2007.12.31 (Mon)
ベートーヴェンの交響曲第9番を聴く
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団
シュワルツコップ(ソプラノ)、ヘンゲン(コントラルト)、ホップ(テノール)、エーデルマン(バス)
1951年7月29日、バイロイト祝祭劇場におけるライブ録音
今年の最後、大晦日における記事は恒例の第九である。恒例というと語弊があるが、日本国内では師走のコンサートといえばベートーヴェンの第九というのがお決まりである。いつからこんな慣習が出来上がったのか知る由も無いが、第九となると人が入るので、正月の餅代として第九を演奏するようになったという。でもオーケストラと合唱団とソリスト含めて200人近くなる大編成のこの大曲をこれだけ持て囃す国も珍しいといえるだろうが、とにかく日本人は第九が好きなのである。好きだから人が入る。でも4楽章の合唱部分しか知らない人が多くて、困惑することがあるが、それにしても長い曲である。演奏時間は指揮者によって異なるが、カラヤンのような恰好をつける指揮者は60数分で演奏を終えるが、昔のトスカニーニも演奏時間は短かった。一方でクレンペラーや晩年のベームは演奏時間が長くて、80分を超える場合もある。
そういえば昔、CDが世に出るとき、CDの直径を何cmにするかという問題になって、演奏時間が60分で終わる直径にしようということになったが、その大きさが11.5cmだった。ところがこれだとベートーヴェンの第九が一枚に入らない。それで第九の長さが基準になったという話が伝わっている。でも指揮者によって演奏時間が違うのでは話にならない。それでその規格に適ったのがフルトヴェングラー指揮のバイロイト盤だという。その盤こそが上の写真にあるCD化されたフルトヴェングラー指揮のバイロイト盤である。そして、CDの長さは約74分~75分が収録できて直径が12cmに決まったという謂れがある(本当かな・・・)。
ところでこのベートーヴェンの第九ほど雄大で荘厳な交響曲も無いだろう。後にマーラーのような作曲家が出現して、『千人の交響曲』なんてものを世に出したが、所詮は二番煎じのような趣があって、19世紀初頭にこれほど斬新で巨大な曲を作ったベートーヴェンという人の偉大さは、後年の作曲家を考えるとやはり抜きん出ていると思える。
古典派にベートーヴェンは属する作曲家ではあるが、後のロマン派にまで影響を残し、シューベルトやブラームスを以てしても超えられる壁ではなかった。まさに音楽界に燦然と輝く大作曲家なのである。そのベートーヴェンが生涯を通して行き着いた芸術の最高点になるべき交響曲が第九なのである。
そもそも楽聖ベートーヴェンがシラーの詩に曲をつけることは30年も前から考えていたらしいが、合唱付きの4楽章交響曲となって結実したのは1823年のことであった。初演は翌年、ウィーンのケルントナートール劇場で行われ、ベートーヴェンは総監督として舞台上で管弦楽の方を向いて楽譜を眺めていたという。しかし、この時ベートーヴェンは既に聴力を失っていて、奏でられる音が聴こえるはずはなかった。それが第2楽章の終わりか全曲の終わりか定かではないが、万雷の拍手が聞こえぬベートーヴェンが、相変わらず楽譜を眺めていたところ、アルトのウンガー女史がベートーヴェンの袖をひいて観衆の方を振り向かせたという。べートーヴェンはここではじめて観衆が拍手喝采をしていることに気がつき、静かに聴衆に向かって答礼したという逸話が残されている。
初演から大成功だった第九は、その後、『歓喜の歌』が一人歩きし、第4楽章のみが有名になってしまった感がある。かつて私の小学生の頃は、日本語の歌詞がつけられ・・・・・晴れたる青空 漂う雲よ・・・なんて歌ったものである。ただ、一言言わせて貰うならば、日本ほど第九が好きな国も無い。ドイツでは滅多に演奏されないのが第九であって特別な曲なのである。それに比べると、日本の師走というのは、第九、第九、猫も杓子も第九・・・。日頃、クラシック音楽に縁の無い人までが、第九の演奏会に行くし、また第九を歌おうとばかり、Freude, schoner Gotterfunken, tochter aus Elysium・・・カタ仮名で覚えるというから何とも芸が細かい。
何故に日本人がこんなに第九が好きなのか・・・。色々と考えてみたが、ベートーヴェンの交響曲というのは、艱難辛苦から解き放たれるといった図式が成り立つのである。5番にしろ6番にしろそうである。憂鬱からやがて爆発する5番。嵐の後の喜びと感謝を表現している6番。それと同様で、第九は苦悩を抜けて歓喜にいたるといった人間の精神的真理を強調したような曲だからではないだろうか・・・。よく日本人は勧善懲悪の話が好きだという。最後には悪代官が水戸黄門の印籠によって仕留められる。最後に悪は滅びる。正義は勝つのである。
鞍馬天狗はやって来る・・・月光仮面はやって来る・・・ウルトラマンもやって来る・・・最後に勝つのは必ず正義である。よく第九は忠臣蔵に例えられる。吉良上野介により浅野内匠頭が切腹させられ、お家断絶、領地没収となり、路頭に迷った挙句、浪人生活を強いられた大石内蔵助以下47士が、とうとう艱難辛苦の末、吉良上野介の宅に討ち入り目的を果す・・・。まさに日本人のメンタリティーと上手く符合するのが、ベートーヴェンの第九なのである。したがって日本全国の何処かで、今日も第九の演奏会は催されるのである。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団及び合唱団による第九の演奏 1942年4月20日、ヒトラーのバースデーを祝うナチス政権下での演奏会。第4楽章終盤。
胡散臭いナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの顔も一瞬窺える。
アトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団・合唱団による第九の演奏 第4楽章 205小節~638小節まで
シュワルツコップ(ソプラノ)、ヘンゲン(コントラルト)、ホップ(テノール)、エーデルマン(バス)
1951年7月29日、バイロイト祝祭劇場におけるライブ録音
今年の最後、大晦日における記事は恒例の第九である。恒例というと語弊があるが、日本国内では師走のコンサートといえばベートーヴェンの第九というのがお決まりである。いつからこんな慣習が出来上がったのか知る由も無いが、第九となると人が入るので、正月の餅代として第九を演奏するようになったという。でもオーケストラと合唱団とソリスト含めて200人近くなる大編成のこの大曲をこれだけ持て囃す国も珍しいといえるだろうが、とにかく日本人は第九が好きなのである。好きだから人が入る。でも4楽章の合唱部分しか知らない人が多くて、困惑することがあるが、それにしても長い曲である。演奏時間は指揮者によって異なるが、カラヤンのような恰好をつける指揮者は60数分で演奏を終えるが、昔のトスカニーニも演奏時間は短かった。一方でクレンペラーや晩年のベームは演奏時間が長くて、80分を超える場合もある。
そういえば昔、CDが世に出るとき、CDの直径を何cmにするかという問題になって、演奏時間が60分で終わる直径にしようということになったが、その大きさが11.5cmだった。ところがこれだとベートーヴェンの第九が一枚に入らない。それで第九の長さが基準になったという話が伝わっている。でも指揮者によって演奏時間が違うのでは話にならない。それでその規格に適ったのがフルトヴェングラー指揮のバイロイト盤だという。その盤こそが上の写真にあるCD化されたフルトヴェングラー指揮のバイロイト盤である。そして、CDの長さは約74分~75分が収録できて直径が12cmに決まったという謂れがある(本当かな・・・)。
ところでこのベートーヴェンの第九ほど雄大で荘厳な交響曲も無いだろう。後にマーラーのような作曲家が出現して、『千人の交響曲』なんてものを世に出したが、所詮は二番煎じのような趣があって、19世紀初頭にこれほど斬新で巨大な曲を作ったベートーヴェンという人の偉大さは、後年の作曲家を考えるとやはり抜きん出ていると思える。
古典派にベートーヴェンは属する作曲家ではあるが、後のロマン派にまで影響を残し、シューベルトやブラームスを以てしても超えられる壁ではなかった。まさに音楽界に燦然と輝く大作曲家なのである。そのベートーヴェンが生涯を通して行き着いた芸術の最高点になるべき交響曲が第九なのである。
そもそも楽聖ベートーヴェンがシラーの詩に曲をつけることは30年も前から考えていたらしいが、合唱付きの4楽章交響曲となって結実したのは1823年のことであった。初演は翌年、ウィーンのケルントナートール劇場で行われ、ベートーヴェンは総監督として舞台上で管弦楽の方を向いて楽譜を眺めていたという。しかし、この時ベートーヴェンは既に聴力を失っていて、奏でられる音が聴こえるはずはなかった。それが第2楽章の終わりか全曲の終わりか定かではないが、万雷の拍手が聞こえぬベートーヴェンが、相変わらず楽譜を眺めていたところ、アルトのウンガー女史がベートーヴェンの袖をひいて観衆の方を振り向かせたという。べートーヴェンはここではじめて観衆が拍手喝采をしていることに気がつき、静かに聴衆に向かって答礼したという逸話が残されている。
初演から大成功だった第九は、その後、『歓喜の歌』が一人歩きし、第4楽章のみが有名になってしまった感がある。かつて私の小学生の頃は、日本語の歌詞がつけられ・・・・・晴れたる青空 漂う雲よ・・・なんて歌ったものである。ただ、一言言わせて貰うならば、日本ほど第九が好きな国も無い。ドイツでは滅多に演奏されないのが第九であって特別な曲なのである。それに比べると、日本の師走というのは、第九、第九、猫も杓子も第九・・・。日頃、クラシック音楽に縁の無い人までが、第九の演奏会に行くし、また第九を歌おうとばかり、Freude, schoner Gotterfunken, tochter aus Elysium・・・カタ仮名で覚えるというから何とも芸が細かい。
何故に日本人がこんなに第九が好きなのか・・・。色々と考えてみたが、ベートーヴェンの交響曲というのは、艱難辛苦から解き放たれるといった図式が成り立つのである。5番にしろ6番にしろそうである。憂鬱からやがて爆発する5番。嵐の後の喜びと感謝を表現している6番。それと同様で、第九は苦悩を抜けて歓喜にいたるといった人間の精神的真理を強調したような曲だからではないだろうか・・・。よく日本人は勧善懲悪の話が好きだという。最後には悪代官が水戸黄門の印籠によって仕留められる。最後に悪は滅びる。正義は勝つのである。
鞍馬天狗はやって来る・・・月光仮面はやって来る・・・ウルトラマンもやって来る・・・最後に勝つのは必ず正義である。よく第九は忠臣蔵に例えられる。吉良上野介により浅野内匠頭が切腹させられ、お家断絶、領地没収となり、路頭に迷った挙句、浪人生活を強いられた大石内蔵助以下47士が、とうとう艱難辛苦の末、吉良上野介の宅に討ち入り目的を果す・・・。まさに日本人のメンタリティーと上手く符合するのが、ベートーヴェンの第九なのである。したがって日本全国の何処かで、今日も第九の演奏会は催されるのである。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団及び合唱団による第九の演奏 1942年4月20日、ヒトラーのバースデーを祝うナチス政権下での演奏会。第4楽章終盤。
胡散臭いナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの顔も一瞬窺える。
アトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団・合唱団による第九の演奏 第4楽章 205小節~638小節まで
*Comment
uncleyie |
2007.12.31(月) 21:34 | URL |
【コメント編集】
Uncleyieさん、こんばんは。
ベートーヴェンの交響曲は、その後の作曲者や演奏家に大きな影響を与えていますね。古典派とロマン派との橋渡しになったようにも思えます。
そして、曲の後半に決めフレーズが登場する所には、爽快感があります。この曲を、一体マーラーがどんな風に指揮したのか、興味津々です。
こちらのブログでは、芸術、飲食物、時事、スポーツ、本、歳時記など、様々な記事を楽しく読ませてもらいました。
いろいろと勉強になりました。ありがとうごさいました。
それでは、よいお年をお迎えください。
フロイデ♪
ベートーヴェンの交響曲は、その後の作曲者や演奏家に大きな影響を与えていますね。古典派とロマン派との橋渡しになったようにも思えます。
そして、曲の後半に決めフレーズが登場する所には、爽快感があります。この曲を、一体マーラーがどんな風に指揮したのか、興味津々です。
こちらのブログでは、芸術、飲食物、時事、スポーツ、本、歳時記など、様々な記事を楽しく読ませてもらいました。
いろいろと勉強になりました。ありがとうごさいました。
それでは、よいお年をお迎えください。
フロイデ♪
JACK |
2007.12.31(月) 20:12 | URL |
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ベートーヴェンの第九というのは、管弦楽と合唱がくっついた画期的な交響曲でした合唱部分ばかりが、取り上げられる特異な曲でもあります。クラシックは馴染み無いが、この曲だけは知っているというオバさんもいます。やはり『歓喜の歌』は知名度が抜群なのですね。
さて、今年も最後になってしまいました。よくぞ、こんな人気の無いブログを贔屓にしてもらって有難うございます。余所のブログ比べて、話題が古くて、多岐にわたっている分、訪問者が根付かないところがありますが、このスタンスは変えるつもりはありません。私は人気ブログにするつもりは無く、あくまでもオンリーワンのブログでありたいです。そして、ここに来れば、いろんなことが判るといったブログにしたいと思います。それでは、来年もよろしくお願いもうしあげます。