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2008.06.17 (Tue)

ルイ・マルの映画を観る・・・・・『死刑台のエレベーター』

 『死刑台のエレベーター』1957年製作、フランス映画

 監督 ルイ・マル

 出演 モーリス・ロネ
     ジャンヌ・モロー
     ジョルジュ・プージュリー
     リノ・ヴァンチェラ
     ヨリ・ヴェルタン
     ジャン=クロード・ブリアリ

 【あらすじ】ジュリアン・タベルニはフロランス・カララ夫人の夫が社長を務めると土地開発会社の技師であったが、彼はフロランスと通じていた。それで邪魔な社長を殺す完全犯罪を目論んでいた。ジュリアンは自殺と見せかけるように殺したが、社内で殺した帰途、残してきた証拠に気づいて再び現場へ戻ろうとする。ところが運悪くエレベーターに乗り込んだものの週末で電源を落とされてしまい、エレベーター内に閉じ込められてしまう。しかも会社の前に停めていた車は若いカップルに無断で使われてしまう。しかも車を盗んだ彼らも犯罪を犯してしまう。こうして物語は思わぬ方向へと進んで行く。

 この映画はノエル・カレフの犯罪小説が原作であり、フランスの巨匠ルイ・マルの劇映画デビュー作品である。それもルイ・マルが25歳の時に撮った作品で、ヌーヴェル・ヴァーグの初期作品であるとも言われる。ヌーヴェル・ヴァーグとは新しい波という意味のフランス語で、その頃にフランスで吹き荒れた映画運動のことである。

 そもそも映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者アンドレ・バザンの薫陶を受けて、同誌で映画批評をしていた若い連中たちが、やがて自ら映画を撮り出し、それらの映画を一般的にヌーヴェル・ヴァーグと呼んでいるのである。

 ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』も広義においてはヌーヴェル・ヴァーグに当てはまるかもしれないが、ゴダールやトリュフォー、エリック・ロメール、アラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、クロード・シャブロル等の同時代の監督とは異なっていて、ルイ・マル自身は『カイエ・デュ・シネマ』には属さない独自の監督なのである。でもジャンヌ・モローだとかジャン=クロード・ブリアリなどヌーヴェル・ヴァーグ作品によく出演する俳優を使うのでヌーヴェル・ヴァーグ運動に参加している映画監督とも思われているようだ。また、実際にフランソワ・トリュフォーはルイ・マルの作品『地下鉄のザジ』にインスパイアされたとも言っているし、人脈ではヌーヴェル・ヴァーグ一派と重複している関係からルイ・マルもヌーヴェル・ヴァーグ的な要素を含んでいる監督と言ってもいいかもしれない。

 この『死刑台のエレベーター』は、大人の情事の果てに起こした殺人事件と、パリの無軌道な若者が引き起こした殺人事件の2つが同時進行するが、全編、マイルス・デイヴィスの即興演奏が流れ、モノクロの映像と相成って、パリの街を彷徨い歩くジャンヌ・モロー・・・・・・・。

 映像も洒落ているが、それ以上に効果を上げているのがマイルス・デイヴィスのトランペットである。ルイ・マルはジャズが好きで、映画のBGMにジャズを流してみたいと考えていたようだが、運よく三週間のヨーロッパ・ツアーに来ていたマイルス・デイヴィスに声がかかったという。それで、マイルス・デイヴィスは話をもらってから、興味を惹かれたらしく、すぐに編集前のフィルムを幾つか見せられたという。そして、試写から2週間後にレコーディングされたのである。

 レコーディングはポスト・パリジャン・スタジオで行なわれ、セッションのメンバーはマイルス・デイヴィス、バルネ・ウィラン、ルネ・ユルトジュ、ピエール・ミシェロ、ケニー・クラークであった。レコーディング・セッションにはジャンヌ・モローも顔を出し、リラックスした雰囲気の中で行なわれ、4時間で終わったという。こうしてフランス映画とジャズの融合がなされた。当時としてはとても斬新な全編ジャズの即興演奏だけで、その他の音楽は一切無し、またアメリカ映画ではなく、フランス映画だったというのも実に面白い。それもこの映画が事実上の監督デビュー作品で、それも25歳という若さだったルイ・マルである。まさに彼は才能溢れる若き映画監督だったのだ・・・・・・。

 パリの街を彷徨い歩くジャンヌ・モロー。マイルス・デイヴィスの奏でるトランペットが物悲しい。

 
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2008.05.09 (Fri)

古い映画を観る・・・・・『カサブランカ』

 『カサブランカ』1942年製作 アメリカ映画

 監督 マイケル・カーティス

 出演 ハンフリー・ボガート
     イングリッド・バーグマン
     ポール・ヘンリード
     クロード・レインズ
     コンラート・ファイト
     ピーター・ローレ

 【あらすじ】第二次世界大戦下の1941年12月。フランス領モロッコのカサブランカ。ここでは自由を求めてヨーロッパからアメリカへ渡ろうとする人で溢れかえっていた。そんなカサブランカでナイトクラブを経営するリックがいた。或る日、リックの店へナチスの手を逃れてここまでやって来た抵抗運動のリーダー、ラズロが現れる。だが、ラズロの妻はリックが、かつてパリで恋に落ちたイルザだった。その頃、フランスはドイツとその傀儡政権ヴィシー政権に分割統治され、フランス植民地のモロッコもドイツ軍の勢力下にあった。そのためドイツからその身を追われていたラズロは、現地司令官に出国禁止を言い渡されてしまう。ラズロの身を案じたイルザは、リックに・・・・・・・・・・。

 ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが共演した映画史上に残るラブ・ロマンス。けして二枚目ではないのに、気障が似合うボギーことハンフリー・ボガートと世紀の美女イングリッド・バーグマンが共演したハリウッド全盛期の恋愛映画というと月並みな形容であろうか・・・・・・。とにかくハンフリー・ボガートが気障な台詞を言いまくる。・・・・君の瞳に乾杯・・・・・・なんて言ったら、日本では間違いなく女性に嫌われる。でもそれがハンフリー・ボガートが言うと不自然ではないから不思議である。それに絶世の美女バーグマンの前では、そういった台詞もよく似合う。しかし、これがこの両名以外の俳優が演じたとしたら、この台詞がこれほど巧くはまっただろうか・・・・・。まさしくハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが共演したから、このような台詞を思いつかせたのではないかと私は考えるのだが。でも、この映画の撮影時というのは、混乱しまくっていて、撮影が始まっているのに脚本が出来上がってなくて、バーグマンはボガートとヘンリードのどちらを愛せばいいのかと監督に聞きながら演じたという。結局、どちらと結ばれることになるか、なかなか結論が出ず二通りのラストシーンを撮影して、良い方を採用しようということになったのである。それで先に撮影された方が使用されたという。

 またこの映画は編集でも揉めてしまい、全てがこんな調子だからイングリッド・バーグマンは映画の出来に対して自信が持てなかったという。でも短期間で低予算で製作され、撮影時はドタバタして完成もおぼつかなかった映画なのに、出来栄えが素晴らしく、アカデミー賞作品賞に輝く。

 またアメリカ映画協会が選ぶアメリカ映画歴代ベスト100の中の第2位に長い間選出されていた(1位は『市民ケーン』)。結局、最初から脚本もなく、行き当たりばったりで製作されていった映画なのに、結果オーライで、恋愛映画の古典とされ、気障な台詞も後年の映画に使われたりして、何かにつけ傑作傑作といわれる。しかし、製作中のゴタゴタを考えれば、気障な台詞や音楽も製作の流れで強引に使われたに過ぎず、巧くストーリーにはまっていると考えるのは論外というものであろう。

 だからこの映画の挿入歌『時の過ぎ行くまま(As Time Goes By)』が良いとか、反ナチスを訴えている映画だとか、政治風刺が効いているとか蘊蓄をたれても意味が無い。とにかく後から何でも製作時に付け加えられた映画なのである。つまり映画というものは、最初から一流の脚本家が書いて、巨匠監督が演出して、人気俳優や名優が演じてもけして上出来の映画が作れるというものでもない。この『カサブランカ』は偶然の産物なのである。ぶっつけで映画を撮り始めて、どうにか完成までこぎつけたら、最高のラブ・ストーリーだといわれたという。結局、怪我の功名だったのだというと、監督や脚本家、出演者に失礼だろうか・・・・・・。

映画の中でドゥーリー・ウィルソンが『時の過ぎ行くまま(As Time Goes By)』歌う。

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2008.04.21 (Mon)

映画『ウエスト・サイド物語』を観る

 『ウェスト・サイド物語』1961年製作 アメリカ映画

 監督 ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス

 出演 ナタリー・ウッド
     リチャード・ベイマー
     ジョージ・チャキリス
     リタ・モレノ
     ラス・タンブリン
     タッカー・スミス

 【あらすじ】ニューヨークのウェスト・サイド地区。ここに対立している二つの少年少女グループがあった。白人グループのジェット団とプエルトリコ系のグループ、シャーク団である。彼らは日頃から仲が悪く、喧嘩も頻繁で警察沙汰が繰り返される。そんな或る日、ダンスパーティが開かれた。そこで元ジェット団のリーダーだったトニーは、マリアを一目見て恋をする。でもマリアはシャーク団のリーダー、ベルナルドの妹であった。またトニーもジェット団のリーダー、リフの親友であった。トニーはマリアのために両グループの間に入り、対立を解かせるために策を講じる。でもそれが逆効果となり、リフがベルナルドに刺し殺されてしまい、親友を殺されたトニーは逆上して、ベルナルドを刺し殺してしまう・・・・・・・。

 この映画は1957年に初演されたミュージカルの映画化である。そもそもシェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』の悲恋話が、現在のニューヨークにも存在するとばかり、焼きなおされた物語である。モンタギュー家とキャビュレット家の対立の中で恋人同士となるロミオとジュリエットを、ニューヨークの対立するグループの狭間で恋するトニーとマリアの悲恋話に置き換えたといえばいいだろうか・・・。

 映画『ウェスト・サイド物語』は1961年に映画化され、同年のロードショーで私も観ている筈なのだが、幼かったので何一つ覚えてない。だが、小学校の高学年だった姉は、この映画が大変気に入ったのか、すぐにレコードを買って盛んに挿入曲『トゥナイト』や『マリア』を聴いていた。そういった経緯もあって、私の中では『トウナイト』という曲が、体にしっかりと染み込んでいたものだ。

 結局、私が『ウェスト・サイド物語』の真髄に触れるのは、それから10数年後のことで、私は大学生になっていた。確か京都の新京極の裏にあった美松劇場(今はない映画館)という汚い映画館で観たと思うのだが、この時はいきなり衝撃と戦慄が走り、あっという間に映画が終わったという印象がある。

 レナード・バーンスタインの音楽も素晴らしいのであったが、全編で踊るシーンがあり、彼等の見事なダイナミズムに触れ、私は心底、この映画が好きになり、この日は最終まで3回の上映を飯も食わず観ていたものだ。

 その後、私が社会に出てこの映画の話になった時、或る男が「あんなの、ロミオとジュリエットの真似や」と言った。それを聴いてカチンときたものだ。ミュージカルの脚本家が最初から『ロミオとジュリエット』の現代版だといっているのに、「真似や」はないだろう。ただの真似だけなら、このミュージカルがこんなにヒットして、映画の方もアカデミー賞の何部門かの賞を総なめにする筈もなかろう。この映画の良さは、脚本の出来栄えが良かったというのもあるが、音楽の素晴らしさと、その音楽とシンクロした歌とコーラスと踊りが巧く絡み合って、見事なまでに圧倒されてしまうのだ。ただ、この映画を「ロミオとジュリエットの真似や」で片付けた彼はには、つまらない映画であったようだが・・・・。

 そもそもミュージカルというものを見慣れてない人には、なんで突然踊りだしたり、歌いだしたりするのだと思われるかもしれない。でもそれがミュージカルなのであり、ある意味で、そのような演出は臭いといえるかもしれない。しかし、曲をよく知っていれば、映画も2倍、3倍楽しめる。それがミュージカルであり、そこへダンスが加わり、よりいっそう楽しめるのである。でも私が、この『ウェスト・サイド物語』の『トゥナイト』や『マリア』『アメリカ・アメリカ』『サムホエア』といった曲を、子供の頃から聴き馴染んでなかったとしたら、さほど面白い映画と思わなかったかもしれないし、これほど衝撃を受けることもなかったであろう。だからこのミュージカルの挿入曲を、レコードが磨り減るぐらい聴いていた姉に私は感謝しているのである。

  『ウェスト・サイド物語』のプロローグ。


 バルコニーでトニー(リチャード・ベイマー)とマリア(ナタリー・ウッド)が"Tonight"を歌う。


 "Somewhere"を歌うトニーとマリア。

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2008.04.07 (Mon)

チャールトン・ヘストン死去

 チャールトン・ヘストンが亡くなった。84歳だった。その昔、私が子供の頃、京都高島屋の裏にあった映画館のワイドスクリーンで観た『ベン・ハー』を忘れない。その時は、役者の名前も知らず、ただ偉丈夫で頑健な体つきをしていた主人公のベン・ハーに畏敬の念を持っていた。また『十戒』でモーゼに扮していた彼にも、超人的な人物像を思い描いていた。また、それ以外だと『華麗なる激情』のミケランジェロ、『エル・シド』のエル・シド、『ジュリアス・シーザー』のアントニウス、『偉大な生涯の物語』のヨハネ・・・・・・・・・・。このようにチャールトン・ヘストンの演じた役というのは、歴史的な偉人、超人、英雄といったものが多く、私の少年時代にある彼は、人間離れしたスーパースターであった。

 これはチャールトン・ヘストンが、ウィリアム・ワイラー、セシル・B・デミル、キャルロ・リードといった巨匠といわれる監督に気に入られたからでもあるのだが、いわば強いアメリカの代名詞的な役者であったから、こういった役柄が回ってきたものと思える。

 チャールトン・ヘストンというのは、アメリカ全盛期の1950年代に役者として頂点に登りつめた。第二次世界大戦では爆撃機に搭乗し、戦後は役者として銀幕に登場するようになる。セシル・B・デミル監督の大作『地上最大のショウ』(1952年)に出演し、その時の演技を認められ、次の同監督作品『十戒』(1956年)でモーゼの役に挑戦し、チャールトン・ヘストンの名を高めることとなる。そして、映画史に残る歴史大作『ベン・ハー』(1959年)で、数奇な運命を辿るユダヤ人青年ジュダ=ベン・ハーを見事に演じて、チャールトン・ヘストンは、強いアメリカを代表する一流俳優として名を轟かせることになる。だからチャールトン・ヘストンは、堂々たる立派な体格と、如何にもアングロ・サクソン系の顔立ちで、保守的なアメリカ人から支持を受けたのだろう。役柄は常にヒーローであり、この頃の彼には性格的な役やひ弱な役、性格の曲がった役、病的な役とは無縁で、絶えず英雄、超人、偉人に扮し、常にハリウッドの最前列に立つ本格的役者であった。

 それが突然、チャールトン・ヘストンが『猿の惑星』という奇妙な映画に出演してきた時は驚いたものである。それは今までの固定概念を崩すものであり、彼としては汚れ役に近かったであろう。でも、当時の私は、チャールトン・ヘストンに対しては超人的な人間像を持っていて、それが『猿の惑星』により見事に崩され、この時から彼を等身大の人間として見るようになったものである。そして、これ以降のチャールトン・ヘストンは過去のように、英雄的な役をあまり演じなくなった。それは何故だか解らないが、アメリカという国の在りかたが変化してきたからだろうと思う。

 チャールトン・ヘストンが『十戒』『ベン・ハー』に出ていた頃は、繁栄の象徴のアメリカという国だった。それが繁栄を謳歌していた時代から崩れ去り、アメリカが腐敗しきった現実を世界に曝け出した1960年代・・・・公民権運動に参加していたチャールトン・ヘストンがいる。彼は実像とは違うリベラルな一面を持っていたのである。当時の強いアメリカの顔的チャールトン・ヘストンであるが、現実では人種差別に反対する革新派であったかもしれないのだ。・・・それともアメリカの悩める問題に眼を背けられなくなり、デモに参加してみたりしている間に、それまでの英雄的役柄を演じるのが馬鹿らしくなったのかもしれない。でもよく考えてみると、チャールトン・ヘストン以前から存在する強いアメリカを代表する役者はジョン・ウェインであった。

 ジョン・ウェインは西部劇に数多く出演し、ヒーローを演じてきた強いアメリカを代表する俳優である。でも保守的思想を持ち、アメリカ愛国者でもあった。一方、チャールトン・ヘストンは役柄とは違ってリベラルな面を持っていたという。だからチャールトン・ヘストンが、1990年代になって保守的なアメリカ人として、「全米ライフル協会」の会長に就任した時は驚いたものである。いったいチャールトン・ヘストンは保守派なのかリベラル派のか?

 若い頃はリベラルで、年齢を重ねて保守派に寝返ったのか・・・・・。何年か前に、アメリカのコロラド州コロンバイン高校で起こった銃乱射事件に関するドキュメンタリー映画を撮ったマイケル・ムーア監督のインタビューに答えたチャールトン・ヘストンが、立場上もあるが銃規制に対して反対の意を示していたのには呆れてしまった。結局、チャールトン・ヘストンは2002年の夏、自らアルツハイマー病に罹っていることを公表し、全米ライフル協会会長を辞任したが、チャールトン・ヘストンの真実はリベラル派なのか保守派なのか、解らずじまいである。

 若い頃、ヒーローを演じ、年齢を重ねてからは役柄も変わってきたが、実生活ではリベラル派から保守的に変わっていったとしたら、これほど滑稽なことはない。やはり役者はスクリーン上でヒーローであっても、所詮は一般の人と同じ、ただの人間なんだということなんだろうか・・・・。

映画『十戒』のTrailer 


映画『ベン・ハー』のチャリオット・レース

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2008.03.31 (Mon)

映画『007ロシアより愛をこめて』を観る

  『007ロシアより愛をこめて』1963年製作 イギリス映画

 監督 テレンス・ヤング

 出演 ショーン・コネリー
     ダニエラ・ビアンキ
     ロバート・ショウ
     ペドロ・アルメンダリス
     ロッテ・レーニャ
     マルティーヌ・ベズウィック

 【あらすじ】国際犯罪組織スペクターの首脳部は、英国情報部のジェームズ・ボンドへ復讐する目的で、ソヴィエト情報部の最新暗号解読器を手に入れるのに、ソヴィエト情報部のクレッブから英国情報部長Mのもとに、トルコ支局長ケリムからロマノワというソヴィエト情報部の女が、ジェームズ・ボンドの写真を見て一目惚れしたので、彼に会わせて、女をロンドンに連れて逃げてくれたらソヴィエトの暗号解読器を盗み出すと言ってきた。そしてボンドはイスタンブールへ飛び、ロマノワという美女も現れる。解読器は盗み出せた。でも彼女は飛行機での脱出をきらい、列車で行くことを望んだ。それで2人の護衛にケリムがついた。でもケリムはソヴィエト情報部の刺客に襲われて死ぬ。さてボンドとロマノワの行く手には・・・・・・・・・。

 私が007という映画を知ったのは小学生低学年の頃である。街の映画館に掲げられてある看板を見て知ったもので、スパイ映画だと知ったのは、小学校も高学年になってからである。でも、まだ007シリーズの映画を観ていなかった。それよりも007の映画に触発されて、亜流のスパイ物のテレビ・ドラマがよく放映されていて、それらを観てから007シリーズの映画を観てみたいと思うようになった。

 テレビでは『0011ナポレオン・ソロ』『スパイ大作戦』『0022アンクルの女』なんていうスパイ物が、テレビの画面を賑わせていた。それからまもなく007が日本に上陸した。これはシリーズ5作目になる『007は二度死ぬ』の日本ロケによって、主演のショーン・コネリー等が来日したためである。当時、この撮影クルーは東京、神戸、姫路、鹿児島とロケをして回り、ボンド・ガールというのが話題になった。それで日本人女優の浜美枝がショーン・コネリーの相手役に選ばれたものである。だから、私が初めて観た007シリーズは『007は二度死ぬ』であった。でもこの映画は、何だかおかしな映画で、変てこな忍者部隊が出てきたり、日本人に変装したショーン・コネリーが日本人に見えないなど、出来栄えとしては芳しくなかった。

 私は『007は二度死ぬ』を観てから、過去に作られた007シリーズを観るようになったのだが、そんなシリーズの中で最も出来が良かったのが、『007ロシアより愛をこめて』ではないだろうか。でも、この映画は、最初に上映された時、『007危機一発』という邦題であった。その時は、観てなかったと先ほど述べたが、主題曲は良く知っていた。マット・モンローの唄う『ロシアより愛をこめて』である。この曲はラジオで初めて聴いた時、良い曲だと思った。それが007の主題曲だとも知らずメロディはよく覚えていた。高校生になってから『007ロシアより愛をこめて』をリバイバル上映で観たとき、エンディングで流れるマット・モンローの主題歌に感激したものであるが、映画は旅情的で、イスタンブールからオリエント急行に乗り、最後は水の都ベニスで終わるのだが、私は、この映画でショーン・コネリーの相手役をやっていたボンド・ガールがたいへんな美人だったので、とても印象に残っていた。その人はダニエラ・ビアンキだったが、イタリアの女性で、何とも妖しい眼をしている魅力的な女優であった。

 ところで、最近の007は観たことがない。観たいとも思わない。ジェームズ・ボンド役の俳優も、今は誰がやっているのだろうか・・・・・。ピアース・ブロスナンのボンドは一度も観たことがない。ティモシー・ダルトンもだが、ロジャー・ムーアも数本を観ただけだ。すでに007はイアン・フレミングの原作から逸脱して、完全な映画用の脚本で製作されていてる。だから最近の007シリーズは、完全に商業ベエスに乗ってしまい、派手なスペクタクルだけを売りにした娯楽映画に堕落している。せいぜい『007サンダーボール作戦』辺りまでだろうか、007が007らしかったのは・・・・・。この映画が最初に作られたときは、低予算でヒットすると思われてなかったように思う。それが大ヒットでシリーズ物として続編が、作られていったように思う。『ドクター・ノオ』『ロシアより愛をこめて』『ゴールド・フィンガー』『サンダーボール作戦』『007は二度死ぬ』『女王陛下の007』『ダイヤモンドは永遠に』『死ぬのは奴らだ』『黄金銃を持つ男』『私を愛したスパイ』『ムーンレイカー』『ユア・アイズ・オンリー』・・・この辺りまでは観たかなあ・・・・。でもだんだんとつまらなくなってきて、とうとう観なくなった。それが007シリーズなのである。

 マット・モンローの唄う主題歌(オリジナルオープニング・クレジット)


 『007ロシアより愛をこめて』のTrailer

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2008.03.11 (Tue)

映画『お熱いのがお好き』を観る

 『お熱いのがお好き』1959年製作 アメリカ

 監督 ビリー・ワイルダー

 出演 ジャック・レモン
     トニー・カーティス
     マリリン・モンロー
     ジョージ・ラフト
     ジョージ・E・ブラウン
     パット・オブライエン

 【あらすじ】禁酒法時代のシカゴで、聖バレンタインデーの虐殺を目撃したサックス奏者のジョーと、ベース奏者のジェリーはギャングに追われることとなる。それで何とかシカゴから逃げ出そうと、フロリダへ行く楽団の団員募集に応募し、晴れて楽団に入ることに成功した。ところが、この楽団は女性ばかりの楽団であった。そこでジョーとジェリーは女装して、ジョセフィンとダフネと名乗ることとなった。こうして巧く潜り込みフロリダへ出発する。でも楽団には色気ムンムンのウクレレ奏者でシンガーのシュガーがいた。当然のようにジョーはシュガーに恋してしまう。それでどうにかフロリダへ楽団は到着したが、そこにはギャングの一行も現れた・・・・・・・。

 この映画を私が観たのは小学校に入った頃である。母と姉に映画館へ連れて行かれ観ていたが、私にはあまり面白味が判らなかった。ただ覚えているのはコケティッシュな女の人が出ていて、面白い歩き方をしているなあと思ったぐらいで、その人がマリリン・モンローだと知ったのは、それから4、5年経ってからのことである。

 私が小学校高学年になってから、テレビで『お熱いのがお好き』を放映していた。その時はストーリーも含め、この映画の持つエッセンスやユーモアが十分楽しめて、これはかなり傑作のコメディ映画であると感じたものである。でもよく考えてみると、トニー・カーティスはともかく、ジャック・レモンの女装は誰がどのように見ても女とは思わないだろうし、現実では考えられないような無理な設定である。でもそんな虚構性に目を瞑って、馬鹿げてるとは思いながら最後まで大笑いしながら観てしまう。とにかくビリー・ワイルダーの見事な演出もあって、マリリン・モンロー、トニー・カーティス、ジャック・レモン等の持ち味が生きていて、ウィットにとんだ洒落たコメディである。

 でも聞くところによると、この当時、マリリン・モンローは精神状態が安定しておらず、撮影に遅刻してきたり、とにかく奇行が目立ったという。それで、、映画をモノクロで撮るということに対して不平を言ったり「ワイルダーは独裁者」発言したりしたため、ビリー・ワイルダーは随分とモンローに手を焼いていたようだ。またトニー・カーティスは、モンローとのラブシーンを「ヒトラーとキスするようなものだ」と発言。まさに映画の出来とは正反対で、撮影時の雰囲気は最悪だったらしい。

 映画の撮影は最悪・・・でも、やはりそこはプロフェッショナルである。私生活と切り離して演技に没頭できる役者達を含めた脚本家、監督、映画関係者らは、そのような裏話、スキャンダラスな一面を彼らは微塵も感じさせないでいる。その結果、ハリウッド映画史上に残る傑作映画が生まれたとしたら、結果オーライというべきか。つまり仲良し同士の集まりよりも、互いに反目しあっていて凌ぎを削り、火が出るような一触即発のような中で撮影される方がいい作品が出来るのではないだろうか。結局、この頃のマリリン・モンローの私生活は行き詰っていて、この3年後には謎を残して死んでいく。自殺なのか他殺なのか・・・事故死なのか・・・・何かとお騒がせなマリリン・モンローではあったが・・。

 映画の挿入曲"I Wanna Be Loved By You"を唄うマリリン・モンロー

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