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2011.01.08 (Sat)

ビル・エヴァンスのアルバム『ワルツ・フォー・デビー』を聴く

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 この『ワルツ・フォー・デビー』というアルバムはいつ聴いてもみ耳に心地よい。ビル・エヴァンスの確かなピアノとスコット・ラファロのベースが場を和ませてくれる。つまり癒しの音楽なのだ。モダン・ジャズには珍しく、そこにはクラシック音楽を聴いているような整然とした空気が漂う。何故かなと考えてみたら管楽器が鳴ってないからだ。当アルバムの曲はビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)といったビル・エヴァンス・トリオの演奏によるものであるから、数多いトリオの中でも当トリオのメロディラインは全てビル・エヴァンスンのピアノに委ねられているが、ドラムスとベースというリズムセクションとのインター・プレイが聴きものである。それがいわゆる同じコンボでも、トランペットやサックスフォンの入った演奏とは多少違っている。

 ビル・エヴァンスは白人であるが故、白人ピアニストの多くがクラシック音楽を習っていたのと同様、幼い頃からピアノを学んでいて10歳でモーツァルトを弾きこなしていたというから高度なピアノテクニックは折り紙つきのものである。また彼は早くからジャズにも触れ、ジャズピアニストとしての下地は若い頃にすでに出来上がっていたのである。せれ故にラベル、ドビュッシーといった20世紀まで活躍したクラシック音楽の巨匠の影響をも大きく受けていた。彼のピアノは繊細で大胆ではないが、木目細かで典雅なピアノタッチにインター・プレイは後のハービー・ハンコック、キース・ジャレット、チック・コリア等に多大な影響を与えている。

 ところで当アルバムは1961年6月25日、ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで行われたライヴ録音である。このときのライヴは当アルバムともう1枚の『サンデイ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード』に全て収録され、ジャズの名盤として名は通っているが、この時の録音が貴重な録音となってしまったのである。何故なら、このときベースをを弾いていたスコット・ラファロが、この録音から2週間も経たない7月6日に交通事故で亡くなってしまうからである。まだ25歳の若さであった。ラファロはジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアはたったの6年で終焉。またこれによりビル・エヴァンス・トリオは輝きを失う。ビル・エヴァンスにとってはベースはスコット・ラファロ以外に考えられず、インター・プレイもスコット・ラファロがあってこそ可能だったのであるから当分の間、ビル・エヴァンスはトリオとしての活動を停止していた。つまりスコット・ラファロの存在がいかに大きかったかということになるが、確かにインター・プレイという、これまでのドラムス、ベースというメロディ・ラインを提供しないリズム楽器の可能性を高めたのはビル・エヴァンス・トリオの功績によるものである。

 インター・プレイとはリズム楽器であるベースとドラムスがピアノとともにテーマのコード進行を互いに独創的に展開して干渉しあうというものである。ことにラファロのベースはテクニック、アドリブのひらめき4ビートランニングのみに囚われることなく積極的に高音域で対位旋律を弾きリズムとしてのベースの概念を打ち破り、その後のベース奏者のお手本になったことはいうまでもなく、ビル・エヴァンスの内省的なピアノとの愛称は抜群であった。

 ただラファロは麻薬常習者で性格も粗暴だったという。またビル・エヴァンスも麻薬常習者でヘロインを長年において常用していた。その影響は大きく、このヴィレッジ・ヴァンガードのライヴから2年後の同会場でのライヴのときには、右手の指が腫れあがったから右手の神経にヘロイン注射をしたため右手が使えなかったので左手のみでの演奏を行うといった逸話がある。その後、ヘロインを断つことを心掛けるも亡くなる51歳で亡くなるまで麻薬との関係は断ち切れなかったようだ。


 『ワルツ・フォー・デビー』の演奏でピアノを弾くビル・エヴァンス。

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