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2007.11.10 (Sat)

都心のフリーフォール

 この建物は大阪の難波、御堂筋と千日前通が交差する北東角に、まもなくオープンする複合レジャー施設『なんばヒップス』である。設計は高松伸で、パチンコ、スロット、アミューズメント、リゾートを経営する平川商事が建てたビルである。

 面白い構造をしているが、砂時計の形をした空洞に赤いレールが縦に繋がっているが、これは何かというとフリーフォールなのである。大阪にはアミューズメント施設が備えてあるビルが珍しくないが、これもその中の一つである。フリーフォールの名称が「ヤバフォ」と決まったそうで、地上74mから秒速22mで、60m落下するらしい。眼下は御堂筋で、道路に向って落ちていくような感じになるのだろうか。まもなくすると、大阪の繁華街で絶叫が聞けるのかも・・・。私は乗りたくは無いが・・・・。
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 このゴンドラが1番上まで上がっていくのだろうか・・・・。
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 おそらく、ここが乗降地点と思われる。でも最初は珍しさも手伝って、行列が出来るだろうが飽きられることはないのだろうか・・・・。
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 なんばヒップスから、ほど近いところにはディスカウントストア『ドン・キホーテ』が運営する観覧車『えびすタワー』がある。こちらは2005年3月17日に営業を開始した。今でも道頓堀を訪れた観光客が乗っていくらしい。高さは77.4m。
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 そもそも、ビルの上にアミューズメント施設を設けて営業を開始したのは、1997年7月18日にオープンした『フェスティバルゲート』が最初かもしれない。でも、この手のアミューズメントは飽きられると終わりである。営業が破綻してしまい、無残にも今年の5月で運行を停止した『デルピス・ザ・コースター』の跡が痛々しい。第3セクターが運営していただけに、経営手腕も問題があったかもしれないが、造った場所に問題はなかっただろうか・・・。JR環状線の新今宮駅前といえば、かの「あいりん地区」の隣ですよ。昼間から浮浪者が寝転がっているし、とても女性が1人で行けるようなところではいのだから。
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 本当に大阪は面白いものを次から次へと造るなあと、妙に感心したのが、1998年11月28日にオープンした『HEPファイブ』。このHEPとは、阪急エンターテインメント・パークの略で、目玉は世界初、ビルの中に搭乗口のある大観覧車で、直径が75mある。観覧車がビルの上に突き出していて最高地点での高さが106m。でも隣の阪急グランドビルやアクティ大阪ビルの方が高いので、見晴らしはどうだろうか。私は乗ったことがないのでなんとも言えない。しかし、大阪は目立つものがよく建つが、何れも何10年か先には取り壊されて、新しいものに替わってしまうのだうろなあ。
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2007.10.20 (Sat)

キリンプラザよ、さようなら!

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 大阪の名所、道頓堀川に架かる戎橋の袂にあるキリンプラザ大阪が、今月末で営業を停止し、取り壊されることとなった。まことに残念である。

 キリンプラザといっても、大阪以外の人には何のことか判らないと思うが、1987年に麒麟麦酒が建てた建造物で、館内にはエントランス、地ビール工場、ビアレストラン、アート書籍売り場、カフェ、現代美術ギャラリーがあり、その文化的見地から見ても建築学的に言っても存在感のある建物だったのである。

 建築家・高松伸の代表作として知られ、1989年のアメリカ映画『ブラックレイン』では、クラブ・ミヤコとして使われ、猥雑でアナーキーな映像を撮るリドリー・スコット監督が上手く演出していたので、知る人ぞ知る建築物であった。映画は日本のやくざとニューヨーク市警、大阪府警を含めた抗争を題材とした映画であり、マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、ケイト・キャプショー、高倉健、若山富三郎、神山繁が出演していたので話題になったものである。そして、なによりも癌に罹りながらも無理して出演した松田優作の遺作となった作品として有名であった。そんな映画の中で、キリンプラザは夜空に煌々と巨大な行灯のような白い光を燈していて、それが余りにも印象的であった。

 そんなキリンブラザが建てられてから、まだ20年にしかならないのに、早くも取り壊されるというのは、なんとも惜しい気がする。ちょうど大阪に観光に来る人は、まず道頓堀に行き、グリコのネオンサインの前で記念写真を撮るというのが定番のようであるが、その道頓堀川を挟んで対角線にある建物がキリンブラザなのである。

 独特の外観と、内部とのコントラストの違いをも含め、派手な看板、広告の目立つこの周辺では、地味な色合いと共に異彩を放っていた建物だったのである。それが、何故、壊されるのか理解に苦しむが、とにかく今月末で閉館の憂き目に遭い、解体され、土地は売却ということである。最近は大阪の都市部を含め、どんどんと古いものが壊され、新し物へと建て替えられていく。この道頓堀界隈も、昔は芝居小屋が五座あったことから芝居の街とされていたが、今は何の面白味もないパチンコ屋、カラオケ屋、ゲームセンター・・・・こんなのばかりで、観光客は多いが、何処にでもある繁華街に成り下ってしまった感がある。せめてキリンプラザは残しておいて欲しかったが、これも時代の流れであろうか・・・。私は、キリンプラザの前身であるキリン会館内の映画館で、映画『スター・ウォーズ』ともう一本を観た覚えがある。そういえば映画館がシネマ・コンプレックスに代わってしまい、映画を観に行く気もだんだんと起こらなくなってしまったが、昭和は遥か遠くになってしまったのだろうか・・・。

 この跡地に何が出来るのか判らないけども、せめてパチンコ屋だけは造らないで欲しいと切に願うのである。

映画『ブラックレイン』のシーン集

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2007.10.15 (Mon)

京都国際マンガミュージアム

京都国際マンガミュージアム
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 一昨日の土曜日の午後、京都国際マンガミュージアムに行ってきた。京都国際マンガミュージアムって何だ? と言う人に説明すると、2003年4月、日本で唯一のマンガ学科のある大学として知れわたっている京都精華大学から、京都市に京都国際マンガミュージアムの計画を持ち込まれ、京都市と大学が共同研究する中で、地域の色々な方の理解と協力を得て開館されたマンガのミュージアムである。

 場所は烏丸御池という京都のビジネス街の中、もともと龍池小学校のあったところで、閉校されていた建物が残っていたので、改築され昨年の11月にオープンしたのである。所蔵するマンガ資料は20万点というから、日本のマンガミュージアムでは最大で、日本の貴重な歴史資料から現代の人気作品、世界各国の名作まで保存されている。

 私は地下鉄に乗って御池駅を降りて地上に上がると、すぐに場所が判った。小学校が昔からあったことを記憶していたので、探しやすかった。グラウンドが烏丸通に面していて、グラウンドの西側と北側にかけてはL字型の建物が立っている。入り口で500円を払うが入場券を見せれば、その日の間は何度でも出入りできるという。館内に入ると、小学校を改築したということが判り、教室程度の大きさの展示室が幾つか分かれている。

 1階正面には140mの書架に4万冊が並ぶ「マンガの壁」が威容を誇り、閲覧は自由なので、子供達や大人達が、館内の椅子に座ったり、グラウンド一面に敷かれた人工芝の上に寝転がってマンガを読みふけっていた。あいにく私は、ただ見学に来ただけなので、マンガを読もうとは思わなかったが、今後も資料は増やしていくとのことであった。

 地下1階には資料所蔵、研究展示ギャラリーとなっている。1階は喫茶店が入り口の横にあり、マンガのキャラクターのグッズ等を売っているショップもある。さらに奥へ行くと子供図書館、似顔絵コーナー、マンガの描き方の実演を見ることが出来るマンガ工房、各作家が描いた舞妓の絵の展示コーナー等がある。2階に上がるとギャラリーが幾つかあり、未来マンガ研究室と紙芝居コーナーがある。

 拍子木を打ち鳴らしながら歩いている親父さんがいるので、付いて行ったらかつて教室だったろうと思われる所に椅子が並べてあった。そこへ座っていると、先ほどの親父さんが、これから紙芝居をするというので見ることにした。そういえば私も小さい頃は紙芝居というものに接したことがあるが、それ以来の体験かもしれない。・・・ところで、この日の紙芝居で採り上げた話は例によって『黄金バット』であった。また、ここでは創作紙芝居もやっていて、この日は『桃太郎?』であった。・・・・何故?がついているかというと・・・・・・昔、昔、ある所におじいさんとおばあさんが、いませんでした。おばあさんは川で洗濯をしていませんでした。川の上から大きな桃がドンブラコドンブラコと流れてきました。それで海まで流れていきました。・・・・桃は、その後に鬼ヶ島へ流れ着き、桃太郎は鬼に育てられ、村を襲いました・・・・・・・何という結末だ。

 さらには3階へ上がって行くと、マンガ研究室、閲覧室等があり、検索機もあるので、ほとんどのマンガは読もうと思えば見つかるということだそうな。マンガの所蔵品は、今後も増えていきそうであるが、手塚治虫の『ジャングル大帝』フランス語版や青山剛昌の『名探偵コナン』中国語版なんていうのもある。

 私の子供の頃は、マンガばかり読んでいると親に叱られたものであるが、今や日本のマンガはサブカルチャーの優良な輸出品で、世界中で読まれているというから時代も変わったものである。かつての田川水泡『のらくろ』や手塚治虫の数々の作品に、最近のヒット作品まで、全てを網羅してあるのだが、あまりに多すぎて、いざ、何を読めばいいのか困ってしまう。でも今の子は、これだけの中から自分が読みたいものだけを手にとって、館外の人工芝の上に寝転がって夢中で読んでいる。この光景は、昔も今も変わらない。マンガを読む子は、何もテレビゲームばかりをやっているのでもなく、テレビばかりを見ているのでもない。・・・私はここでの子供達の姿を見て、少々、日本の将来に希望が持てるようになった。でも、これは楽観的過ぎるかな・・・・・・・・・?
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2007.09.29 (Sat)

なくなった喫茶店

喫茶『みゅーず』のあったところ
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 ようやく気温のうえでは秋らしくなったが、また来週辺り暑さがぶり返すという。もう10月だというのに、どうなってるのだろうか。異常気象もとうとうここまできたか・・・・・・。

 今日は京都の歓楽街・四条河原町周辺へ出かけてきた。これといって当ても無いのだが、目的もなく繁華街をブラブラすることはよくある。書店やレコード屋(今は言わないか)へ行ったりして、昔は本を買うと必ず喫茶店に立ち寄って、コーヒーの香りに包まれながら煙草をプカプカさせながら読書に耽っていたものである。なのに最近は喫茶店に皆目行かなくなった。何故だろうと自問自答してみたら、煙草を止めたからであろう。煙草を止めてかれこれ10年にはなる。それまでは1日にして、2箱は吸っていたかもしれない。でもだんだんと煙草との相性が悪くなって、喉が何時もゼイゼイとしているし風邪もよくひく。そして、思い切って止めてしまったのだ。すると次第に喫茶店も行かなくなってしまった。そういえば喫茶店に通い始めたのは高校生の頃だったろうか。大人ぶってコーヒーを飲むようになり、喫茶店のマッチなんかを集めていたという覚えがある。

 その頃から、京都の四条河原町周辺にある著名な喫茶店には出入りしていた。当時はまだ市内を市電(路面電車)が縦横に走っていて、何処まで乗っても25円だった(歳が判りそうである)。四条通りも河原町通りも市電が走っていて、市電に乗ると窓から11階建ての喫茶店が見えていたのを思い出す。何時の間にか無くなったが、四条河原町を少し上がったところに確かにあった。店名を11(イレブン)といい、1階から11階まで全て喫茶店なのである。高校の仲間とよく行ったものだ。また四条河原町を少し西に入ったところには『トレッカ』という明るい大きな喫茶店があった。パーラーのような雰囲気でチョコレートパフェといったデザート類が充実していたように思う。でも、2店舗とも何時の間にか消滅し今は痕跡も無い。とはいえ京都というところは、大阪や東京と違い、公家の伝統が生きている街である。つまり犬の都ではなく猫の都なのである。だから、あまり儲かりもしない昔ながらの純喫茶が未だに健在で、古くからの常連客が通い詰めるのである。そのほとんどの喫茶店が老舗と呼ばれるもので、創業から50年なんて店が珍しくない。

 私が高校、大学を通してよく行った喫茶店が姿を変えずに今でも在るから嬉しい限りだが、煙草を止めてからは、その方にもご無沙汰になってしまった。それで四条河原町、寺町、新京極、三条周辺を歩いたついでに昔の老舗喫茶店が在るのか確かめてみた。

 京都の喫茶店というと昔、フォークシンガーの故・高田渡が唄って有名になった『イノダコーヒー』というのが大丸の横の堺町通りを上がったところにある。京町屋風の喫茶店で、知らない人なら通り過ぎてしまいそうな店である。1940年創業で、私も何度か行ったことがある。テラス席というものがあって、コーヒーを注文すると砂糖もミルクもかき混ぜて持ってくるので、知らない人は仰天する。1999年に火事で焼けたのだが、その後、リニューアルオープンした。でも、私は新しくなってからは一度も行ってない。

 三条河原町を下がったところに『六曜社』という間口の狭い喫茶店がある。1階と地下1階からなる喫茶店であるが、ここも創業は1950年と古い。しかし、ここのコーヒーは何度でも飲みたくなる。でも、この店も長い間、行ってない。

 京都に百万遍というところがある。ここは京都大学の本拠地であるが、この近くに『進々堂』いう創業1930年の老舗喫茶店がある。ここは学生だらけで、大きな長いテーブルがあり、読書をしている学生や眠っている者、議論を盛んに繰り広げている者が入り乱れて、長居していたものである。最近は百万遍周辺は近付きもしないので、今もあるかどうか判らない。

 百万遍は行かないが、出町柳にはよく行く。昔は京阪電車の終点が三条だったので、便利が悪いところであったが、今は終点が出町柳というから叡電(叡山電車)に乗り換えるのに都合が良くなったから時々、出町柳には行くことがある。その出町柳には『柳月堂』がある。京都では有名な名曲喫茶で、椅子が全て正面を向いていて、正面にはグランドピアノ、両サイドには巨大なスピーカーが陣取っていて、今でもLP盤でクラシック音楽を聴かしてくれる。昔は各家庭にステレオ・プレーヤーなんてものが無かったから、近くの京大、同志社、立命館(昔は衣笠ではなく京都御苑の横にあった)の学生が聴きに来たという。一度、客足が減ったので閉店したが、ファンの熱望により再開業したという店である。そのためかしらないがコーヒー一杯が1000円と高目である。なお、この店は私語厳禁である。

 三条寺町を上がったところには『スマート珈琲』という創業1932年の店が今もある。最近は知らないが、よくコーヒーとホットケーキを食べた思い出がある。今もメニューとして残っているのかな?

 今も四条通りの烏丸よりに『イシズミ』という喫茶店があるが、昔は新京極の四条側入り口にもあった。1階が婦人服の店で2階が純喫茶だった。確か三条店も同様だったが、喫茶店は経営が難しくなっているのかもしれない。ここの黒い箱に入ったマッチは気に入ってたのだが。

 それでは四条河原町というより四条木屋町周辺の喫茶店に話しを移そうと思う。阪急電車の河原町駅の東口を出て、地上に上がると四条木屋町に出る。すぐ側を高瀬川が流れているが、高瀬川沿いの木屋町通りを少し南に下がると『フランソワ』がある。1934年創業と古く、イタリアン・バロック風の建築物でサロン風な雰囲気である。建築物は文化財でもあるが、京都では特別珍しいことでもない。ここも音楽喫茶でよくショパンが流れていた気がする。

 四条河原町を僅かに上がり、一筋目を東に入ったところに『築地』がある。築地なんて名前は東京の魚河岸みたいだが、どうして『築地』という名前なのかは知らない。ここも創業は1934年と古く、この店舗ともう一店舗が、河原町通りをさらに上がった二筋目を東入って路地を左に曲がったところにも在った。私は、この二筋目にあった『築地』の方が店内の装飾がシンプルだったので、好きだったのだが、こちらの店舗は何時の間にかなくなっていた。よくバッハ等のバロック音楽を聴かしてくれていて、混雑してくると2階の方に案内され、長い時間を友人と雑談して居座ったものだ。ここのコーヒーはウインナー・コーヒーで、私は京都の喫茶店では、この店に一番多く通ったのでもある。

 現在、1店舗だけある『築地』の前を通り抜けると木屋町通りに出る。すると高瀬川が目に入るが、その前に『ソワレ』がある。創業1948年で、店内に入ると薄暗く感じる。照明が青く、ステンドグラスのランプが独特の雰囲気を醸しだす。東郷青児の絵が飾ってあって、女性の多い喫茶店である。私がこの店に初めて行ったのは高校2年の時である。同級生のO君がよく行ってたらしく、彼に連れて行ってもらったのが最初だった。

 『ソワレ』の斜め前、高瀬川の辺に沿って音楽喫茶『みゅーず』がある。というより在ったというべきかもしれない。昨年の5月にとうとう閉店してしまい、現在は建物は残っているが外装が変わり韓国風焼肉屋に変身してしまった。・・・・この店も1954年の創業で、昔からクラシック音楽を聴かせてくれた。私は阪急から京阪電車に乗り換えるとき、この店に入るのが常であった。よくモーツァルトのセレナードが流れていたりしたが、昨年の春に行った時は(これが最後になろうとは・・・)、ワーグナーのローエングリンが店内に流れていた。何故、閉店に追い込まれてしまったのか・・・・おそらく喫茶店は経営が難しくなっているということだろうか。でも、まさかこの『みゅーず』が切っ掛けになって、老舗の喫茶店が次から次へと廃業って事はないと思うが、せめて東京や大阪のように次から次へと新しいものに変わってしまうような愚かな現象を、京都だけは追随して欲しくない。何時までも悠久の時間を過ごせる空間を少しでも残していてくれと、私は願いたいし、そのように在るべきだとも思う。

高田渡と坂崎幸之助がイノダコーヒ本店へ行く

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