2010.03.01 (Mon)
阪急6300系
疾走する6300系河原町行き特急

6300系の車内。全面クロスシートで、扉付近には折りたたみ用の補助椅子がついていた。

阪急電鉄京都線の名物車両だった6300系がとうとう昨日をもって京都線から引退した。1975年のデビューから34年間も走り続けた名物電車である。私はこの車両に随分とお世話になった。私が若い頃に2800系の後継車両として6300系はデビューした。全面、2人がけの転換式クロスシートで贅沢な車両だった。私は若い頃、京都の市内から大阪の繁華街へ行く時には、汚い国鉄の電車に乗るのを避けて、この綺麗な阪急京都線の6300系車両に乗るのが常だった。とにかく阪急特有の落ち着いたマルーンにアイボリーが入った車両で、車内は例の木目調に緑色のシート、白いカバー、これで特別料金などいらず、普通乗車券だけで乗れたのだからボロい国鉄車両には乗る気が起こらなかったものだ。それでいて停車駅は河原町を出ると烏丸、大宮と停まり、そこから大阪の十三(じゅうそう)まで停まらなかったので、終点の梅田まで39分で行けたのである。考えてみれば随分と贅沢な車両であった。東京の私鉄で同様の車両に乗ろうとすると、ほとんどは特別料金を徴収されるから、阪急の6300系は評判が高かった。だから1976年に鉄道友の会ブルーリボン賞を6300系は受賞している。
その後、私は就職し働くようになったが、大阪市内の会社へ行くのにも必ず6300系で通勤したものだ。ただし通勤時は途中で高槻市駅に停車するので車内は超満員となる。この時だけは通勤に向かない車両であることは感じていた。やがて時代が進み、国鉄がJRに名前を変え、JRも新型車両を導入するようになった。そして130㎞/h運転というスピードアップを図る。すると阪急は次第とJRに客を奪われるようになる。こうなると阪急はこれまで十三、大宮の間を停めなかったのに、高槻市を常時停めるようにした。でも客足は減らず、やがて阪急は特急の停車駅を増やしだした。特急の停車駅がかつての急行並みになってきた。すると2枚扉で乗客の出入りに時間のかかる6300系は時代のニーズにだんだんと合わなくなっていく。それでも阪急は朝の通勤特急として使っていた。通勤特急は高槻市を出ると十三まで停まらないからである。だが、入り口の補助椅子に人が座ってしまい評判が悪かった。
6300系には入り口に折り畳みようの補助椅子が設置されてある。これは京阪電鉄の特急やJRの新快速にもあるが、ラッシュ時は電気仕掛けで触れないようになっていた。ところが阪急は乗客の判断にまかせ、座ろうと思えば何時でも補助椅子を利用できたのである。これが満員時には不評で、どれだけ込んでいようが平気で補助椅子を倒して座ろうとする者が後を絶たないので余計に車内が混雑するようになってしまったのである。思い出せば私が通勤で6300系に乗り出した20代の頃は、乗客のマナーも良くて満員時には補助椅子に座ろうとする者はいなかった。それが30年経ち乗客のマナーが低下。最近は混雑時でも座らないと損とばかりに補助椅子を倒して居眠りする輩だらけになってしまったのである。そうこうするうちに私は大阪市内から滋賀県の方へ職場が移動、阪急の6300系から縁遠くなって阪急に乗ることも無くなっていた。
6300系も長い間、走り続けて車両も古臭くなってきたのか2003年10月に、阪急は9300系という新型車両をデビューさせた。これでいずれ6300系は主力車両から引退するであろうということは判っていた。現在、阪急は新駅を増やし、さらに乗客を拾おうという方法に変更したようだ。こうなると2枚扉のクロスシートという贅沢な6300系は、時代遅れのお荷物車両として煙たく思われるようになっていたのも確かである。乗り降りに不便なので通勤時には向いていない。でも社の方針は停車駅を増やすというものだから、贅沢なクロスシート車両は厄介者でしかなく、とうとう引退の運びとなってしまった。残念だが仕方が無いだろう。でも私が長い間、お世話になった6300系は贅沢な車両として、阪急の一時代を築いたことはみんなの記憶に留まるだろう。阪急京都線のシンボルとして・・・・・。阪急を代表した車両として長い間、輝いていた。
・・・・・ただし6300系は車内を改装(4両)してローカルの嵐山線で当分は走るらしい。6300系が完全に廃車になるのではないからご安心を・・・・・。

6300系の車内。全面クロスシートで、扉付近には折りたたみ用の補助椅子がついていた。

阪急電鉄京都線の名物車両だった6300系がとうとう昨日をもって京都線から引退した。1975年のデビューから34年間も走り続けた名物電車である。私はこの車両に随分とお世話になった。私が若い頃に2800系の後継車両として6300系はデビューした。全面、2人がけの転換式クロスシートで贅沢な車両だった。私は若い頃、京都の市内から大阪の繁華街へ行く時には、汚い国鉄の電車に乗るのを避けて、この綺麗な阪急京都線の6300系車両に乗るのが常だった。とにかく阪急特有の落ち着いたマルーンにアイボリーが入った車両で、車内は例の木目調に緑色のシート、白いカバー、これで特別料金などいらず、普通乗車券だけで乗れたのだからボロい国鉄車両には乗る気が起こらなかったものだ。それでいて停車駅は河原町を出ると烏丸、大宮と停まり、そこから大阪の十三(じゅうそう)まで停まらなかったので、終点の梅田まで39分で行けたのである。考えてみれば随分と贅沢な車両であった。東京の私鉄で同様の車両に乗ろうとすると、ほとんどは特別料金を徴収されるから、阪急の6300系は評判が高かった。だから1976年に鉄道友の会ブルーリボン賞を6300系は受賞している。
その後、私は就職し働くようになったが、大阪市内の会社へ行くのにも必ず6300系で通勤したものだ。ただし通勤時は途中で高槻市駅に停車するので車内は超満員となる。この時だけは通勤に向かない車両であることは感じていた。やがて時代が進み、国鉄がJRに名前を変え、JRも新型車両を導入するようになった。そして130㎞/h運転というスピードアップを図る。すると阪急は次第とJRに客を奪われるようになる。こうなると阪急はこれまで十三、大宮の間を停めなかったのに、高槻市を常時停めるようにした。でも客足は減らず、やがて阪急は特急の停車駅を増やしだした。特急の停車駅がかつての急行並みになってきた。すると2枚扉で乗客の出入りに時間のかかる6300系は時代のニーズにだんだんと合わなくなっていく。それでも阪急は朝の通勤特急として使っていた。通勤特急は高槻市を出ると十三まで停まらないからである。だが、入り口の補助椅子に人が座ってしまい評判が悪かった。
6300系には入り口に折り畳みようの補助椅子が設置されてある。これは京阪電鉄の特急やJRの新快速にもあるが、ラッシュ時は電気仕掛けで触れないようになっていた。ところが阪急は乗客の判断にまかせ、座ろうと思えば何時でも補助椅子を利用できたのである。これが満員時には不評で、どれだけ込んでいようが平気で補助椅子を倒して座ろうとする者が後を絶たないので余計に車内が混雑するようになってしまったのである。思い出せば私が通勤で6300系に乗り出した20代の頃は、乗客のマナーも良くて満員時には補助椅子に座ろうとする者はいなかった。それが30年経ち乗客のマナーが低下。最近は混雑時でも座らないと損とばかりに補助椅子を倒して居眠りする輩だらけになってしまったのである。そうこうするうちに私は大阪市内から滋賀県の方へ職場が移動、阪急の6300系から縁遠くなって阪急に乗ることも無くなっていた。
6300系も長い間、走り続けて車両も古臭くなってきたのか2003年10月に、阪急は9300系という新型車両をデビューさせた。これでいずれ6300系は主力車両から引退するであろうということは判っていた。現在、阪急は新駅を増やし、さらに乗客を拾おうという方法に変更したようだ。こうなると2枚扉のクロスシートという贅沢な6300系は、時代遅れのお荷物車両として煙たく思われるようになっていたのも確かである。乗り降りに不便なので通勤時には向いていない。でも社の方針は停車駅を増やすというものだから、贅沢なクロスシート車両は厄介者でしかなく、とうとう引退の運びとなってしまった。残念だが仕方が無いだろう。でも私が長い間、お世話になった6300系は贅沢な車両として、阪急の一時代を築いたことはみんなの記憶に留まるだろう。阪急京都線のシンボルとして・・・・・。阪急を代表した車両として長い間、輝いていた。
・・・・・ただし6300系は車内を改装(4両)してローカルの嵐山線で当分は走るらしい。6300系が完全に廃車になるのではないからご安心を・・・・・。
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