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2010.01.20 (Wed)

カーペンターズを聴く

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 1970年代のポップシーンを代表するデュオ・グループといえばカーペンターズであろう。私はけしてカーペンターズを好んで聴いていたというのでもないが、1970年代前半においては必ず、何処かでカーペンターズの曲が流れていたという印象がある。ということは老いも若きも含めて、カーペンターズの音楽は愛されていたということになるだろう。

 私が初めてカーペンターズを聴いたのは1970年のことだった。ラジオからスローバラードの『遥かなる影(Close to you)』が流れていた。

 ~Why do birds suddenly appear ?
Everytime you are near
Just like me they long to be
Close to you

 時はレッド・ツェッペリンに代表されるようにハードロック全盛の時代。そんな最中、淡々と女性の声で歌い上げるスローバラードが印象的だったのでよく覚えている。カーペンターズというから何人かのグループなのかと思ったら、ピアノを弾くリチャード・カーペンターとドラムを叩くカレン・カーペンターの兄妹デュオをいうことを知って驚いたものである。この曲は当時に人気のあったバート・バカラックとハル・デヴィッドというヒットメーカーが作詞作曲を担当していて、見事、カーペンターズの出世作となったのである。それ以降、カーペンターズはトントン拍子にヒット曲を出すようになり、日本でも人気グループとして認められるようになったことはいうまでもない。そして今回は、そんなカーペンターズを聴いてみて、色々と当時のことを思い出してみることにする。

 兄リチャード(1946年生まれ)と妹カレン(1950年生まれ)の兄弟デュオ1969年にビートルズの曲をカバーした『涙の乗車券』でデビューする。この時、2人はカリフォルニア州立大学に通う大学生だった。ドラムを叩いているのがカレンで、当時は歌を歌うよりもドラマーとしての役割の方が優先していたのか、彼女は自分自身の歌声の素晴らしさに、まだ目覚めてなかったと見える。

 もともとカレンは音楽よりもスポーツの好きな少女で、音楽的素養は兄リチャードが持っていたようである。リチャードは幼い頃からピアノを習い、少年時代から聴いたレコードの曲を分析し、よく独自のアレンジで弾いていたという。その後、リチャードは妹カレンを引っ張り込みジャズ・トリオを結成したり、大学の仲間とグループを組んでデモテープを片っ端からレコード会社に送っていた。それが何時しか功を奏し、大手のA&Mと契約することに成りデビューの運びになったのである。

 『遥かなる影』大ヒット以降のことは、今さら述べることでもないが、出す曲、出す曲が次から次へとヒットする。『愛のプレリュード』(1970年)、『スーパースター』(1971年)、『雨の日と月曜日』(1971年)、『ふたりの誓い』(1971年)、『ハーティング・イーチ・アザー』(1972年)、『愛にさようならを』(1972年)、『小さな愛の願い』(1972年)、『愛は夢の中に』(1972年)、『トップ・オフ・ザ・ワールド』(1973年)、『イエスタデイ・ワンス・モア』(1973年)、『シング』(1973年)、『ジャンバラヤ』(1973年)、『プリーズ・ミスター・ポストマン』(1974年)、『ソリテアー』(1975年)、『青春の輝き』(1976年)、『見つめあう恋』(1976年)、『スウィート・スマイル』(1978年)・・・・・・・・

 癒されるカレンの歌声と共にカーペンターズの音楽は一般受けしたのである。激しくて喧しいハードロック、ヘビーメタル、無機的なテクノポップといったものも、そろそろ頭を擡げてきた、そんな時代の真っ只中で彼らの奏でる音楽に、一体どれだけの人がやすらぎを感じたことであろうか・・・・。それがカーペンターズなのである。けしてトレンドをいっていた音楽ではない。どこか古典的でもあるが、彼ら独自のサウンドであったことは確かである。またカーペンターズを考える時、如何にカバー曲が多かったかを考えてみると判るが、オリジナルと違った見事なカーペンターズのサウンドに生き返っているのである。

 デビュー曲からしてビートルズの曲であったように、『ヘルプ』(ビートルズ)、『プリーズ・ミスター・ポストマン』(マーヴェレッツ)、『ふたりの誓い』(ラリー・メレディス)、『見つめあう恋』(ハーマンズ・ハーミッツ)というようにカバー曲でありながら、オリジナルとは色合いの違う再構築している。また場合によってはカレンの声の魅力と共に、オリジナルよりも洗練された曲に仕上がっていたりするので、カーペンターズの方がオリジナルだと思っている人も多い。

 そんなカーペンターズであるが、1983年2月4日にカレンが亡くなることにより、突然、カーペンターズの存在が消え去ってしまった。死因は一般的に拒食症だと報道され、我々はびっくりしたものだが、どうやら報道が一人歩きしたようなところがある。拒食症は拒食症だったらしいものの、亡くなる前日には普通に食事を摂取していたそうだ(それもシュリンプサラダ2人前にタコス)。本当の死因は心不全で、彼女は痩せるために様々な薬を使用していたらしく、その中で毒性のある薬剤も混ざっていて、それが心臓停止につながったといわれている。享年32歳。

 カレン・カーペンターは32歳の若さで亡くなった。これによりカーペンターズは消滅。2度とカーペンターズを聴くことは出来なくなった。今あるのは過去のカーペンターズが歌った歌声が残るのみ。あの曲の歌詞の意味を思い出しながら・・・・・・・歌ってみようか。

When I was young
I’d listen to the radio
Waitin’ for my favorite songs
When they played I’d sing along
It made me smile
Those were such happy times
And not so long ago
How I wondered where they’d gone
But they’s back again
Just like a long lost friend
All the songs I loved so well

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every sings-a-ling-a-ling
That they’re startin’ to sing
So fine
(以下、省略)

 出世作『遥かなる影(Close to you)』を歌うカーペンターズ。 


『Yesterday once more』を歌うカーペンターズ。

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