2016.11.20 (Sun)
これといって書くこともないけど
いつの間にか秋が深くなっていたというよりも既に初冬の雰囲気だ。ついこの前まで暑かったのに突然のように寒くなるから着る服に困る。それとこのところ天気が悪く薄暗い日が多い。昨日は雨、今日も朝からどんよりと曇っていて気が滅入ってくる。ことに週末天気が悪いと外出する気も起こらない。昨日の土曜日、久しぶりに紅葉狩りでも行こうかと思っていたのにあいにく天気が悪い。傘をさして紅葉をというわけにも行かず仕方なく家で燻っていた。昔は晴耕雨読といって雨の日は読書に耽るというものだったが、最近は読みたい本もなく、新しい本を買うのも勿体ないし、また古本屋も減っていく。それに加えて最近は電子図書の普及で余計に本が売れないらしい。まあ段々とペーパーレスになっていくのは仕方が無いことだが、いざ読書することに関しては電子図書よりも紙を捲っていく書物の方が読んだという気が起こるのは小生が古い人間だということかもしれない。ただ問題は老眼が進んだこと。眼鏡がないと文庫本の字が読み辛い。だから昔のように常に本を持ち歩くと言うこともなくなった。単行本の大きな文字なら読めるが単行本は大きいし買うとなるとちょっと高いし買うときに考えてしまう。なのでどうしても本を買うと文庫本ぐらいになってしまう。もっとも是非必要な専門書になると数1000円でも買うことはあるが、こういうことも最近は滅多にない。したがって読む本もあまりなく昔、読んだ三文小説を再び読んでいるという有様。それ以外だと音楽を聴いている。だから当ブログは次第と音楽の記事が増えるのは仕方が無い。また音楽記事も書かないといけないのだが、いざ書くとなると何を紹介すれば良いのか判らない。小生は平成以降の音楽なんて皆目知らないし、紹介するのは1960年代の音楽がどうしても中心になる。この時代に感受性の強い時期を送ったので当然と言えば当然だが、こういうのは歳をとると冷めていくのかな。
あの当時、あの曲を聴きたいと思っても簡単に聴くことは出来なかった。まずラジオで曲を知りレコード屋でドーナッツ盤を買って聴く。これが1番手っ取り早いのだが、当時、ドーナッツ盤って一枚330円から370円ぐらいだったと記憶している。だから中学生以下だと一枚買うのも大仕事である。結局、持っている連中を探し出し借りることになる。だからレコードは丁寧に扱ったものだ。それが手荒い奴に貸し出すとレコードが傷だらけになって戻ってくることがある。いったいどういう扱いをしたらあのようになるのか判らない。レコードの表面が指紋だらけ程度ならいいが、酷いのになると針を落とすや否やバチッという衝撃音がするなと思いよく見ると溝に見事な傷がついている。文句を言ったら「すまん」の一言で済ませる。もうこいつにはレコード盤を貸さないと誓ったものだ。その後、レコード盤からコンパクトディスクになり劣化がしにくくなって小型化され、レンタルショップが出来て借りることが容易になりプレーヤーが小型化され持ち運び自由になり、何処でも聴きたいときに音楽が聴けるようになった。その反面、曲に対する有り難みが薄らいできた。つまり重みがなくなったというのか、いつでも聴けるだけ曲に対する入れ込み度が減ったというか感激がなくなった。だから若いときに聴いた同じ曲でも今聴くと昔ほどの感動はない。今なんかパソコンのYou Tubeで検索すれば聴きたい曲なんてすぐに聴ける時代だ。有り難いと言えば有り難いが何故か物足りなさも感じるのだ。それはようやく苦労して探し当てた末に得た宝物と、いとも簡単に得た物との違いなのかそこは判りかねるが、とにかく日常で音楽が昔より遥に身近になったのは確か。それが却って感動を奪っていることも確かだろう。
それで最近、小生は何故か昔、よく聴いたLPレコード盤で曲を聴きたい思いが日に日に強くなっているのである。もうCDの音に聴き飽きたというか、あのギンギンしたデジタル音が未だに好きになれない。チリチリとした雑音が入りたとえ明瞭ではなくても、あの温かみのあるレコード盤で再び音楽に親しんでみたいと思うのである。でも小生、残念ながらレコード・プレイヤーを持ってない。買えば良いと言うが置き場がない。狭い家に住んでいるとなかなか空きスペースがない。なので徐々に家の中の邪魔な物を片付けて空きスペースを設けてからになる。とにかくLP盤は大きいし場所を取るし重いからね。ところで最近はハイレゾという代物が出ているが、あれも視聴するがCDよりは良い。ただあれも温かみに欠ける音質。もうちょっとどうにかならないか。それに高価すぎる。あと10年もすれば改善されるだろうが、今のところ聴いてみたいのはレコード盤の音である。何故か昭和の物なのだが今のデジタル音にない良さがある。
あの当時、あの曲を聴きたいと思っても簡単に聴くことは出来なかった。まずラジオで曲を知りレコード屋でドーナッツ盤を買って聴く。これが1番手っ取り早いのだが、当時、ドーナッツ盤って一枚330円から370円ぐらいだったと記憶している。だから中学生以下だと一枚買うのも大仕事である。結局、持っている連中を探し出し借りることになる。だからレコードは丁寧に扱ったものだ。それが手荒い奴に貸し出すとレコードが傷だらけになって戻ってくることがある。いったいどういう扱いをしたらあのようになるのか判らない。レコードの表面が指紋だらけ程度ならいいが、酷いのになると針を落とすや否やバチッという衝撃音がするなと思いよく見ると溝に見事な傷がついている。文句を言ったら「すまん」の一言で済ませる。もうこいつにはレコード盤を貸さないと誓ったものだ。その後、レコード盤からコンパクトディスクになり劣化がしにくくなって小型化され、レンタルショップが出来て借りることが容易になりプレーヤーが小型化され持ち運び自由になり、何処でも聴きたいときに音楽が聴けるようになった。その反面、曲に対する有り難みが薄らいできた。つまり重みがなくなったというのか、いつでも聴けるだけ曲に対する入れ込み度が減ったというか感激がなくなった。だから若いときに聴いた同じ曲でも今聴くと昔ほどの感動はない。今なんかパソコンのYou Tubeで検索すれば聴きたい曲なんてすぐに聴ける時代だ。有り難いと言えば有り難いが何故か物足りなさも感じるのだ。それはようやく苦労して探し当てた末に得た宝物と、いとも簡単に得た物との違いなのかそこは判りかねるが、とにかく日常で音楽が昔より遥に身近になったのは確か。それが却って感動を奪っていることも確かだろう。
それで最近、小生は何故か昔、よく聴いたLPレコード盤で曲を聴きたい思いが日に日に強くなっているのである。もうCDの音に聴き飽きたというか、あのギンギンしたデジタル音が未だに好きになれない。チリチリとした雑音が入りたとえ明瞭ではなくても、あの温かみのあるレコード盤で再び音楽に親しんでみたいと思うのである。でも小生、残念ながらレコード・プレイヤーを持ってない。買えば良いと言うが置き場がない。狭い家に住んでいるとなかなか空きスペースがない。なので徐々に家の中の邪魔な物を片付けて空きスペースを設けてからになる。とにかくLP盤は大きいし場所を取るし重いからね。ところで最近はハイレゾという代物が出ているが、あれも視聴するがCDよりは良い。ただあれも温かみに欠ける音質。もうちょっとどうにかならないか。それに高価すぎる。あと10年もすれば改善されるだろうが、今のところ聴いてみたいのはレコード盤の音である。何故か昭和の物なのだが今のデジタル音にない良さがある。
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