2015.09.20 (Sun)
安保法案成立
今週の一番大きな出来事と言うと、安全保障関連法の成立だろう。書くつもりはなかったが書かなくてはならないかな。どうも気に入らない。やりかたがである。議会制民主主義、主権在民は何処に行った。今回の衆参両院の特別委員会での審議は220時間に達し記録的な時間を要したが結果的に安保関連法10法を改正する平和安全法制整備法、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法である国際平和支援法が新たに成立してしまった。これによりアメリカなどが第三国から武力攻撃を受けた場合、また日本の存立や国民の権利が脅かされる存立危機事態となった場合、集団的自衛権に基づき必要最低限の武力行使を行使できるというもの。それにより自衛隊によるアメリカ軍への後方支援は地理的制約がなくなり何処へでもいけるようになった。これにより安倍首相は、より戦争を防ぐ法制が強化され戦争を未然に防ぐことが出来ると言う。しかし、はたしてそんな机上の空論が通用するのか。戦場と言うのは何が起こるか分からない。おそらく間違いなく死者は出るだろう。安倍は建前ばかり言ってるが、所詮はアメリカの下僕なってしまい自衛隊が後方支援することがはたして抑止力に繋がるのか。つまり春のアメリカ訪問でオバマとの間で交わした約束事が先にあったということ。デモが増えるのを恐れてシルバーウィークまでに法案を成立させることが目的であったということ。だから先を急いだのだろう。ここに来るまで審議はほとんどなされず、法案は違憲の疑いも強い。戦後70年に渡って専守防衛を謳ってきた日本の平和方針を大転換させる安保法案をいとも簡単に、たった一度の国会で成立させてしまったではないか。一内閣の解釈変更で憲法の趣旨を変えることなど許されていいのか。
あまりにも性急すぎないか。国民の声は其処にも届かない。野党は頼りない。結局数の倫理でごり押しで法案を成立させてしまった。民意が全く反映されない。このことが一番、小生は気に入らないのである。この法案に賛成する人はそれなら日本の安全はどうなるのだと言うだろうが、そんなことは百も承知だ。こういった国の今後を占う重要な問題だから十分に時間をかけて徹底的に審議し、国民の声を何年にもかけて聞き入れた上で行っても問題はない。あまりにも事を急ぎ過ぎたがための欠陥だらけの法案で、はたして日本の行く末はと思ってしまう。
かつて朝鮮戦争で日本の民間人が多数死んだ。彼等は貨物船の乗組員だった。当時、GHQの配下にあった日本。1950年に朝鮮戦争が勃発した時、アメリカ軍は韓国を支援してソビエトが支援する北朝鮮と戦うため軍隊を送ったのだが、兵や輸送船の数が足りなくなり、突如として日本の貨物船に説明もなく戦車や武器の輸送をさせていたのである。行先は韓国。日本の船員たちは行き先も告げられず、ただGHQのアメリカ兵に行けと言われ、行った先は戦場だった。突然、戦車が貨物船に乗せられていたことを知る。つまり戦場へ黙って行かされたという事実。知らぬ間に武器の運搬をさせられていたという現実。こういったことが何度かあって日本の民間人は機雷に船が触れて大破したり、機銃掃射に遭って亡くなった方も多数に及ぶが正確な死者の数はつかめていない。彼等は丸腰の民間人であって兵士ではない。でも最近までGHQはこのことを隠していたし、日本政府も公表していない。またこの時、戦場に行かされた乗組員の生き残りや遺族もほとんど公言していないのであからさまになることはなかった。それが最近こういった事実が判明したのだ。つまりGHQは都合の悪いことは隠匿するのだ。安倍首相はアメリカの後方支援することで、国際平和を守れると強調されるが、これさえも当てにならない。いざ戦場へ駆り出されたら想定外のことばかり起こるのは目に見えている。問題が山積した法案を簡単に通してしまったが、これからどうする気だろう。行くのは日本の若者なのだ。法案を通した連中が戦場へ行く筈もないから勝手なことを言うが、あまりにも安直な今回の法律案成立ではないだろうか。結局は抑止力なんてイタチごっこでどちらかが武力を大きくすれば片方も大きくする。そんなことの永遠の繰り返し。先にもっともっと外交努力を徹底的に推し進めるべきで、こちらの方が大事だろう。
あまりにも性急すぎないか。国民の声は其処にも届かない。野党は頼りない。結局数の倫理でごり押しで法案を成立させてしまった。民意が全く反映されない。このことが一番、小生は気に入らないのである。この法案に賛成する人はそれなら日本の安全はどうなるのだと言うだろうが、そんなことは百も承知だ。こういった国の今後を占う重要な問題だから十分に時間をかけて徹底的に審議し、国民の声を何年にもかけて聞き入れた上で行っても問題はない。あまりにも事を急ぎ過ぎたがための欠陥だらけの法案で、はたして日本の行く末はと思ってしまう。
かつて朝鮮戦争で日本の民間人が多数死んだ。彼等は貨物船の乗組員だった。当時、GHQの配下にあった日本。1950年に朝鮮戦争が勃発した時、アメリカ軍は韓国を支援してソビエトが支援する北朝鮮と戦うため軍隊を送ったのだが、兵や輸送船の数が足りなくなり、突如として日本の貨物船に説明もなく戦車や武器の輸送をさせていたのである。行先は韓国。日本の船員たちは行き先も告げられず、ただGHQのアメリカ兵に行けと言われ、行った先は戦場だった。突然、戦車が貨物船に乗せられていたことを知る。つまり戦場へ黙って行かされたという事実。知らぬ間に武器の運搬をさせられていたという現実。こういったことが何度かあって日本の民間人は機雷に船が触れて大破したり、機銃掃射に遭って亡くなった方も多数に及ぶが正確な死者の数はつかめていない。彼等は丸腰の民間人であって兵士ではない。でも最近までGHQはこのことを隠していたし、日本政府も公表していない。またこの時、戦場に行かされた乗組員の生き残りや遺族もほとんど公言していないのであからさまになることはなかった。それが最近こういった事実が判明したのだ。つまりGHQは都合の悪いことは隠匿するのだ。安倍首相はアメリカの後方支援することで、国際平和を守れると強調されるが、これさえも当てにならない。いざ戦場へ駆り出されたら想定外のことばかり起こるのは目に見えている。問題が山積した法案を簡単に通してしまったが、これからどうする気だろう。行くのは日本の若者なのだ。法案を通した連中が戦場へ行く筈もないから勝手なことを言うが、あまりにも安直な今回の法律案成立ではないだろうか。結局は抑止力なんてイタチごっこでどちらかが武力を大きくすれば片方も大きくする。そんなことの永遠の繰り返し。先にもっともっと外交努力を徹底的に推し進めるべきで、こちらの方が大事だろう。
2015.09.11 (Fri)
国政調査
5年に一回の国勢調査がやってきた。これは特定の人がやってきて大型封筒に入った用紙を手渡し、また書き終えると回収に来るのだが、不在の時もあり手渡すまでなかなか上手くいかない。また書くのも項目が多く非常に面倒臭い。なので鬱陶しいなあと思っていた。ところが今回はインターネットで回答が出来るという。
早目に用紙を配りに来ると言ってたら、早速、昨日その用氏を我が家に配りに来た。中を開封すると平成27年国勢調査インターネット回答の操作ガイドとともに調査対象IDと初期パスワードが書かれた白い紙が同封されていて、オンラインのアクセスを入れ、ログインし回答データの入力を入れ、データの送信完了まで10分もかからなかった。インターネットだと手書きでこれまで書いていたほどの時間はかからないし、便利は良いなあとは思ったのだが、秘密漏洩だけはご勘弁願いたい。そもそも国の出先機関を始め、お役所と言うのは危機管理が杜撰ではないかと考えるからである。年金機構で情報が漏れてしまったことも記憶に新しいが、来月から個人ナンバーを決め、それを全て集約的にICで管理するという訳のわからないことを国がやろうとしている。これこそプライバシーも何にもあったものじゃなし。何を買ったか何を食ったか、何処へ行ったか調べようと思えばいくらでも調べられるのだ。セキュリティーが大丈夫なのか気がかりだ。それも国が一括管理をするのだというが、これほど当てにならないものはない。そもそも消費税率引き上げの場合の軽減税品目を決めるのが面倒臭いという理由で、個人ナンバー・カードなるものを作って、買い物の際、持ち歩いて後からその分を引くという愚策を行おうとしているのだが、こんなカードを紛失したら大変なことになるぞ。このカードに個人情報が全て網羅されているというのに、何を考えているのだろうか。もしこの制度だと子供でもお菓子を買う時カードを持ち歩くのかな。カードを入れたバッグや財布をひったくる奴も出てくると思う。銀行のカードやクレジット、免許証、保険証・・・・・これ等の情報がおそらくこのICカード一つに集約されるのかと思うとぞっとする。たぶん犯罪が増えるのではないだろうか。新手の詐欺も出てくるだろう。ちょっと国は是非、こんなもの必要なのか考えてもらいたい。こういったカードを考えるのも実にお役所的なのだが困ったものだ。
早目に用紙を配りに来ると言ってたら、早速、昨日その用氏を我が家に配りに来た。中を開封すると平成27年国勢調査インターネット回答の操作ガイドとともに調査対象IDと初期パスワードが書かれた白い紙が同封されていて、オンラインのアクセスを入れ、ログインし回答データの入力を入れ、データの送信完了まで10分もかからなかった。インターネットだと手書きでこれまで書いていたほどの時間はかからないし、便利は良いなあとは思ったのだが、秘密漏洩だけはご勘弁願いたい。そもそも国の出先機関を始め、お役所と言うのは危機管理が杜撰ではないかと考えるからである。年金機構で情報が漏れてしまったことも記憶に新しいが、来月から個人ナンバーを決め、それを全て集約的にICで管理するという訳のわからないことを国がやろうとしている。これこそプライバシーも何にもあったものじゃなし。何を買ったか何を食ったか、何処へ行ったか調べようと思えばいくらでも調べられるのだ。セキュリティーが大丈夫なのか気がかりだ。それも国が一括管理をするのだというが、これほど当てにならないものはない。そもそも消費税率引き上げの場合の軽減税品目を決めるのが面倒臭いという理由で、個人ナンバー・カードなるものを作って、買い物の際、持ち歩いて後からその分を引くという愚策を行おうとしているのだが、こんなカードを紛失したら大変なことになるぞ。このカードに個人情報が全て網羅されているというのに、何を考えているのだろうか。もしこの制度だと子供でもお菓子を買う時カードを持ち歩くのかな。カードを入れたバッグや財布をひったくる奴も出てくると思う。銀行のカードやクレジット、免許証、保険証・・・・・これ等の情報がおそらくこのICカード一つに集約されるのかと思うとぞっとする。たぶん犯罪が増えるのではないだろうか。新手の詐欺も出てくるだろう。ちょっと国は是非、こんなもの必要なのか考えてもらいたい。こういったカードを考えるのも実にお役所的なのだが困ったものだ。
2015.08.16 (Sun)
お盆も終わりますが・・・・・・
8月16日、今日で盆休みも終わりと言うことだが、昨日は戦後70年と言うことでテレビ各局がその報道特別番組を終始掘り下げて放映していて思わず観てしまった。
毎年8月15日はやってくるのだが、戦後70年と言うとなんか格別な響きがある。もう戦後生まれの最初の世代は70歳になってしまうのだ。つまり戦争の記憶が世の人々から段々と風化して行く。そんな中で集団的自衛権が行使されようとしている。はたして、この法案が通ってしまう有事の際、どうなるかをよくよく考えてみないといけない。もし最悪のことが起こりうると、若者は戦場へ行かなくてはならないのだ。そのことを国民は深く考えて欲しい。ところで私の親は戦争体験者であるが、母の父は日清、日露の戦争に加わった元軍人である。もっとも私の母は両親が歳とってから生まれているので、戦前に他界している。したがって祖父祖母を私は知らない。
それで思うこと。日清、日露戦争なんて遥か明治時代の遠い彼方の時代だからと思いがちなのだが、私の両親は太平洋戦争を体験している。そして祖父は日清、日露戦争に参戦し清国まで行っている。つまりこうして考えてみると身近な時代に起こった大きな出来事だということと、明治から昭和20年まで日本は戦乱の中にあったということ。それを考えると1945年~2015年の間の70年間の日本と言う国を考えた場合、奇跡的に平和で在り続けたものだということ。これは有難いことだと思う。
ただこれも自ら勝ち取った平和ではなく敗戦という結果、与えられた平和であったという現実。もし一億玉砕なんていうことが起こっていたら、今の日本はいったいどうなっているやら。もし日本がドイツや朝鮮のように分割されていたならと考えることがある。そして、あの戦争を何故、やらなくてはならなかったのか。まあ、色々と考えるところはある。でも今日は述べるのは避ける。ただ、これは太平洋戦争だけではなく、その前から伏線があって、太平洋戦争に突入したということ。もっと突き詰めれば明治維新から始まったということかもしれない。今後、日本が平和で在り続けられるのかどうか、それも判らない。全てが闇の中の闇であって何ら平和の保障もない。もう、これは人類の愚かさを如実に表しているかもしれないが、世界の歴史なんて戦乱の歴史と言ってもいい。世界のどこかで必ず起こって来た。今後も避けられないかもしれない。そこに今後、日本が巻き込まれるか巻きこまれないか誰も判らない。世界の情勢は絶えず変化し続け、何が起こっても不思議ではない。
今年、戦後70年だということで節目の年だと言われる。そして、あの戦争を振り返る番組が流される。ただ3年8ヶ月の戦争だと言うけれど、実際には日中戦争から含めると8年にも及ぶ。またそれ以前から含めると何年戦を続けていたのやら。もっと大局的に見ると黒船来航から西洋列強の脅威に晒され、軍備増強を続けざるを得なかった結果、行きつくところへ行ってしまったのかもしれない。ただ私は先の戦争のことを安易に語りたくない。実際には戦争体験者に聞くだけだし何にも知らないからだ。ここで思うのは、これから先、私は生きている限り平和を維持するためには努力はせねばならない。そのためには日本の近代史、世界の近代史をもっともっと勉強する必要があると思う。何故、日本は戦争まで行ってしまったのか。究極の選択として当時の日本は何故に戦争を選んでしまったのか。判らないことがあり過ぎる。今後、死ぬまでにどれだけのことが知り得るかわからないが、出来る限り学んで行こうと思う。何処までたどり着けるかわからないが。まあ大したことはできないが。
毎年8月15日はやってくるのだが、戦後70年と言うとなんか格別な響きがある。もう戦後生まれの最初の世代は70歳になってしまうのだ。つまり戦争の記憶が世の人々から段々と風化して行く。そんな中で集団的自衛権が行使されようとしている。はたして、この法案が通ってしまう有事の際、どうなるかをよくよく考えてみないといけない。もし最悪のことが起こりうると、若者は戦場へ行かなくてはならないのだ。そのことを国民は深く考えて欲しい。ところで私の親は戦争体験者であるが、母の父は日清、日露の戦争に加わった元軍人である。もっとも私の母は両親が歳とってから生まれているので、戦前に他界している。したがって祖父祖母を私は知らない。
それで思うこと。日清、日露戦争なんて遥か明治時代の遠い彼方の時代だからと思いがちなのだが、私の両親は太平洋戦争を体験している。そして祖父は日清、日露戦争に参戦し清国まで行っている。つまりこうして考えてみると身近な時代に起こった大きな出来事だということと、明治から昭和20年まで日本は戦乱の中にあったということ。それを考えると1945年~2015年の間の70年間の日本と言う国を考えた場合、奇跡的に平和で在り続けたものだということ。これは有難いことだと思う。
ただこれも自ら勝ち取った平和ではなく敗戦という結果、与えられた平和であったという現実。もし一億玉砕なんていうことが起こっていたら、今の日本はいったいどうなっているやら。もし日本がドイツや朝鮮のように分割されていたならと考えることがある。そして、あの戦争を何故、やらなくてはならなかったのか。まあ、色々と考えるところはある。でも今日は述べるのは避ける。ただ、これは太平洋戦争だけではなく、その前から伏線があって、太平洋戦争に突入したということ。もっと突き詰めれば明治維新から始まったということかもしれない。今後、日本が平和で在り続けられるのかどうか、それも判らない。全てが闇の中の闇であって何ら平和の保障もない。もう、これは人類の愚かさを如実に表しているかもしれないが、世界の歴史なんて戦乱の歴史と言ってもいい。世界のどこかで必ず起こって来た。今後も避けられないかもしれない。そこに今後、日本が巻き込まれるか巻きこまれないか誰も判らない。世界の情勢は絶えず変化し続け、何が起こっても不思議ではない。
今年、戦後70年だということで節目の年だと言われる。そして、あの戦争を振り返る番組が流される。ただ3年8ヶ月の戦争だと言うけれど、実際には日中戦争から含めると8年にも及ぶ。またそれ以前から含めると何年戦を続けていたのやら。もっと大局的に見ると黒船来航から西洋列強の脅威に晒され、軍備増強を続けざるを得なかった結果、行きつくところへ行ってしまったのかもしれない。ただ私は先の戦争のことを安易に語りたくない。実際には戦争体験者に聞くだけだし何にも知らないからだ。ここで思うのは、これから先、私は生きている限り平和を維持するためには努力はせねばならない。そのためには日本の近代史、世界の近代史をもっともっと勉強する必要があると思う。何故、日本は戦争まで行ってしまったのか。究極の選択として当時の日本は何故に戦争を選んでしまったのか。判らないことがあり過ぎる。今後、死ぬまでにどれだけのことが知り得るかわからないが、出来る限り学んで行こうと思う。何処までたどり着けるかわからないが。まあ大したことはできないが。
2015.05.17 (Sun)
近江県? 琵琶湖県?
以前から言われているのだが全国的に滋賀県の知名度がないらしい。らしいというのは前から判っていることだが、かなり酷いという。そんなことどうでもいいではないかと思うが、滋賀県民の人にとったら屈辱的なのかな。もっとも小生も隣に住んでいても滋賀県にほとんど縁がなかったが、7年前に滋賀県に通うようになり縁が出来るようになり全く関係がないとはいえなくなったので、この話題に触れることにした。
関西の人は滋賀県の存在はみんな知っているが、遠方の人になると滋賀県と言われてもそんな県あった? とか聞いたことない? とか知らない。という人が多いらしい。小生に言わすとただの無知としか言いようがないが、自分の周辺からあまり出ない人はそんな程度だろう。関西でも関東の茨城、栃木、群馬あたりの場所が正確に言える人が少ないのが現実なのだから、滋賀県といわれてもピンとこないだろう。でも琵琶湖となると誰でも知っている。なら琵琶湖は何県にあるとなると知らないというからおかしな話である。ところで何でこんな話をするかと言うと、滋賀県の議会で県名変更を巡る議論か本気で巻き起こっているからである。莫迦らしい話だが事実なのだ。
きっかけは地域ブランド戦略サーベイ2013による都道府県名の全国認知度ランキングで他の複数県とともに最下位だったという結果になったからである。つまり滋賀県が47位というのではなく滋賀県と共に知らないと言われている県が他にもいくつかあり、その中に含まれていたということ。これが問題になり議論を深めているというではないか。
そもそも昔は近江の国と言われ、明治政府が1871年に廃藩置県を実行し、最大の町であった大津に県庁を置いた。その時、大津の所在地が滋賀郡だったところから滋賀県となったわけであり、水が豊かな土地を表す滋に、祝うという賀が地域性を表すという。まあ悪くない県名だとは思う。しかし知名度がないというのは地元の人にとては大きな問題なのかもしれない。だから香川県もうどん県としてPRしたり、大分県はおんせん県、鳥取県は蟹取県として観光PRなどして観光客を呼んでいる実態があるのだから。でも所詮、現実の県名ではないし意味がないと思うが、観光客を呼ぶのにはそうでもしないと知名度がないというのは辛いものがあるだろう。実際、日本全国で知られているというのは北の北海道、南の沖縄は地理的に言って誰でもわかる。あとは東京、京都、大阪・・・・となってきて、もう名古屋あたりになると白地図で場所を示せと言っても判らない人がけっこういるのが現実である。酷いのになると愛知県ではなく名古屋県て言った女性を小生は知っている。まあ、世の女性はほとんど地理オンチだが・・・。小学校で習ってから県の名前など教わることはないから無理もないが。当然、滋賀県を知らない人がいても不思議ではない。小生のように小学校3年生当時で日本全国のすべての県と県庁所在地及び主要都市、何があってどんな山があって川があって、何処に鉄道が走っていると判っていた者からすると、県名を47言えないということは考えられないのだが・・・・・。
本来、江戸時代の藩と言うのは自然国境の川だとか山で区切られていることが多く、こちらの方がより歴史的つながりがあった。当時は徒歩でしか庶民は移動手段がなかったので他の国へ行くということは武士階級以外ほとんどなかっただろう。だからそれでよかったのだが、明治時代に入り鉄道が発達し遠くへ移動できるようになったから、従来の藩制度では問題が多かった。そこで県を置くようになったのだが、その決めるときにかなり問題があったと言うしかない。
若い時、青森県の弘前に行ったことがある。そこの飲み屋で地元の人に弘前は津軽だが八戸は南部だ。だから人間の気質が違うと言われたことがある。八戸と弘前と言うのはそれほど距離が離れてないが、そのようなことを言うのだから昔の藩の方がより地域的愛着は強いだろう。それが明治になって県に移行する時に地域の特性など何も分かってない政府が無理に藩と藩をくっつけていったというのがある。だから文化的には違うのに行政的に同じになってしまったところは至る所である。小生の住む京都府でも保津峡を越えると丹波の国になる。さらに日本海側に行くと丹後の国になる。ここらになると京都市のある山城の国と言葉も違うし気候風土も違う。しかし、今では同じ京都府だ。でもここらなら滋賀県の大津や草津、近江八幡とかのほうが京都市との繋がりは深い。また大阪で言うと淀川より北は摂津の国、南は河内の国、さらに南へ行くと和泉の国。その三つの境目にあったから堺といわれるのだが、この三つとも人間の気性も違うし習慣も違う。言葉も微妙に違う。さらにいうなら神戸市や阪神間の町も摂津の国なのである。それより西へ行くと播磨の国。北へ行くと丹波、されに北は但馬。だから兵庫県はそれらを無理に引っ付けたり切り離したりして出来た県である。
つまり廃藩置県で県を決めるときはかなり強引に行ったとしか言いようがないが、滋賀県は昔の近江の国がそのまま滋賀県に名前が変わっただけで、昔の藩と地理的に何の変化もない。でも滋賀県と言う名が知られてない。このことは今に始まったことではなく、1990年、2009年にも同様の議論があったのだ。前回の時は県民にアンケートまで行い8割が今のままでいいと答え、1割の人が変えた方が良いと言った。その時、もし変えるなら何県がいいかという問いに対し近江県、琵琶湖県という返答が多かったのである。確かに近江米、近江牛、近江商人、湖国と言われるほどだから琵琶湖県。どちらも通りは良いが、それで知名度が上がるのかな。県名の知名度なんかどうでもいいと思うのだけど。名物と名産と人がいればそれだけで十分だと思う。滋賀県は琵琶湖、鮒ずし、比叡山、近江牛、近江米、イメージできるのは幾らでもある。知らない人はただの無知と言って無視すればいいだけ。滋賀県でも小生は悪くないと思うのだが。
関西の人は滋賀県の存在はみんな知っているが、遠方の人になると滋賀県と言われてもそんな県あった? とか聞いたことない? とか知らない。という人が多いらしい。小生に言わすとただの無知としか言いようがないが、自分の周辺からあまり出ない人はそんな程度だろう。関西でも関東の茨城、栃木、群馬あたりの場所が正確に言える人が少ないのが現実なのだから、滋賀県といわれてもピンとこないだろう。でも琵琶湖となると誰でも知っている。なら琵琶湖は何県にあるとなると知らないというからおかしな話である。ところで何でこんな話をするかと言うと、滋賀県の議会で県名変更を巡る議論か本気で巻き起こっているからである。莫迦らしい話だが事実なのだ。
きっかけは地域ブランド戦略サーベイ2013による都道府県名の全国認知度ランキングで他の複数県とともに最下位だったという結果になったからである。つまり滋賀県が47位というのではなく滋賀県と共に知らないと言われている県が他にもいくつかあり、その中に含まれていたということ。これが問題になり議論を深めているというではないか。
そもそも昔は近江の国と言われ、明治政府が1871年に廃藩置県を実行し、最大の町であった大津に県庁を置いた。その時、大津の所在地が滋賀郡だったところから滋賀県となったわけであり、水が豊かな土地を表す滋に、祝うという賀が地域性を表すという。まあ悪くない県名だとは思う。しかし知名度がないというのは地元の人にとては大きな問題なのかもしれない。だから香川県もうどん県としてPRしたり、大分県はおんせん県、鳥取県は蟹取県として観光PRなどして観光客を呼んでいる実態があるのだから。でも所詮、現実の県名ではないし意味がないと思うが、観光客を呼ぶのにはそうでもしないと知名度がないというのは辛いものがあるだろう。実際、日本全国で知られているというのは北の北海道、南の沖縄は地理的に言って誰でもわかる。あとは東京、京都、大阪・・・・となってきて、もう名古屋あたりになると白地図で場所を示せと言っても判らない人がけっこういるのが現実である。酷いのになると愛知県ではなく名古屋県て言った女性を小生は知っている。まあ、世の女性はほとんど地理オンチだが・・・。小学校で習ってから県の名前など教わることはないから無理もないが。当然、滋賀県を知らない人がいても不思議ではない。小生のように小学校3年生当時で日本全国のすべての県と県庁所在地及び主要都市、何があってどんな山があって川があって、何処に鉄道が走っていると判っていた者からすると、県名を47言えないということは考えられないのだが・・・・・。
本来、江戸時代の藩と言うのは自然国境の川だとか山で区切られていることが多く、こちらの方がより歴史的つながりがあった。当時は徒歩でしか庶民は移動手段がなかったので他の国へ行くということは武士階級以外ほとんどなかっただろう。だからそれでよかったのだが、明治時代に入り鉄道が発達し遠くへ移動できるようになったから、従来の藩制度では問題が多かった。そこで県を置くようになったのだが、その決めるときにかなり問題があったと言うしかない。
若い時、青森県の弘前に行ったことがある。そこの飲み屋で地元の人に弘前は津軽だが八戸は南部だ。だから人間の気質が違うと言われたことがある。八戸と弘前と言うのはそれほど距離が離れてないが、そのようなことを言うのだから昔の藩の方がより地域的愛着は強いだろう。それが明治になって県に移行する時に地域の特性など何も分かってない政府が無理に藩と藩をくっつけていったというのがある。だから文化的には違うのに行政的に同じになってしまったところは至る所である。小生の住む京都府でも保津峡を越えると丹波の国になる。さらに日本海側に行くと丹後の国になる。ここらになると京都市のある山城の国と言葉も違うし気候風土も違う。しかし、今では同じ京都府だ。でもここらなら滋賀県の大津や草津、近江八幡とかのほうが京都市との繋がりは深い。また大阪で言うと淀川より北は摂津の国、南は河内の国、さらに南へ行くと和泉の国。その三つの境目にあったから堺といわれるのだが、この三つとも人間の気性も違うし習慣も違う。言葉も微妙に違う。さらにいうなら神戸市や阪神間の町も摂津の国なのである。それより西へ行くと播磨の国。北へ行くと丹波、されに北は但馬。だから兵庫県はそれらを無理に引っ付けたり切り離したりして出来た県である。
つまり廃藩置県で県を決めるときはかなり強引に行ったとしか言いようがないが、滋賀県は昔の近江の国がそのまま滋賀県に名前が変わっただけで、昔の藩と地理的に何の変化もない。でも滋賀県と言う名が知られてない。このことは今に始まったことではなく、1990年、2009年にも同様の議論があったのだ。前回の時は県民にアンケートまで行い8割が今のままでいいと答え、1割の人が変えた方が良いと言った。その時、もし変えるなら何県がいいかという問いに対し近江県、琵琶湖県という返答が多かったのである。確かに近江米、近江牛、近江商人、湖国と言われるほどだから琵琶湖県。どちらも通りは良いが、それで知名度が上がるのかな。県名の知名度なんかどうでもいいと思うのだけど。名物と名産と人がいればそれだけで十分だと思う。滋賀県は琵琶湖、鮒ずし、比叡山、近江牛、近江米、イメージできるのは幾らでもある。知らない人はただの無知と言って無視すればいいだけ。滋賀県でも小生は悪くないと思うのだが。
2015.05.10 (Sun)
不発弾撤去
昨日の朝、大阪の繁華街・なんばからほど近いマンションの建設現場から太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲で投下された1トン爆弾の不発弾の撤去作業が行われ、辺り周辺が警戒地域となり物々しい雰囲気となった。そもそも先日、更地になっているマンションの建設作業場で掘削作業中に見つかったもので、昨日の朝に撤去作業を行うことになっていた。それというのも辺りは繁華街で、すぐ近くには南海の難波駅もあり商業施設も多いし電車も走っている。したがって不発弾を撤去するには半径300mを立ち入り禁止にしなくてはならない。そしてなによりも電車までを停めなくてはならないのである。そうなると平日だと通勤・通学に影響するので土曜日の朝に撤去することが決まり、昨日、陸上自衛隊員が起爆装置となる信管を除去し無事に午前9時36分、爆発の危険がなくなったのでクレーンで搬出された。その間、およそ2時間。立ち入り禁止区域には1600世帯、2200人が暮らしていて、大阪市は住民に区域外への外出や避難を呼びかけ近くの小学校2校に避難した。また南海電車は午前7時半から2時間半、難波駅を発着する電車の運転を見合わせた。これにより周辺の商業施設も開店を午後からとし、出入りが禁止された地域は普段の賑わいが嘘のように人影が消えた。この日は土曜日、人出がとても多い地域で、とんだお騒がせな爆弾騒動だった。とばっちりを食らったのは何も知らない観光客で関空に向かう電車が停まるなど大騒ぎだった模様。
このほど見つかった不発弾は長さが1.8m、重さが1トン。まさに1トン爆弾。おそらく昭和19年末から始まった空襲で落された爆弾だろうが、戦後70年経った今でもこうして見つかるということは、まだ見つかる可能性もあるということだ。以前にも大阪市内で不発弾が見つかって同様の騒ぎになったから、まだ全国の何処かの都市で同じような騒ぎが起こるかもしれない。今年は戦後70年と言う節目の年であるから余計に思うところがあるのかも知れないが、まだ戦後処理が完全に終わってないなと痛感する。
ところであの太平洋戦争で、日本は200以上の街が空襲を受けた。よくマスコミで採り上げられる昭和20年3月10日の東京大空襲だが、それ以外はあまり知られていないものの3月12日に名古屋大空襲があり、3月13日に大阪大空襲、3月17日には神戸大空襲と軒並み大きな街が空襲に遭っているのだ。それ以降は北海道を除く日本の主要都市は全てと言ってもいいほど絨毯爆撃を受けて死者、負傷者も甚大。よくこんな愚かな戦争を続けたものだと言いたいが、いまさら言っても始まらない。
一般的に知られてないが、京都も20回以上の空襲を受け、主なものは6回の空襲で死者300人も出ている。それに原爆投下第一候補都市だったというと、ほとんどの人は驚かれる。またポツダム宣言受諾された8月14日に落された大阪砲兵工廠での爆撃。これにより亡くなった人ほど莫迦らしいものはない。もう日本の敗戦が決まっていたのに爆弾が落されたのだ。アメリカも指示命令が徹底していたのかと思うが何ともふざけた話である。これは軍需工場が大阪城内にあり、そこをめがけて落したのだが、近くの省線の京橋駅に落ち、一般市民が大勢死んだのである。結果、翌日に天皇の玉音放送がラジオを通じて放送された。日本は無条件降伏をした。それから70年、日本は復興した。だが今も不発弾が発見される。戦艦武蔵が発見される。巨大潜水艦イ400がハワイの沖で発見される。戦後70年というがまだ太平洋戦争の余波は残っているなあと感じる今日である。
このほど見つかった不発弾は長さが1.8m、重さが1トン。まさに1トン爆弾。おそらく昭和19年末から始まった空襲で落された爆弾だろうが、戦後70年経った今でもこうして見つかるということは、まだ見つかる可能性もあるということだ。以前にも大阪市内で不発弾が見つかって同様の騒ぎになったから、まだ全国の何処かの都市で同じような騒ぎが起こるかもしれない。今年は戦後70年と言う節目の年であるから余計に思うところがあるのかも知れないが、まだ戦後処理が完全に終わってないなと痛感する。
ところであの太平洋戦争で、日本は200以上の街が空襲を受けた。よくマスコミで採り上げられる昭和20年3月10日の東京大空襲だが、それ以外はあまり知られていないものの3月12日に名古屋大空襲があり、3月13日に大阪大空襲、3月17日には神戸大空襲と軒並み大きな街が空襲に遭っているのだ。それ以降は北海道を除く日本の主要都市は全てと言ってもいいほど絨毯爆撃を受けて死者、負傷者も甚大。よくこんな愚かな戦争を続けたものだと言いたいが、いまさら言っても始まらない。
一般的に知られてないが、京都も20回以上の空襲を受け、主なものは6回の空襲で死者300人も出ている。それに原爆投下第一候補都市だったというと、ほとんどの人は驚かれる。またポツダム宣言受諾された8月14日に落された大阪砲兵工廠での爆撃。これにより亡くなった人ほど莫迦らしいものはない。もう日本の敗戦が決まっていたのに爆弾が落されたのだ。アメリカも指示命令が徹底していたのかと思うが何ともふざけた話である。これは軍需工場が大阪城内にあり、そこをめがけて落したのだが、近くの省線の京橋駅に落ち、一般市民が大勢死んだのである。結果、翌日に天皇の玉音放送がラジオを通じて放送された。日本は無条件降伏をした。それから70年、日本は復興した。だが今も不発弾が発見される。戦艦武蔵が発見される。巨大潜水艦イ400がハワイの沖で発見される。戦後70年というがまだ太平洋戦争の余波は残っているなあと感じる今日である。
2015.03.29 (Sun)
韓国人にいらついた
先日、中国人のマナーが悪いと記事にしたと思うがが、今度は韓国人にいらついたという話をする。かつて日韓併合という歴史のあった国。第二次世界大戦終了によって日韓併合から解き放たれたというが、朝鮮戦争により南北に分断され今日に至っている。その南側が大韓民国。いわゆる資本主義国家であり民主主義の国である。一応は・・・・・。
朝鮮戦争により北朝鮮と南朝鮮に分断。その南朝鮮が韓国であるが、その初代大統領に就任したのが李承晩。この人が1952年に李承晩ラインというのを中国、日本との海洋域の間に一方的にひき、その中に竹島を組み込んでしまい、このラインの中に入った漁船を拿捕、接収、臨検、銃撃したりした。この時、日本の漁船の多くが韓国側に銃撃されたり拿捕されたりした。この李承晩と言う人は徹底的に反日教育を施し、今日の韓国の反日はこの人から始まったと言ってもいい。李承晩は日本併合時代はアメリカや中国に亡命していて、密かに朝鮮独立運動を行っていたので、日本併合時代の良くも悪くも朝鮮を全く知らないのである。よく日韓併合時代の朝鮮は良かったとする老人が若者に殺されたとか殴られたとかいう事件が頻繁に起きる韓国であるが、今の70歳より下の世代の韓国人は徹底した反日教育を受けているから日本に対して良くないイメージしか持ってないだろう。つまり反日を国是として発展した国だから。とはいうものの李承晩時代は世界でも最貧国だった韓国。当時は北朝鮮の方が豊かな国になっていた。それが1961年、軍事クーデターを起こし第3代大統領に就任した朴正熈大統領が1965年、日本の佐藤栄作首相との間に日韓基本条約を結び、国交を開始。この時に日本から膨大な資金援助と技術援助を得て急速に発展。あっという間に豊かになっていき、1988年にはとうとうオリンピックまで開催するようになった。この間の発展を漢江(ハンガン)の奇跡として知られるようになったことは言うまでもない。ところが、この奇跡も韓国では自らの努力のみで達成したとしか謳っておらず、まさに自画自賛。日本やアメリカの協力で成し得た奇跡であることはほとんど触れてないし国民には知らしめるどころか、相も変わらず徹底した反日教育を続けたのである。大統領が変われど徹底した反日教育は続けられ、これは今もなお続いている。小生は韓国の高等学校で教える歴史の教科書(翻訳物)を3冊持っているが、どれを読んでも笑えてくる。まさに歴史はファンタジーなり。ウリナラ・マンセーのオンパレード。よくこんなことを歴史の真実であるかのように教えるものだと・・・・。でも日本の戦前の皇国史観による歴史教育の弊害も忘れてはいけないが。まあ、こんなことはどうでもいい。
それは現在、李正熙の娘、李槿恵大統領になって、さらに酷くなっているように思う。あの女大統領はアメリカや中国やヨーロッパに行っては日本の告げ口外交することですっかり有名になってしまった。それ以来、日本国内でも韓国は、これまでさっぱり関心のない国から大嫌いな国の筆頭になってしまった。
それでは小生が韓国人にいらついたという話をしよう。先日、ある回転寿司店でのこと、U字型になったカウンターに20席ほどしかない小さい店。最近は郊外店では回転寿司といっても大型店があって、家族で来ても座れるようにテーブル席ばかりのところも多い。しかし、ここは都心部の狭い店でカウンター席のみ。したがって客は1人か2人連れが多い。多くても3人連れか4人連れまでだ。これ以上多いとバラバラで座らなくてはならないから、まずカウンター席しかない店には来ない。その日も狭い席はほぼ埋まっていた。小生も空いた席に案内され座った。間もなくして両側の席が空いた。さらに2、3分して左側が2人分空いていた。すると、何人かの客が入って来た。店員が「何人様ですか」と尋ねていた。すると「9人」という声が聞こえた。小生はそれを聞いてエ!と驚いた。9人も座るところはないぞ。まさかと思った。こんなカウンター席だけの店で横に1列もならんだら会話も出来ないだろ。それに午後の1時半、空いた席もまばらに5席か6席。「もうしばらく待ってください」と店員が説明していた。それが5分ほどすると、9人の中の1人が大きい声で何かを言いだした。さっぱり判らない。どうやら韓国人みたいだ。1人だけが日本語を話せるみたいで、「まだ空かないの」と言ってる。早く食えと催促されているみたいで気分を害した。その一言に小生と同様気分を害したのか、席を立った人が2、3人出てきた。これで空いた席は7人か8人。でもバラバラ。店員は別れて座ってもらえれば全員座れるようなことを説明するも、日本語を喋れる1人は「詰めてもらえ」と店員に大きい声で言う。また韓国語で2、3人が何か言っている。しょうがないと思ったのか、店員が我々に「恐縮ですが、こちらに寄ってもらえますか」と勝手に積み上げている皿を隅の方に寄せていった。座って食べている客が迷惑だ。そして、強引に席を空けさせ9人が1列に座り食べ出したのだが、喧しいこと喧しいこと。韓国語なので何を言ってるかさっぱり判らない。また一度取った皿をまたレーンに返すという行儀の悪さ。醤油を寿司ネタにドボドボかけ食べる。そんなに醤油をかけたら素材の味が活きないだろうと思うがおかまいなし。ビールも1人2本、3本飲んでいる。次第と宴会場の様になってきた。こちらは我慢していたが愛想が尽きて腹が膨れるまでに出て行った。
しかし無礼極まりない。以前、韓国に長い間、赴任していたという高校時代の級友が韓国人にはもう辟易したといっていたが、まんざら判らないでもないと思った。彼に言わせると反日と言う生易しいものではない。あれは侮日だといっていた。チョッパリには失礼なことをやってもいいのだと本気で考えている奴が多い。ちょっとでも日本を褒めるとすぐに親日派だといって糾弾される国なので、表立って言えないと彼は言う。つまり民主主義と言うが名ばかりで言論統制のある国だという。確かにそうかもしれない。そういったところは共産党の独裁国家中国とあまり変わらない。宗主国とその属国との繋がりが長かった。事大主義の歴史だった朝鮮の歴史が見えてきそうだが、あくまでも日本は自分たちより下に見ているのだろう。その日本に併合された黒歴史が許せないというのかもしれない。だが、何でも日本の物をパクり、起源は我々だと主張する。我々は土人だった日本に文化を教えてやった与えてやったのだ。そのチョッパリが我々に残酷(史実とは違っている)なことをしたから、日本に対しては無礼を働いてもいいのだ。といった考えが浸透しているのかもしれない。
キャッチアップ式経営で世界中、安価な価格で売りまくり急成長でのしあがったサムソン電子の例を見ても判るが、ああいった韓国人が、海外でも押しの強さで展開する行動は何となく読めてくる。だから、ある回転寿司店でのちょっとした出来事一つとっても韓国と言う国が日本人と相性が悪いのは良く判る。まったく別の民族である。ただあれだけ日本を嫌いながら、反日教育まで施しながら、それでいてあれだけ多くの韓国人が日本に観光に来るのか判らない。実のところ心の中では嫌ってないのかもしれない。ただ口に出せないのかな。
朝鮮戦争により北朝鮮と南朝鮮に分断。その南朝鮮が韓国であるが、その初代大統領に就任したのが李承晩。この人が1952年に李承晩ラインというのを中国、日本との海洋域の間に一方的にひき、その中に竹島を組み込んでしまい、このラインの中に入った漁船を拿捕、接収、臨検、銃撃したりした。この時、日本の漁船の多くが韓国側に銃撃されたり拿捕されたりした。この李承晩と言う人は徹底的に反日教育を施し、今日の韓国の反日はこの人から始まったと言ってもいい。李承晩は日本併合時代はアメリカや中国に亡命していて、密かに朝鮮独立運動を行っていたので、日本併合時代の良くも悪くも朝鮮を全く知らないのである。よく日韓併合時代の朝鮮は良かったとする老人が若者に殺されたとか殴られたとかいう事件が頻繁に起きる韓国であるが、今の70歳より下の世代の韓国人は徹底した反日教育を受けているから日本に対して良くないイメージしか持ってないだろう。つまり反日を国是として発展した国だから。とはいうものの李承晩時代は世界でも最貧国だった韓国。当時は北朝鮮の方が豊かな国になっていた。それが1961年、軍事クーデターを起こし第3代大統領に就任した朴正熈大統領が1965年、日本の佐藤栄作首相との間に日韓基本条約を結び、国交を開始。この時に日本から膨大な資金援助と技術援助を得て急速に発展。あっという間に豊かになっていき、1988年にはとうとうオリンピックまで開催するようになった。この間の発展を漢江(ハンガン)の奇跡として知られるようになったことは言うまでもない。ところが、この奇跡も韓国では自らの努力のみで達成したとしか謳っておらず、まさに自画自賛。日本やアメリカの協力で成し得た奇跡であることはほとんど触れてないし国民には知らしめるどころか、相も変わらず徹底した反日教育を続けたのである。大統領が変われど徹底した反日教育は続けられ、これは今もなお続いている。小生は韓国の高等学校で教える歴史の教科書(翻訳物)を3冊持っているが、どれを読んでも笑えてくる。まさに歴史はファンタジーなり。ウリナラ・マンセーのオンパレード。よくこんなことを歴史の真実であるかのように教えるものだと・・・・。でも日本の戦前の皇国史観による歴史教育の弊害も忘れてはいけないが。まあ、こんなことはどうでもいい。
それは現在、李正熙の娘、李槿恵大統領になって、さらに酷くなっているように思う。あの女大統領はアメリカや中国やヨーロッパに行っては日本の告げ口外交することですっかり有名になってしまった。それ以来、日本国内でも韓国は、これまでさっぱり関心のない国から大嫌いな国の筆頭になってしまった。
それでは小生が韓国人にいらついたという話をしよう。先日、ある回転寿司店でのこと、U字型になったカウンターに20席ほどしかない小さい店。最近は郊外店では回転寿司といっても大型店があって、家族で来ても座れるようにテーブル席ばかりのところも多い。しかし、ここは都心部の狭い店でカウンター席のみ。したがって客は1人か2人連れが多い。多くても3人連れか4人連れまでだ。これ以上多いとバラバラで座らなくてはならないから、まずカウンター席しかない店には来ない。その日も狭い席はほぼ埋まっていた。小生も空いた席に案内され座った。間もなくして両側の席が空いた。さらに2、3分して左側が2人分空いていた。すると、何人かの客が入って来た。店員が「何人様ですか」と尋ねていた。すると「9人」という声が聞こえた。小生はそれを聞いてエ!と驚いた。9人も座るところはないぞ。まさかと思った。こんなカウンター席だけの店で横に1列もならんだら会話も出来ないだろ。それに午後の1時半、空いた席もまばらに5席か6席。「もうしばらく待ってください」と店員が説明していた。それが5分ほどすると、9人の中の1人が大きい声で何かを言いだした。さっぱり判らない。どうやら韓国人みたいだ。1人だけが日本語を話せるみたいで、「まだ空かないの」と言ってる。早く食えと催促されているみたいで気分を害した。その一言に小生と同様気分を害したのか、席を立った人が2、3人出てきた。これで空いた席は7人か8人。でもバラバラ。店員は別れて座ってもらえれば全員座れるようなことを説明するも、日本語を喋れる1人は「詰めてもらえ」と店員に大きい声で言う。また韓国語で2、3人が何か言っている。しょうがないと思ったのか、店員が我々に「恐縮ですが、こちらに寄ってもらえますか」と勝手に積み上げている皿を隅の方に寄せていった。座って食べている客が迷惑だ。そして、強引に席を空けさせ9人が1列に座り食べ出したのだが、喧しいこと喧しいこと。韓国語なので何を言ってるかさっぱり判らない。また一度取った皿をまたレーンに返すという行儀の悪さ。醤油を寿司ネタにドボドボかけ食べる。そんなに醤油をかけたら素材の味が活きないだろうと思うがおかまいなし。ビールも1人2本、3本飲んでいる。次第と宴会場の様になってきた。こちらは我慢していたが愛想が尽きて腹が膨れるまでに出て行った。
しかし無礼極まりない。以前、韓国に長い間、赴任していたという高校時代の級友が韓国人にはもう辟易したといっていたが、まんざら判らないでもないと思った。彼に言わせると反日と言う生易しいものではない。あれは侮日だといっていた。チョッパリには失礼なことをやってもいいのだと本気で考えている奴が多い。ちょっとでも日本を褒めるとすぐに親日派だといって糾弾される国なので、表立って言えないと彼は言う。つまり民主主義と言うが名ばかりで言論統制のある国だという。確かにそうかもしれない。そういったところは共産党の独裁国家中国とあまり変わらない。宗主国とその属国との繋がりが長かった。事大主義の歴史だった朝鮮の歴史が見えてきそうだが、あくまでも日本は自分たちより下に見ているのだろう。その日本に併合された黒歴史が許せないというのかもしれない。だが、何でも日本の物をパクり、起源は我々だと主張する。我々は土人だった日本に文化を教えてやった与えてやったのだ。そのチョッパリが我々に残酷(史実とは違っている)なことをしたから、日本に対しては無礼を働いてもいいのだ。といった考えが浸透しているのかもしれない。
キャッチアップ式経営で世界中、安価な価格で売りまくり急成長でのしあがったサムソン電子の例を見ても判るが、ああいった韓国人が、海外でも押しの強さで展開する行動は何となく読めてくる。だから、ある回転寿司店でのちょっとした出来事一つとっても韓国と言う国が日本人と相性が悪いのは良く判る。まったく別の民族である。ただあれだけ日本を嫌いながら、反日教育まで施しながら、それでいてあれだけ多くの韓国人が日本に観光に来るのか判らない。実のところ心の中では嫌ってないのかもしれない。ただ口に出せないのかな。