2013.11.17 (Sun)
晩秋の法隆寺に行く
先日の寒い日に斑鳩の里、法隆寺に行ってきた。何年振りだろうか。10年以上前に来たかな。初めて行ったのが小学生の頃の遠足で来たものだが、それ以降は何度訪れたか判らないほど来ているのだが、それこそ現存する日本最古の、いや、世界最古の木造建築物群といっても差し支えがなく、それこそ建っている物がほとんど国宝で世界遺産であるといってもいいぐらいだ。でも寒い平日に訪れたから一般の観光客が少なくてホッとしていたのだが、それに反して修学旅行生が多すぎて煩かった。いった何校来ていたのだ・・・・・。
法隆寺は創建が607年と伝わっているので、今から1400年前に建てられたということになる。あまりにも古すぎてピンとこないが、今、存在する金堂、五重塔のある西院伽藍はもっと後に造られたものとされるが、それでも7世紀後半か8世紀初頭とされ、飛鳥時代には建てられていたので古いことには変わりはない。そもそも推古天皇と聖徳太子が用明天皇の遺願を継いで607年に薬師如来と寺院を建立したのが始まりとされ、その後にそれらは焼失し、その後に建てられたのが現存する法隆寺とされているのである。最も聖徳太子たる人物が存在したのかどうか疑問視する歴史学者もいるが、そのモデルとなる人物が現法隆寺を創建したことは確かなようで、時代が余りにも古いと確証出来るものも少なく謎だらけということになる。ところで大阪市のど真ん中にある四天王寺は同じ聖徳太子が建立した寺院で、創建が593年というから法隆寺よりも古いのだが、大阪と言う大都会にあるがため、過去に何度も災害にあい当時ものは何も残ってなく、現在ある伽藍は全て昭和になって再建された鉄筋コンクリート造りというのは実に淋しい限りである。だから斑鳩と言う人里離れたひっそりとしたところに建てられた法隆寺は、飛鳥時代の姿のまま威容を未だに保ち続けているのは大変喜ばしいことである。ただ、何故に法隆寺が都から少し離れた斑鳩の里に建てられたのか色々と説があるが、当時の都である飛鳥に建てられていたら現在の姿で残っていたか疑わしい。おそらく藤原京、平城京と遷都するにつれ何れ伽藍は解体されていたかも知れず歴史の中で埋もれていたに違いない。よくぞ斑鳩の地に建ててくれたものだ。
さて、久しぶりの法隆寺だが修学旅行生で溢れていた。小学生、中学生、高校生。皆、列をなして金堂やら五重塔やら大講堂やらを見学している。金堂の中には釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像、四天王像、吉祥天立像、毘沙門天像。五重塔の中には塑像群。大講堂の中には薬師三尊像、四天王像(重要文化財)などが安置されていて、これらほとんど建物と共に国宝というから何とも恐れ多い寺院である。
これら中門と大講堂と回廊に囲まれた伽藍全体を西院伽藍と言うが、著名な玉虫厨子や百済観音像等の国宝は新しく建てられた大宝蔵院に安置されていた。それにしてもこの法隆寺だけでいったいどれだけの国宝、重要文化財があるのだろうか。建築物、仏像、工芸品等全て合わせると凄まじい数になるだろう。一寺院としてはおそらく国内一位の数を誇るであろう。それだけ法隆寺は古い寺院であるということになる。小生は大宝蔵院を出て休憩所で暖をとっていたら、その時、偶然にも梵鐘がなった。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規の有名な俳句である。鐘の音を聞いて、その俳句を思い出したが、実際には正岡子規は法隆寺に訪れたことはないという説が強い。なので、この俳句はおそらく正岡子規が想像で浮かんだ俳句だろう。本当のところ正岡子規は1895年10月に東大寺を訪れた際、奈良の宿でご御所柿を食べていて、その時に梵鐘の音色を聞いたらしい。それを東大寺から法隆寺に変えたのだろうが、その理由は何故だか判らない。でも小生は休憩所でホットコーヒーを飲んでいるときに法隆寺で鐘の音を聞いた。でも俳句なんてちっとも浮かばない。そういった才能は残念ながら皆目、持ち合わせていないのでどうしようもない。でも正岡子規流に言うなら、珈琲飲めば鐘が鳴るなり法隆寺と言うことになるが、これだと赴きも何にもない。最も小生、俳句を詠んでも良い俳句と悪い俳句の判断も出来ないのであしからず。
休憩所を出てから国宝の東大門を抜けて2、300mほど土塀に挟まれた道路を歩くと東院伽藍に到着する。ここは重要文化財の回廊に囲まれた中に有名な八角円堂の夢殿がある。この中には救世観音像、聖観音菩薩像、行信僧都像、孝養像、道詮律師の塑像が安置されているが、これらの像も国宝および重要文化財である。夢殿と言うのは行信僧都という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで奈良時代の739年に建てた上宮王院伽藍の中心になる建造物で、現在では鎌倉時代に中門を改造した礼堂と回廊に囲まれている。しかし、それにしても寒かった。なので隣の中宮寺を寄らず、当然のように法起寺や法輪寺にも行かなかった。これ等と藤ノ木古墳をも含め、斑鳩地域が世界遺産に指定されている。若い頃の小生なら全て回るのだが、最近は入院したこともあって体力の低下を痛感しないではいられない。したがってまた暖かい時に再訪することにして斑鳩の里をあとにした。
金堂

五重塔 高さが32.5mで当然のように日本最古の五重塔である。

大講堂

五重塔と金堂

中門から入って左に五重塔、右に金堂、奥に大講堂がある。これを法隆寺式伽藍というが、それより前に建てられた四天王寺はこれらが一直線に並んでいて、これを四天王寺式伽藍という。

西院から離れた東院伽藍には夢殿がある。

法隆寺は創建が607年と伝わっているので、今から1400年前に建てられたということになる。あまりにも古すぎてピンとこないが、今、存在する金堂、五重塔のある西院伽藍はもっと後に造られたものとされるが、それでも7世紀後半か8世紀初頭とされ、飛鳥時代には建てられていたので古いことには変わりはない。そもそも推古天皇と聖徳太子が用明天皇の遺願を継いで607年に薬師如来と寺院を建立したのが始まりとされ、その後にそれらは焼失し、その後に建てられたのが現存する法隆寺とされているのである。最も聖徳太子たる人物が存在したのかどうか疑問視する歴史学者もいるが、そのモデルとなる人物が現法隆寺を創建したことは確かなようで、時代が余りにも古いと確証出来るものも少なく謎だらけということになる。ところで大阪市のど真ん中にある四天王寺は同じ聖徳太子が建立した寺院で、創建が593年というから法隆寺よりも古いのだが、大阪と言う大都会にあるがため、過去に何度も災害にあい当時ものは何も残ってなく、現在ある伽藍は全て昭和になって再建された鉄筋コンクリート造りというのは実に淋しい限りである。だから斑鳩と言う人里離れたひっそりとしたところに建てられた法隆寺は、飛鳥時代の姿のまま威容を未だに保ち続けているのは大変喜ばしいことである。ただ、何故に法隆寺が都から少し離れた斑鳩の里に建てられたのか色々と説があるが、当時の都である飛鳥に建てられていたら現在の姿で残っていたか疑わしい。おそらく藤原京、平城京と遷都するにつれ何れ伽藍は解体されていたかも知れず歴史の中で埋もれていたに違いない。よくぞ斑鳩の地に建ててくれたものだ。
さて、久しぶりの法隆寺だが修学旅行生で溢れていた。小学生、中学生、高校生。皆、列をなして金堂やら五重塔やら大講堂やらを見学している。金堂の中には釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像、四天王像、吉祥天立像、毘沙門天像。五重塔の中には塑像群。大講堂の中には薬師三尊像、四天王像(重要文化財)などが安置されていて、これらほとんど建物と共に国宝というから何とも恐れ多い寺院である。
これら中門と大講堂と回廊に囲まれた伽藍全体を西院伽藍と言うが、著名な玉虫厨子や百済観音像等の国宝は新しく建てられた大宝蔵院に安置されていた。それにしてもこの法隆寺だけでいったいどれだけの国宝、重要文化財があるのだろうか。建築物、仏像、工芸品等全て合わせると凄まじい数になるだろう。一寺院としてはおそらく国内一位の数を誇るであろう。それだけ法隆寺は古い寺院であるということになる。小生は大宝蔵院を出て休憩所で暖をとっていたら、その時、偶然にも梵鐘がなった。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規の有名な俳句である。鐘の音を聞いて、その俳句を思い出したが、実際には正岡子規は法隆寺に訪れたことはないという説が強い。なので、この俳句はおそらく正岡子規が想像で浮かんだ俳句だろう。本当のところ正岡子規は1895年10月に東大寺を訪れた際、奈良の宿でご御所柿を食べていて、その時に梵鐘の音色を聞いたらしい。それを東大寺から法隆寺に変えたのだろうが、その理由は何故だか判らない。でも小生は休憩所でホットコーヒーを飲んでいるときに法隆寺で鐘の音を聞いた。でも俳句なんてちっとも浮かばない。そういった才能は残念ながら皆目、持ち合わせていないのでどうしようもない。でも正岡子規流に言うなら、珈琲飲めば鐘が鳴るなり法隆寺と言うことになるが、これだと赴きも何にもない。最も小生、俳句を詠んでも良い俳句と悪い俳句の判断も出来ないのであしからず。
休憩所を出てから国宝の東大門を抜けて2、300mほど土塀に挟まれた道路を歩くと東院伽藍に到着する。ここは重要文化財の回廊に囲まれた中に有名な八角円堂の夢殿がある。この中には救世観音像、聖観音菩薩像、行信僧都像、孝養像、道詮律師の塑像が安置されているが、これらの像も国宝および重要文化財である。夢殿と言うのは行信僧都という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで奈良時代の739年に建てた上宮王院伽藍の中心になる建造物で、現在では鎌倉時代に中門を改造した礼堂と回廊に囲まれている。しかし、それにしても寒かった。なので隣の中宮寺を寄らず、当然のように法起寺や法輪寺にも行かなかった。これ等と藤ノ木古墳をも含め、斑鳩地域が世界遺産に指定されている。若い頃の小生なら全て回るのだが、最近は入院したこともあって体力の低下を痛感しないではいられない。したがってまた暖かい時に再訪することにして斑鳩の里をあとにした。
金堂

五重塔 高さが32.5mで当然のように日本最古の五重塔である。

大講堂

五重塔と金堂

中門から入って左に五重塔、右に金堂、奥に大講堂がある。これを法隆寺式伽藍というが、それより前に建てられた四天王寺はこれらが一直線に並んでいて、これを四天王寺式伽藍という。

西院から離れた東院伽藍には夢殿がある。

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