2010.03.11 (Thu)
ナット・キング・コールを聴く

私がナット・キング・コールを知ったのはビートルズの曲が巷を賑わしていた1964年のことである。ラジオから渋くてハスキーな声で歌われる楽曲が流れていた。
L is for the way you look at me
O is for the only one I see
V is very very extraordinary
E is very more than any one that you adore can
LOVE is all that I can give to you・・・・
ナット・キング・コール最後のヒット曲『ラヴ』である。この曲はドイツ出身のトランペッター、ベルト・ケンプフェルト作曲、ミルト・ガブラー作詞によるものでナット・キング・コールが歌ってヒットしたものの、この年の翌年の2月15日、ナット・キング・コールは肺癌でこの世を去ってしまう。だかた私はナット・キング・コールを『ラヴ』で知り、瞬く間に亡くなったのでナット・キング・コールのことを良く知っているわけではないが、その後、何故かレコードやCDで彼の歌声をどれだけ聴いてきたか判らなくなるほど聴いたものだ。なのでアメリカン・ポップス界においてもジャズ・ヴォーカルにおいてもナット・キング・コールは私の中では重要な位置を占めるミュージシャンといってもいいだろう。でもナット・キング・コールはポピュラー・ヴォーカリストでもあるが、本来はジャズ・ミュージシャンである。
1919年にアラバマ州で生まれ、教会でオルガンを弾いていた母から手ほどきを受け10代にしてジャズ・ピアニストとして頭角を現していたのである。当時はアール・ハインズ・テディ・ウィルソンの流れを汲むスウィング・ピアニストとして高く評価され、1939年にギターとベースを加えたキング・コール・トリオを結成しジャズ雑誌の人気投票でベスト・コンボに何度も選ばれるほど人気を博す。そんな頃、クラブのオーナーの薦めで弾き語りをするようになる。1943年には『スウィート・ローレン』がヒット、こうしてヴォーカリストとしてのナット・キング・コールが誕生する。
この頃に録音された『ペイパー・ムーン』『エンブレザブル・ユー』は彼の生涯のナンバーとなったが、40年代に入りソロ・シンガーとしても歌いだすようになる。『ストレートン・アップ・アンド・フライ・ライト』『モナ・リザ』はキング・コール・トリオ時代の大ヒット曲で、ことに『モナ・リザ』は、映画『別働隊』の主題歌となり、映画よりもテーマ・ミュージックの方が有名になり、ナット・キング・コールの名が日本でも知れ渡るきっかけとなった。
1950年代からはポピュラー界に進出、よりナット・キング・コールの露出度は高まり、ヒット曲を連発するようになる。『スターダスト』『ルート66』『ネイチャー・ボーイ』『トゥー・ヤング』『枯葉』『プリテンド』『アンフォゲッタブル』『月光価千金』『キサス・キサス・キサス』『フライ・ミー・トゥ・ザムーン』『ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ』『恋におちた時』『セプテンバー・ソング』『カチート』『セントルイス・ブルース』『ラヴ・レターズ』『夢見る頃を過ぎても』『ヴァイア・コン・ディオス』・・・・・既存の曲が大半だが、ナット・キング・コールが歌うと独自の世界を醸しだす。このようにしてその曲の本命盤となることが多く、『スターダスト』『枯葉』などは本家のホーギー・カーマイケルやイヴ・モンタンのシャンンよりもナット・キング・コールの歌ったレコードの方が知れ渡っているぐらいである。
もともとはジャズのピアニストとしてデビューしたのに、ヴォーカリストとしてすっかり有名になり、後年はポピュラー界に進出し、さらにファン層が広まった。だから今ではポピュラー歌手だと思われているナット・キング・コール。でも原点はジャズ・ピアニストであり、また魅惑のある声でヴォーカリストとして才能が開花し歌った曲が大ヒットしてしまったというのが本当のところであろう。でも彼のキング・コール・トリオ時代のピアノ演奏も好き嫌いは別にして必見である。ただ彼は大衆が彼の歌声を望んでいたから歌ったのであるが、日頃のヘビー・スモーカーぶりが災いして、絶頂期の1965年に肺癌で亡くなってしまった。まだ40代だったのに残念なことである。
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キング・コール・トリオ時代の演奏。『モナリザ』を弾き語るナット・キング・コール。
『枯葉』を歌うナット・キング・コール。
『L-O-V-E』を歌うナット・キング・コール(音声のみ、歌詞つき)。
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