2008.12.17 (Wed)
もし電車が大幅に延着したら・・・・・
仕事を終えJRの最寄駅までテクテク歩いてやって来るなり、米原方面行きの各電車が軒並み、大幅に遅れていることに気がついた。いったい何があったのかと駅構内にある電光掲示板に視線を移すと「17時17分頃、新大阪~塚本間において橋梁にトラックが衝突したため各電車に遅れが生じています」というテロップが表示されていた。
何だとこれは一大事と思い再び電光掲示板を確認する。すると遅れているのは米原方面行きだけで、大阪方面行きは定刻どおり運行していたから一安心したのであるが、電車の遅れはほとんどが40分以上で、中には50分とか1時間とか遅れている電車もある。私はお気の毒にと思いながらも到着した網干行きの電車に乗ったが、東の方に行く電車のホームは人で溢れていた。でも今日は幸いにも被害を請うむらなかったが、いつ自分もこのような大幅な延着に巻き込まれるか判らないから、他人事では済ませられないといった思いが絶えず頭の中には存在する。
もしわが身に降りかかったとしたら、帰宅は何時になるか判らない。復旧が早ければいいが、事故処理に時間を要するならば家に帰れるかどうかそれさえも判断出来ない。とにかく滋賀県という関西の端にある県へ毎日、通っている以上、どういう事態で帰れなくなるか判らないという心積もりはしているが、実際に起こったとしたら平常心ではいられないだろう。とにかく滋賀県は車がなければ陸の孤島のようなところが大部分で、琵琶湖を挟んで湖東と湖西に一本ずつ東海道線、湖西線というJRの大動脈が貫いているが、共にバイパスとなるような鉄道が何もない。だからJRに頼るのみで、今日のように1時間も電車が遅れると、その日の間に帰宅出来るのかどうかといった不安が過り、これからも度々、このような事態が頻繁に発生するとストレスとなる。それで、こんな具合で、私は戦々恐々とせて毎日、通勤しているのである。
でも滋賀県から京都、大阪へ通っている人は多いが、私はその逆のことを毎日、行なっているので比較的に電車は空いている(大阪方面行きに比べれば)。つまり都会へ向う電車とは反対方向の田園地帯へ毎朝向っているから、比較的に車内の混雑度はたかがしれている。そのようなことから、通勤時間の長さも余り苦にはならない。けれど電車の大幅な遅れが現実問題として何時、起こるか判らない。それで帰宅時に、電車が滋賀県内において全く動かなくなった時は、それこそお手上げ状態になるだろう。
JRが停まったときの振り替え輸送というとバスしかない土地柄である。だから私は常に、京都市内の山科まで早く到着してくれないか絶えず祈っていると言ってもよい。それは何故かというと、山科まで来ると地下鉄なり京阪経由で帰るなりで、京都駅で停まったとしても他の交通機関で帰る手段は幾らでもあって、選択肢が増えるからである。これが滋賀県内の何処かの駅で立ち往生でもしようものならと思うとぞっとするのだ。本当に私は何時も思うことだが、今までは遥かに交通の便の良いところに通っていたのだなあと感じつつも、代替線の皆無の滋賀県へ毎日、不安な思いを背負いながら長時間電車に揺られているのである。
しかし、京都から山を一つ越えるだけで、これほどまでに交通の便が悪くなるものだろうか・・・・。このどうにもならない現状に不満を抱きながらも、毎度のように遅れる電車に乗り込んで時計と睨めっこしながら、通っているのである。
何だとこれは一大事と思い再び電光掲示板を確認する。すると遅れているのは米原方面行きだけで、大阪方面行きは定刻どおり運行していたから一安心したのであるが、電車の遅れはほとんどが40分以上で、中には50分とか1時間とか遅れている電車もある。私はお気の毒にと思いながらも到着した網干行きの電車に乗ったが、東の方に行く電車のホームは人で溢れていた。でも今日は幸いにも被害を請うむらなかったが、いつ自分もこのような大幅な延着に巻き込まれるか判らないから、他人事では済ませられないといった思いが絶えず頭の中には存在する。
もしわが身に降りかかったとしたら、帰宅は何時になるか判らない。復旧が早ければいいが、事故処理に時間を要するならば家に帰れるかどうかそれさえも判断出来ない。とにかく滋賀県という関西の端にある県へ毎日、通っている以上、どういう事態で帰れなくなるか判らないという心積もりはしているが、実際に起こったとしたら平常心ではいられないだろう。とにかく滋賀県は車がなければ陸の孤島のようなところが大部分で、琵琶湖を挟んで湖東と湖西に一本ずつ東海道線、湖西線というJRの大動脈が貫いているが、共にバイパスとなるような鉄道が何もない。だからJRに頼るのみで、今日のように1時間も電車が遅れると、その日の間に帰宅出来るのかどうかといった不安が過り、これからも度々、このような事態が頻繁に発生するとストレスとなる。それで、こんな具合で、私は戦々恐々とせて毎日、通勤しているのである。
でも滋賀県から京都、大阪へ通っている人は多いが、私はその逆のことを毎日、行なっているので比較的に電車は空いている(大阪方面行きに比べれば)。つまり都会へ向う電車とは反対方向の田園地帯へ毎朝向っているから、比較的に車内の混雑度はたかがしれている。そのようなことから、通勤時間の長さも余り苦にはならない。けれど電車の大幅な遅れが現実問題として何時、起こるか判らない。それで帰宅時に、電車が滋賀県内において全く動かなくなった時は、それこそお手上げ状態になるだろう。
JRが停まったときの振り替え輸送というとバスしかない土地柄である。だから私は常に、京都市内の山科まで早く到着してくれないか絶えず祈っていると言ってもよい。それは何故かというと、山科まで来ると地下鉄なり京阪経由で帰るなりで、京都駅で停まったとしても他の交通機関で帰る手段は幾らでもあって、選択肢が増えるからである。これが滋賀県内の何処かの駅で立ち往生でもしようものならと思うとぞっとするのだ。本当に私は何時も思うことだが、今までは遥かに交通の便の良いところに通っていたのだなあと感じつつも、代替線の皆無の滋賀県へ毎日、不安な思いを背負いながら長時間電車に揺られているのである。
しかし、京都から山を一つ越えるだけで、これほどまでに交通の便が悪くなるものだろうか・・・・。このどうにもならない現状に不満を抱きながらも、毎度のように遅れる電車に乗り込んで時計と睨めっこしながら、通っているのである。
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