2007.11.02 (Fri)
最近の映画を観る・・・・・映画『ALWAYS 三丁目の夕日』
最近は日本映画が好調だという。良質の作品が増えたのかどうか判らないが、動員数も増加したという。反対に外国映画(特にハリウッド映画)はリメイクが多く、話題性に欠けつまらなくなっているともいう。でも昭和30年代は日本映画が粗製乱造で質を落とし、その後の日本映画の行く末を投げかけたものである。そんな昭和30年代という日本の昭和の原風景が拝めるというので『ALWAYS 三丁目の夕日』が一昨年、話題になった。そして、このほど、その続編が完成し劇場公開されることとなった。
『ALWAYS 三丁目の夕日』2005年製作
監督 山崎貴
出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希 三浦友和 薬師丸ひろ子
須賀健太
【あらすじ】昭和33年、東京の下町、東京タワーが拝めるところ。夕日町三丁目で鈴木則平が営む自動車修理工場・鈴木オートに、東北から集団就職で六子(原作では男だった)がやって来る。しかし、思い描いていたイメージとのギャップに失望する。その鈴木オートの向かいには駄菓子屋があった。駄菓子屋の店主は売れない小説家の茶川竜之介であった。ところが彼はひょんなことから、一杯飲み屋の女将・ヒロミのもとに連れてこられた身寄りの無い少年・古行淳之介の世話をすることになる・・・・・。
ということで、前回の『ALWAYS 三丁目の夕日』は大ヒットし、話題を独占することとなり、日本全国を感動と涙の渦に巻き込んだという。う~ん、確かに悪い映画ではなかった。しかし、小生はこの手の映画は正直言って苦手である。でも、今の日本が失った昭和の良き時代をリアルに再現しているというので、観る人のノスタルジーを誘い、評判は良かったようだ。
ところで、この作品の原作は、西岸良平がビッグコミック・オリジナルに1974年から連載している漫画で、タイトルは『夕焼けの詩』である。過去にはアニメ化され、毎日放送が製作しテレビで放映もされたという。でもあいにく人気アニメ『ドラエもん』と放映時間が重なったために視聴率が稼げず、早々と放映打ち切りとなったらしい。
それで2005年に『ALWAYS 三丁目の夕日』というタイトルで実写映画化され、大ヒットとなり、この度、続編の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』も公開されるのだ。
昭和33年~34年というと私が幼少の頃で、かすかな記憶でしかないが、この作品を観た限りでは、あんなのだったかなあという程度で、皆が言うほどリアルさを感じ無かったように思う。CGを駆使して出来る限り再現を試みたと思うが、これも限界がある。でも日本の昭和史の戦後を考えるならば、東京オリンピック以前と以後に分かれると思うが(私の考えるところ)、昭和30年代という、まだまだ貧しかった日本の原風景が、あの映画の中で随所にちりばめられているところは、僅かではあるが見て取れる。また、あの映画は東京の話なのであるが、当時の大阪や京都でも似たような部分は随所に或る。たとえばテレビが家に入った時の状況や、家の中の家裁道具、人々の服装、髪型、登場する車、路面電車、少なくとも昭和30年代を知る世代にとっては、懐かしい風景となるのかも知れない。
白黒の14型真空管テレビ、ちゃぶ台、駄菓子屋、ヒルマンミンクス、クロガネのオート三輪、ダイハツのミゼット、トヨペット・クラウン・・・・・路地裏の道は未舗装で、車の数も少なくて、大通りには路面電車が走っていた。これは何も東京だけの話ではない。大阪も京都も思い出せば、似たような状況であった。ただ、これだけCGで映像画面を埋めてしまうと、逆にリアル感が乏しくなる。セットで全てこなせないのは判るけども、何処かアニメと実写の混合のような映画に見えて仕方がなかった。それと話があまりにもベタ過ぎて、私は感情移入が出来ず、何か醒めて観ていたような気がする。この手の子供を使って涙を誘う話というのは、センチメンタリズムを鼓舞するようで、気恥ずかしさを覚えてしまう。結局、私にとってこの映画は、忘れたいが忘れられない幼少の頃の郷愁と、消し去ることの出来ない過去の恥辱との間で揺れ動く形而下的な物ということになるのだろうか・・・。
この映画の時代から時を経て、その後、東京オリンピックを境にして、急激に日本が変貌していく中で、我々が失っていった古き良き心というものを思い出させてくれて、ほのぼのと癒されるというのが、この映画の魅力ではないだろうか・・・・・。何だかよく判らないが、これが感想といえばいいだろうか・・・・。
ところで話の本論とは関係ないが、吉岡秀隆演じる茶川竜之介の風貌が、若い頃の開高健にダブってしまうのは私だけだろうか・・・・・。
『ALWAYS 三丁目の夕日』2005年製作
監督 山崎貴
出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希 三浦友和 薬師丸ひろ子
須賀健太
【あらすじ】昭和33年、東京の下町、東京タワーが拝めるところ。夕日町三丁目で鈴木則平が営む自動車修理工場・鈴木オートに、東北から集団就職で六子(原作では男だった)がやって来る。しかし、思い描いていたイメージとのギャップに失望する。その鈴木オートの向かいには駄菓子屋があった。駄菓子屋の店主は売れない小説家の茶川竜之介であった。ところが彼はひょんなことから、一杯飲み屋の女将・ヒロミのもとに連れてこられた身寄りの無い少年・古行淳之介の世話をすることになる・・・・・。
ということで、前回の『ALWAYS 三丁目の夕日』は大ヒットし、話題を独占することとなり、日本全国を感動と涙の渦に巻き込んだという。う~ん、確かに悪い映画ではなかった。しかし、小生はこの手の映画は正直言って苦手である。でも、今の日本が失った昭和の良き時代をリアルに再現しているというので、観る人のノスタルジーを誘い、評判は良かったようだ。
ところで、この作品の原作は、西岸良平がビッグコミック・オリジナルに1974年から連載している漫画で、タイトルは『夕焼けの詩』である。過去にはアニメ化され、毎日放送が製作しテレビで放映もされたという。でもあいにく人気アニメ『ドラエもん』と放映時間が重なったために視聴率が稼げず、早々と放映打ち切りとなったらしい。
それで2005年に『ALWAYS 三丁目の夕日』というタイトルで実写映画化され、大ヒットとなり、この度、続編の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』も公開されるのだ。
昭和33年~34年というと私が幼少の頃で、かすかな記憶でしかないが、この作品を観た限りでは、あんなのだったかなあという程度で、皆が言うほどリアルさを感じ無かったように思う。CGを駆使して出来る限り再現を試みたと思うが、これも限界がある。でも日本の昭和史の戦後を考えるならば、東京オリンピック以前と以後に分かれると思うが(私の考えるところ)、昭和30年代という、まだまだ貧しかった日本の原風景が、あの映画の中で随所にちりばめられているところは、僅かではあるが見て取れる。また、あの映画は東京の話なのであるが、当時の大阪や京都でも似たような部分は随所に或る。たとえばテレビが家に入った時の状況や、家の中の家裁道具、人々の服装、髪型、登場する車、路面電車、少なくとも昭和30年代を知る世代にとっては、懐かしい風景となるのかも知れない。
白黒の14型真空管テレビ、ちゃぶ台、駄菓子屋、ヒルマンミンクス、クロガネのオート三輪、ダイハツのミゼット、トヨペット・クラウン・・・・・路地裏の道は未舗装で、車の数も少なくて、大通りには路面電車が走っていた。これは何も東京だけの話ではない。大阪も京都も思い出せば、似たような状況であった。ただ、これだけCGで映像画面を埋めてしまうと、逆にリアル感が乏しくなる。セットで全てこなせないのは判るけども、何処かアニメと実写の混合のような映画に見えて仕方がなかった。それと話があまりにもベタ過ぎて、私は感情移入が出来ず、何か醒めて観ていたような気がする。この手の子供を使って涙を誘う話というのは、センチメンタリズムを鼓舞するようで、気恥ずかしさを覚えてしまう。結局、私にとってこの映画は、忘れたいが忘れられない幼少の頃の郷愁と、消し去ることの出来ない過去の恥辱との間で揺れ動く形而下的な物ということになるのだろうか・・・。
この映画の時代から時を経て、その後、東京オリンピックを境にして、急激に日本が変貌していく中で、我々が失っていった古き良き心というものを思い出させてくれて、ほのぼのと癒されるというのが、この映画の魅力ではないだろうか・・・・・。何だかよく判らないが、これが感想といえばいいだろうか・・・・。
ところで話の本論とは関係ないが、吉岡秀隆演じる茶川竜之介の風貌が、若い頃の開高健にダブってしまうのは私だけだろうか・・・・・。
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