2007.12.02 (Sun)
スティーヴン・スピルバーグの映画を観る・・・・・『激突!』
スティーヴン・スピルバーグというと代表作は何だろうか・・・・? 『ジョーズ』『未知との遭遇』『E.T』『インディ・ジョーンズ・シリーズ』『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』『A.I』『宇宙戦争』・・・とにかく多作の監督である。でも代表作は何かと問われると、人それぞれジェネレーションによって違うだろう。古い人なら『ジョーズ』だろうし、若い人なら『宇宙戦争』や『ミュンヘン』『マイノリティ・リポート』と言うかも知れない。それで、私にとってスティーヴン・スピルバーグの数ある作品の中で、何が1番好きな映画かと言われれば、間違いなく『激突!』と答えるであろう。
『激突!』1971年製作、アメリカ映画
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 デニス・ウィーヴァー
キャリー・ロフティン
エディ・ファイアストーン
ルー・フリッゼル
【あらすじ】ごく平凡な市民でセールスマンのデヴィッドは、貸した金を返してもらいに知人のもとへ向っていた。ほとんど交通量のない一本道のハイウェイ。彼は目的先へ行くため急いでいた。すると前方をトロトロと巨大なタンクローリーが道路を塞ぐように走っていた。デヴィッドは何気なくタンクローリーを追い抜かし、また元のスピードに落としたところ、先ほど追い抜いたはずのタンクローリーが猛スピードで、デヴィッドの車を追い越すや、またまたスローダウンして前を塞ぐようにトロトロと走り出すのであった。デヴィッドは驚いたような顔をして、またスピードを上げて、タンクローリーを追い越した。すると再三にわたってタンクローリーはデヴィッドの車を追い越し、また前を塞ぐように走ってしまうのである。デヴィッドはおかしいと思い、スピードを上げ、ターンクローリーを追い抜かし、猛スピードで引き離し、人里離れた公衆電話を見つけると、警察に電話した。その時、タンクローリーは現れて、電話ボックスごとぶっ壊してしまい、タンクローリーの運転手がデヴィッドに殺意を抱いていることが判明した。さて、ここからデヴィッドの小型乗用車と巨大なタンクローリーの息が詰まるようなカーチェイスが始まるのだ。はたして結末は如何に・・・・・。
この映画はスピルバーグが弱冠25歳に時に撮ったテレビ映画である。でもスピルバーグの処女作品として、イギリスでは劇場公開された。日本では1974年だったと思うが、例の淀川長治がナビゲーターとして出演していた日曜洋画劇場で、本邦、初のテレビ放映という形で公開された。
私はこの映画をテレビで観て、この監督は天才だと感じた。主な出演者はデニス・ウィーヴァーが演じるセールスマンのデヴィッドだけである。主役はデヴィッドの運転する赤い小型乗用車と薄茶色の巨大タンクローリー。一言でカーチェイスと言ってしまうのは簡単だが、ただ追い越しただけで、命が狙われるといった不可解なストーリー。逃げる乗用車に追う巨大なタンクローリー。この、まさに映画の原典とも言うべき単純な話の中に、映画の持つエッセンスが全て含まれているのである。逃げる小型者と追う巨大タンクローリーは、さしずめジャングルで言うところの逃げる草食動物と追う肉食動物のようである。無機的なタンクローリーが迫ってくる様は、まさに猛獣と化したライオンのようであり、豹のようであり、逃げる小型車はカモシカか兎のように見える。
極めて単純で追いつ追われつといった映像だけで、あそこまで人を引きつけられる映像作家というのは、なかなかいないものである。現在ならすべてCGを駆使して映画を撮ってしまうだろうが、CGというものが無かったあの頃、スピルバーグはいったいどのようにして、あれだけ迫力ある映像を撮れたのか、それも不思議なら、話の起承転結というのもあり、こちらが殺さなければ殺されると思った主人公が、心境の変化から車の走らせ方も変わってくる。この辺りの心理面の捉え方も実に上手い。
この映画はテレビ映画だったので、彼は劇場用映画としては、この3年後に『続・激突! カージャック』で監督デビューするが、その後に『ジョーズ』で衝撃的な映像を撮り、世間をあっといわせ、『未知との遭遇』『1941』『E.T』と話題作を次から次へと世に出し、すっかり有名監督となってしまった。最近は「カラーハープル」『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』等のシリアスな作品も多く、今や映画界の巨匠としなってしまった感があるが、私は彼の作品で未だに『激突!』以上に好きになれる映画は無い。
やはり金も無く、邪念も無く、若さと才能だけで撮った『激突!』だから、これだけ今日においても、私の心に深く印象に残っているのかもしれない。したがって、これ以降、新人監督で衝撃的なデビューをする人は私の中では未だにいないのである。
タンクローリーを追い越してから悲劇が始まる。
逃げる獲物と追う猛獣。映画の原点はここにある。
『激突!』1971年製作、アメリカ映画
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 デニス・ウィーヴァー
キャリー・ロフティン
エディ・ファイアストーン
ルー・フリッゼル
【あらすじ】ごく平凡な市民でセールスマンのデヴィッドは、貸した金を返してもらいに知人のもとへ向っていた。ほとんど交通量のない一本道のハイウェイ。彼は目的先へ行くため急いでいた。すると前方をトロトロと巨大なタンクローリーが道路を塞ぐように走っていた。デヴィッドは何気なくタンクローリーを追い抜かし、また元のスピードに落としたところ、先ほど追い抜いたはずのタンクローリーが猛スピードで、デヴィッドの車を追い越すや、またまたスローダウンして前を塞ぐようにトロトロと走り出すのであった。デヴィッドは驚いたような顔をして、またスピードを上げて、タンクローリーを追い越した。すると再三にわたってタンクローリーはデヴィッドの車を追い越し、また前を塞ぐように走ってしまうのである。デヴィッドはおかしいと思い、スピードを上げ、ターンクローリーを追い抜かし、猛スピードで引き離し、人里離れた公衆電話を見つけると、警察に電話した。その時、タンクローリーは現れて、電話ボックスごとぶっ壊してしまい、タンクローリーの運転手がデヴィッドに殺意を抱いていることが判明した。さて、ここからデヴィッドの小型乗用車と巨大なタンクローリーの息が詰まるようなカーチェイスが始まるのだ。はたして結末は如何に・・・・・。
この映画はスピルバーグが弱冠25歳に時に撮ったテレビ映画である。でもスピルバーグの処女作品として、イギリスでは劇場公開された。日本では1974年だったと思うが、例の淀川長治がナビゲーターとして出演していた日曜洋画劇場で、本邦、初のテレビ放映という形で公開された。
私はこの映画をテレビで観て、この監督は天才だと感じた。主な出演者はデニス・ウィーヴァーが演じるセールスマンのデヴィッドだけである。主役はデヴィッドの運転する赤い小型乗用車と薄茶色の巨大タンクローリー。一言でカーチェイスと言ってしまうのは簡単だが、ただ追い越しただけで、命が狙われるといった不可解なストーリー。逃げる乗用車に追う巨大なタンクローリー。この、まさに映画の原典とも言うべき単純な話の中に、映画の持つエッセンスが全て含まれているのである。逃げる小型者と追う巨大タンクローリーは、さしずめジャングルで言うところの逃げる草食動物と追う肉食動物のようである。無機的なタンクローリーが迫ってくる様は、まさに猛獣と化したライオンのようであり、豹のようであり、逃げる小型車はカモシカか兎のように見える。
極めて単純で追いつ追われつといった映像だけで、あそこまで人を引きつけられる映像作家というのは、なかなかいないものである。現在ならすべてCGを駆使して映画を撮ってしまうだろうが、CGというものが無かったあの頃、スピルバーグはいったいどのようにして、あれだけ迫力ある映像を撮れたのか、それも不思議なら、話の起承転結というのもあり、こちらが殺さなければ殺されると思った主人公が、心境の変化から車の走らせ方も変わってくる。この辺りの心理面の捉え方も実に上手い。
この映画はテレビ映画だったので、彼は劇場用映画としては、この3年後に『続・激突! カージャック』で監督デビューするが、その後に『ジョーズ』で衝撃的な映像を撮り、世間をあっといわせ、『未知との遭遇』『1941』『E.T』と話題作を次から次へと世に出し、すっかり有名監督となってしまった。最近は「カラーハープル」『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』等のシリアスな作品も多く、今や映画界の巨匠としなってしまった感があるが、私は彼の作品で未だに『激突!』以上に好きになれる映画は無い。
やはり金も無く、邪念も無く、若さと才能だけで撮った『激突!』だから、これだけ今日においても、私の心に深く印象に残っているのかもしれない。したがって、これ以降、新人監督で衝撃的なデビューをする人は私の中では未だにいないのである。
タンクローリーを追い越してから悲劇が始まる。
逃げる獲物と追う猛獣。映画の原点はここにある。
2007.11.22 (Thu)
映画『ブルース・ブラザース』を観る
1980年に製作されたアメリカ映画『ブルース・ブラザース』を初めて観た時は、笑い転げた。こんなハチャメチャな映画があっていいものかどうか・・・・・・。
『ブルース・ブラザース』1980年製作、アメリカ
監督 ジョン・ランディス
出演 ジョン・ベルーシ
ダン・エイクロイド
キャリー・フィッシャー
キャブ・キャロウェイ
ジョン・キャンディ
ヘンリー・ギブソン
ジェームス・ブラウン
アレサ・フランクリン
【あらすじ】帽子、サングラス、ネクタイ、スーツと黒ずくめのジェイク・ブルース、エルウッド・ブルースの2人は契りを交わした義兄弟である。彼等は昔、お世話になった孤児院が窮地に陥っていることを聞き、何とか救おうとするが、案が浮かばない。そんな時、黒人教会で牧師のソウル・ミュージックによる説教を「天啓」として聞き、「ハレルヤー」という声と共に天空から一条の光が射し、その光に体を包まれた瞬間に「バンドー」と叫んで踊りだす。そしてブルース・ブラザース・バンドを結成し、金を儲け、税金滞納で潰れかかっている孤児院を救済するのだと決意する。さて、彼等がその後に、巻き起こす騒動はハチャメチャで・・・・はたしてどうなるか。
とにかく、これほど滅茶苦茶な映画も珍しい。2人は中古車を見つけてきて乗り回すが、それが何とパトカーである。映画の中でカーチェイスがあるが、パトカーで逃げまくり、パトカーが追いかけるといった出鱈目ぶり、それもシカゴ中のパトカーが追いかけているのではないかと思えるほどの数である。そこへネオ・ナチス極右団体の車が加わって、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』の音楽が流れる中、いったい何がどうなっているのやら・・・・とにかくドタバタ爆笑喜劇、いやミュージカルか・・・・・。突然、映画の中でジェームス・ブラウン、レイ・チャールス、アレサ・フランクリン、キャブ・キャロウェイが唄いだす。何れも有名なシンガーであるが、そこへ彼等を追い掛け回すイカレタ謎の女がいて、なんと彼らのアパートをバズーカ砲でぶっ壊したかと思ったら、マシンガンで撃ちまくる。このイカレタ女を演じているのが、何と『スター・ウォーズ』でレイヤ姫役だったキャリー・フィッシャー。この突拍子もないキャスティング・・・・。その他にはミニスカートの女王だったツィギーが出ていたり、『ジョーズ』『未知との遭遇』『ET』の映画監督スティーブン・スピルバーグもチョイ役で出ていたり、とにかく仰天の連続である。
阿呆らしくて、馬鹿らしくて、それでいて何度でも観てしまう。そんな映画か『ブルース・ブラザース』である。でも、馬鹿げているとは思っても、とにかく面白く好きな映画の一本なのである。
最後の場面で『監獄ロック』を唄うブルース・ブラザース・バンド
『ブルース・ブラザース』1980年製作、アメリカ
監督 ジョン・ランディス
出演 ジョン・ベルーシ
ダン・エイクロイド
キャリー・フィッシャー
キャブ・キャロウェイ
ジョン・キャンディ
ヘンリー・ギブソン
ジェームス・ブラウン
アレサ・フランクリン
【あらすじ】帽子、サングラス、ネクタイ、スーツと黒ずくめのジェイク・ブルース、エルウッド・ブルースの2人は契りを交わした義兄弟である。彼等は昔、お世話になった孤児院が窮地に陥っていることを聞き、何とか救おうとするが、案が浮かばない。そんな時、黒人教会で牧師のソウル・ミュージックによる説教を「天啓」として聞き、「ハレルヤー」という声と共に天空から一条の光が射し、その光に体を包まれた瞬間に「バンドー」と叫んで踊りだす。そしてブルース・ブラザース・バンドを結成し、金を儲け、税金滞納で潰れかかっている孤児院を救済するのだと決意する。さて、彼等がその後に、巻き起こす騒動はハチャメチャで・・・・はたしてどうなるか。
とにかく、これほど滅茶苦茶な映画も珍しい。2人は中古車を見つけてきて乗り回すが、それが何とパトカーである。映画の中でカーチェイスがあるが、パトカーで逃げまくり、パトカーが追いかけるといった出鱈目ぶり、それもシカゴ中のパトカーが追いかけているのではないかと思えるほどの数である。そこへネオ・ナチス極右団体の車が加わって、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』の音楽が流れる中、いったい何がどうなっているのやら・・・・とにかくドタバタ爆笑喜劇、いやミュージカルか・・・・・。突然、映画の中でジェームス・ブラウン、レイ・チャールス、アレサ・フランクリン、キャブ・キャロウェイが唄いだす。何れも有名なシンガーであるが、そこへ彼等を追い掛け回すイカレタ謎の女がいて、なんと彼らのアパートをバズーカ砲でぶっ壊したかと思ったら、マシンガンで撃ちまくる。このイカレタ女を演じているのが、何と『スター・ウォーズ』でレイヤ姫役だったキャリー・フィッシャー。この突拍子もないキャスティング・・・・。その他にはミニスカートの女王だったツィギーが出ていたり、『ジョーズ』『未知との遭遇』『ET』の映画監督スティーブン・スピルバーグもチョイ役で出ていたり、とにかく仰天の連続である。
阿呆らしくて、馬鹿らしくて、それでいて何度でも観てしまう。そんな映画か『ブルース・ブラザース』である。でも、馬鹿げているとは思っても、とにかく面白く好きな映画の一本なのである。
最後の場面で『監獄ロック』を唄うブルース・ブラザース・バンド
2007.11.02 (Fri)
最近の映画を観る・・・・・映画『ALWAYS 三丁目の夕日』
最近は日本映画が好調だという。良質の作品が増えたのかどうか判らないが、動員数も増加したという。反対に外国映画(特にハリウッド映画)はリメイクが多く、話題性に欠けつまらなくなっているともいう。でも昭和30年代は日本映画が粗製乱造で質を落とし、その後の日本映画の行く末を投げかけたものである。そんな昭和30年代という日本の昭和の原風景が拝めるというので『ALWAYS 三丁目の夕日』が一昨年、話題になった。そして、このほど、その続編が完成し劇場公開されることとなった。
『ALWAYS 三丁目の夕日』2005年製作
監督 山崎貴
出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希 三浦友和 薬師丸ひろ子
須賀健太
【あらすじ】昭和33年、東京の下町、東京タワーが拝めるところ。夕日町三丁目で鈴木則平が営む自動車修理工場・鈴木オートに、東北から集団就職で六子(原作では男だった)がやって来る。しかし、思い描いていたイメージとのギャップに失望する。その鈴木オートの向かいには駄菓子屋があった。駄菓子屋の店主は売れない小説家の茶川竜之介であった。ところが彼はひょんなことから、一杯飲み屋の女将・ヒロミのもとに連れてこられた身寄りの無い少年・古行淳之介の世話をすることになる・・・・・。
ということで、前回の『ALWAYS 三丁目の夕日』は大ヒットし、話題を独占することとなり、日本全国を感動と涙の渦に巻き込んだという。う~ん、確かに悪い映画ではなかった。しかし、小生はこの手の映画は正直言って苦手である。でも、今の日本が失った昭和の良き時代をリアルに再現しているというので、観る人のノスタルジーを誘い、評判は良かったようだ。
ところで、この作品の原作は、西岸良平がビッグコミック・オリジナルに1974年から連載している漫画で、タイトルは『夕焼けの詩』である。過去にはアニメ化され、毎日放送が製作しテレビで放映もされたという。でもあいにく人気アニメ『ドラエもん』と放映時間が重なったために視聴率が稼げず、早々と放映打ち切りとなったらしい。
それで2005年に『ALWAYS 三丁目の夕日』というタイトルで実写映画化され、大ヒットとなり、この度、続編の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』も公開されるのだ。
昭和33年~34年というと私が幼少の頃で、かすかな記憶でしかないが、この作品を観た限りでは、あんなのだったかなあという程度で、皆が言うほどリアルさを感じ無かったように思う。CGを駆使して出来る限り再現を試みたと思うが、これも限界がある。でも日本の昭和史の戦後を考えるならば、東京オリンピック以前と以後に分かれると思うが(私の考えるところ)、昭和30年代という、まだまだ貧しかった日本の原風景が、あの映画の中で随所にちりばめられているところは、僅かではあるが見て取れる。また、あの映画は東京の話なのであるが、当時の大阪や京都でも似たような部分は随所に或る。たとえばテレビが家に入った時の状況や、家の中の家裁道具、人々の服装、髪型、登場する車、路面電車、少なくとも昭和30年代を知る世代にとっては、懐かしい風景となるのかも知れない。
白黒の14型真空管テレビ、ちゃぶ台、駄菓子屋、ヒルマンミンクス、クロガネのオート三輪、ダイハツのミゼット、トヨペット・クラウン・・・・・路地裏の道は未舗装で、車の数も少なくて、大通りには路面電車が走っていた。これは何も東京だけの話ではない。大阪も京都も思い出せば、似たような状況であった。ただ、これだけCGで映像画面を埋めてしまうと、逆にリアル感が乏しくなる。セットで全てこなせないのは判るけども、何処かアニメと実写の混合のような映画に見えて仕方がなかった。それと話があまりにもベタ過ぎて、私は感情移入が出来ず、何か醒めて観ていたような気がする。この手の子供を使って涙を誘う話というのは、センチメンタリズムを鼓舞するようで、気恥ずかしさを覚えてしまう。結局、私にとってこの映画は、忘れたいが忘れられない幼少の頃の郷愁と、消し去ることの出来ない過去の恥辱との間で揺れ動く形而下的な物ということになるのだろうか・・・。
この映画の時代から時を経て、その後、東京オリンピックを境にして、急激に日本が変貌していく中で、我々が失っていった古き良き心というものを思い出させてくれて、ほのぼのと癒されるというのが、この映画の魅力ではないだろうか・・・・・。何だかよく判らないが、これが感想といえばいいだろうか・・・・。
ところで話の本論とは関係ないが、吉岡秀隆演じる茶川竜之介の風貌が、若い頃の開高健にダブってしまうのは私だけだろうか・・・・・。
『ALWAYS 三丁目の夕日』2005年製作
監督 山崎貴
出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希 三浦友和 薬師丸ひろ子
須賀健太
【あらすじ】昭和33年、東京の下町、東京タワーが拝めるところ。夕日町三丁目で鈴木則平が営む自動車修理工場・鈴木オートに、東北から集団就職で六子(原作では男だった)がやって来る。しかし、思い描いていたイメージとのギャップに失望する。その鈴木オートの向かいには駄菓子屋があった。駄菓子屋の店主は売れない小説家の茶川竜之介であった。ところが彼はひょんなことから、一杯飲み屋の女将・ヒロミのもとに連れてこられた身寄りの無い少年・古行淳之介の世話をすることになる・・・・・。
ということで、前回の『ALWAYS 三丁目の夕日』は大ヒットし、話題を独占することとなり、日本全国を感動と涙の渦に巻き込んだという。う~ん、確かに悪い映画ではなかった。しかし、小生はこの手の映画は正直言って苦手である。でも、今の日本が失った昭和の良き時代をリアルに再現しているというので、観る人のノスタルジーを誘い、評判は良かったようだ。
ところで、この作品の原作は、西岸良平がビッグコミック・オリジナルに1974年から連載している漫画で、タイトルは『夕焼けの詩』である。過去にはアニメ化され、毎日放送が製作しテレビで放映もされたという。でもあいにく人気アニメ『ドラエもん』と放映時間が重なったために視聴率が稼げず、早々と放映打ち切りとなったらしい。
それで2005年に『ALWAYS 三丁目の夕日』というタイトルで実写映画化され、大ヒットとなり、この度、続編の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』も公開されるのだ。
昭和33年~34年というと私が幼少の頃で、かすかな記憶でしかないが、この作品を観た限りでは、あんなのだったかなあという程度で、皆が言うほどリアルさを感じ無かったように思う。CGを駆使して出来る限り再現を試みたと思うが、これも限界がある。でも日本の昭和史の戦後を考えるならば、東京オリンピック以前と以後に分かれると思うが(私の考えるところ)、昭和30年代という、まだまだ貧しかった日本の原風景が、あの映画の中で随所にちりばめられているところは、僅かではあるが見て取れる。また、あの映画は東京の話なのであるが、当時の大阪や京都でも似たような部分は随所に或る。たとえばテレビが家に入った時の状況や、家の中の家裁道具、人々の服装、髪型、登場する車、路面電車、少なくとも昭和30年代を知る世代にとっては、懐かしい風景となるのかも知れない。
白黒の14型真空管テレビ、ちゃぶ台、駄菓子屋、ヒルマンミンクス、クロガネのオート三輪、ダイハツのミゼット、トヨペット・クラウン・・・・・路地裏の道は未舗装で、車の数も少なくて、大通りには路面電車が走っていた。これは何も東京だけの話ではない。大阪も京都も思い出せば、似たような状況であった。ただ、これだけCGで映像画面を埋めてしまうと、逆にリアル感が乏しくなる。セットで全てこなせないのは判るけども、何処かアニメと実写の混合のような映画に見えて仕方がなかった。それと話があまりにもベタ過ぎて、私は感情移入が出来ず、何か醒めて観ていたような気がする。この手の子供を使って涙を誘う話というのは、センチメンタリズムを鼓舞するようで、気恥ずかしさを覚えてしまう。結局、私にとってこの映画は、忘れたいが忘れられない幼少の頃の郷愁と、消し去ることの出来ない過去の恥辱との間で揺れ動く形而下的な物ということになるのだろうか・・・。
この映画の時代から時を経て、その後、東京オリンピックを境にして、急激に日本が変貌していく中で、我々が失っていった古き良き心というものを思い出させてくれて、ほのぼのと癒されるというのが、この映画の魅力ではないだろうか・・・・・。何だかよく判らないが、これが感想といえばいいだろうか・・・・。
ところで話の本論とは関係ないが、吉岡秀隆演じる茶川竜之介の風貌が、若い頃の開高健にダブってしまうのは私だけだろうか・・・・・。
2007.10.24 (Wed)
古い映画を観る・・・・・『2001年宇宙の旅』
『2001年宇宙の旅』を古い映画というと語弊があるようだが、やはり世代によっては古い映画なのかもしれない。製作、上映も1968年で、その頃、中学生だった私にとっては古い映画という感覚はない。でも、この時に生まれてない人にとっては古い映画なのかもしれないが、今やSF古典映画の傑作とされるから、映画マニアの中では避けて通れない映画となった一本である。そんな『2001年宇宙の旅』が、今日の夜中、NHK衛星第2放送で放映される。何度目の放映か判らないけれど、NHKも何度となくテレビで放映している。
『2001年宇宙の旅』1968年製作、アメリカ/イギリス映画
監督 スタンリー・キューブリック
出演 ケア・デュリア
ゲイリー・ロックウッド
ウィリアム・シルヴェスター
ダニエル・リクター
【あらすじ】あらすじと言ってもストーリーらしきストーリーが無く、坦々と展開して行く。地球の夜明けがあり人間の祖先らしきヒトザルが現れ、食べ物を奪い合っていた。彼等はやがて二本の脚で立ち上がり、或るところで屹立する黒色板を見つける。黒色板は異様な音を発し、光をも反射する。どうやらこの黒色板がヒトザルに知恵を授けたようだ。彼等は骨を手に持ち、武器として使った。その知恵を持ったヒトザルの一匹が骨を高く投げ上げる。すると骨が突然、飛行中の宇宙船に変わってしまうのである。・・・・・知恵を持ったヒトザルから数百万年が経ち、その骨が宇宙船にかわっていた。
宇宙船は宇宙ステーション内に到着する。その頃、月では緊急事態が発生し、科学者たちが飛行士を待ち受けていた。そして、極秘の会議が行われる。それは月の或るところで、屹立している黒色板についての会議だった。この黒色板は何処から来たものか、また何物なのか、さっぱり謎を解くことが出来なかった。やがて、その謎を解くため原子力宇宙船の木星派遣が決定する。宇宙船には3人の冬眠飛行士、ボウマン隊長、プール飛行士、コンピューター「ハル」が乗っていた。だが、やがてコンピューター「ハル」が反乱を起こしプール飛行士は宇宙の彼方へ放り出されてしまった。残りの3人の飛行士も死亡。残ったのはボウマン隊長だけになった。ボウマンはコンピューター「ハル」の反乱を打ち砕き、再整備してたった1人で、黒色板の謎を探りに異次元空間へと向って行く・・・・・そして、その後、ボウマンが見たのは、いったい・・・・・・・・。
この映画が上映されていた頃のことはあまり記憶に無い。シネラマでの上映だったように思うが、娯楽映画のようなタイトルに反して難解な映画だという噂は聞いていた。それで結局、私は観にいかなかった。それから何年後だったろうか、私が20歳になった頃、再びリバイバルで上映されていて、その時に初めて『2001年宇宙の旅』を観に行ったのである。
いきなりオープニングからリヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』で始まり、やがて猿が大勢出てくる。すると猿同士が戦を始め、その中で骨を手にした猿が相手を叩きつける。この骨が人類最初の道具ということなのであろう・・・・。猿の投げた骨が一瞬にして宇宙船にかわる映像・・・数百万年の時を経たジャンプ・ショットである。すると今度はヨハン・シュトラウスのワルツ『美しく青きドナウ』の旋律に乗って宇宙船が宇宙ステーションに向っている映像が映し出される。私は鬼才スタンリー・キューブリックのトリックに酔った。しかし、この映画を楽しめたのはここまでであった。その後は考えれば考えるほど理解できない。まるでブラックボックスに入ったかのように、唖然、唖然の連続で、気がつけばボウマン隊長がロココ風の部屋の中に現れる。「何なんだ、この映画は?」最初に観たときの感想はそんな感じだった。
その後、何度か『2001年宇宙の旅』を観る機会があった。でも観る度に考えさせられる。科学の範疇で観ていると、突然神話的になり、神話的かと思うと哲学的でもある。この映画のポイントとなる黒色板・・・これは何を意味するのか。考えれば考えるほど自分自身、ブラックホールに入っていく。再生と輪廻の起こうる清淨空間が黒色板の中に存在するのだろうか・・・・。
この映画に出てくる黒色板(モノリス)は有機物というより鉱物、金属の類を連想させるが、このあたりキューブリックのマジックにかかっているようでもある。彼が考える神話は科学や現代物理学であり、一方で古代的な自然哲学や万有神論にも結びつきそうだ。万有の生と死を、永遠のサイクルでとらえる輪廻転生思想のようでもある。・・・・とか、なんとか言って、自分自身で答えを見つけようと色々考えた時期もあったが、最近は『2001年宇宙の旅』を観て、何も考えなくなった。つべこべ理屈を捏ねるよりも、この素晴らしい映像に酔って彷徨えばいいのだと思うようになった。要するに、この映画を観た人の捉えかたは10人いれば、10通りあるということだ。深く考えるのはやめたのである。
『2001年宇宙の旅』のワンシーン。『美しく青きドナウ』の旋律が流れる中、宇宙船が宇宙ステーションに向う。
『2001年宇宙の旅』1968年製作、アメリカ/イギリス映画
監督 スタンリー・キューブリック
出演 ケア・デュリア
ゲイリー・ロックウッド
ウィリアム・シルヴェスター
ダニエル・リクター
【あらすじ】あらすじと言ってもストーリーらしきストーリーが無く、坦々と展開して行く。地球の夜明けがあり人間の祖先らしきヒトザルが現れ、食べ物を奪い合っていた。彼等はやがて二本の脚で立ち上がり、或るところで屹立する黒色板を見つける。黒色板は異様な音を発し、光をも反射する。どうやらこの黒色板がヒトザルに知恵を授けたようだ。彼等は骨を手に持ち、武器として使った。その知恵を持ったヒトザルの一匹が骨を高く投げ上げる。すると骨が突然、飛行中の宇宙船に変わってしまうのである。・・・・・知恵を持ったヒトザルから数百万年が経ち、その骨が宇宙船にかわっていた。
宇宙船は宇宙ステーション内に到着する。その頃、月では緊急事態が発生し、科学者たちが飛行士を待ち受けていた。そして、極秘の会議が行われる。それは月の或るところで、屹立している黒色板についての会議だった。この黒色板は何処から来たものか、また何物なのか、さっぱり謎を解くことが出来なかった。やがて、その謎を解くため原子力宇宙船の木星派遣が決定する。宇宙船には3人の冬眠飛行士、ボウマン隊長、プール飛行士、コンピューター「ハル」が乗っていた。だが、やがてコンピューター「ハル」が反乱を起こしプール飛行士は宇宙の彼方へ放り出されてしまった。残りの3人の飛行士も死亡。残ったのはボウマン隊長だけになった。ボウマンはコンピューター「ハル」の反乱を打ち砕き、再整備してたった1人で、黒色板の謎を探りに異次元空間へと向って行く・・・・・そして、その後、ボウマンが見たのは、いったい・・・・・・・・。
この映画が上映されていた頃のことはあまり記憶に無い。シネラマでの上映だったように思うが、娯楽映画のようなタイトルに反して難解な映画だという噂は聞いていた。それで結局、私は観にいかなかった。それから何年後だったろうか、私が20歳になった頃、再びリバイバルで上映されていて、その時に初めて『2001年宇宙の旅』を観に行ったのである。
いきなりオープニングからリヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』で始まり、やがて猿が大勢出てくる。すると猿同士が戦を始め、その中で骨を手にした猿が相手を叩きつける。この骨が人類最初の道具ということなのであろう・・・・。猿の投げた骨が一瞬にして宇宙船にかわる映像・・・数百万年の時を経たジャンプ・ショットである。すると今度はヨハン・シュトラウスのワルツ『美しく青きドナウ』の旋律に乗って宇宙船が宇宙ステーションに向っている映像が映し出される。私は鬼才スタンリー・キューブリックのトリックに酔った。しかし、この映画を楽しめたのはここまでであった。その後は考えれば考えるほど理解できない。まるでブラックボックスに入ったかのように、唖然、唖然の連続で、気がつけばボウマン隊長がロココ風の部屋の中に現れる。「何なんだ、この映画は?」最初に観たときの感想はそんな感じだった。
その後、何度か『2001年宇宙の旅』を観る機会があった。でも観る度に考えさせられる。科学の範疇で観ていると、突然神話的になり、神話的かと思うと哲学的でもある。この映画のポイントとなる黒色板・・・これは何を意味するのか。考えれば考えるほど自分自身、ブラックホールに入っていく。再生と輪廻の起こうる清淨空間が黒色板の中に存在するのだろうか・・・・。
この映画に出てくる黒色板(モノリス)は有機物というより鉱物、金属の類を連想させるが、このあたりキューブリックのマジックにかかっているようでもある。彼が考える神話は科学や現代物理学であり、一方で古代的な自然哲学や万有神論にも結びつきそうだ。万有の生と死を、永遠のサイクルでとらえる輪廻転生思想のようでもある。・・・・とか、なんとか言って、自分自身で答えを見つけようと色々考えた時期もあったが、最近は『2001年宇宙の旅』を観て、何も考えなくなった。つべこべ理屈を捏ねるよりも、この素晴らしい映像に酔って彷徨えばいいのだと思うようになった。要するに、この映画を観た人の捉えかたは10人いれば、10通りあるということだ。深く考えるのはやめたのである。
『2001年宇宙の旅』のワンシーン。『美しく青きドナウ』の旋律が流れる中、宇宙船が宇宙ステーションに向う。
2007.10.21 (Sun)
古い映画を観る・・・・・『戦艦ポチョムキン』
地球上に映画というものが誕生して100年以上になる。それ以来、世界中で何万本、何十万本、いや、何百万本の映画が作られたか判らない。しかし、その無数の映画の中で映画史上において、絶対に観ていなくてはならない歴史上の映画というものが何本か存在する。こういった映画は、けして商業的ではなく観ていて何処が面白いのかと問われることが多い。でも映画の歴史を考えた場合、絶対に無視して通ることの出来ない映画なのである。それが、今回、紹介する映画である。それは『戦艦ポチョムキン』という無声映画である。
『戦艦ポチョムキン』 ソヴィエト映画 1925年製作
監督 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
出演 アレクサンドル・アントノーフ
グリゴリー・アレクサンドロフ
ウラジミール・バルスキー
【あらすじ】1905年の第一次ロシア革命前夜のことである。戦艦ポチョムキンの船上では、水兵が士官から蛆虫のわいた肉を食べるように命じられていたが、それに反感を持った一水兵ワクリンチェクは、みんなに呼びかけて蜂起する。水兵が一斉に反乱を起こし、それは成功した。ところが、士官の報復によりワクリンチェクは死ぬ。船はオデッサの港に到着、人々はワクリンチェクの死を悲しみ、ワクリンチェクの死体を取り囲み悲しみに沈む。しかし突如として銃声が鳴り響き、政府軍の一斉射撃が始まり、群集は逃げ惑うこととなる。オデッサの階段を人々は転がるかのように・・・・・・・。革命の火種を巻き起こすこととなったポチョムキンの反乱に題材をとった、歴史的作品である。
日本では戦前、共産主義のプロパガンダが含まれているとみなされ、政府の検閲にひっかかり上映禁止となった。この映画が、日本の映画館で一般に公開されたのは、何と戦後22年経った1967年のことである。当然のように、ソヴィエト共産主義の国策映画なので、政治色が強い映画であることは歴然としている。でも何故、この映画が歴的価値があるのかというと、それはモンタージュ手法を確立した映画として世界の映画関係者から絶賛を浴びているからなのである。
モンタージュ論とは、バラバラに撮影されたフィルムのカット(断片)を繋ぎ合わすことによって意図する表現効果、映像効果、芸術効果を生み、一つの作品として纏め上げることを広義の意味として理解してもらえればいいと思うが、エイゼンシュテインは、カットをモンタージュのための断片ではなく、映画の一部の細胞と考え、その結合が生む衝突の意味を重視して自分で弁証法的モンタージュ理論を考察したのである。
このように言うと、何か難しく思われそうだが、今の映画は何らかの形で、エイゼンシュテインの手法を踏襲しているので、この『戦艦ポチョムキン』を観てもさほど驚くことはない。でも、この映画が製作されたのは1925年である。日本で言うならば大正14年であるが、まだ17コマの映像が中心で、もちろん映像に音はない。そのことを考えるならば、この映画の持つ意味がどれほど大きいか理解できると思う。
後年、映画が24コマになり、音が出るようになり、映像がカラーへと成長を遂げた。それにより映画の表現方法が飛躍的に向上したことは言うまでもないが、今から80年以上前に、エイゼンシュテインはモノクロの音のない映像だけで、訴えたいことを見事に表現しているのである。この映画の場合、あらすじがどうのこうの、当時の時代背景がどうだの、そんなことはどうでもいいのである。とにかく映像の表現力が出色で、革命的だったのである。中でも『オデッサの階段』と言われる6分間の映像は、「映画史上最も有名な6分間」とされ、特に撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段をカタンコトンと落ちていくシーンは圧巻である。映画通は、この映画を観ずして映画を語ることなかれ・・・・。絶対に観るべき作品である。
『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段の場面。この映像ではレッド・ツェッペリンの『天国の階段』がBGMに流れているが、かつて私が観た時は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番~第1楽章が流れていた。
『戦艦ポチョムキン』 ソヴィエト映画 1925年製作
監督 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
出演 アレクサンドル・アントノーフ
グリゴリー・アレクサンドロフ
ウラジミール・バルスキー
【あらすじ】1905年の第一次ロシア革命前夜のことである。戦艦ポチョムキンの船上では、水兵が士官から蛆虫のわいた肉を食べるように命じられていたが、それに反感を持った一水兵ワクリンチェクは、みんなに呼びかけて蜂起する。水兵が一斉に反乱を起こし、それは成功した。ところが、士官の報復によりワクリンチェクは死ぬ。船はオデッサの港に到着、人々はワクリンチェクの死を悲しみ、ワクリンチェクの死体を取り囲み悲しみに沈む。しかし突如として銃声が鳴り響き、政府軍の一斉射撃が始まり、群集は逃げ惑うこととなる。オデッサの階段を人々は転がるかのように・・・・・・・。革命の火種を巻き起こすこととなったポチョムキンの反乱に題材をとった、歴史的作品である。
日本では戦前、共産主義のプロパガンダが含まれているとみなされ、政府の検閲にひっかかり上映禁止となった。この映画が、日本の映画館で一般に公開されたのは、何と戦後22年経った1967年のことである。当然のように、ソヴィエト共産主義の国策映画なので、政治色が強い映画であることは歴然としている。でも何故、この映画が歴的価値があるのかというと、それはモンタージュ手法を確立した映画として世界の映画関係者から絶賛を浴びているからなのである。
モンタージュ論とは、バラバラに撮影されたフィルムのカット(断片)を繋ぎ合わすことによって意図する表現効果、映像効果、芸術効果を生み、一つの作品として纏め上げることを広義の意味として理解してもらえればいいと思うが、エイゼンシュテインは、カットをモンタージュのための断片ではなく、映画の一部の細胞と考え、その結合が生む衝突の意味を重視して自分で弁証法的モンタージュ理論を考察したのである。
このように言うと、何か難しく思われそうだが、今の映画は何らかの形で、エイゼンシュテインの手法を踏襲しているので、この『戦艦ポチョムキン』を観てもさほど驚くことはない。でも、この映画が製作されたのは1925年である。日本で言うならば大正14年であるが、まだ17コマの映像が中心で、もちろん映像に音はない。そのことを考えるならば、この映画の持つ意味がどれほど大きいか理解できると思う。
後年、映画が24コマになり、音が出るようになり、映像がカラーへと成長を遂げた。それにより映画の表現方法が飛躍的に向上したことは言うまでもないが、今から80年以上前に、エイゼンシュテインはモノクロの音のない映像だけで、訴えたいことを見事に表現しているのである。この映画の場合、あらすじがどうのこうの、当時の時代背景がどうだの、そんなことはどうでもいいのである。とにかく映像の表現力が出色で、革命的だったのである。中でも『オデッサの階段』と言われる6分間の映像は、「映画史上最も有名な6分間」とされ、特に撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段をカタンコトンと落ちていくシーンは圧巻である。映画通は、この映画を観ずして映画を語ることなかれ・・・・。絶対に観るべき作品である。
『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段の場面。この映像ではレッド・ツェッペリンの『天国の階段』がBGMに流れているが、かつて私が観た時は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番~第1楽章が流れていた。
2007.10.08 (Mon)
古い映画を観る『オズの魔法使』
よくスタンダードの曲として聴かれる『Over the Rainbow』であるが、そのオリジナルが、映画『オズの魔法使』で、ジュディ・ガーランドが唄ったものだということは後年に知った。そもそも、その『オズの魔法使』という映画は何なのかということになるが、古くからアメリカにあるファンタジー児童文学の映画化だという。それで今日の夜、NHK衛星第2放送で『オズの魔法使』が放映されるというので、その映画を思い出してみた。
『オズの魔法使』 1939年製作 アメリカ映画 MGM作品
監督 ヴィクター・フレミング
出演 ジュディ・ガーランド
バート・ラー
ジャック・ヘイリー
レイ・ボルジャー
【あらすじ】家ごと竜巻に巻き上げられた少女ドロシーが到着したところは(家の扉を開けるとモノクロ映像からカラー映像に変わる)、鮮やかな色彩の国オズだった。ドロシーは故郷のカンザスに帰ろうとするが、帰り方が判らない。帰り方を知っているのは、オズの魔法使いだけだという。そのオズの魔法使いが住んでいるのはエメラルドの都であり、その都に行くには黄色い煉瓦の道を歩いていけば辿り着く。そのようにすればオズの魔法使いに出会い、カンザスに帰れるというからドロシーはエメラルドの都に向う。
それを知った西の悪い魔女は、東の魔女を殺されたことで(竜巻で飛ばされた家の下敷きになった)、ドロシーを狙っていた。一方、ドロシーはエメラルドの都に向って、黄色い煉瓦の道を歩いていた。するとまず、お喋りだが脳みそのない案山子に出会う。そして、次にハートのないブリキのきこりに会う、さらに勇気の無いライオンに出会い。ドロシーを含めて4人でエメラルドの都に向う。エメラルドの都にいるオズの魔法使いに会うと、ドロシーはカンザスに帰れるし、案山子は脳みそ、ブリキ男はハート、ライオンは勇気がそれぞれ貰えると信じている。どうにか西の悪い魔女の妨害をかわし、エメラルドの都の門に着き、やっとの思いでオズの大魔王に謁見する。ところがオズの大魔王が言うには、願い事を叶えて欲しかったら、西の悪い魔女のホウキを奪って来いというものだった。やむなくドロシーと案山子、ブリキ男、ライオンは西の悪い魔女のところへ向うのだった・・・・・・・。
この物語はアメリカのライマン・フランク・ボームが書いた児童文学が原作で、映画化も何度かされている。最初は1910年、2度目が1925年と何れもサイレント映画である。3度目は短編アニメとして製作されたが未公開。そして1939年の本作品であるが、同じ年に製作された大作『風と共に去りぬ』等と共に、この年に製作されたアメリカ映画の傑作として評価が高い。ただアメリカ人好みの物語であって、これが日本人に、そのまま受け入れられるかといった問題はあるが、ミュージカルとしても観れる見事な作品であり、挿入曲『虹の彼方に(Over the Rainbow)』は、独り立ちし日本人にまで、親しみ唄われ続けるスタンダード・ナンバーとして映画の題名と共に知れわたっているところである。
ところで、この『オズの魔法使』のドロシー役は、最初、シャーリー・テンブルが演じるはずであったが、ジュディ・カーランドが代役で務めた。でも今となっては歌唱力も含め、ジュデイ・ガーランドの方が適役だったように思う。この時、ジュディ・ガーランドは、まだ16、17歳であったが、大人びた歌唱力である。しかし、人気が出たジュディ・ガーランドは、睡眠薬を多用するようになり、薬物中毒と陥り身を崩していった。そんな彼女が亡くなったのは、1969年であり、まだ47歳であったことを考えると、薬物中毒から抜け出せなかったのは残念である。
その後、ジュディの娘ライザ・ミネリも母と同様、女優、歌手として活躍するが、ライザも現在、薬物中毒と闘っているというから、親子2代にわたって、薬から縁を切れなかったというのは皮肉でもある。
『Over the Rainbow』を唄うジュディ・ガーランド
『オズの魔法使』 1939年製作 アメリカ映画 MGM作品
監督 ヴィクター・フレミング
出演 ジュディ・ガーランド
バート・ラー
ジャック・ヘイリー
レイ・ボルジャー
【あらすじ】家ごと竜巻に巻き上げられた少女ドロシーが到着したところは(家の扉を開けるとモノクロ映像からカラー映像に変わる)、鮮やかな色彩の国オズだった。ドロシーは故郷のカンザスに帰ろうとするが、帰り方が判らない。帰り方を知っているのは、オズの魔法使いだけだという。そのオズの魔法使いが住んでいるのはエメラルドの都であり、その都に行くには黄色い煉瓦の道を歩いていけば辿り着く。そのようにすればオズの魔法使いに出会い、カンザスに帰れるというからドロシーはエメラルドの都に向う。
それを知った西の悪い魔女は、東の魔女を殺されたことで(竜巻で飛ばされた家の下敷きになった)、ドロシーを狙っていた。一方、ドロシーはエメラルドの都に向って、黄色い煉瓦の道を歩いていた。するとまず、お喋りだが脳みそのない案山子に出会う。そして、次にハートのないブリキのきこりに会う、さらに勇気の無いライオンに出会い。ドロシーを含めて4人でエメラルドの都に向う。エメラルドの都にいるオズの魔法使いに会うと、ドロシーはカンザスに帰れるし、案山子は脳みそ、ブリキ男はハート、ライオンは勇気がそれぞれ貰えると信じている。どうにか西の悪い魔女の妨害をかわし、エメラルドの都の門に着き、やっとの思いでオズの大魔王に謁見する。ところがオズの大魔王が言うには、願い事を叶えて欲しかったら、西の悪い魔女のホウキを奪って来いというものだった。やむなくドロシーと案山子、ブリキ男、ライオンは西の悪い魔女のところへ向うのだった・・・・・・・。
この物語はアメリカのライマン・フランク・ボームが書いた児童文学が原作で、映画化も何度かされている。最初は1910年、2度目が1925年と何れもサイレント映画である。3度目は短編アニメとして製作されたが未公開。そして1939年の本作品であるが、同じ年に製作された大作『風と共に去りぬ』等と共に、この年に製作されたアメリカ映画の傑作として評価が高い。ただアメリカ人好みの物語であって、これが日本人に、そのまま受け入れられるかといった問題はあるが、ミュージカルとしても観れる見事な作品であり、挿入曲『虹の彼方に(Over the Rainbow)』は、独り立ちし日本人にまで、親しみ唄われ続けるスタンダード・ナンバーとして映画の題名と共に知れわたっているところである。
ところで、この『オズの魔法使』のドロシー役は、最初、シャーリー・テンブルが演じるはずであったが、ジュディ・カーランドが代役で務めた。でも今となっては歌唱力も含め、ジュデイ・ガーランドの方が適役だったように思う。この時、ジュディ・ガーランドは、まだ16、17歳であったが、大人びた歌唱力である。しかし、人気が出たジュディ・ガーランドは、睡眠薬を多用するようになり、薬物中毒と陥り身を崩していった。そんな彼女が亡くなったのは、1969年であり、まだ47歳であったことを考えると、薬物中毒から抜け出せなかったのは残念である。
その後、ジュディの娘ライザ・ミネリも母と同様、女優、歌手として活躍するが、ライザも現在、薬物中毒と闘っているというから、親子2代にわたって、薬から縁を切れなかったというのは皮肉でもある。
『Over the Rainbow』を唄うジュディ・ガーランド