2014.09.14 (Sun)
スティーヴィー・ワンダーのアルバム『Key Of Love』

スティーヴィー・ワンダーをさほど聴いたというのではないが、小生の少年時代からその名前は轟いていた。それでいて現在64歳だという。ということは小生とそんなに変わらない。すると何歳から歌っているのだと・・・・・・・。
スティーヴィー・ワンダーは1950年生まれである。でもデビューは11歳と恐るべき早さである。それで名前を古くから知っていたのだな。
スティヴィー・ワンダーは6週間の早産で生まれ、保育器内での過量酸素が原因で生まれてすぐに目が見えなくなる。しかし、それがハンデとなることなく盲目であるがため音感が鋭かったのだろう。幼い頃からピアノ、ハーモニカ、ベースを演奏していたという。また歌も歌っていてリズム感もあり、デトロイトの街角で歌やダンスを披露していた。そして11歳の時、自ら作曲した『Lonely Boy』をミラクルズのロニー・ワイトの前で歌い、気に入ったワイトはスティーヴィーと母親をモータウンへのオーディションに連れて行くのである。こうしてモータウンの社長ベリー・ゴーディの前で歌と演奏を披露しモータウンと契約する。1961年11歳の時に最初のレコーディングを行い、1962年にデビュー・シングルが発売される。しかし、層の厚いアメリカのショウビジネスではなかなか芽が出ず、スティヴィー・ワンダーが知られるようになるのはモータウン・レビューの一員として全米ツアーをする。そして、この時のツアーで廻ったシカゴでの演奏を記録した音源が1963年5月にアルバムとしてリリース。これがアメリカのビルボード・ヒット・チャートで大ヒット。これで一躍、スティーヴィー・ワンダーの知れ渡るようになるが、まだこの時、13歳、まだ幼すぎる。モータウンの幹部たちはこれから声変わりするだろうと予想されるスティーヴィー・ワンダーとの契約を打ち切る者もでいた。事実としてスティーヴィーが出た2本の映画もヒットしなかった。ただし同時期にシルビア・モーイと共作した作品が含まれたアルバム『アップタイト』ば大ヒット。そしてシングルカットされた『Nothing’s Too Good For My Baby』『With A Child’s Heart』、ボブ・ディランのカバー曲『風に吹かれて』がヒットする。
それと並行して彼は同じレーベル仲間に楽曲を提供。モータウンの作詞作曲部門の契約を結ぶなど若い頃から才能を発揮しまくっていた。そういった経緯もあって当時から大御所の感があったのだ。だから小生なんかはもっと年配の人かと思っていたほどである。しかし、自分とはあまり年齢の違わない人であることに驚いたものである。
1,970年にはモータウンから自作のプロデュース権を獲得し音楽出版会社タウラス・プロダクションを設立し、自らの模索していた音楽を演奏するスタイルを確立、当時開発されたばかりのシンセサイザーを駆使しほとんどの楽曲を自ら演奏してアルバムを作っていた。このころでまだ20歳である。まさに盲目の天才である。
1973年には交通事故に遭い味覚と嗅覚を失うがリハビリで回復。このころから活動が音楽以外の慈善活動、平和運動にまで幅が広がり、彼自身の音楽活動も絶頂期にあった。1974年のグラミー賞で自身初の受賞を果たし、1975年のグラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞。そして1976年に当アルバムである『Songs In The Key Of Life』が発売される。このアルバムは2枚組で、当時の全米アルバムチャートで14週1位となる大ヒットを記録。この年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その後のステーヴィー・ワンダーの活躍は大方の人はご存じだろうから記さないが、未だに老いを見せず活躍中で、もう何度来日しているだろうか・・・・・。
尚、このアルバムの中の楽曲『愛するデューク(Sir Duke)』は最近、テレビのCМで流れていたので知っている方もおられよう。この曲は彼が尊敬するジャズ界の公爵デューク・エリントンに捧げられたものである。彼はデューク・エリントンとナット・キング・コールを尊敬していたという。
Sir Dukeを歌うスティヴィー・ワンダー
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