2011.02.26 (Sat)
ジリオラ・チンクェッティを聴く
この名前を聞いてすぐに判る人は間違いなく50歳以上の方でしょう。私が小学生の頃、姉が一生懸命、聴いているラジオから若い女性の声で・・・・・ノノレターノノレターと歌っている楽曲が聴こえてきた。実際はNon ho l’eta non ho l’etaと言っていたのだが、小学生にイタリア語が判るわけはない。でも今、聴いてもそのように聴こえてしまうが。この歌はジリオラ・チンクェッティが歌う『夢みる想い(Non Ho L’eta)』という曲であった。古い人なら知っておられよう。日本人も当時よくカバーしていた。
この曲を最初に聴いたのは1964年だったと思う。イタリアの歌姫ジリオラ・チンクェッティの出世曲といってもいい。ジリオラ・チンクェッティは1963年、この曲でサンレモ音楽祭登竜門カストロカーロ新人コンテストに優勝。さらに翌年、サンレモ音楽祭に出ていきなりの優勝を飾り一躍有名になったのである。このときジリオラ・チンクェッティは何と16歳。さらに勢いに乗ってユーロビジョン・ソング・コンテストにも出場して、イタリア人としては初の優勝。こういった経緯があって日本のラジオでも『夢みる想い』がよく流れていたのである。そういえばこの1964年は、東京オリンピックの開催された年で、新幹線が開通した年でもあったからよく記憶しているが、姉はビートルズを聴きまくっていた。それと同時にフランス・ギャル、コニー・フランシスといった女性歌手の曲も聴いていたように思う。そんな中に混じって当然ジリオラ・チンクェッティの曲もあった。当時、小学生だった私には誰がアメリカ人で、誰がフランス人で、誰がイタリア人なんて理解できない。それで姉はジリオラ・チンクェッティが歌っているのはイタリア語だといった。フランス・ギャルはフランス語で歌っている。コニー・フランシスは当然、英語である。何度も聴き比べをしているとだんだん英語、フランス語、イタリア語の響きというものが何となく判ってくる。それで日本人にとって真似をしやすいのがイタリア語だと直感したのである。
それから5年後、ジリオラ・チンクェッティが歌う『雨(La Pioggia)』が日本でも大ヒットした。すぐに覚えられるメロディで、ラジオから流れてくるのを何度か聴いていてる間に、ローノンカンビオマイ ノノンカンビオマイとメロディとともに歌詞が次第に出るようになっていた。それほどイタリア語というのは日本人とっては歌いやすかったのである。それでボビー・ソロ等のカンツオーネを始め、イタリアの曲をよく聴いていたような気がする。
さて、翌年の1970年、大阪で開かれた万国博覧会。そのオープニングのイベントの一つにジリオラ・チンクェッティが出演していた。彼女は万国博ホールで歌っていたようであるが、当日、私は会場にいたもののチケットがなく見ることはできなかった。とにかく、あの当時、ジリオラ・チンクェッティは日本で人気があった。日本人歌手の弘田三枝子、伊東ゆかりなどもカバーしていたほどである。それは本国のイタリアでの人気を凌ぐといわれていたが、その後も『つばめのように』『太陽のとびら』等ヒット曲を何度かだし、1979年に結婚。生まれた子供の育児に専念するためさっさと引退してしまったのである。それ以来、私はジリオラ・チンクェッティの名前を忘れていたのだが、何年か前にテレビのコマーシャルでジリオラ・チンクェッティの『雨』を聴いて、再び昔の記憶が蘇ってきたことがある。だが、ジリオラ・チンクェッティは1989年に復帰し、1993年にはライ日してコンサートを開催しているらしい。また最近はサンレモ音楽祭にも出ているということで、齢60を超えても活躍しているとのこと。皆目知らなかったのは私だけなのか・・・・。昨今の音楽事情に詳しくないので知らなかったが、今時の人にどのように聴こえるのだろうか・・・・。ちょっとばかり興味がある。
『夢みる想い』を歌うジリオラ。チンクェッティ。この頃、まだ17歳という若さだった。
『雨』を歌うジリオラ・チンクェッティ。CMでこの曲を知ったという方も多いだろう。
こんなのもあったなあ。『雨』日本語バージョン。
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