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2008.01.30 (Wed)

映画『ラストエンペラー』を観る

 『ラストエンペラー』1987年製作 イタリア、イギリス、中国合作

 監督 ベルナルド・ベルトリッチ

 出演 ジョン・ローン
     ジョアン・チュン
     坂本龍一
     デニス・ダン
     ヴィクター・ウォン
     高松英郎
     ピーター・オトゥール

 【あらすじ】1908年の清国。北京の紫禁城内、西太后により溥儀が皇帝に任命された。でも愛新覚羅溥儀はわずか3歳。溥儀は清の皇帝として弟の溥傑と共に何不自由なく暮らすが、1924年のクーデターで突然、紫禁城から退去させられてしまう。清国の滅亡である。溥儀は北京を追われ天津に逃れる。ここで日本の関東軍と密接な関係を持つようになり、やがて日本のバックアップもあり、建国された満州国の皇帝となる。しかし、満州国は日本の傀儡国家であることは歴然としていて、溥儀は操り人形でしかなかった。時代が進み大東亜戦争が終結。日本の敗戦と共に溥儀もソビエト軍に捕らえられ戦犯として裁かれる。

 波瀾万丈の一生を送った清国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の生涯の映画化である。アカデミー作品賞を始め、9部門で賞を獲得するなど話題になった大作である。この映画が公開された1988年の一年後に昭和は幕を降ろすが、日本とも関係の深かった溥儀の物語であり、溥儀と昭和という時代は密接なつながりがあったのだと考えると、日本の現代史において興味深い映画である。

 僅か3歳の幼児である溥儀が清の皇帝として即位したものの、20世紀という時代、彼は大きな国の変革と激動の嵐に飲み込まれ翻弄され、かつてないほど波瀾に満ちた生涯を送った。皇帝の座から追われ、傀儡政権での皇帝、戦犯として収容所に収監、釈放、その後は一市民として余生を送り、細々と死んでいった。こういった一生を送った人も珍しいが、中国の変動期において、何かと関係の深かった日本の国民としては、この映画を観ていて辛いところがあった。かつて日本は中国に侵略し、盧溝橋事件、南京大虐殺・・・あまり触れて欲しくない歴史もあって、日本人を良く描いてないというのもあるが、そんな中でもけして誇りと紳士然とした態度だけは保ち続けた溥儀。それに対して、関東軍の甘粕正彦は欲望と陰謀の塊のように映り、日本人の卑しさが目に付いた映画であった。

 大東亜戦争で日本が無条件降伏すると同時に、溥儀は自ら満州国を解体し退位したのである。その後、収容所に収監され、皇帝から一転して戦犯扱いの身となる。1960年には恩赦があり長い収容所生活から釈放された。でも、溥儀は溥傑ともども一市民として生活を送らざるを得ず、儚くも時代は毛沢東の世の中。中国全土を襲った文化大革命の嵐の中、当然のように溥儀は目立った生活は封印した。でも癌に侵され、治療もままならず、とうとう1967年10月17日、愛新覚羅溥儀は「チキンラーメンを食べたい」といって亡くなったという。

 この頃、中国は最も自由の利かない時代であり、溥儀は隠れるようにして生きていた。おそらく皇帝から戦犯まで経験し、最後は一市民として、共産党が支配する世の中でも過去の栄光に縋ることもなく、しょぼくれた一人の人間として生きながらえていた。そしてそして、愛新覚羅溥儀は最後までラストエンペラーとして語り継がれるのである。

                           

                                
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2008.01.18 (Fri)

吾が青春時代の映画を観る・・・・・『イージー・ライダー』

 『イージー・ライダー』1969年製作 アメリカ映画

 監督 デニス・ホッパー

 出演 ピーター・フォンダ
     デニス・ホッパー
     アントニオ・メンドーサ
     ジャック・ニコルソン
     カレン・ブラック

 【あらすじ】マリファナの密輸で大金を手にしたキャプテン・アメリカとビリーは、フル・カスタマイズされた大型のチョッパー型オートバイに乗って旅に出る。南部を目指して、ただひたすら走り続ける。途中、ヒッピーの集落に入るも、2人は拒絶される。先を目指す2人は旅を続けなければならない。次に彼らは、やって来た町のパレードに無許可で参加し、留置所にぶち込まれる。そこでは、弁護士ジョージもいて、彼と知り合い、今度は3人で旅に出る。3人の目指すべきところは、ニューオーリンズの謝肉祭である。しかし、彼らの行く手には災難が・・・・・・。自由の国アメリカの真の姿を求めた彼等であったが、南部で直面した現実という大きな壁・・・・・・・。

 この映画が初めて上映された頃というのは、B級映画扱いでマニアックな人以外、さほど話題に上がらなかったと思う。それが、月日を経て、徐々にアメリカン・ニューシネマを代表するカルト映画の傑作として語られるようになっていく。

 この映画が、最近語られるような素晴らしい映画であったかどうか評価は分かれるところであるが、少なくとも当時から多くの若者に支持された映画であることは確かである。・・・・・バイク、マリファナ、ヒッピー。今の若者に、1960年代末期から1970年代初頭がどんな時代であったか、説明しても意味が無いと思う。この時代は御しきれない何か一つの大きな潮流があって、それが若者文化として巨大に花開いていた頃である。

 アメリカで言うならベトナム戦争が激化していたし、中国で言うなら毛沢東の文化大革命があり、日本でも全共闘の活動が最も峻烈を極めていた。だからあの当時に生きてない人に、どんな時代であったかを説明するのに一万語を使っても言い表わせるものでもないし、時代の違いを解いてもほとんど無意味と思える。大袈裟ではあるが、とにかく若者が何かを変えるのだといった風潮が、世界全体にあったような気がする。つまり、そんな頃に作られた映画が『イージー・ライダー』なのである。

 時代はまさにアメリカの激動期。公民権運動が盛んで、ベトナム戦争の泥沼化により、アメリカの行く末に暗雲が漂っていて、それは映画にも反映された時期であった。この当時、若者は、それまで繁栄を謳歌したアメリカという国に突如、反旗を翻した。アメリカの若者達は、自ら動き出し、嘘と偽りで染められたアメリカという国を疑いだした。そういった動きが、ポリシー、音楽、ファッション、映画にまで顕著に現れ、とうとうアメリカン・ニューシネマという独自のスタイルの映画を
生み出したのである。

 アメリカン・ニューシネマ以前のハリウッド映画というのは、相変わらず能天気なスペクタクル映画、歯の浮くような恋愛物、古色蒼然としたミュージカル映画、時代錯誤の西部劇等、現実性を無視したスター偏重の娯楽作品が大多数を占めていた。その結果、アメリカの映画産業も日本と同様、斜陽産業になりかけていたのである。だから、映画の大きな変換期でもあったし、多くの映画ファンは新しい流れを期待していたのでもある。そして、登場したのがアメリカン・ニューシネマであった。

 アメリカン・ニューシネマというのは、素晴らしいアメリカを謳うような自画自賛の映画ではなく、アメリカの悩める問題にメスをいれ、アメリカの恥部をむしろ披瀝するような現実を直視する映画である。それでこの1960年代後半から1970年代前半にかけて、この手の映画が増えてくることとなる。この時代の映画はスター主義ではなく、作品の娯楽性よりも内容に焦点が定められるようになった。

 『俺たちに明日はない』『卒業』『ワイルド・バンチ』『真夜中のカーポーイ』『明日に向って撃て!』『M★A★S★H』『ファイブ・イージー・ピーセス』『いちご白書』『ラスト・ショー』『フレンチ・コネクション』・・・・・・。何処か青春の匂いがするのは、それまでの娯楽主義のハリウッド映画ではないからだろうか・・・・。そんなアメリカン・ニューシネマの傑作の一つとして『イージー・ライダー』は語られることが多い。

 当時の典型的な若者ファッションというか、長髪、サングラス、ジーンズに身を固め、ハーレー・ダビッドソンの巨大オートバイをカスタマイズし、それに跨って南部へ向かって旅に出る。映画はロード・ムービーなのであるが、その彼等に降りかかるアメリカの現実。自由であるはずの国アメリカで、実は保守的な人による弾圧が彼等を待ち受ける。南部に近づけば近付くほど、外見からしてヒッピー風の2人に対する風当たりは強くなってくる。ある村では保安官をはじめとして村の人が悉く悪意の目で彼等を眺める。とうとう野宿している彼等を村人が襲撃する。難を逃れたキャプテン・アメリカとビリーではあるが、ジョージは殴打され死んでしまう。

 難を逃れた2人は南部深くまで入っていくが、やがては彼等を快く思わない一般の人に爪弾きにされる。これが自由の国であるはずのアメリカの悩める側面なのである。アメリカの保守性を呪訴し自由は微塵も感じられない・・・・・。かつてアメリカの豊かさに触れ、アメリカ文化に憧れた日本は、この時代を境にして目標を大きく失っていく。そして、日本が経済大国として、エコノミック・アニマルとして世界に君臨し始める過渡期であっただろうか。アメリカは自ら、自分の国にダメだしをしたのである。また、そんなアメリカン・ニューシネマ全盛期の頃、どういう訳か私は青春時代を過ごし、アメリカという国に、アメリカという国の文化に嫌気がさしたのも事実であり、まだ成熟度の足りなかった日本の文化にも物足りなさを感じていたものである。

 『イージー・ライダー』のオープニング。ステッペンウルフの演奏による元祖ヘビー・メタル『ワイルドで行こう(Born to be wild)』の曲にのって、2人のオートバイが疾走する。

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2008.01.12 (Sat)

映画『パッチギ!』を観る

 『パッチギ!』2004年製作

 監督 井筒和幸

 出演 塩谷瞬 高岡蒼佑 沢尻エリカ 楊原京子 尾上寛之 
    真木よう子 小出恵介 オダギリジョー

 【あらすじ】1968年の京都。東高校2年の松山康介は、女の子にもてたいということしか興味が無かった。それで、グループサウンズの連中の髪型を真似て女の子の気を惹こうとしていた。そんな折、朝鮮高校と修学旅行生との喧嘩に巻き込まれる。でも東高校空手部と朝鮮高校との間でもいざこざは絶えなかった。そんな或る日、康介は担任の教師の指示から、争いの絶えない朝鮮高校へ親善サッカーの試合を申し込む羽目に成った。そして、親友の紀男と共に恐々、朝鮮高校へ訪れた。すると、そこで康介は、音楽教室から流れてくる美しい旋律に誘われるように、演奏されている教室を覗くのであった。その時、フルートを吹くキョンジャに康介は一目惚れしてしまう。ところが、彼女の兄は朝鮮高校の番長アンソンであることを知る。でも康介はキョンジャと仲良くなりたいがため、ギターを練習しようと思い楽器店へ行く。その楽器店では飲み屋の主人坂崎がギターで、この前に朝鮮高校で聴いた美しい曲を弾いていた。聞くところによると、その曲は朝鮮分断の悲しい現実を歌った『イムジン河』で、ザ・フォーク・クルセダーズが歌ったが、すぐにレコードが発売禁止になったという・・・・・・・。

 この映画は2005年の正月に映画館で上映していたと思うが、私はあまり関心が無かった。それが、この正月にテレビで、ノーカット放映していたからついつい観てしまったのである。

 パッチギとはハングル語で乗り越える、突き破るといった意味であり、また、頭突きの意味もある。・・・・・この物語は1968年の京都が舞台である。映画では、最初の方にオックスが出てきて『スワンの涙』を歌う。もちろん役者がオックスを演じているのだが、ヴォーカルの野口ヒデトやキーボードの赤松愛は雰囲気が似ていた。そこで、少女たちが失神していき、オックスのメンバーも失神するのである。こんなこともあったなあと、私は中学生の頃を思い出さずにはおれなかった。

 この映画は井筒和幸監督の映画である。そのせいか知らないけれど、とにかく暴力シーン満載で、けしてお薦めできる作品ではない。けども現在の日本に公然と存在する歪んだ問題といえば、けして目を背けるばかりでは意味が無いと思う。何故なら、この映画は、どうしても日本が負い目になる朝鮮併合の弊害を題材にしているからである。

 日本が1910年に朝鮮半島を併合して、教育も名前も全て日本式に変えさせた。そして強制連行で日本に連れてきて働かせた。つまり、その子孫の大半が今の在日朝鮮人である。この問題に井筒監督が取り組んだのである。映画は1968年の日本を舞台にした『ロメオとジュリエット』と言えばいいのだろうか、それとも『ウエストサイド物語』といえばよいのだろうか。

 東高校と朝鮮高校との間で抗争があり、互いの高校に在校生として物語の主人公である康介とその彼女になるべくキョンジャがいる。康介はザ・フォーク・クルセダーズが歌った『イムジン河』を彼女に聴かせるために懸命にギターを覚えるのであった。この『イムジン河』は、当時、ラジオやテレビで放送禁止になったし、レコードも発売禁止になった。私は何故、『イムジン河』が発売禁止になったのか、中学生だった当時、その事情がよくつかめなかった。朝鮮総連の抗議があったとは聞いているが、放送禁止、レコード発売禁止にいたる過程は記憶しているが、その理由たるものが釈然としなかった。当時はさほど知識があるわけでもないから、ふーん、そんなものかと思ったぐらいである。

 ところで、この映画で採り上げられるザ・フォーク・クルセダーズが『イムジン河』を歌ってはいけないと、実際に命じられた時は途方に暮れたという。それで仕方なく、フォーク・クルセダーズの3人は苦肉の策で、『イムジン河』のテープを逆回転させ、『悲しくてやりきれない』という曲を変わりに発売したという逸話が残っている。

 この1968年、『帰ってきたヨッパライ』で一躍、時の人となったアマチュアのグループ、ザ・フォーク・クルセダーズ(この時はプロ)が地元、京都のあるホールでコンサートを行ったが、私は姉が余分にチケットを持っていたお蔭で、彼らの歌を生で聴く幸運に恵まれた。その時の印象は、コミックバンドかと勘違いするほど、面白く、端田宣彦が歌の最中に北山修の頭をビニール製の小槌で叩いたり、『ソーラン節』を歌ったり、かと思うと『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を歌ったり、とにかくステージで喋り捲り客を笑わし、まるで漫才トリオのようであったが、その後の日本の音楽界に、彼等が与えた影響や業績を考えると、とても凄い伝説的グループであったのだと、最近は私自身驚いているのである。

 さて、この『パッチギ!』という映画は、日本が戦争で負けたことにより、朝鮮半島が開放されるのであるが、その後に米ソと体制の違う両大国の介入により、民族が分断されてしまう哀しみ怨念、そして日本への恨み・・・・・この映画を井筒監督が撮った本心は何処にあるのか判らないが、一般上映されるようになってから、売国奴だと嫌がらせを受けたり、暴力を助長するような映画だとか、とにかく賛否両論で、話題の多い映画となった。どちらにせよ、ただで転ばない井筒監督ではある。

 ただ暴力シーンが頻繁に出てくる映画にしては、何か清々しく感じるのは、やはりフォーク・クルセダーズの曲のせいかもしれないが・・・とにかく、私の世代にとっては懐かしい曲ばかりで思わず歌ってしまったのである。『イムジン河』『悲しくてやりきれない』『あの素晴しい愛をもう一度』・・・・・ああ、懐かしい・・・・・・・命かけてと 誓った日から 素敵な思い出 残してきたのに あの時同じ花を見て 美しいといった二人の 心と心が 今はもうかよわない あの素晴しい 愛をもう一度・・・・・・・ 

 『パッチギ!』の予告編


 非常に懐かしい映像を発見した。『イムジン河』を歌うザ・フォーク・クルセダーズ  左から加藤和彦、端田宣彦、北山修(1968年のテレビ放送から)

                                
 フォークルも映画に出ていました。


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2008.01.03 (Thu)

古い映画を観る・・・・・『第三の男』

『第三の男』1949年製作 イギリス映画

監督 キャロル・リード
出演 ジョセフ・コットン
    オーソン・ウェルズ
    アリダ・ヴァリ
    トレヴァー・ハワード

 【あらすじ】第二次世界大戦直後の荒廃したウィーン。親友ハリー・ライムの招待でウィーンに訪れた作家のマーティンスであるが、到着するや否やハリーが亡くなったことを知らされる。ハリーの死には3人の男が立ち会っていたという。それで2人の男は判ったが、3人目の男だけが判らなかった。その間、マーティンスは何者かに脅かされ始める。そして、ここから話は思いがけない展開へと進んでいくのである。

 グレアム・グリーンの原作による著名なサスペンス映画であるが、映画のために書いた原作があって、同時にシナリオも書いていたという。このような一流作家によるストーリーもさることながら、何処にこの映画の素晴らしさがあるかというと、モノクロのスクリーンに映されたウィーンの街角である。第二次世界大戦後の物々しいウィーンの光と影。巧みなカメラワークにより見事に陰影で表現し、まさにキャロル・リードの演出が冴えわたっている。また、天才オーソン・ウェルズ演じるハりー・ライムが闇の取引人として姿を現す時。ウィーンの地下水道に消えたハリー・ライムを追うマーティンスとの緊迫した映像。映画の手本ともいえるべきショットが各所に見られ、全体としては優れた映画である。ただ、アリダ・ヴァリ演じるアンナと、ハリー・ライムとの関係や、ジョセフ・コットン演じるマーティンスがアンナに密かに恋心を抱くまでの過程の描きが希薄ではないかと思える。

 考えて見れは僅か1時間半ほどの中で、全てを描ききるのは難しいかもしれない。おそらく、今の時代にリメイクするならば、2時間以上の映画になってしまうだろう。つまり『第三の男』は1949年の映画であることを我々は忘れてしまっている。今の映画人は、これらの見本的な映画があってこそ、よりよい作品を生み出しているのであって、現代の視点から映画の批評をしたところで、あまり意味がないだろう。

 それでなくても、この映画は、ウィーンのプラター公園の観覧車も物語に組み込まれ、随所にウィーンらしき光景が現れてくるし、ところどころに見られる時代というものを十分に感じさせてくれるのだ。そして、あまりにも有名なラストシーンに到るまで、穴がほとんどない。我々が映画を文化として捉えるならば、この『第三の男』などは、歴代に残る映画として殿堂入りは確実である。それ故に覚えておかなくてはならない作品なのである。

 アントン・カラス奏でるツィターの音色で、あまりにも有名な『第三の男』のタイトル曲


 マーティンスはプラター公園でハリーと落ち合う。そして、観覧車に乗り・・・・・


 ハりーの葬式の後、マーティンスはハリーの恋人であったアンナ(アリダ・ヴァリ)を道路の脇で待つ。しかし、アンナは知らぬ顔をして通り過ぎる・・・・これもまた、映画史上に残る有名なラストシーンである

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2007.12.17 (Mon)

古い映画を観る・・・・・『チャップリンの独裁者』

 『チャップリンの独裁者』1940年製作、アメリカ映画

 監督 チャールズ・チャップリン
 出演 チャールズ・チャップリン
    ジャック・オーキー
    ポーレット・ゴダード
    チェスター・コンクリン

 【あらすじ】第一次世界大戦の末期の1918年、トメニア帝国の敗戦が濃厚であった。そんなトメニアに革命が起こり、窮地に追い込まれた政府は平和交渉に務めていた。ですが前線の兵士は自軍を信じ国のために戦っていた。そんな前線に兵隊のユダヤ人床屋がいた。彼は何をやってもヘマばかりで、兵隊としては役に立たなかった。そんな最中、負傷した政府の高官シュルツを飛行機に乗せて脱出する。だが、飛行機操縦の出来ない床屋は、シュルツと共に不時着する。シュルツは平和交渉のための文章を託されていたが、戦争は終わったと聞かされる。

 終戦後、大不況になりトメニアに反乱が起き、ユダヤ人床屋とそっくりのヒンケルが政権を握り、独裁のもとに社会は統制され、基本的人権は認められず、体制を固めていくのであった。ラジオからは独裁者ヒンケルの演説が流れる「民主主義は無用だ。自由は不快だ。言論の自由は必要なし。トメニアは最強だ。海軍も最強だ。現状維持には犠牲が必要だ」

 ユダヤ人街に戻った床屋は、不時着のショックで記憶喪失になり、何も知らなかった。やがてヒンケルの突撃隊が街にやって来ては窓にユダヤと書いて立ち去る。床屋は、それを消そうとして突撃隊ともみ合いになり、捕らえられ街灯の柱に吊るされるところをシュルツ高官に助けられる。かつて床屋にシュルツ高官は救出されたからだ。

 独裁者ヒンケルは、ユダヤ人を抹殺してアリアン人だけの国を作らねばならないと考えていた。そして、まずは隣国オスタリッチに進駐して世界征服する野望を持っていた。ヒンケルはユダヤ人街の襲撃を部下に命じ、穏健派のシュルツを失脚させる。

 ユダヤ人街に逃げ延びて来たシュルツは、床屋や勇敢な女性ハンナらがいる大家ジェケルの地下室に逃げのびた。まもなくシュルツの捜索で突撃隊がやって来て、屋根裏に逃げ込んだ床屋とシュルツを捕まえ、収容所送りとなる。その間、ハンナとジェケルはオスタリッチへ亡命し、農園を営み大自然に囲まれた束の間の平和な生活を送っていた。一方、ヒンケルはオスタリッチ進駐を巡りバクテリア国の独裁者ナバロニと会談を持つことになる。だがお互いミエの張り合いになり話が進展しない。その頃、床屋とシュルツ士官は軍服を奪って収容所から脱出した。同じ頃、オスタリッチ国境の湖で鴨猟を装いボートに乗っていたヒンケルは転覆したボートから落ち、岸に上がったところを脱走した床屋と間違えられてトメニア兵に捕らえられてしまう。

 ヒンケルのと瓜二つの床屋は軍服を着ていたおかけで、捕らえられたヒンケルと間違われ、入れ代って無事トメニア軍に潜り込むことに成功する。だが、床屋は侵攻したオスタリッチにおいて、民衆とラジオを聞く国民の前で演説することになる。一介の床屋が民衆の前で演説など出来る筈がないが、ユダヤ人を救うには演説するしか方法がなかった。そして、床屋は一世一代の名演説を見事に繰り広げる。

 『チャップリンの独裁者』という映画は、チャップリン初のトーキー映画で、チャップリンの肉声が初めて銀幕で披露されたのである。サイレント映画に拘っていたチャップリンが、何故トーキー映画を撮ったのだろうか。疑問に思うがトーキー映画でしか表現しきれない何かがあったのだろう。科白によって表現出来るトーキーとサイレントでは、そこには大きな壁がある。そこでサイレント映画に限界を感じたチャップリンがとうとうトーキー映画に手を染めたのだと考えられる。何故なら、この映画は全編、ナチズム、ファシズムへの皮肉、風刺の連続で、チャップリンと誕生日が数日しか違わないヒトラーへの痛烈な罵倒である。既に世の中の映画人がトーキーに目を向けている時代にあって、サイレントに拘り続けたチャップリンが、山高帽、ドタ靴、ステッキというトレードマークを捨ててまでトーキー映画に取り掛かったのは、最後の演説シーンでチャップリンの思いを是非、伝えたかったからだろう。

 この最後の演説で何を語るべきか・・・・チャップリンはトーキーという音が出る長所を充分活用して、ヒトラー批判をやりたかったという以外ないと思う。全てが最後の演説シーンに集約されているように、チャップリンは世相の不穏な動きに危機感を抱き、是非、自分の肉声で世に訴えるべきであると使命感に囚われていたのかもしれない。

 ところで、そんな事、世の映画人なら誰でもやっていると思わないで欲しい。ナチズム、ファシズムへの批判なんて、1940年当時に、いったいどれだけの人が堂々と行っていただろうか。第二次世界大戦終結後、ナチス・ドイツの蛮行が明るみに出て、ニュールンベルク裁判で裁かれてから、世の中はヒトラーを独裁者として徹底的に悪人扱いにしているが、これも現在を生きる人間からの見地で物事を片付けるからであって、ナチスが政権を掌握しだした頃は、ドイツ国内は勿論のことドイツ国外でもヒトラーを推す人が少なくなかった筈だ。

 そんな時代に、ヒトラーを悪しき独裁者として訴え、皮肉ったチャップリンの先見性と平和を愛する豊な心が、この映画を撮らせたのである。従って、現在の今、観ても立派な反戦映画として観ることが出来るし、その時代を先取りする卓越した感覚にチャップリンの凄さを垣間見るのである。

 地球儀を模った風船を手玉に取る独裁者ヒンケル。
 ワーグナーの『ローエングリン』第一幕への前奏曲が流れるところは、ワーグナーの音楽が好きだったヒトラーを見事に風刺している。この映画を観たヒトラーは激怒したという・・・。


 最後にはヒンケルに間違われた床屋が世紀の名演説を繰り広げる。

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2007.12.05 (Wed)

吾が青春時代の映画を観る・・・・・『卒業』

 映画『卒業』というと、内山理名、堤真一の出ている日本映画だ。うん、正解である。でも私がここで紹介する『卒業』というのは、1967年に製作されたアメリカ映画のことである。

 『卒業』1967年製作、アメリカ

 監督 マイク・ニコルズ
 出演 ダスティン・ホフマン
    キャサリン・ロス
    アン・バンクロフト
    マーレイ・ハミルトン
    リチャード・ドレイファス

 【あらすじ】東部の一流大学を卒業したベンジャミンは、帰ってきた自宅での卒業記念パーティで、中年のロビンソン夫人と再会する。ロビンソン夫人はベンジャミンに家まで送ってくれと頼み、自宅まで送り届けようとしたベンジャミンを誘惑しようとする。やがて、2人は何時の間にか深い関係となっていた。だが、ロビンソン夫人の娘エレンがベンジャミンの前に現れ、ベンジャミンの両親の勧めでエレンと付き合っていく間に、次第にエレンに牽かれて行く。しかし、その2人の関係を快く思わなかったロビンソン夫人は、ベンジャミンとの関係を娘に告白してしまう。それを聞いたエレンはベンジャミンの前から姿を消してしまう。それから間もなく、ベンジャミンは、エレンが別の男と付き合っていることを知る。そして、エレンはとうとうその男と結婚するという。それで焦ったベンジャミンは・・・・・・とんでもない行動に出る。

 この映画は上映された頃、大変話題になったものである。今でこそ名の知れた俳優タズティン・ホフマンであるが、この映画が事実上のデビュー作であり、実に若々しい。そして、恋人役のキャサリン・ロスも初々しい。また、この映画で最も鍵を握る役柄がミセス・ロビンソンであり、そのミセス・ロビンソンを演じていた女優が、往年の名女優アン・バンクロフトであった。この映画以前では、ヘレン・ケラーの伝記映画『奇跡の人』でサリバン先生を演じていた女優である。この『卒業』では、妖しい魅力を持った年増の女性を演じていて、それも大学を出たばかりの青年を誘惑する役である。

 この映画が上映された頃、私はまだ中学生で、大人の世界は、こんなことも許されるのかと思ったものだ。大学を出た青年を誘惑しておいて、情事にふけ、娘とベンジャミンとの間に恋愛感情が芽生えると、今度は邪魔をしようとする。何というおぞましさだと思った。

 映画の題材は青春映画というには、やや無理があるが、それでも『卒業』は、あの当時の若者に支持された映画であり、我々の若き頃の青春映画のバイブルのようなものだった。ちょうどサイモン&ガーファンクルの活躍期でもあり、映画の冒頭から彼らの『サウンド・オブ・サイレンス』が流れ、映画の挿入曲として『ミセス・ロビンソン』が映画の要のシーンで演奏されるのだった。

 恋人の母親に誘惑され、それにより自分から離れていった彼女が、実は結婚するということを知った時、結婚式の行われる教会まで押しかけて行って、花嫁を略奪するというとんでもない結末になっているが、この映画は、最後のどんでん返しで全てが終わってしまうのでない。実は、ここから多難な人生が始まることを暗示させる結末であり、卒業から新たなる一歩が始まる映画だということを認識するのに十分であった。だからある意味で青春映画であり、青春を卒業するといった意味で、これからの艱難辛苦を連想させる映画なのである。

思案にふけるベンジャミン このシーンには『サウンド・オブ・サイレンス』が流れていた。


結婚式の行われる教会へ急ぐベンジャミン。


 そして有名なラストシーンの花嫁略奪。青春の卒業から苦難の道が始まろうとしている。

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