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2010.06.24 (Thu)

④サッカーに対しての蘊蓄を述べる・・・・・

 1978年FIFAワールドカップは南米のアルゼンチンで開催された。アルゼンチンというのは昔からサッカーが盛んなところだが、これまでワールドカップで優勝はなく、1930年の第1回ウルグアイ大会で準優勝があるぐらいだった。実力はあるが優勝に縁がないというのは、これまでアルゼンチンはラフプレーが目立ち、相手チームをの中心選手に強烈なタックルをかけて潰すといったおよそ正統派ではないサッカーを試みていた。これによりヨーロッパでは嫌われ、ラフプレーの取り締まりも強化され、アルゼンチンは苦境に陥った。それを立て直すためにインテリジェンスあるセザール・メノッティ監督が登用され、アルゼンチンは地元開催での好成績を狙ったのである。1978年という時代、アルゼンチンは2年前のクーデターによる軍事政権下にあった。国内はインフレと政情不安を抱え、国内外でも開催反対の動きもあったが、サッカーの盛んなお国柄、強行で開催された。

 この大会、実は日本ではNHKが初めて生放送と録画を含めて大半の試合を中継した。これにより私は初めてワールドカップという大会の凄さを感じ取ったまでであるが、まだ、この頃はNHKが訳の判らない大会を中継していると揶揄されたものであり、1978年時点においても日本ではワールドカップに対する認識が薄かった。

 ところで、この大会は前回優勝国の西ドイツ、準優勝のオランダ共に出場していたものの、西ドイツからは主将ベッケンバウアー、点取り屋ゲルト・ミューラー、一方のオランダはスーパー・スターのヨハン・クライフを欠いていた。だから共に別のチームのように変っていて、前回の力強さは両チームともなかった。全体を通しても絶対的優勝候補といえるようなチームはなく、際立って活躍したプレーヤーもいなかった。所謂、何処の国も選手の入れ替え期にあり、将来の名プレーヤーが多数デビューした大会でもある。たとえばブラジルだとジーコ、トニーニョ・セレーゾ、オスカー。フランスはプラティニ、ロシュトー、トレゾール。イタリアがロッシ、ゾフ、ジェンティーレ、シレア、カブリーニ。西ドイツがルムメニゲ、カルツ、フィッシャー。そして地元アルゼンチンはケンペス、パサレラ、アルディレス、ベルトーニといったように若くて才能あるプレーヤーが、この大会から巣立っていったのである。もっともアルゼンチンのメノッティ監督は天才少年といわれた17歳のディエゴ・マラドーナをメンバーに入れなかった。これはまだ若すぎるという理由からだったように思う。この翌年、マラドーナは日本で行なわれたワールド・ユース大会でブレークすることになる。

 この大会、私はほとんどの試合をテレビで観た。でも大会の質を問われると前回のオランダのような質の高いサッカーをしているチームは皆無で、あのオランダもクライフがいないと、ただロングシュートを連発する荒いチームに変身していた。そんな中でもフランスは良いサッカーを見せていたし、イタリアも才能溢れる選手が多かった。ブラジルは絶対的なプレーヤーがいない中、ベテランのリベリーノ、若手のジーコ等はかみ合って、相変わらずの強さを発揮していた。でもブラジルは先発メンバーが固定せず、ジーコも活躍する舞台は用意されいなかった。前回優勝の西ドイツも若手のルムメニゲ、ベテランのフォクツ、ヘルツェンバイン、マイヤーが噛みあって入るものの決め手がない。結局、前評判の高くなかった地元アルゼンチンが地の利を生かし決勝へ進出。一方、クライフのいないオランダだが、フォワードの突破力と得意のロングシュートが決まり、2大会連続の決勝進出へ・・・・。

 決勝戦は紙吹雪の舞う、ブエノスアイレスのリーベルプレート競技場で行なわれた。共に過去、優勝がなく第1回大会準優勝のアルゼンチン、前回準優勝のオランダの対戦だが、両チームの決勝進出は意外だったという声が多く、そんな中で決勝戦が始まった。

 試合はキックオフからファールが多く、序盤だけなら決勝どころか凡試合の様相だった。それが前半38分、小柄なアルディレスがドリブルで持ち込み、ルーケ、ケンペスと繫いでゴール。ここから試合が面白くなった。後半に入って動きが活発になったが、両チームとも得点できずにいた。後半の途中でオランダは長身のナニンハが投入された。そして、終了8分前、R・ファン・ケルクホフのクロスを、長身のナニンハがヘディングで決め同点。さらに終了間際、オランダのレンセンブリンクが強烈なシュートを放つもゴールポストに当り得点ならず延長戦に突入した。

 延長前半、この大会得点王に輝いたアルゼンチンのマリオ・ケンペスが2人をかわし、渋いゴールを決める。さらに延長後半ショートパスから最後にベルトーニがゴールしてアルゼンチンに凱歌が上がった。

 アルゼンチンはこれまでサッカー盛んな国として隣国のブラジルと対比されていたが、この地元大会でようやくワールドカップを手にした。アルゼンチンのパサレラ主将がワールドカップを手にして高々と掲げると、8万近くの大観衆からアルヘンチナ、アルヘンチナの大合唱。この大会は芝の状態が悪かったことと、八百長疑惑、主審のアルゼンチンびいき等、大会としては何かと批判されることが多かった。でも、私はテレビを通して、初めてワールドカップの凄さを目の当たりにした大会でもあった。この大会以降、日本のテレビがワールドカップを中継するようになり、だんだんと日本人にサッカー・ワールドカップが浸透していくこととなる。


 1978年FIFAワールドカップのハイライト。

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