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2009.02.23 (Mon)

映画『おくりびと』のアカデミー外国語映画賞受賞に思う

 今朝、ハリウッドで第81回アカデミー賞の授賞式が行なわれ、見事に日本の『おくりびと』が外国語映画部門で受賞、また同時に短編アニメーション部門でも加藤久仁生監督の『つみきのいえ』が受賞した。このところ日本のアニメは世界でも優れたものとして認知されていて、2003年に長編アニメ部門で『千と千尋の神隠し』が受賞しているから、アニメではジャパニメーションの実力誇示といったところであるが、一般映画にいたっては、何と名誉賞と言われていた頃の1956年に『宮本武蔵』(稲垣浩監督)が受賞して以来の日本映画の受賞ということになる。

 『おくりびと』は遺体を棺桶に納める納棺師を通して、人間の生と死を見つめ、それらを題材にしてユーモラスに描いた作品である。監督の滝田洋二郎氏は、これまで『陰陽師』『壬生義士伝』等の話題作や『釣りキチ三平』といった娯楽作を手がけているが、今から30年近く前は、成人指定の映画ばかり撮っていた監督であるから、何がきっかけでこのような名作を撮る羽目になったのか判らないが、とにかく日本映画界にとっては半世紀強ぶりの快挙であろう。

 もっとも戦後間もない頃の日本映画。正確にいうと昭和20年代後半頃の日本映画には優れた作品が目白押しであった。だから当時、名誉賞といわれていたアカデミー賞の外国語映画部門で、黒澤明の『羅生門』(1951年)、衣笠貞之助の『地獄門』(1954年)、前述の『宮本武蔵』と受賞してきたのだから、その作品の質の高さは世界屈指だった。それが、54年ぶりに『おくりびと』で受賞するまで、何故、その間、貰えなかったかというのは、一言でいうと、昭和30年以降の日本映画粗製乱造時代に入り、娯楽主義、スター主義に徹し、質の悪い映画を大量生産したツケが尾をひいたとしか言いようがない。

 映画は芸術であるが娯楽でもある。その間の中で、映画製作者は悩むのであるが、結局、当時の日本の娯楽の花形であった映画は、年間製作本数が500本を越える事となる。これは1960年のことで、その2年前には、観客動員数が11億人を超えていた。まさに当時の日本人の人口の11倍以上の数の人が映画館に足を運んでいた時代である。だから映画会社は商業主義に徹し、芸術映画よりも人を呼べる娯楽映画を、週に1.5本以上のペースで作り、内容のないくだらない映画を上映し続けたのである。それが所謂、スター主義の映画で、荒唐無稽のおかしな映画を粗製乱造し、それでも人が入ったので、映画会社は儲かったのである。

 しかし、その時の芸術性軽視がたたり、日本映画が世界の映画祭で評価されなくなっていくのである。また時代はテレビの時代に入っていたのに、相変わらず、くだらない映画ばかり上映していたので、映画ファンは映画館から一気に遠ざかってしまったというから滑稽である。映画産業は瞬く間に斜陽産業に陥ってしまったというのが、私の少年時代のことである。だから長い間、日本映画は低空飛行の時代があった。それが最近、持ち直してきたように思う。それは若い、映画作家や映画監督が育ってきたからでもあるが、映画というのは、良い企画と、良い題材、良い脚本、良い演出があれば、今回のように日本映画でもアカデミー賞の栄誉に輝くのである。何もスペクタクルやCGを駆使した大作ばかりが映画ではないのだ。最近のアカデミー作品賞の受賞作品を見ても、大作、話題作ばかりが並んでいるのではないだろう。皆が本当に観たいのは、人間ドラマなのだと思う。だから、この日のアカデミー賞外国語映画部門の受賞をきっかけに、日本映画ももっと自信をもって、世界にアピールする映画を作って貰いたいと思うのである。
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