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2008.04.20 (Sun)

造幣局桜の通り抜け

 大阪の天満に造幣局がある。1871年に大蔵省造幣寮として創設され、1877年に造幣局と改称されているから歴史は130年以上と古い。そして、広島と東京にも造幣局があるが、こちらは何れも支局なので、本局である大阪の造幣局で日本の貨幣や記念コイン、記念メダル等の大半が造られていることになる。それで、この大阪の造幣局の側道に創設当初から桜の木が植えられていて、このほど花が満開になり見頃となったので、恒例の桜の通り抜けが始まった。そこで私は、大混雑も覚悟の上、人混みに紛れて写真を撮ってきたので、ここに掲載してみることにする。

 ここの桜は遅咲きの八重桜、山桜、里桜、豆桜が中心なので今が見頃となる。日頃、見慣れているソメイヨシノと違って色が濃く、満開になると幾重にも花びらが重なり合うのでそれは派手である。でも原種も入れると桜の種類というのは、こんなに多かったのかと感心させられる。

 造幣局の通り抜けは1883年(明治16年)から行われているというから、その歴史は古いことになるが、ここの桜を1967年(昭和42年)に広島支局へ移植して、1991年(平成3年)から広島でも同様の行事『花のまわりみち』が行われるようになった。

 造幣局の桜の通り抜けは南側から北への一方通行なので、通り抜けといわれるのであるが、120種、400本の桜が植えられていて、彩りも鮮やかである。

 下の写真は何れも造幣局の建物で、正門から撮った写真と、旧正門から撮った写真である。
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 とにかく御託を並べてもしょうがないので、写真をご覧ください。(写真をクリックすると拡大します)
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2008.04.15 (Tue)

道頓堀の看板を眺める

 赤い灯 青い灯 道頓堀の
 川面にあつまる恋の灯に
 なんでカフェーが忘らりょか

 昨日に続いて、また道頓堀の話しで恐縮であるが、上の詩は昭和3年(1928年)、京阪神にある松竹座で、映画の幕間劇として岡田嘉子一座の寸劇『道頓堀行進曲』が上演された際、その劇中で歌われた曲の歌詞である。この歌は暫くしてレコードとして発売され、全国的に知れ渡ることとなる。このように昭和3年で、すでに道頓堀というのはネオンサイン煌く賑やかな繁華街であったということが解る。でも有名なグリコのネオンサインというのは、初登場が昭和10年(1935年)なので、この歌が流行っていたころは、まだお目にかかれなかったのである。その当時は、どんなネオンサインが街を照らしていたのか知るはずもないが、さぞや派手だったのだろう。

 そんな道頓堀であるから、派手な看板が昔からあったのかどうか判らないが、現在の道頓堀は『くいだおれ太郎』がなくなるといっても、知らぬ間に見たことのない派手な看板が姿を現していたりして、それこそ目立ったもの勝ちといった様相である。或る店が派手な看板でアピールすると、一方の店はそれに対抗して、負けじと派手な看板を店頭に飾り付けるといった具合で、いたちごっこの有様である。それが互いにエスカレートして、現在のような派手な看板がいたるところで見受けられる道頓堀になってしまったのではないだろうか。それで今回、道頓堀界隈で特によく目立つ看板を写真で撮ってみたのでご紹介するとしよう。

 まずはお馴染みの『かに道楽』である。この『かに道楽』は、直轄店として関東や新潟、浜松、中国、四国に店舗があり、また系列店として北海道にも似たような店舗があって、この本店と同様の動く蟹の看板が飾ってあるので、さほど珍しいこともないが、ここの蟹は全国の支店の蟹よりも大きく、ちょうど戎橋商店街と道頓堀の商店街が交差するところにあるので、みんなが写真を撮っている。
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 こちらは『づぼらや』である。大きなふぐ提灯といったような看板だが、看板の形態どおり「ふぐ鍋、てっちり」等のふぐ料理専門店である。でもこの道頓堀店は支店である。本店は通天閣のある新世界。こちらの本店も当然のように、ふぐの巨大看板がある。
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 こちらは比較的に新しい看板。たこ焼きの『赤鬼』の看板である。美味しいのかどうか知らないけれど、とにかく何時も人が並んでいる。ここのたこ焼きと『大蛸』のたこ焼きは行列をなしている。行列しているから美味しいと思うのか、それとも観光ガイドに載せてあるのか知らないけれど・・・・・・。食べてみたいとは思わない。
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 これは『金龍ラーメン』の看板。豚骨風スープのラーメンである。すぐ近くの『神座』は、あちらこちらに支店を出したせいか味は落ちたという人は多い。こちらは今のところ、遠方に店舗を出す気はないらしい。
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 このタコの看板は見ての通りたこ焼きの『くくる』。たこ焼きと明石焼きの店で、ここも全国展開している関係から特徴のない味だという人もいる。
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 最後の看板は明治製菓の『カールおじさん』の看板。道頓堀では最も新しい巨大看板で、3月26日に設置された。毎時00分には、『カールおじさん』の帽子が上がり、中から『ケロ太くん』が姿を現す。また15時になると、ビジョンに和田アキ子が登場し、メッセージと共に時刻を知らせる。でも明治製菓といえば東京資本の会社である。何故、道頓堀に自社の製品の看板を設置したのかといえば、社内会議で、どうせなら大阪の道頓堀に掲げようと決まったらしい。つまり巨大な派手派手看板は、道頓堀ということになっているらしい。だから看板を設置する時に、道頓堀では大先輩にあたるグリコの本社(大阪市西淀川区)にまで行って挨拶したらしい。でもこの『カール』はうすあじで、関西限定販売とのこと。
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 さあ、何年かしたら道頓堀に新しい看板が設置されているかもしれない。10年後にはどうなっているやら・・・・・・。
                                                    
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2008.04.14 (Mon)

くいだおれ太郎は?

 7月で閉店が決まった食堂ビル『くいだおれ』。店の名物『くいだおれ太郎』の横には観光客が必ず並んで写真を撮っていく。
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 何時も何時も『くいだおれ太郎』の周辺は黒山の人盛り。
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 大阪の道頓堀にある総合食堂ビル『くいだおれ』が閉店することになった。創業は古く戦後の1949年6月にオープンしたという。当時は贅沢な食べ物がない時代で、さぞや繁昌したことであろう。その時から屋号は『くいだおれ』だったらしい。創業者の山田六郎という人は面白い人で、オープンしてからまもなく店の前に機械仕掛けの人形をおけば子供が喜ぶと思いつき、チンドン屋のような派手な格好をした人形を店頭に立たせた。それが『くいだおれ人形』である。赤と白の縦縞模様、ピクピクと動く眉毛、丸い黒縁眼鏡、尖り帽子、背中に大きなドラム、腰には小太鼓を携えている。そんな食堂とは何の因果関係もない動く人形が、一日中、店頭で愛想を振りまいている。

 このようにして『くいだおれ』の前に立つ、『くいだおれ人形』は誕生から58年が経過するというが、当初は知る人ぞ知る程度の知名度であった。それが何時の間にか大阪を代表する全国の顔になってしまった。でもとうとう7月で店が閉店するとなると、この人形も同様に姿を消すことになるのだろうか。

 思えば私が小学校に入った頃、今は亡き親父に道頓堀へ連れていってもらった頃から、すでにこの人形は存在した。なんかロイド眼鏡をかけた変な顔をした人形が太鼓を叩いているというぐらいの印象でしかなかった。親父に連れられて、確か何処かの芝居小屋で漫才を見たのだが、はっきり覚えていない。今と違って当時の道頓堀は、今のように観光客はあまりいなかった。道頓堀五座と言われるだけあって、芝居小屋が並んでいたものだ。だが現在、歌舞伎、演劇、寄席等の興行を行っているところは松竹座とB1角座のみである。

 昔は道頓堀というと浪花座、中座、角座、弁天座、朝日座と芝居小屋が並び、それこそ歌舞伎、人形浄瑠璃、芝居、仁輪加、浪曲、落語、漫才が毎日、各小屋で行われており、それらの人が集い、観劇の前や後で食事をする人を目当てに食堂が軒を連ねていたところなのである。

 戦後になって道頓堀も活況が続いていたが、テレビの時代になり、人の娯楽も多様化していき、芝居小屋がだんだんと閉鎖に追い込まれ、道頓堀も昔の光景とは一新してしまった。でも、そんな中で50年以上も道頓堀に立ち続けたのが『くいだおれ人形』である。街の歴史を見てきたのだろうか、すっかり様変わりしてしまった道頓堀。今はパチンコ屋、ゲームセンター、カラオケ店、レンタルビデオ屋、場外馬券・・・・・老舗の食堂は姿を消していき、後はファースト・フードのチェーン店、たこ焼き屋、ラーメン屋が多くなり、観劇に来る人は消えてしまい、訪れる人の大半は今や観光客である。

 つまり道頓堀は観光客相手の店舗が増え、昔ながらの店が消えていったのである。そんな中で『くいだおれ』は、総合食堂ビルということもあって、以前は物珍しさもあって人も入っただろうが、今は食通のグルメ気取りの人に受けなくなってしまったのだ。それに現在、道頓堀に居並ぶ店舗で、あまり美味しいと思える店はほとんどない。これは大阪の食通なら誰でも知っている事実だ。でも観光客が大勢来るので、黙っていても客は入った。でも最近の日本人は1億総グルメとかで、総合食堂ビルなんてものには行かないのだ。

 このあたり、店の方針が世間の流れにそぐわなくて、店舗閉鎖にまで追い込まれたのであろう。今や総合食堂なんて誰も行かなくなった。百貨店の大食堂で日の丸の旗が刺してあった『お子様ランチ』を食べて喜んでいた子供達など今は過去のこと。今の子供は小さい頃から回転寿司でトロを食べている。だから総合食堂なんて連れて行ってもらっても喜ばない。要するに子供でさえ食通を気取る時代である。とりたてて特別、美味しいわけでもない『くいだおれ』の料理(失礼!)・・・・・時代が変わってしまったといえばそれまでだが、店の閉鎖もやむを得ないか。

 とはいえ、『くいだおれ人形』が消えるのも寂しい気がする。この場所にあるのが当たり前のように思っていただけに、突然、いなくなるとどうなるのだろうか・・・・・・・。でも人形を譲ってくれという依頼は殺到しているという。いっそのこと、この店舗ごと買ってもらって、新たに違う商法で勝負して欲しいと思うけど・・・。『くいだおれ太郎』は道頓堀にいるから、価値があるのであって、それ以外のところに行ったからといって何の価値があるかと思うのだが・・・・・・・。
                                                           
EDIT  |  20:24  |  近場散策  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

2008.04.06 (Sun)

京都の桜も満開です②

 琵琶湖疎水縁の桜並木を歩いていると岡崎公園に到着した。この付近には京都会館、国立近代美術館、京都市美術館、細身美術館、京都市勧業館、京都府立図書館、京都市動物園、平安神宮がある。その琵琶湖疎水は、さらに上流に繋がっていて蹴上のインクラインへと続くのである。 

 1番左の写真は京都会館の前の疎水である。左から2番目と3番めは平安神宮の境内にある左近の桜である。下段の2枚の写真。左は京都国立近代美術館と桜、右は京都市美術館と桜である。(写真をクリックすると拡大します)
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 岡崎公園から神宮通を南へ歩くと巨大な知恩院の三門が見えてくる。久しぶりに石段を上って三門をくぐり本堂まで行ってきた。(写真をクリックすると拡大します)
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 知恩院の南側には円山公園が拡がっている。そして、公園の中央には枝垂桜があるが、最近はカラスにつつかれて哀れな姿を留めている。でも周辺は物凄い人盛りで、みんな枝垂桜の写真を撮っている。・・・・・・何れにとても円山公園は人、人、人でごった返し身動きが取れない。(写真をクリックすると拡大します)
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 円山公園から清水寺へ抜ける「ねねの道」は、人混みで思うように進まない。東京や大阪の繁華街なみである。(写真をクリックすると拡大します)
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 八坂の塔の前から脇へそれて、四条木屋町までやって来た。ここは京都の歓楽街なのであるが、高瀬川が流れる淵には、ご覧のように桜が植えられてある。京都有数の歓楽街も、ネオンに混じって桜が彩りを加えるのである。(写真をクリックすると拡大します)
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EDIT  |  13:57  |  近場散策  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2008.04.06 (Sun)

京都の桜も満開です①

 このところの陽春に誘われて京都の桜も満開になったようである。そんな折、ふらりと桜の見学がてらに出かけてみた。何処に行こうかと悩んだが、とりあえず思いついたのが嵐電に乗ることだった。嵐電というのは、京都市内を走っているローカル鉄道のことで、正式には京福電気鉄道のことである。路線は嵐山本線と北野線の2路線。総延長でも僅か11㎞というコンパクトな鉄道である。起点は四条大宮で、ここから終点の嵐山までが嵐山本線、そして途中に帷子ノ辻(かたびらのつじ)という駅があって、ここから北野白梅町へ行く北野線が分かれている。最近は京都の人だけでなく、レトロブームとかで京都を訪れた観光客にも人気があり、このノロノロと走る2両連結の電車は春秋の観光シーズンには、何時も満員となっている。とにかく何処まで乗っても200円の均一料金なので、けっこう使い勝手が良い。

 それでこの北野線には桜のトンネルとして人気のあるスポットがあり、桜が咲くシーズンになると鉄道マニアが写真を撮りに来るので知れ渡っている。それは北野線の鳴滝~宇多野の間で、この単線区間は桜が線路の両サイドに植えられていて、満開になると電車が桜並木をくぐるように走り抜けて行く。

 そして、私も一度、写真を撮ってみたいと思い、わざわざ出かけてきた。鳴滝には嵐電で何度か通過しているが、桜の咲く季節には乗ったことはない。それで鳴滝で降りて、現場まで行ってみた。すると線路を見下ろす位置に10数人カメラを構えたマニアがいた。さっそく私もポイントにカメラを向けた。それが下の画像である。
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 線路を見下ろすところで写真を撮った後、今度は桜並木の線路脇まで下りて行った。下の写真は何れも、鳴滝~宇多野間で撮った写真である。(写真をクリックすると拡大します) 
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 せっかく鳴滝周辺まで来たのだから、周辺を少し歩いて見ることにした。すると、暫く歩くと仁和寺の五重塔が見えてきた。それでついでだから入ってみたが、ここの遅咲きの御室桜は、ようやく蕾になりかけている。

 五重塔とソメイヨシノだが、桜に迫力がない。
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 左は御室桜の樹木。右は中門から双ヶ丘方面を眺めたもの。(写真をクリックすると拡大します)
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 北野白梅町まで嵐電に乗り、そこから京都御苑まで延々と歩き、蛤御門から御苑内に入る。明治維新までは、天皇の住居である御所を囲む公家の屋敷が並んでいた所である。今は緑地帯で市民の憩いの場である。だが、相変わらずだだ広い。学生の頃はそれこそ頻繁に来たものであるが今回、久しぶりに訪れて見た。

 御所を取り囲む土塀付近は閑散としている。それでも御苑内は桜の木が所々に見かけられ
花見客も多い。(写真をクリックすると拡大します)
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 御苑を出て鴨川までやって来た。荒神橋から丸太町橋までの間の桜は、もう一つだが、この付近も両岸に桜の並木が連なっていて、花見客が大勢いて賑わっていた。(写真をクリックすると拡大します)
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 鴨川沿いを下流に向って歩いて行くと、疎水縁の桜並木に遭遇する。ここは昔から知る人ぞ知る桜の名所。あまり観光客も来ないので、ゆっくりと見学できる。冷泉通の側を流れる疎水の淵に桜が植わってあり、ここの桜は見事である。・・・・・この疎水と覆いかぶさる桜の木が岡崎公園まで続いている。(写真をクリックすると拡大します)
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 次回に続く。
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2008.04.03 (Thu)

桜も咲きました

 関西もようやく桜が咲き揃ってきた。花見の季節であるが、夜桜を見学すると風をひきそうなほど肌寒い。今年の桜は例年に比べるとどうなんだろうか・・・・・。

 ところで、この染井吉野という桜は、今や桜の代名詞のようなものであるけれども、この世に登場したのが、江戸時代末期と比較的、桜の中では新参者なのである。江戸時代末期、江戸の染井村の職人達によって育成されたからソメイヨシノと呼ばれるようになったのであるが、葉よりも花の方が先に開花することで人気を博し、その後、日本中に植えられるようになり、今では桜といえばソメイヨシノと連想されるほどにまで広まった。でも色は淡く八重桜のように鮮やかさはないし、樹齢は60年ぐらい(中には樹齢100年以上のものもある)と短いなど欠点もある。

 えーさてー、関西の桜の名所といえば、まず第一に奈良県の吉野があげられるが、ここの桜は山桜で、まだ咲いてない。それで近場で咲いているところはないかと考えてみる。それで思いつくのが京都の嵐山である。子供の頃は、花見というと嵐山に行ったものである。でも京都の桜の名所は到る所にあるので、何を今さらという気がしないでもない。それで大阪ではどこかと思いを巡らすと、大阪城公園の桜が有名である。でも人が多すぎて、酒臭い連中がウヨウヨいそうだ。それでもっと近場にないかと考えてみると、桜ノ宮が思いついた。桜ノ宮というだけに桜の名所である。

 大阪に毛馬というところがあり、そこから旧淀川と新淀川に川が分かれるのであるが、旧淀川は今では大川といい、その両岸は桜の名所になっている。特に上流の毛馬橋から下流の天満橋までの間は、桜の木が植えられていて、今頃ともなるとソメイヨシノが見事に花を咲かせるのである。

 帝国ホテルと桜。
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 大川を挟んで対岸を望む。大阪ビジネス・パークが近くに見える。
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 桜の木々の向こうにはOAPと大阪城が小さく見える。
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 大川を遊覧船が・・・・
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 向こうに見える二段の橋は天満橋。あの橋を潜ると中之島である。
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