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2016.10.14 (Fri)

えっ! ボブ・ディラン

 昨日、本年度のノーベル文学賞が発表されシンガー・ソング・ライターのボブ・ディランが受賞することになった。このとき正直に思ったことが、えっ! ボブ・ディランである。この文学賞は毎年、村上春樹が貰うか貰うかとわくわくされ、ハルキストといわれる人が毎年、この時期になるとそわそわするらしい。結局、今年も駄目で誰が貰ったかというとボブ・ディラン。これには驚いた。どちらかというとグラミー賞が妥当だと思っていたので、音楽家がノーベル賞を受賞するなんて意外も意外としか思わなかった。でも当ブログですでに三回記事にしているぐらいだから、最近のノーベル賞受賞者で最も有名な人と言っても過言ではない。ところでミュージシャンがノーベル賞を受賞したなんて史上初のことだろう。文学賞というのは作家や詩人、ライタ-に与えられるのが一般的である。だが、今回はシンガー・ソング・ライターである。異例中の異例といってもいい。しかるに何故、ボブ・ディランにノーベル賞が与えられたのかと言うことだが、偉大なるアメリカの音楽の伝統の上に立って、新しい詩的表現を創造してきたというのが選考された理由みたいだ。そもそもボブ・ディラン(本名ロバート・ツィンマーマン)は今世紀屈指の詩人ディラン・トーマスから名前を頂いているぐらいだから詩的な表現を好むようだが、彼が、フォークソング界にデビューしたときは強烈な歌詞で旋風を巻き起こしたようだ。
 手元に彼の出世作となったアルバム『The Freewheelin』のLPがあるが、その歌詞の訳詞を見ても強烈である。『風に吹かれて』~どれだけの道を歩けば お前は人間を人間と認めるのか いくつの海を渡れば 鳩は砂の中で休めるのか いくたび砲弾が飛び交えば 武器は完全に禁止されるのか その答えは 我が友よ 風に舞っている~
 『戦争の親玉』~お聞き 戦争の親玉達 鉄砲を作り 死の飛行機を作り 大きな爆弾を作るお前達 城壁の向こうに隠れ 机の向こうに隠れているお前達 言っとくけど俺にはお前の仮面の下の正体は判ってるんだぜ~
 これらの歌詞は当然、当時のアメリカの体制批判であり、こういったことを歌を通してまざまざとボブ・ディランはやっていた。所謂プロテスト・ソングとしてのフォーク・ソングをボブ・ディランは歌詞で強烈にアピールしていた。かといってボブ・ディランはこういった攻撃的な歌詞ばかりではなく『ダウン・ザ・ハイウェイ』『くよくよするな』『はげしい雨が降る』のような内省的な歌詞も多く、全般的に認められたのはこのような部分だろう。彼が出てきた1962年63年といえばアメリカで公民権運動が盛んになりケネディ大統領がもたらした自由主義的風潮を背景にして、体制内改良主義的な非暴力闘争が大きな盛り上がりを見せた時期であり、ボブ・ディランが当時支持されたというのは時代精神を抜きにしては語れないであろう。でも当時は右翼団体を非難することさえ至難だった時代。こういったことを公然と行ったボブ・ディラン。このボブ・ディランは当初は日本で受け入れられなかった。というのもかのしわがれ声と歌い方である。日本人が好む叙情的なフォークソングとは相反していたからである。当時、日本の若者の多くはPPMやブラザース・フォアーのようなハーモニーの綺麗なフォークソングを好んだ。無理もない。ボブ・ディランの神髄は歌詞の内容にあるのだから。英語が直接伝わらない日本人にはボブ・ディランの影響をすぐに受けることはあまりなかった。でも、彼の詩の強烈さはやがて徐々に理解され、日本でもボブ・ディランの影響を受けるフォークシンガーが次第と現れるようになる。髙石ともやだとか高田渡だとか岡林信康だとか中川五郎だとかフォークルなんかもそうかもしれない。灰汁の強い関西フォーク、アングラフォークなんかは代表格だろう。時代がそうさせたのだ。ボブ・ディランはそういった詩的表現が得意で、プロテストソングから徐々に脱皮し、後年は音楽の幅を広げていったものだが、その根底にあるのは体制批判であった。今も現役であり、相も変わらずしわがれ声で朗々と歌いまくる。その名声からいってノーベル文学賞に値はするだろうが、ただミュージシャンが過去にノーベル賞を貰ったことなど皆無なので、小生はただただ驚いているのである。でも、これからはノーベル文学賞の受賞者の傾向が変わるかもしれないな。


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2016.07.18 (Mon)

ポケモンGOとやら

  なんだかポケモンGOという配信ゲームが世界中で大ブームだという。テレビゲームとかパソコンのゲームとかに疎い小生には何のことかさっぱり判らないが、アメリカ等のポケモンGOが先行して配信された国々では大騒ぎになっているらしい。
 そもそもポケモンとはポケットモンスターという任天堂が開発したゲームだということは知っている。そしてアニメにもなり世界中で放映され、ピカチュウーを始めとしてキャラクターが世界中で人気になったことも知っている。かれこれ20年前になるのかな。しかし、ゲームそのものをほとんどやらなかった小生はよく判らない。世代の違いもあるが、ゲーム自体があまり好きではなかった。小生が若い頃にスペースインベーダーというゲームが流行っていたが興味も示さなかった。その後に任天堂がスーパーファミコンとかいうものを販売し瞬く間に広まったらしい。その後にソニーがプレイステーションを発売。これも世界中で人気を得た。それでもゲーム機など目もくれなかった。それがプレイステーション2が発売された時、どういうわけか小生も買った。それはゲーム目当てではなくDVDも観れると言うことで買ったのである。すると友人がソフトを貸してくれた。何のゲームだったかな。いくつかあったがはまる物もあった。競馬の競争馬を生産してダービー馬を育てるゲームなどは面白かった。ただ時間があっという間に潰れる。きりがない。休みの日をゲームだけで潰していたのかと考えたら急激に冷めてきた。なんだか時間の無駄に思えてきた。それにプレイステーション2が1年持たずに潰れた。そういうことでそれ以来ゲームとは無縁の生活を送っている。そこへ今回のポケモンGOである。
 なんだかアメリカでは大変なことになっているようだ。配信ゲームなのでみんながスマートフォンをかざしながら街を彷徨うので、色々な現象が起きているという。事故を起こしたり、ぶつかったり、一箇所に人が集まりすぎてみんながスマートフォンの画面を観ている。なんとも異様な光景だ。
 そもそも任天堂とアメリカのナイアンティックというヴェンチャー企業が共同開発した配信ゲームらしいが、ポケモンのキャラクターをゲットしにそこら中に人々が溢れ出したという。いったいどうなっているのやら。7月6日の初配信からアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド等では社会現象になり、その後、ヨーロッパの32ケ国で配信が始まり、これまた大変なことになっているとやら。
 このソフトはとにかく外に出ないことには始まらない。テレビゲームというとほとんどが部屋の中で閉じこもったままになる。これでは引きこもりが増えるという事情から、開発者は引きこもりをなくし極力、外に積極的に出るようなゲームを作ろうと考えたようである。試みは成功しただろうが、想定外に人気が出てしまったということだろうか。なにしろアメリカでは開始一週間で利用者が6500万人。なんとアメリカの四人に一人が利用したことになる。つまりゲームをやらない老人や幼児を除けば、どいつもこいつもポケモンGOでモンスター捜しを行ったってことになる。これにより本家本元の任天堂の株が急上昇したというから世界的な社会現象なのだろう。
 ただ面白いことにポケモンの発祥の地である日本ではまだ配信されてなくて、何時配信されるのかが話題になっている。それこそ配信され出すと、またモンスターを追いかけて、集まるところに人が集まるのだろう。いやはやおかしな光景が日本でも繰り広げられそうである。もっともガラケーしか持ってない小生にはなんの関係もない話だが、ポケモンGOに熱中したがあまり交通事故に巻き込まれたり、溝に落ちたり、犯罪に巻き込まれたりしないように、くれぐれもご用心。
 いやはやこの21世紀になって想定外の物が出て来るものである。
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2016.07.10 (Sun)

参議院の選挙日

 この糞暑いときに参議院の選挙だって。しかし振り返ると7月ってよく統一選挙が行われているな。仕方なく投票場まで行ってきたけど、暑くて暑くて帰ってきたら汗だくになった。涼しいときなら良いけども暑いときの外出はあまりしたくない。ましてや投票のためだけに行くって何かバカらしく思う。まあ与えられた権限を棄権するのも癪だから行くけども、小生の投票が反映されたと感じたことはない。これが現実だ。それでも投票には行くのだが、若い人は投票に行かないらしいなあ。小生が初めて選挙に行ったのはもう40年も前だが、比較的に投票には行っていた。もっとも若いときは選挙期間中、出張とかも多く、必ず投票に行ったというのでもないが、自宅にいるときはほとんど投票していた。
 ところで今回から18歳以上の人にも選挙権が与えられたが、果たして投票率はいかがなものだろうか。我々の時代と比べると冷めているというか政治に関心が薄いだろう。まあ自分一人が投票に行ったからって何も変わらないと考えると行く気もしないだろう。もっともせっかく選んだ議員や知事達が最近は簡単に公的資金を私的運用したりするので、若者が政治不信になるのも判らないでもない。選挙って政策で選ぶのか、それとも人で選ぶのか迷ってしまうところでもある。
 ところで我が家はとある党からよく電話がかかってくる。今日も2回。「選挙に行かれましたか」「行きましたよ」「○○さんに入れてくれましたよね」「ハイ」
 まあ煩いこと煩いこと、何時ものことだがその党に小生は投票したことがない。一応、ハイと言ってるだけで、揉めたくないから嘘の返事をしているだけである。若いときは党の支持者とよく意見をぶつけて論戦になったが、もうこの歳になると無駄な時間を潰したくないから口も方便で嘘を言っている。しかし熱心だね。いずれにせよ小生の政治信条からいって彼の党には入れたくない。拙者の嫌いな組織票の枠組には取り込まれたくない。そういう思いで投票に行く。つまり選挙ぐらい自分で選ばせてくれと言うことだ。
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2016.07.01 (Fri)

50年前のこと(ビートルズ来日騒動)

 今から50年前と言えば1966年(昭和41年)7月1日。ちょうどザ・ビートルズが来日公演中。6月29日の真夜中にビートルズの四人は羽田空港に現れた。日航の法被を着てタラップを降り立ったのである。この模様はこの日のニュースとしてテレビで放送していたし、その日の新聞の第一面に写真付きで記事になっていた。考えてみれば凄いことだったんだなって今になってみるとそう感じてしまう。今なら外国のロック・ミュージシャンが来日したからって、新聞の一面で採り上げられることもないし、異常なまでの警備でファンが誰一人近づけないということはないだろう。まるで国賓かVIP並の扱われかただった。ただし日本公演にこぎ着けるまでには波乱の連続で、識者を含めての大騒動となったものである。
 外国で熱狂的な演奏活動を行っていたビートルズが来日公演を行うと決まったのは何時頃だろうか。当時、ガキだった小生は知るところではない。あの頃は、小生よりも高校生だった姉の方がビートルズに熱狂していた頃だ。小生が本格的にビートルズを聴くようになったのはサージェント・ペパーズ以降だから、ビートルズの曲は知っていたものの姉ほど熱中していたというものでもない。それがついにビートルズの来日公演が決定した。今調べてみると日本公演が正式に決定したのは二ヶ月前で、日本武道館で行うと発表されたのが一ヶ月前のようだ。でも当時、館長だった正力松太郎が「ペートルなんとかいうのは何者だ? そんな連中に武道館を使わせるわけにはいかん」という記事がサンデー毎日に掲載されたのである。またテレビの『時事放談』で細川隆元と小汀利得が「こじき芸人に武道館を使わせてたまるか」と発言。さらに「夢の島(ゴミ処理場)で演れ」「騒いでいるのはキチガイ少女ども」と言ったので、それにファンが反発。右翼もビートルズ来日反対運動を起こしたのである。ビートルズを推すファンと対立する大人や政治家、識者、教育者、右翼団体を巻き込み、考えてみたらとんでもないビートルズ騒動だったことがうかがえる。結局は正力松太郎が政治家や右翼団体を説得。警察庁にも国を挙げて警備してくれるように長官を口説いたという。このあたり正力松太郎の中にどのような変化があったのだろうか。今となっては判らない。
 当時、日本武道館理事長だった赤松宗徳が「武道の殿堂であり、青少年の心身育成の場である武道館の使用は再三お断りしたのですが、主催者側はもとより、英国側からも重ねて強い要請があり諸処の情勢を検討した結果、使用を許可することにしました」と発表。これでビートルズの日本武道館公演が決定したのである。このバックには正力松太郎が動いたのであろうが、この頃の識者たちはビートルズが海外でどうなっているのか皆目、判らなかったということが判る。また日本では一部の若者達が騒いでいるが、どういった音楽を演っているのかも知らない大人達は多かった。また、そういう時代であった。それが前年、大英帝国で勲章を貰ったとかで、とんでもない若者達らしいということが徐々に認識され始めたのである。これはもしかすると大指揮者のカラヤン以上の人気を誇っているミュージシャンだと言うことを大人達がわかり始めたというか、とにかく大変な連中が来日すると言うことで大騒ぎに発展してしまったようだ。
 こうしてビートルズは来日し、物々しい警備の中でホテルへ直行。彼等はホテルへ缶詰状態。6月30日、7月1日、2日の計5回の公演で5万人を動員した。コンサートはアリーナ席に人を入れず、ステージの前にも警官、客席にも警官が陣取り、客席から立ち上がることも許されない今では考えられないコンサートとなった。一度だけテレビ放送があり、それを姉と二人で観ていたのを思い出す。司会がE・H・エリックで、前座にブルー・コメッツ、尾藤イサオやドリフターズ、内田裕也とかが出演したが、テレビではビートルズの経歴だとかが紹介された後、30分の演奏を全編ノーカットでテレビ中継したもので間にCMは一切入れなかった。曲目は
1 .Rock And Roll Music
2 .She's A Woman
3 .If I Needed Someone
4 .Day Tripper
5 .Baby's In Black
6 .I Feel Fine
7 .Yesterday
8 .I Wanna Be Your Man
9 .Nowhere Man
10 .Paperback Writer
11 .I'm Down
 の11曲。ところで、このときの映像は生中継だと思っていたのだが、どうやら7月1日の昼の公演の録画を、その日の夜に中継したみたいである。
 翌日、学校に行くとビートルズの演奏の中継を観たという連中が多く、これまでビートルズに興味がない女生徒まで観ていたから驚いた。実に視聴率は56%。30代の教師まで「あんなん観たのか」と扱き下ろしていながら観ていたというから呆れる。考えてみたら社会的現象だったなあと実感するしかないが、まだこの頃のビートルズは、さほど音楽的に認められていたのでもなく、実際にはこの夏に公演活動をやめて、レコーディング活動のみを行うと発表してから彼等の音楽性、芸術性が認められるようになったものである。しかし、その後、名マネージャーのブライアン・エプスタインが死去し、四人の間に隙間風が入り出すようになる。ただの音楽的アイドルバンドから段々とプロのミュージシャン仲間にも認められる存在となっていき、この1966年以降のビートルズは以前のビートルズとは明らかに違っていた。もうファンに追いまくられ、公演で泣き叫ぶ少女達。こういった映像から違った所謂、アーティスティックなミュージシャンへと脱皮していった。出すレコードがシングル盤、LP盤にかかわらず、どれもこれも実験音楽的な要素を含み色々な試みを繰り返す。この頃のビートルズから触発され、彼等の後追いをやり出したミュージシャンも数え切れない。謂わば後半期のビートルズはファンの前にこそ姿を現さないが、やることなすこと全てが革命的であったし音楽的に認められていったのである。ただ各個人の活動も目立ちだし、発言力も以前とは違っていた。ジョン・レノンなどは政治的発言を口にするようにもなるし、初期のビートルズとはなにかが違っていた。
 四人の間に亀裂が入るようになり、1969年に入ってその兆候が始まり、秋にアルバム『アビィ・ロード』の録音が終わる。これ以降、四人が揃ってレコーディング・スタジオに集まることはなかった。1970年の春、ポール・マッカートニーが事実上の解散宣言をする。ちょうど巷では『Let It Be』が流行っていた。なんか切なく聴こえる。
 考えてみれば、今から50年前の武道館公演。あれがビートルズの転換期でもあり、ロック・ミュージックや日本の音楽の転換期でもあったような気がする。あれ以降、日本ではグループ・サウンズが流行、武道館でのコンサートは当たり前になる。洋楽の分野でも、よりジャンルが細かくなり色々な系統の音楽が散見されるようになり、また活発化したものである。ちょうど戦後生まれの世代が20歳を前後になり、世界中にスチューデントパワーが吹き荒れた。古い価値観が壊されていき、新しい文化が芽生えていた。ちょうど日本ではそういった時期にビートルズが来日した。高度成長期であり新しい物がなんか新鮮に感じた。
今となっては懐かしいビートルズ来日騒動だが、当時、まだ古い価値観が世間を支配していた。
 あれから50年。早いようで長かったような気もする。小生はまだビートルズの歌も真面に歌えないガキだったのだが、今や初老のおっさんだ。今、振り返ってみると時代背景も何もかも変わってしまった。取り巻く環境も変わってしまった。あの当時、エレキの音楽を聴くと不良のレッテルが貼られた。今はそんなことを言う人はいない。高校で軽音楽部がありみんながエレキギターを弾いていて大会もある時代だ。あの頃のことを若い人に言ってもしょうがない。ああいった時代だったのだと。それは戦時中を潜ってきた人が小生に戦争体験を語るのと同じことである。ただあの当時、大人達から煙たく思われ毛嫌いされたビートルズが、今じゃ、音楽の教科書に載り、ジョン・レノンの語録が本になり、今でもポール・マッカートニーの曲は聴き続けられているという現実がある。そういった事実を考えると。あの50年前のビートルズの来日公演は、商業音楽史上においては、とんでもない出来事だったんだなと痛感する思いである。

当時のニュース映像


ビートルズ公演を観た三島由紀夫と遠藤周作の感想


49年ぶりに武道館でコンサートをするポール・マッカートニー。何と2曲以外はビートルズ時代の曲ばかり演奏。最後の曲が『アビィ・ロード』B面最後の曲で”The End”で締めくくるとは。

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2016.06.24 (Fri)

イギリスのEU離脱

 23日にイギリスがEUから離脱するかどうかの国民投票が行われなんと大接戦の末、離脱が決定した。これにより残留派のキャメロン首相までが辞任してしまったではないか。この結果に小生は正直のところ驚いた。国民投票すると言うが、以前のスコットランド独立の時の投票でも結局は残留という結果だったので、今回もEUに残留するだろうと思っていたのだが離脱だという。結局のところはEUに加盟していてもこれといった恩恵がないとイギリスの国民は考えたのであろうか。といってもほんの僅かな差なのであって、圧倒的というものでもなく、離脱しない方が良かったのにという人が大半存在する中でイギリスは離脱したのである。一方、これによりEU残留派が多いスコットランドはイギリスからの独立を示唆。風雲急を告げる事態となった。
EU(Europian Union)とは欧州連合のことで、小さな国が多いヨーロッパにおいて一つの経済圏及び価値観や通貨の共同体を保とうということで設立されたのであろうが、ここに来て離脱とは興味深い。そもそも欧州は陸続きでありながら色んな国があり、言語も通貨も違い、国から国へ移るときもパスポートの提示などしていたら時代に取り残されると言うことで1993年に設立されたはずだと記憶している。そして加盟国間では自由、民主主義、平等、法の支配、人権の尊重等が普及し市場統合を試みて来たのである。その前身であるEC(欧州諸共同体)以前は加盟国がベルギー、西ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダだけだったのが、その後、イギリス、アイルランド、デンマークが加わり、その後も西欧諸国が次々と加わっていく。そして東欧国家の民主化の嵐、ソビエトのペレストロイカから鉄のカーテンの消滅、ベルリンの壁の撤去と来て、冷戦の終結から欧州連合が発足したのである。
今やEU加盟国は28ヶ国まで増えたが、結局のところEUを牽引している国はドイツやイギリス、フランス辺りの経済力のある国になるのだろう。そこへギリシャの経済破綻を含め、貧しい東欧諸国の経済補塡等、そこへ大量の難民の流入。すでにヨーロッパではシリア難民を受け入れているが、こういった難民受け入れもネックになったと言えよう。さらにイギリスはEU加盟国からの移住者も大勢いて、これらが度々、国内でも論争の的となっていた。事実、東欧の貧しいルーマニアとイギリスとの給与格差は5倍あるという。こういった東欧からの貧しい移住者が昨年は16万人以上いたという。彼等により職に就けない若者も当然のようにいるという状況もあり国民はEU離脱を決めてしまったのか。
これらの事態はイギリスの国民にとって容易に受け入れがたい現象であり、総合的においてイギリスの国民は独自路線を選んだのであろう。まあ、イギリスという国はかつて大英帝国と言われ繁栄を極めた。アジア、アフリカとかに植民地をつくり産業革命を起こし、世界の中心であったと言えよう。しかし、今やそのときの栄華は過去のものなりつつあり、過去のプライドだけで生きているところがあり、一時はイギリス病だとか言われるまでに落ち込んだのだが、その後、回復しGDP世界5位というから、腐っても鯛ならず腐ってもイギリスである。そして、そのイギリスがEUから離脱するに当たってEUへの影響も多いが、イギリス国内への影響も大きいと思える。さらに世界経済への影響は今後も出て来ると思える。すでに日経平均株価も急落しているようだ。もしかしてリーマンショック以来という経済停滞が起こるのか・・・・・。こうなるとEUから離脱する国はイギリス以外にも出て来るかもしれず、今後、EUを背負っていくだろうドイツ、フランス、イタリアを始め、ヨーロッパ諸国の成り行きが大いに注目されるし、日本を含めたアジア各国も他人事ではなく当然、政治や経済への波及も当然見受けられるだろうし暫くは世界経済の動向からも目が離せなくなった。
 
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2016.05.25 (Wed)

伊勢志摩サミットの余波

 明日の26日から主要国首脳会議、いわゆる伊勢志摩サミットが三重県の英虞湾内にある賢島で行われる。日本で行われるのは8年ぶりと言うことであるが、ちょっとこのところ物々しい警備で面食らっている。7カ国の大統領、首相が毎年集まって会議をするというのはもうお馴染みの慣習になってしまったが、今回は日本の開催と言うことで、こちらは迷惑しているというのが正直なところ。前回の日本開催サミットは北海道の洞爺湖の近くと言うことで、距離的に遠いので、こちらはあまり関係はなかったが、今回は三重県と言うことで、いくらか関西も影響があるようだ。駅のゴミ箱が使用不可になったり、コインロッカーも同様で、ほとんど使えない。そういえば外国人観光客が駅のコインロッカーが使えなくなったと言うことで右往左往していた。よりによってこんな時期に日本に来るとは。運が悪いとしか言い様がないな。ゴミ箱は撤収し缶コーヒー、ペットボトルも捨てられない。コインロッカーも使えない。道理でキャリーケースを引いてウロウロしている外国人が目立つはずだ。それと警備員の数の多さ。警官と警備会社のガードマンの姿が目立つ。ちょっとおかしな雰囲気だと直ぐに職務質問されそうである。まさに異常。だから早くサミットが終わってくれと言うのが正直な感想だ。
 とにかく過剰な警備体制で駅や繁華街へ行っても何処かピリピリしているようなところがある。最近はパリやベルギーでテロがあってからというものは、日本にも飛び火したのか警備がより厳重になっている。つまりテロリストはサミットの会場だけを狙わなくて、市街地の人の集まるところも容赦なく狙うと言うことなのか。困ったものだ。ことに最近は多くの外国人が日本へ来るようになったのか、より警備が厳重になりつつある。どうも大阪の阿倍野にあるハルカスとデパートはサミットの間は営業を停止するらしい。USJも入場の時、厳しいチェックが入るという。こんなことをされたら、なんだか楽しみに行くのに、気分を害しそうだな。まあ、最近は何を考えているか判らない連中が大勢いるからやむを得ないといえばやむを得ないだろうが、日本もこんな時代になったのか。
 ところで今回、安倍首相は賢島の志摩観光ホテルでサミットを行うと思ったのは何故だろう。日本全体の鎮守の最高峰。神道側の最高神といわれるザ・ジングウこと伊勢神宮が近いと言うことと、風光明媚であることと、周囲が海に囲まれた小さな島でサミットを行うと警備がしやすいと考えたのかな・・・・・。でも、今から40年前に賢島に行ったことがあるから言うが、警備をしやすいと考えてたらとんでもない話である。
確かに島へ渡る橋は2箇所しかなく、周囲が7キロほどの島だが、リアス式海岸に囲まれていて真珠養殖の筏が湾内に、それこそ無数に設置されてある。入り江が多く小さなボートだと隠れるところが至る所にある。今はドローンというものがあり、爆弾を仕掛けて飛ばせば志摩観光ホテルへ簡単に進入できる。まあ、狙おうと思えば狙える環境にある。だから不法者を近づかせないように広域的な警備を行っているのだろう。かつて山崎豊子の小説『華麗なる一族』の冒頭で出てくる志摩観光ホテルがサミットに使われるなんて、山崎豊子が生きていたらどのように思ったか知らないが、とにかく市民レベルでは迷惑千万なサミットである。早く終わってくれないかな。
 ただオバマ大統領の広島訪問だけは大いに興味を持っている。

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