2013.11.10 (Sun)
ナンシーシナトラを聴く
ナンシー・シナトラって誰っと若い方なら思われるかもしれない。無理もない。1940年生まれだから今年で73歳の老人である。でも小生が小学生から中学生の頃にかけて最も人気のある外国の女性シンガーの1人だった。だから恥ずかしながら小生はフランク・シナトラよりも先にナンシー・シナトラの方を知ったのである。最初に名前を聞いたのは小学生の時でザ・ピーナッツが歌う『レモンのキッス』カバー曲のオリジナル歌手がナンシー・シナトラであるということを知ってからである。しかし、大して気にもしなかった。それが1967年だったかナンシー・シナトラの歌が矢鱈と当時のラジオで流れていたのである。
まず『シュガータウンは恋の町(Sugar Town)』である。♪シューシューシュー、シューシューシュー、シューシューシューシュー、シューシュー、シューガータウンという覚えやすいメロディと歌詞で瞬く間にヒットしたのである。かと思えば直後にはフランク・シナトラとのデュエット曲『恋のひとこと(Somethein’ Stupid)』がヒットした。これもバラード調の覚えやすいメロディで、小生は同じシナトラなのでナンシー・シナトラの夫かと思っていた。それで姉に聞いたら何と親子だというではないか。それも世界的に有名なエンタティナーだという。それで父フランク・シナトラの存在を知ったという訳である。つまりナンシー・シナトラこそ親の七光歌手だったのである。でも親の威光をちゃっかり利用してきっちりヒット曲を連発するあたり並みの七光ではないことを証明したのである。もっとも前年の1966年にフランク・シナトラの『夜のストレンジャー』がヒットしているのにも関わらず、ナンシー・シナトラのことは当時は全く意識していなかったのである。
さて1967年はナンシーの当たり年だったのか、その後も『007は二度死ぬ(You Only Live Twice)』、『サマー・ワイン』(リー・ヘイゼルウッドとのデュエット)とヒット曲を連発。ところが絶頂期はこの頃までで、それ以降もレコーディングはすれで大ヒットには恵まれなかった。デビュー時は可愛い娘チャン路線で売り出し、途中からセクシー路線へと変わって行ったナンシー・シナトラである。けして美人ではないが何処か小悪魔的な雰囲気があって当時は絶大な人気があったものだ。
ナンシー・シナトラは父がいわずと知れたフランク・シナトラで母がフランク・シナトラ最初の妻であるナンシー・バルバド。つまり母の名前をそのまま受け継いだのである。西洋ではよくある習慣だが、女の子に母と同じ名を継がす場合もあるのだな。1940年6月8日、ニュージャージー州ジャーシーシティで生まれ、その後、南カリフォルニアに移る。ナンシーはフランクの最初の子で、4歳下に弟のフランクリン、8歳下には妹のクリスティーナがいる。それでナンシーが10歳の時、フランク・シナトラと母ナンシーは離婚してしまうのだった。その頃からナンシーはピアノ、13歳でダンスを習い始め、15歳からは歌と踊りのレッスンを始めたのである。大学は南カリフォルニア大学で経済学を専攻。さらにピアノ、発生、ダンス、ドラマ等の勉強に勤め、父フランクの後を追いかけるようにショウ・ビジネスの世界へ足を踏み入れたのである。そして父の後押しもあって20歳でレコード・デビュー。でも、なかなかヒット曲が出ず、念願のヒット曲『にくい貴方(These Boots Are Made For Wakin’)』(1966年、ビルボード1位)が出るまでに何と15枚のシングル・レコードをリリースしているのである。日本でヒットしカバー曲まで出された『レモンのキッス』は本国アメリカではヒットしなかったのだ。この曲は原曲がポンキエルリの歌劇『ジョコンダ』の中の『時の踊り』のメロディに歌詞をのせただけなのでアメリカでは受けなかったのかもしれない。ただし日本ではメロディが判りやすくヒットしたのである。こうしてヒット曲がいったん出るや、その後の数年はナンシー・シナトラの曲がラジオで流れない日はないほどだった。そういえば当時のシングル盤のレコード・ジャケットを見れば判るように、あの当時のナンシー・シナトラは金髪に染め、ミニ・スカートにブーツ、ジーパン姿ばかり。デビュー当時の清楚な感じからは逸脱し、行け行けネエチャン風でゴーゴーが流行っていた時代に上手く乗ったという感じが現れていた。それが1970年代に入ると再婚(実は20歳の時にナンシーは大学時代からの恋人トミー・サンズと結婚していて65年離婚している)。74年出産。しばらくは家庭に入っていたらしい。それが夫ヒュー・ランバートが亡くなったため再びショウ・ビジネスの世界に戻ってきたという。しかし、日本では彼女の名も段々と忘れ去られていく運命にある。既に他界している父フランク・シナトラは今でもCDは店頭にあるが、娘ナンシーのCDはあまり見かけない。やはり親の七光だったのかなとしかいいようがないが、1960年代中頃はとにかくナンシー・シナトラの人気は物凄いものだった。
Like A Do(レモンのキッス)・・・原曲はポンキエルリ作曲のオペラ『ジョコンダ』からの『時の踊り』である。
Sugar Town(シュガータウンは恋の町)
You Only Live Twice(007は二度死ぬ)
Summer Wine
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