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2010.11.15 (Mon)

白鵬が負けた

 大相撲で連勝街道を驀進中だった横綱白鵬が、今日、稀勢の里に寄りきりで敗れ63連勝でストップしたという。あの勢いならもしかして双葉山の大記録69連勝を超えるのではと期待もしたが、周囲が思っているよりも遥かにプレッシャーがきつかったようで、ここにきて連勝記録が途絶えてしまった。

 とりあえず今後に期待するとして、これでますます双葉山の69連勝という記録が如何に凄い記録だったかということになる。同じ連勝記録でも今は年6場所の15日制だから1年以内で69連勝は達成することが出来る。それが双葉山の時代というのは年2場所制(一場所11日~13日)だったので、双葉山の連勝記録は足掛け3年にわたって達成された不滅の記録なのである。

 昭和11年1月場所の7日目から双葉山の連勝は始まったのである。その時の番付は前頭三枚目である。それが翌場所、双葉山は関脇に上がり、11戦全勝。次の場所では大関として土俵に上がり11戦全勝。その翌場所も大関として13戦全勝。この場所のあと横綱に昇進。横綱になってから13勝、13勝と連勝記録を延ばしていった。そして昭和14年1月場所の4日目(1月15日)。相手は新鋭の西前頭三枚目安芸ノ海。安芸の海は立ち上がりざまに上突っ張りをかませ、右を差して腕をかえし、左に上手を引いて頭を胸につけ、双葉山に上手を引かせぬ有利な体勢となると懸命に寄り立てた。上手が引けぬ双葉山は下手もとらずに激しくすくったが、かえって腰をのばして弓なりに反って不利な体勢となる。安芸の海はここぞとばかり、すかさず左足を外掛けに浴びせかけたので流石の双葉山も腰を崩したのである。

 こうして双葉山の連勝記録は止まったのであるが、その時の館内のどよめきは大変なものであったらしい。ところで私が知っている双葉山というと、引退して時津風部屋の親方として、また相撲協会の理事長として優勝力士に賜杯を渡す時、何時も羽織袴姿で出てくる初老のおじさんといった印象でしかない。テレビで子供の頃、相撲中継を観ていたものだが、この頃の理事長がかの双葉山だったとは当時、知らなかったが、中学生の頃、親爺が双葉山の話をよくしていたから69連勝の記録のことは知っていた。それが、間もなく時津風理事長が亡くなったいう知らせが入った。昭和43年末の頃である。親爺は時津風とは言わず、双葉山が死んだといった。それで私はあの優勝賜杯を渡す人が伝説の双葉山だったのだと思ったぐらいであまり印象はない。でも親爺の世代のヒーローであったという。親爺は双葉山が巡業でやってきたときに本人が相撲をとるのを実際に観たらしいので、その粘り強い腰の運びは強烈だったと生前、よく言っていたものである。

 さて、白鵬は63連勝でストップしたが、これは歴代2位タイで、江戸時代の大横綱谷風梶之助に並ぶものである。谷風は第4代の横綱で、小野川に敗れて63連勝で止まるが、その翌日からまた勝ち続け、43連勝を達成する。もし小野川喜三郎に負けなければ、107連勝というとてつもない大記録が生まれていたのに・・・・・。この谷風は弟子を預かっていて、その弟子が身長約2mという巨人。この巨人がその後に史上最強力士となる雷電である。

 ところで歴代連署記録は双葉山の69連勝で、第2位が谷風と白鵬の63連勝ということになる。それ以外では梅ヶ谷藤太郎(初代)58連勝。太刀山峰右衛門56連勝というのがある。いずれにしても今回の白鵬の63連勝は歴史的に見ても凄い記録なのである。


 双葉山の69連勝映像。

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