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2007.12.30 (Sun)

ビリー・ホリディを聴く

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 ジャズ史上最高のシンガー、不世出のジャズ・シンガーと賛辞されるビリー・ホリディの生涯は短かった。私がビリー・ホリディの名を知るのは高校生の頃である。それも映画『ビリー・ホリディ物語』を観てからのことで、元シュープリームスのダイアナ・ロスが演じるビリーを見て、随分と波瀾万丈な人生を送った女性ジャズ・シンガーがいるものだと呆気にとられた覚えがある。

 映画でのビリー・ホリディは、15歳の父と13歳の母との間に生まれ、6歳にして売春宿で働いたという。楽しみといえば仕事の合間に聴く宿屋のラジオとレコードだけ。15歳の時にはレイプされ人生が狂い始める。その後、母を追ってニューヨークへ行き、夜の街角に立つ生活を強いられる。やがてクラブの主人が彼女をスカウトし、歌手として生活を始めるが、麻薬、人種差別、療養、服役・・・ありとあらゆる苦渋を体験し、1959年、僅か44歳でこの世を去る。

 映画の内容そのものは、その後、ビリー本人の脚色が入っていることが確認されるが、10代同士の間に生まれたことは確かなようで、現実には映画と似たような境遇の中で、ビリー・ホリディは育っている。

 1915年4月7日、フィラデルフィア出身で、ボルチモアで育ったというが、貧しさゆえに人並みの教育を積んでなく、ただ歌があるのみであった。そんなビリーが最初にレコーディングした時の仲間は、何とベニー・グッドマン楽団だった。でも、なかなかブレークするまでに至らず、2年程してからレコードも売れ出し、人気ジャズ楽団の専属シンガーとして活躍するようになった。また、その頃にはカウント・ベイシー楽団のサックス奏者レスター・ヤングから音楽的に多大な影響を受け、モダン・ジャズ・ヴォーカルの始祖として呼ばれるようになった。かすれた声で切々と歌うビリー・ホリディは、名声を高める一方で、麻薬、アルコール依存症に蝕まれ、悲劇的な人生が突然幕を下ろした時、後に残ったものは公民権運動だった。

 よく言われるが、ビリー・ホリディほど、人種差別を受けたシンガーも少ないだろうと思える。彼女は白人オーケストラと仕事をした最初の黒人女性だったのだから、その苦労は並大抵なものではなかった。そんな彼女の代表作であり、最高傑作ではないかともされる曲が『奇妙な果実』(Strange Fruit)であろう。

 1939年、ルイス・アレンという高校教師が一篇の詩を綴る。それを読んだビリーは強く心を動かされる。それが『Strange Fruit』だった。人種差別とリンチによって殺された黒人が、木に吊るされたアメリカ南部のおぞましい光景。この強烈な詩は、ビリーの死んだ父を思わずにはいられなかったのだ。

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Blacks bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees
Pastoral scene of the gallant south
The bulging eyes and the twisted mouth
Scene of magnolias sweet and fresh
Then the sudden smell of burning flesh
Here is fruit for the wind to suck
For the sun to rot for the trees to drop
Here is a strange and bitter crop
 
 (訳)
 葉には血が 根にも血を滴らせ
 南部の風に揺らぐ黒い死体
 ポプラの木に吊るされた奇妙な果実
 美しい南部の田園に
 飛び出した眼 苦痛に歪む口
 マグノリアの甘く新鮮な香りが
 突然肉の焼け焦げた臭いに変わる
 カラスに突かれ 雨に打たれ
 風に弄ばれ
 太陽に朽ちて 落ちていく果実
 奇妙で悲惨な果実

 歌詞の意味を知って、その残酷さに頭を抱えたくなった時、私はビリー・ホリディという薄幸なあるシンガーの生き様を考えた。何処か翳があって、シンガーとしては異色に思えたのは、彼女の生い立ちと、その境遇にあるのだと悟った。・・・結果として、酒と麻薬に溺れ、挙句の果てに我が身を滅ぼしてしまった。

 ところで、ビリー・ホリディという唯一無二のシンガーを語るとき、どうしても負のイメージばかり思い浮かべてしまい、結局は彼女の音楽性だとか、歌いっぷりに話が行かないのは、まことに残念であるが、癖のある声と歌い方は、最初に聴いた人には違和感があると思う。でも聴きなれてくるなり、彼女が稀代のジャズ・シンガーであることに気がつくのである。
  
 『奇妙な果実』(Strange Fruit)を歌うビリー・ホリディ


 サッチモ(ルイ・アームストロング)と"The Blues Are Brewin"を歌うビリー・ホリディ

EDIT  |  17:04  |  音楽(ジャズ)  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

*Comment

♪こんばんは

 JACKさん、こんばんは。
今ではビリー・ホリディを聴く人は少なくなりました。ジャズというのは、ビッグバンドか、コンボ等のインスルメンタルだと思っている若者ばかりです。昔のジャズはヴォーカルが中心だったのですね。ダンス音楽から波及したりして、ジャズ・ヴォーカリストが多数出ました。その中でもビリー・ホリディは異色でした。女性手あること、黒人であること・・・・。彼女がいるから、エラ・フィッツジェラルド、カーレン・マクレエ、サラ・ヴォーンがいるのだと思いますよ。また、ポップスのアレサ・フランクリンやディオンヌ・ワーウィック、ダイアナ・ロス等の多くの黒人女性シンガーに影響を与えました。彼女があと10年長く生きてくれていたらと思うと、ジャズ界もポップス界ももっと変わっていただろうと思います。エディット・ピアフにも言えますが、薄幸の天才というのは、決まって早死にしますね。凡人にはわからない何かが、そうされるのか知りませんが生き様が凄まじいから、燃え尽きるのも早いのかもしれません。

 もっと録音が残っていれば、面白かったのですが、ビリー・ホリディは古いモノラル盤ばかりの演奏でしか聴くことが出来ませんが、それがかえって素晴らしさを醸し出している様な気がします。
uncleyie |  2007.12.31(月) 17:28 |  URL |  【コメント編集】

♪Lady Day

Uncleyieさん、こんにちは。

以前、エディット・ピアフのこともブログに書いてありましたが、ビリー・ホリデイの生涯も波乱に満ちていますね。
酒、麻薬、恋愛に悩まされ、愛する人に一途だった所も共通しています。

ビリー・ホリデイの奇妙な果物を初めて聞いた時は、戦慄を感じました。正確な歌詞はわかりませんでしたた。でも、悲しみとか、怒りなどの感情を飛び越えて、人の心に訴えかける歌の力を感じました。確かな表現力が備わっていました。

この歌は代表作となりました。そのため、差別と戦う歌手みたいに見られがちです。でも、普通のラブソングやブルース等も多く歌っていました。好不調の波はありますが、彼女の確かな歌唱力により残された名演は、没後50年近く経った今でも心に響きます。

彼女が酒や麻薬に体を蝕まれず、安定した生活を送れたなら、もっと多くの作品を残していたでしょう。
そういう時代だったとはいえ、残念なことです。
私が一番好きな曲は、Lovermanです。愛の讃歌とも、奇妙な果実とも曲調は違いますが、しっとりと甘く、優しくて切ない曲です。お酒を飲みながら、クチナシの話を飾って歌う姿を思い浮かべながら聴くのもいいものです。
JACK |  2007.12.31(月) 13:52 |  URL |  【コメント編集】

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