2008.12.03 (Wed)
湖国の高校生
近江の国へ通うようになって、はや半年以上、経過した。まことに月日が経つのは早いものである。最初、こんな遠方の不便なところまで通うのは嫌だなあと思っていたが、もう慣れた・・・・とはいうのは嘘で、今でも嫌なことには変わりはない。つまりこの方に来るまでは、さして気にすることもなかったが、今まで自分がどれだけ便利な所に通っていたのか再認識するのであって、今更、逆戻りすることも出来ない歯痒さに苛立っているのでもある。だから、このような思いで毎日電車に乗っているので楽しいことなど何もないのだが、大阪に通っていた頃に比べて一つだけ感心したことがある。それは電車内で見かける高校生の質が良いことである。
かれこれ半年の間、今のところへ通うようになり、この沿線、実に高校生、大学生が多いことに気付き、時間的にあまり束縛のない大学生はともかく、高校生は色々な高校が入り乱れて乗車していることが暫くすると判明してきたものである。当初、こんなに高校生が多数乗ってくるものとは知らず、その車内の賑やかさに唖然とさせられたのだが、慣れてくると不思議なもので、あの女子高生の集団から発っせられる雀のサエズリのようなお喋りも、男子高校生の他愛ない会話も気にならなくなった。以前、大阪へ通っていた頃も高校生は大勢いたものだが、その時は、あまり良い印象を持っていなかったというのもあって、湖国に通勤するようになった当初というものは、車内にいる高校生のグループからできるかぎり離れた場所に乗車することを心掛けていたものだ。
とにかく大阪の方に通っていた時は、とある駅で高校生の集団に毎日、出くわしていて、とにかく服装の乱れた子がそこら中に溢れていたものだ。男子はズボンを落として穿いているし、女の子はスカートの下にジャージを穿いていて髪は茶髪、ビアスも化粧もやり放題、おまけに駅のホームの端にしゃがみ込んで喫煙している者までいる。また、電車の中で地べたに座ってハンバーガーを食べだしたり、化粧をしたりする女子高生がいるかと思えば、周囲の迷惑をかえりみず大声で騒ぐ男子高校生もいる。すべてがそうではないが、一部にこういったモラルを知らない者がいると全ての高校生がそのように思われてしまうのだ。環境や時代がそのようにさせるのかもしらないが、 とうとう高校生はここまで乱れてきたかと、嘆かわしく思ったものである。これがまあ一握りの高校生だけのことだとは思うが、全体的な高校生の質の低下は否めないと思った。少子化時代の高校生は、物があり余っている時代に育っているからなのか、それとも親の躾がさっぱり出来てないからなのか、子供のいない私には理解しかねるが、とにかく自己中心的で辛抱、我慢というものを知らないのかと思ってしまう。
私が高校生の頃も不良分子はいた。だが公共の場では自己への抑制が出来ていたように思う。ならば、何故に今時の高校生はと言いたくはないが、場所をわきまえず何処でも彼処でも処かまわずやり放題ともとれるような行動を起こす子が増えたことは確かである。そのような理由で、近江の国へ通うようになってから、出来る限り電車の中では、高校生の集団と離れようと考えていた。でも高校生が予想以上に大勢乗ってくるので、彼らから遠ざかるという具合にもいかず、仕方なく体を接するぐらいひっついて立っている毎日であった。
このようにして毎日、高校生と顔を突き合わせて乗っていると彼らの習性も大方、判ってくるものであるが、意外にも彼らが、モラルというものを身に付けていることに気がついたのである。総体的に言って社会的な良識というものを持ち合わせていて、目に余る野卑な行為を行なう高校生がほとんどいないことに気がついたのである。どちらかというと、大学生のモラル低下を私は嘆きたくなった。
つまり、この湖国の高校生達は、みんなマナーがいいのである。以前、通っていた大阪で見かける高校生の目に余る行為と同様な行動を起こす高校生など、今のところほとんど見かけたことがない。やはり、都会の中ですれっからしてしまった高校生と、周辺に刺激の少ない湖国の高校生とを比較することは無謀とは思うが、駅で喫煙など平然とやっていた、大阪の高校生がいい加減哀れに思えてきた。都会と田舎と一概にどちらがいいとは言えないが、高校生の年齢なら、間違いなく都会に憧れるだろう。でもまだ親の保護から抜け切れてない高校生が、無防備で誘惑の多い都会の中で育つよりも、ネオン街からある程度、離れた田舎で育った方が性根まで腐らないのでは・・・・・と、ふと思ったのである。でも何れ、このような田舎の高校生も卒業してしまい、大学なり、社会人なり、何れにせよ都会へ行ってしまい、素朴で純粋な精神が徐々に薄汚れていくのだと思うと、何かやるせなくなってくるのであった。
そして私は、毎日、屈託なく笑う女子高生の集団の中で、彼女等の楽しい会話を聞きながら、職場の或る最寄り駅まで通うのである。
かれこれ半年の間、今のところへ通うようになり、この沿線、実に高校生、大学生が多いことに気付き、時間的にあまり束縛のない大学生はともかく、高校生は色々な高校が入り乱れて乗車していることが暫くすると判明してきたものである。当初、こんなに高校生が多数乗ってくるものとは知らず、その車内の賑やかさに唖然とさせられたのだが、慣れてくると不思議なもので、あの女子高生の集団から発っせられる雀のサエズリのようなお喋りも、男子高校生の他愛ない会話も気にならなくなった。以前、大阪へ通っていた頃も高校生は大勢いたものだが、その時は、あまり良い印象を持っていなかったというのもあって、湖国に通勤するようになった当初というものは、車内にいる高校生のグループからできるかぎり離れた場所に乗車することを心掛けていたものだ。
とにかく大阪の方に通っていた時は、とある駅で高校生の集団に毎日、出くわしていて、とにかく服装の乱れた子がそこら中に溢れていたものだ。男子はズボンを落として穿いているし、女の子はスカートの下にジャージを穿いていて髪は茶髪、ビアスも化粧もやり放題、おまけに駅のホームの端にしゃがみ込んで喫煙している者までいる。また、電車の中で地べたに座ってハンバーガーを食べだしたり、化粧をしたりする女子高生がいるかと思えば、周囲の迷惑をかえりみず大声で騒ぐ男子高校生もいる。すべてがそうではないが、一部にこういったモラルを知らない者がいると全ての高校生がそのように思われてしまうのだ。環境や時代がそのようにさせるのかもしらないが、 とうとう高校生はここまで乱れてきたかと、嘆かわしく思ったものである。これがまあ一握りの高校生だけのことだとは思うが、全体的な高校生の質の低下は否めないと思った。少子化時代の高校生は、物があり余っている時代に育っているからなのか、それとも親の躾がさっぱり出来てないからなのか、子供のいない私には理解しかねるが、とにかく自己中心的で辛抱、我慢というものを知らないのかと思ってしまう。
私が高校生の頃も不良分子はいた。だが公共の場では自己への抑制が出来ていたように思う。ならば、何故に今時の高校生はと言いたくはないが、場所をわきまえず何処でも彼処でも処かまわずやり放題ともとれるような行動を起こす子が増えたことは確かである。そのような理由で、近江の国へ通うようになってから、出来る限り電車の中では、高校生の集団と離れようと考えていた。でも高校生が予想以上に大勢乗ってくるので、彼らから遠ざかるという具合にもいかず、仕方なく体を接するぐらいひっついて立っている毎日であった。
このようにして毎日、高校生と顔を突き合わせて乗っていると彼らの習性も大方、判ってくるものであるが、意外にも彼らが、モラルというものを身に付けていることに気がついたのである。総体的に言って社会的な良識というものを持ち合わせていて、目に余る野卑な行為を行なう高校生がほとんどいないことに気がついたのである。どちらかというと、大学生のモラル低下を私は嘆きたくなった。
つまり、この湖国の高校生達は、みんなマナーがいいのである。以前、通っていた大阪で見かける高校生の目に余る行為と同様な行動を起こす高校生など、今のところほとんど見かけたことがない。やはり、都会の中ですれっからしてしまった高校生と、周辺に刺激の少ない湖国の高校生とを比較することは無謀とは思うが、駅で喫煙など平然とやっていた、大阪の高校生がいい加減哀れに思えてきた。都会と田舎と一概にどちらがいいとは言えないが、高校生の年齢なら、間違いなく都会に憧れるだろう。でもまだ親の保護から抜け切れてない高校生が、無防備で誘惑の多い都会の中で育つよりも、ネオン街からある程度、離れた田舎で育った方が性根まで腐らないのでは・・・・・と、ふと思ったのである。でも何れ、このような田舎の高校生も卒業してしまい、大学なり、社会人なり、何れにせよ都会へ行ってしまい、素朴で純粋な精神が徐々に薄汚れていくのだと思うと、何かやるせなくなってくるのであった。
そして私は、毎日、屈託なく笑う女子高生の集団の中で、彼女等の楽しい会話を聞きながら、職場の或る最寄り駅まで通うのである。
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