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2016.06.05 (Sun)

ブラッド・スウェット&ティアーズを聴く



 もう40年以上前になるがブラス・ロックというのが流行っていた。といっても僅かな期間だが、シカゴだとかチェイスだとかラジオの洋楽ヒットチャートを賑わしていたものである。この時期というのはジャズとロックがお互いすり寄ったというべきか融合しようと試みたのか判らないが、必然的な流れでこういった類いのジャンルが出てきたように思う。エレキギター・サウンドのロックと、ブラス中心のジャズが引っ付いたらこのようになったというものなのか。ジャズ界でもマイルス・デイヴィスが、これではいかんと思ったのかエレクトリックなジャズを演奏しだしたのもこの頃だったかな。もっとも、この頃は小生、あまりジャズに詳しくはなかったので知る範囲ではないが。
 ロック界でも変換期であり、かつてのビート・ポップスから細分化していき、色々と流派が出てきたというべきなのか、この1960年代後半はロック史上において最も輝いていたというか、百花繚乱だったような気がする。もともとはロックンロールが1950年代半ばにアメリカで生まれたが、1960年代になると往年の勢いがなくなっていた。しかし、それらの音楽を聴いて育ったイギリスの少年達から、その後、次々とロックスターが育っていき、新たなロック・ミュージックを生み出していったというのは不思議ではある。
 そういった中からビートルズが出て、ローリング・ストーンズが出て、アニマルズが出てきた。彼等の出現により、やがてロックンロールの元祖であるアメリカの若者達にも波及し、アメリカからも多くのロックミュージシャンが出て来るわけだが、1960年代後半は英米で影響し合って、それこそロック界は花咲いていったものである。でもどちらかという全体的にアメリカ勢はイギリス勢に押されていたという感は拭えない。この時代新たなジャンルのロックを生み出すのもイギリスであり、アメリカが後追いといった時代でもあった。そんな中で唯一、アメリカで勢いのあったのがブラス・ロックというジャンルだろう。イギリスでもブラス・ロックのバンドはあることにはあったが、有名なのはアメリカのバンドだった。日本で1番人気があったのはシカゴであるが、なんと言ってもパイオニア的なブラス・ロックはブラッド・スウェット&ティアーズではないかと思う。
 そもそもアル・クーパーという才能あるミュージシャンがいた。彼は黒人ブルースに影響を受けていて、それまでに在籍したバンド、ブルース・プロジェクトを解散し、1967年新たにブラス・ロックのバンドを結成する。それがなんと8人編成という大編成のロック・バンド。それがBROOD, SWEAT&TEARS(血と汗と涙)である。メンバーはアル・クーパー(ヴォーカル、キーボード)、ボビー・コロンビー(ドラムス)、スティーヴ・カッツ(ギター・ヴォーカル)、ジム・フィルダー(ベース)、ディック・ハリガン(トロンボーン)、フレッド・リプシウス(サックス)、ランディ・ブレッカー(トランペット)、アリー・ウェイス(トランペット)。何と管楽器が3人加わっている。当時としたらフュージョンのバンドかと思われたかもしれない。しかし、やっている音楽は明らかにロックであり、最初のアルバムが1968年2月に発売される。でも当時は斬新すぎて日本ではほとんど知られることはなかった。まだブラス・ロック的な音楽ではなく当時、最先端だったサイケデリック的な音楽だった。これはアル・クーパーの影響力が強かったから当然かもしれない。結局、数ヶ月後にはアル・クーパーと他のメンバーとの意見の食い違いからアル・クーパーがバンドを脱退する。このとき、ブラスセクションの2人も脱退しBS&Tは危機に陥る。仕方なくボビー・コロンビーが中心になってバンドの再構築をはかり、カナダ人のデヴィッド・クレイトン・トーマスをバンド・メンバーに加えたのである。彼は才能あるヴォーカリストであり、ソウルフルな声をしていて、新たなBS&Tの指標が定まったのである。さらにジェリー・ハイマン、ルー・ソロフ、チャック・ウィンフィールドとブラスセクションに3人が加わり、ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムスにサックス、トロンボーン、トランペット2人というよりブラス色の強いバンドになってしまったのである。こうして9人という大所帯のロックバンドのアルバム2作目として1969年1月に出されたのが『BLLOD, SWEAT & TEARS』であった。
 このアルバムは大ヒット。ビルボードのアルバムチャートで7週間連続1位に輝いたのである。一躍ブラッド・スウェット&ティアーズは有名になり、グラミー賞で三部門で受賞することとなる。日本でもアルバムの中から『Spinning Wheel』が大ヒット。1971年の2月に来日。早速、小生は大阪のフェスティバル・ホールへ聴きに行った。そして、これから外国のロック・ミュージシャンの来日が頻繁になるのであるが、このときの前座が、まだ無名だったテルマ・ヒューストンである。
 ところでBS&Tのサウンドはシカゴよりもロックの要素が低く、ロックよりもブルースぽいしジャズと言われればヴォーカルのあるジャズのように聴こえなくもない(スウィング全盛期にはジャズ・ヴォーカルは盛んだったが)。当時はジャズがフュージョン化してしまい、ロックとの垣根もなくなりつつあったから、BS&Tはジャズ・ミュージシャンにも評価されていたものである。しかし、このBS&TはDCトーマスの発言力が強まりメンバー内で確執があったのか、メンバー脱退、入れ代わり、DCトーマスの脱退、再復帰、色々あり、やがて音楽シーンから消えていった。ほんの5年か6年の間、BS&Tは輝きを放っていたかな。実は小生、同じブラス・ロックでもシカゴよりBS&Tの方が好きだったのだが、小生の周囲はハード・ロック信者ばかり。シカゴまでは聴けるがBS&Tはオジン臭い音楽と言われ揶揄されていたことを思い出す。当時、プログレッシブ・ロックやBS&T
が好きなロック少年って異端児扱いされたものである。

最大のヒット曲『Spinning Wheel』


ややブルース色の強い『And When I Die』


You've Made Me So Very Happpy

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