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2008.01.02 (Wed)

2008年 ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート

 昨夜、元日恒例のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートが生中継され、酒を飲みながらぼんやりと観ていた。今年は現役最高齢の指揮者ジョルジュ・プレートルが指揮するということで、注目されたが、指揮ぶりは年齢のせいもあるが地味である。ただ、指揮者がフランス人ということもあって、父シュトラウスの曲『中国人のギャッロップ』『ヴェルサイユのギャッロップ』、弟ヨーゼフ・シュトラウスの曲『ルクセンブルク・ポルカ』なんてニューイヤー・コンサート初登場の曲が組み込まれ、興味深いプログラムとなった。

 ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートというのは1939年から行なわれているらしいのだか、私が観出したのは1980年頃からかもしれない。もっと前からNHKで放映していたのだろうが録画だった。それで何時の間にか生放送に替わっていたのだが、指揮は毎年ボスコフスキーで、その後は数年間ロリン・マゼールが担当していた関係で、あまり真剣に観ていなかった。それが、1987年に帝王と言われたヘルベルト・フォン・カラヤンが初めてニューイヤー・コンサートの指揮台に立ち、私は珍しさからその時は一部始終観ていた。この時、カラヤンという指揮者は、レパートリーが広すぎて、何が得意な曲なのか判らないところがあり、CDを聴いても、カラヤンのベートーヴェンやマーラー、ブルックナーは聴く気が起こらなかったし、かといってオペラはどうなんだろうか・・・と懐疑的だったことを覚えている。それで、この年のニューイヤー・コンサートでヨハン・シュトラウスのワルツを例によって指揮していたのであるが、これが随分と楽しそうだったのである。やはりカラヤンは、このような軽い調子の曲は上手いなあと感じたものである。でも最晩年の指揮であまり手は動いてなかった。結局、この2年後にカラヤンは亡くなるのである。

 カラヤンが指揮台に立ったということで、この年あたりからウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートは注目されるようになったと思う。毎年、指揮者が替わるようになり、1989年には、かのカリスマ指揮者カルロス・クライバーが指揮台に登場した。初めて生中継で観るクライバーは指揮台で踊るような華麗な指揮を見せ、聴衆を唸らせた。彼は1992年にも指揮台に上がったのである。

 2002年になると日本人の小澤征爾が舞台に上がって、新年の挨拶で中国語を披露したことは記憶に新しいが、今年のジョルジュ・プレートルの指揮は大人しかった。ただ、『美しく青きドナウ』の演奏中、ダンスをしているカップルが、ホールのロビーから観客席に登場したというのは今までにない趣向であり、来年からはまた違う演出を試みて観ている人を驚かせようとしているのかもしれない。

 ところでジョルジュ・プレートルという人は、フランス物の指揮者として伝わっているのだが、主に昔はラヴェル、プーランク、ドビュッシー、ビゼー、サン=サーンスの曲を指揮していたと思う。またビゼーの『カルメン』では、必ずといっていいほど世紀のディーヴァ、マリア・カラスからご指名を受ける指揮者であった。だからプレートルがウィーン楽壇の最高峰、ムジーク・フェラインザール(楽友協会ホール)の新年の舞台に上がるというのはサプライズであった。しかし、考えてみればオーケストラこそ違うが、1991年までウィーン交響楽団の首席指揮者の地位にあった人なのだから、人選的には当然なのかもしれないが、ウィーン・フィルの指揮台に上がらせてみたい指揮者も最近はいなくなってしまったなあ・・・。

 昔は、カリスマ的な指揮者が山ほどいたが、今のクラシック音楽の楽壇においては興味深い指揮者が減ってしまった。サイモン・ラトルではつまらないし、ベルナルド・ハイティンク、コリン・デイヴィスでも同様だろう。リッカルド・シャイーやチョン・ミョンフンが上がってもあまり観たいとは思わないし、ヴァレリー・ゲルギエフが案外面白いかもしれないというところか・・・・・しかし、日本人としては我等が大植英次に期待するとしよう。何時のことになるか判らないが・・・・・。ただ、来年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート、指揮者だけは決まっているらしい。それで来年はダニエル・バレンボイムの予定だそうな・・・・。前シカゴ交響楽団の音楽監督で、若くして逝去した女流天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの元夫といえは話題性はあるだろう。でも突然の変更はあるかもしれないので、当てにはならないが・・・・。

 1987年のニューイヤー・コンサート カラヤンの指揮でキャスリーン・バトルがヨハン・シュトラウスの『春の声』を歌う 

                                 
EDIT  |  10:30  |  音楽(クラシック)  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

*Comment

♪お早うございます

 JACKさん、お早うございます。
ウィーン・フィルの新年コンサートというのは、誰が指揮でどんな曲をプログラムに入れるのかというのが、一つの楽しみでもあります。それが、最近は同じ指揮者か何度も出てくるようになり、やや興味がそがれていました。それというのも個性的な指揮者が減ったことが要因でしょう。今の時代は、他人の演奏会に行かなくても、衛星放送やDVD、CD、インターネットで幾らでも疑似体験することが出来ますから、みんな演奏が似てきますね。だから物足りなくなるのかもしれませんが・・・・。この頃は、誰の指揮か聴くだけでは皆目、判りません。

 それはそうとリッカルド・ムーティなんて人は、自国イタリアのスカラ座で支配人ともめ、その後も、聴衆からブーイングされ、オーケストラの団員からストライキスにあったり何かと騒がしい指揮者ですが、ムーティがフィラデルフィア管弦楽団と残した録音には素晴らしいものがあります。レスピーギの『ローマ三部作』なんかは、見事な出来栄えです。流石にオーマンディが後任に選んだだけあります。でも、ミラノ・スカラ座で上手くいかないというのは、どうなっているのでしょうか。昔の小澤征爾がN響に拒否されたのと似ているような気がします。

 やはり自分の音楽性を追求すると、衝突が起こりうるのでしょうか・・・。それを考えると、今の指揮者はみんな温和になりましたね。そして、音楽もトゲトゲしいのがなくなりました。
uncleyie |  2008.01.03(木) 09:30 |  URL |  【コメント編集】

♪今夜も、再放送されていました。

uncleyieさん、こんばんは。
この時期は日本でもニューイヤーコンサートや、カウントダウンコンサートなどが、各地で開催されています。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでは、他の音楽祭のような堅苦しさをあまり感じません。演奏者もリラックスしてこの演奏会を観客と共に楽しんでいるように思えます。

今回はスポーツポルカでもサッカー絡みの演出がありましたが、毎回、何か演出が考えられています。
そんな仕掛けにも、指揮者の個性が感じられます。

ただ、本文で指摘されたように、だんだんと個性的な指揮者が減っているようにも思えます。今でもムーティーさんのように、劇場と対立して解任されちゃうような方も、いるにはいますがね。
JACK |  2008.01.03(木) 00:01 |  URL |  【コメント編集】

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