭和39年の春だった。その数年前から工事にかかっていて、何もないところに、あれよあれよと土手が出来上がり、やがてそれが一本の線となり、万里の長城のように高い壁となり、長く長く連なっていき見事な高架鉄道として姿を表したのである。 昭和38年頃だったと思うが、阪急と新幹線が数㎞にわたって並走するところがあるが、先に高架工事の終わった新幹線のレールの上を阪急電車が走るといった珍しい光景も今は懐かしいかぎりだ。

 このようにして昭和39年の春までには、ほぼレールの敷設は終わっていたのだろうか、東京~新大阪間の営業運転を半年後に控え、いよいよ試運転することが決まったのである。そんな春の日だったろうか、6両編成の新幹線車両が時速30㎞程度のノロノロ運転で私達の前にやって来た。これが夢の超特急か・・・・・と小学生の私は、目をかっぴらいて注目したものである。

 そして昭和39年10月1日、東海道新幹線は開通した。東京~大阪が4時間というかつてない短い時間で行けるようになったのである。それまでは在来線のビジネス特急『こだま』に乗って6時間50分もかかっていたのに、何という速さだったろうか。最高速度210㎞、12両編成で高速運転され、そのスピードには驚いたものである。まさに未来の電車が現実のものになった感があった。私は親父に頼んで、翌年の夏、姉と一緒に名古屋まで乗せてもらったが、そのときの印象は今でも忘れられないものである。

 あれから44年、当時の夢の超特急は今ではすっかり時代に取り残された旧式の乗り物といった風情がある。あの頃、最新の流線型をした未来的な電車だと思ったが、その後の後継車両の登場の前では色褪せてしまったかのような、時の流れには逆らえない趣が支配している。

 開通時、東京~大阪を4時間で走っていたが、その後、3時間10分で行けるようになり、16両編成となり、1985年には後継の100系車両が登場し、その後に、300系、500系、700系、N700系といった新型車両が登場するに及び、旧式の0系は、どんどんと隅に追いやられるように、東海道から姿を消してしまった。でも各駅に停まる『こだま』として、山陽新幹線では細々と運行していた。でも今や時速300㎞が当たり前の新幹線。最高速度210kmでは邪魔になるのだろうか、とうとう山陽新幹線からも姿を消してしまうこととなった。これも時代の流れとはいえ、やはり一抹の淋しさはある。

 まるで飛行機の先端のような形をしていた0系車両。あの頃は格好いいと思ったが、今見ると確かに古臭いしスピードも遅い。でもレトロで懐かしい。それに日本の戦後の高度経済成長を支えた偉大なる乗り物なのである。どれだけ時代が進もうとも、どれだけ速い乗り物が登場しようとも、我々に与えたインパクトはその後の、どの乗り物よりも優っていた。まさに夢の超特急とは、この0系車両のことを指すのである。つまりジス・イズ・シンカンセンこそ、この古臭い0系だったのである。これまで、わたしは何度乗っただろうか・・・・・・それこそ数え切れないほど乗っている。だからこそ言う、サヨナラ0系新幹線・・・・・・。
 
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