2017.03.03 (Fri)
映画『俺たちに明日はない』を観る
『俺たちに明日はない』1967年制作、アメリカ映画
監督 アーサー・ペン
出演 ウォーレン・ベイティ
フェイ・ダナウェイ
ジーン・ハックマン
マイケル・J・ポラード
エステル・パーソンズ
デンヴァー・バイル
【あらすじ】時は1930年代、不況の中のアメリカはテキサス。刑務所から出てきたばかりのクライド・バロウはある家から車を盗もうとして彷徨いていた。それを見ていたウェイトレスのボニー・パーカー。パーカーは家の車が盗まれそうになるので声をあげて男に近づく。ところがお互いが気に入ったのか馬が合ったのか2人は行動を共にするようになる。クライドはボニーの前で食料品店に入り強盗をする。それを見ていたボニーは彼の大胆さに興味を持ち、やがて2人で銀行強盗に入り成功する。こうして2人で犯罪を繰り返すようになり、ガソリンスタンドの店員モスがそこに加わり、3人で強盗を重ねていく。やがて指名手配までになるが、彼等はゲームを楽しむかのように犯罪を次から次へと成功させる。そして新聞に報道され彼等の名は知れるところとなる。ところが警察も黙っていない。でもその捜査網の中を抜けるように犯罪を重ねていき、やがて終幕を迎えることとなる。ボニーとクライドは隠れ家に帰ってくる途中で草むらに隠れた大勢の警察官から一斉射撃を浴びる。
我が青春の映画と言ってもいいかな。アメリカのニューシネマはこの映画から始まっている。謂わばアンチヒーローものである。何故、この映画のことを記事にしたかというと、先日のアカデミー賞授賞式の会場で作品賞を発表するときのプレゼンテイターがウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイだったからである。このときフェイ・ダナウェイが「ラ・ラ・ランド」と言って歓声が上がったが、あとで関係者が違うといってとんだハプニングになった今年のアカデミー賞授賞式だったが、今から約50年前にボニーとクライドを演じた2人がプレゼテイターをしていたことに驚いたのである。当初、この2人誰だか判らなかった。無理もない歳をとりすぎている。あのときのボニーとクライドの面影が何処にもない。
この映画が上映されたとき小生は中学生だった。何処の映画館で観たのか覚えてない。でもラストシーンがあまりにも衝撃的だったのでこの映画は何時まで経っても忘れない。物語としては実話である。ボニー・パーカーは1910年生まれ。クライド・バロウは1909年生まれ。ボニーもクライドテキサス州の生まれでボニーは16歳で高校の同級生と結婚するも夫が銀行強盗の容疑で刑務所に入れられる。そしてウェイトレスとして働いていた。クライドは子供の頃から素行が悪く、動物虐待をやっているところをよく目撃されていて、17歳でギャング団に入り、自動車泥棒を繰り返していた。そんなある日にクライドはボニーの母親の車を盗もうとしてボニーに見つかる。こうして出会った2人であるが、やがて犯罪に手を染めていくようになる。銀行強盗に入って警察をあざ笑うかのように逃走する。しかし多くの殺人、強盗を繰り返しているのに当時のアメリカの世相は暗く、世界大恐慌の直後。禁酒法時代の最中、世の中の人は憂さ晴らしをするネタにしたかったのかボニーとクライドを何故か英雄視した。実際彼等は貧乏な人から金は奪わなかったのだ。新聞報道も彼等の犯罪を度々載せていて、その度に民衆はボニークとライドの犯罪をこっそり応援するようになったという。でも警察の方はメンツも何もあったものはない。どうにかしてボニーとクライドを逮捕しようと躍起になっていた。やがて居場所が知れて、待ち受けていたテキサス・レンジャー4名。ルイジアナ州の警察官2名による機関銃の一斉射撃を浴び死亡。車には弾痕の痕が。2人は蜂の巣になる。通説にはボニーとクライドは80発の弾丸を浴びたという。ラストシーンが衝撃的だったが、この映画の影響は大きくアメリカン・ニューシネマの始まりだと言われた。所謂、栄華に満ちあふれたアメリカだけじゃなく、こういった闇の部分が溢れていると言うこと。世の中の恥部であったが、彼等は富裕層をぶち壊すかの如く銀行強盗を繰り返す。実際にはアンチ・ヒーローなのだが、何故か2人の若い男女は何時しかヒーローとして大衆層から扱いを受ける。ボニーとクライドは銀行強盗をまるでスポーツを楽しむかのように行い逃走する。1930年代とは世相も暗く、何故かこういったチンピラ2人が持てはやされたのだろうか。大衆は持って行きようのないやるせなさをボニーとクライドに託していたのかもしれない。世の中を潰してくれとばかりに・・・・・。
ところでこの実話が映画化されたのが1967年。まさにアメリカが参加したベトナム戦争が泥沼化した時代。世情は政府を許さないとばかり各地で反戦運動が頻繁に起こっていた。そんなときにボニーとクライドの実話の映画化。この映画はヒットした。社会現象にまでなった。その後のアンチヒーロー物の礎ともなった記念碑的作品である。
時は1934年5月23日、ルイジアナ州北西部にあるビヤンヴィル郡の街アーケディアから離れた道路を走っていた1934年型フォードV8は雨霰の弾丸を受け。死亡。儚くも美しく散ったボニーとクライド。アンチヒーローが何故か美しかったという終幕。また演じていたフェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティはとても恰好良かった。
フォギー・マウンテン・ブレイクダウンのメロディに乗って逃げまくる
実際のボニーとクライド
監督 アーサー・ペン
出演 ウォーレン・ベイティ
フェイ・ダナウェイ
ジーン・ハックマン
マイケル・J・ポラード
エステル・パーソンズ
デンヴァー・バイル
【あらすじ】時は1930年代、不況の中のアメリカはテキサス。刑務所から出てきたばかりのクライド・バロウはある家から車を盗もうとして彷徨いていた。それを見ていたウェイトレスのボニー・パーカー。パーカーは家の車が盗まれそうになるので声をあげて男に近づく。ところがお互いが気に入ったのか馬が合ったのか2人は行動を共にするようになる。クライドはボニーの前で食料品店に入り強盗をする。それを見ていたボニーは彼の大胆さに興味を持ち、やがて2人で銀行強盗に入り成功する。こうして2人で犯罪を繰り返すようになり、ガソリンスタンドの店員モスがそこに加わり、3人で強盗を重ねていく。やがて指名手配までになるが、彼等はゲームを楽しむかのように犯罪を次から次へと成功させる。そして新聞に報道され彼等の名は知れるところとなる。ところが警察も黙っていない。でもその捜査網の中を抜けるように犯罪を重ねていき、やがて終幕を迎えることとなる。ボニーとクライドは隠れ家に帰ってくる途中で草むらに隠れた大勢の警察官から一斉射撃を浴びる。
我が青春の映画と言ってもいいかな。アメリカのニューシネマはこの映画から始まっている。謂わばアンチヒーローものである。何故、この映画のことを記事にしたかというと、先日のアカデミー賞授賞式の会場で作品賞を発表するときのプレゼンテイターがウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイだったからである。このときフェイ・ダナウェイが「ラ・ラ・ランド」と言って歓声が上がったが、あとで関係者が違うといってとんだハプニングになった今年のアカデミー賞授賞式だったが、今から約50年前にボニーとクライドを演じた2人がプレゼテイターをしていたことに驚いたのである。当初、この2人誰だか判らなかった。無理もない歳をとりすぎている。あのときのボニーとクライドの面影が何処にもない。
この映画が上映されたとき小生は中学生だった。何処の映画館で観たのか覚えてない。でもラストシーンがあまりにも衝撃的だったのでこの映画は何時まで経っても忘れない。物語としては実話である。ボニー・パーカーは1910年生まれ。クライド・バロウは1909年生まれ。ボニーもクライドテキサス州の生まれでボニーは16歳で高校の同級生と結婚するも夫が銀行強盗の容疑で刑務所に入れられる。そしてウェイトレスとして働いていた。クライドは子供の頃から素行が悪く、動物虐待をやっているところをよく目撃されていて、17歳でギャング団に入り、自動車泥棒を繰り返していた。そんなある日にクライドはボニーの母親の車を盗もうとしてボニーに見つかる。こうして出会った2人であるが、やがて犯罪に手を染めていくようになる。銀行強盗に入って警察をあざ笑うかのように逃走する。しかし多くの殺人、強盗を繰り返しているのに当時のアメリカの世相は暗く、世界大恐慌の直後。禁酒法時代の最中、世の中の人は憂さ晴らしをするネタにしたかったのかボニーとクライドを何故か英雄視した。実際彼等は貧乏な人から金は奪わなかったのだ。新聞報道も彼等の犯罪を度々載せていて、その度に民衆はボニークとライドの犯罪をこっそり応援するようになったという。でも警察の方はメンツも何もあったものはない。どうにかしてボニーとクライドを逮捕しようと躍起になっていた。やがて居場所が知れて、待ち受けていたテキサス・レンジャー4名。ルイジアナ州の警察官2名による機関銃の一斉射撃を浴び死亡。車には弾痕の痕が。2人は蜂の巣になる。通説にはボニーとクライドは80発の弾丸を浴びたという。ラストシーンが衝撃的だったが、この映画の影響は大きくアメリカン・ニューシネマの始まりだと言われた。所謂、栄華に満ちあふれたアメリカだけじゃなく、こういった闇の部分が溢れていると言うこと。世の中の恥部であったが、彼等は富裕層をぶち壊すかの如く銀行強盗を繰り返す。実際にはアンチ・ヒーローなのだが、何故か2人の若い男女は何時しかヒーローとして大衆層から扱いを受ける。ボニーとクライドは銀行強盗をまるでスポーツを楽しむかのように行い逃走する。1930年代とは世相も暗く、何故かこういったチンピラ2人が持てはやされたのだろうか。大衆は持って行きようのないやるせなさをボニーとクライドに託していたのかもしれない。世の中を潰してくれとばかりに・・・・・。
ところでこの実話が映画化されたのが1967年。まさにアメリカが参加したベトナム戦争が泥沼化した時代。世情は政府を許さないとばかり各地で反戦運動が頻繁に起こっていた。そんなときにボニーとクライドの実話の映画化。この映画はヒットした。社会現象にまでなった。その後のアンチヒーロー物の礎ともなった記念碑的作品である。
時は1934年5月23日、ルイジアナ州北西部にあるビヤンヴィル郡の街アーケディアから離れた道路を走っていた1934年型フォードV8は雨霰の弾丸を受け。死亡。儚くも美しく散ったボニーとクライド。アンチヒーローが何故か美しかったという終幕。また演じていたフェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティはとても恰好良かった。
フォギー・マウンテン・ブレイクダウンのメロディに乗って逃げまくる
実際のボニーとクライド
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