2010.04.24 (Sat)
ルノワールの絵を観に行ったが・・・

可愛いイレーヌのチケット
一度、ルノワール展のことは記事にしたことがあるが、またルノワールの展覧会に行ってきた。以前、記事にしたときは京都の国立近代美術館だったが、今回は大阪中之島の国立国際美術館での開催である。題して『ルノワール 伝統と革新』である。展示品は日本初登場となる作品も含めて80点以上の作品が館内に並べてあった。
肌寒く雨が降る中、中之島の美術館までルノワールの絵を観に行ってきたが、新しい発見はなかったなあ。ルノワールというのは日本では最も人気のある画家の1人で、過去、ルノワール展というものが何度、この日本国内で開催されたことやら・・・・・。それで今回、初物として目玉だったのが『可愛いイレーヌ』というタイトルの油彩画である。1880年の作というからオーギュスト・ルノワール自身にとっては作風の転換期にあたる作品である。この『可愛いイレーヌ』を描いた翌年にルノワールは大作『舟遊びの人々の昼食を』を描いたのである。つまり脂が乗り切っていた頃の作品であった。今回、展示されていた作品は色々な美術館で所蔵されているものを集めたのだろうけども、初期の作品は僅かで、ほとんどが『可愛いイレーヌ』よりも後の作品が多く展示されていたのである。
ルノワールというのは印象派の画家と思われているが、彼が印象派らしき絵を描いていたのは初期の頃で、彼自身画風がだんだんとが古典回帰とも言うべき作風に変って行く過程にあって、何故か私の好きな作品が、この転換期に多いように思う。これから10年もすれとルノワールは豊満な肉体をした裸婦を頻繁に描くようになるのだから、1880年前後はルノワールが何かを模索していた時期だと思える。印象派風の絵を描くことに見切りをつけ、彼はあまり風景画を描かず、裸婦を描くようになった。でも、これが肖像画家ルノワールとして、女性と裸婦を描く画家として親しまれているとしたならば、彼は40歳あたりで絵の作風に変遷が見られたということになる。
オーギュスト・ルノワールは1841年生まれで、『可愛いイレーヌ』を描いたのが39歳のときである。でもこの可憐な絵に代表されるような作風は影を潜め、まもなくすると『水浴の女』に代表される豊満な裸婦を描くようになる、これらの肖像画はルノワールの中で、どのような位置を占めるのか判らないが、ルノワールの裸婦は、ドガの踊り子と共に絵のモチーフとしては誰でも知っている連作のようなものであるが、私としてはルノワールの裸婦画がどうも好きになれない。この裸婦の絵がとても多いのでルノワールの絵が好きになれないのかもしれないが、日本ではルノワールを好きな人は多い。でも私がルノワールの裸婦を描いた作品群が嫌いなのは生理的なもので、別に理屈があるというのでもない。感覚的に嫌いなだけである。だが、少女を描いた可憐な絵は何故か微笑ましくて、ルノワールらしいぼんやりした輪郭が絵をさらにやさしく見せる。
それでルノワールは好きか嫌いかどちらなのだと問われれば、私にとっては嫌いな画家とだけいっておこう。もっともセザンヌほど苦手ではないが・・・・・。
ところで今回の展覧会では、美術史の新しい視点からルノワールの絵を探ろうとX線を用いて絵を光学調査し、画家ルノワールの技法を解説していたが、私にとってはこんなものどうでもいいことである。画家が何色を多く使っているとか、先に何を描いたかなど興味がない。そんなものよりも画家が、このように画風を変えていく状況において、どういった心境の変異があったのか、それともただ飽きただけなのか、そういったことの方が人間としては興味がいく。それにしてもルノワール展に来る人は女性が多いような気がするが・・・・・・・。
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