2017.03.31 (Fri)
高校野球についての独り言
小生、最近は野球に全く関心がない。サッカーにも関心がない。当然オリンピックにも関心がない。人間は齢を重ねると関心のあるものが削られていくのかどうか判らないが、スポーツ自体だんだんと関心がなくなっていった。ただスポーツが嫌いだとか興味がないだとかではなく昔からスポーツに詳しかったし興味があったが、もう人生の折り返しになって他人のやっているスポーツにいちいち一喜一憂してられないだろう。そんなことより自分の身の周辺のことの方が大切になってきているというのが正直なところである。どこが勝っただとか負けただとか、良い勝負をしただとか若いときは熱中したものだが、その熱もすっかり冷め、プロ野球なんてどうでもよくなったし、高校野球もテレビで放映していてもさっぱり見なくなってしまった。ただし予選だけは観に行くんだな。何故ならかつての高校野球の在り方が予選には残っているからだ。高校野球というのは本来、地元の中学生が地元の高校に行ってクラブ活動の一環として練習を積み、その結果、実力を試したいがため予選に参加し勝ち抜き結果として、最終的に甲子園があるというのがあるべき姿だったのだが、今の時代、そんな悠長なことは言ってられない。今や各県には必ずセミプロ化した強豪校が存在し、そのほとんどが有力選手を集め甲子園に出て学校の知名度を上げるというのが当たり前になっている。まあこういう学校は1960年代からあったが、最近は日本全国こういた学校だらけになり、こういった学校しか甲子園に出なくなったし勝てなくなった。それで甲子園大会も関心がどんどんと薄れていったのである。ただ今年の選抜でその究極の姿とも思える高校2校が決勝に残ったので記事にしてみようと考えたのである。
今年の選抜大会の決勝はご存じの通り大阪の強豪2校が戦う大阪決戦となった。結果はともあれ何れこのようなことが近いうちに起こりうるだろうと小生は思っていた。それは大阪という野球盛んな地域の強豪校が2校出ていたことと、最近は強豪校の多い大阪の中でもこの2校が他を圧していた。つまり素質のある選手が集まりやすい環境にあるということ。そして今年の選抜のような決勝戦になってしまった。でも今まで大阪勢2校が決勝に残らなかった方が不思議なくらいだ。過去にはベスト4に大阪の学校が2校残った例は1979年(浪商、PL)、1981年(PL、上宮)、1990年(近大附属、北陽)、1998年(関大一、PL)と4度あったぐらいだ。だが何れかの学校が準決勝で敗れて大阪決戦にならなかっただけだ。だから別に驚かない。そして5回目にしてようやく大阪同士が決勝に残ったということだろう。ただ過去に選抜では愛知県同士(2回)、京都府同士、東京都同士の決勝戦があったのである。ただ最近は野球レベルの高い大阪で大阪勢(兵庫も含めて)の成績が振るわないと言われていた時期がある。1990年代後半から10年間は低迷していたのである。何故なら大阪の素質のある中学生が遠方の県へ数100人も野球留学するため大阪の学校が空洞化して弱くなってしまったと言われたのである。一因として大阪に野球強豪校が多かったがため、とてもじゃないが甲子園に出られないと思ったのか遠方の県へ野球留学する選手が大変な数になったと言われる。
ごく一部の例を出すとダルビッシュ(東北高校)、田中将大(駒大苫小牧)、坂本(光星学院)、内海(敦賀気比)、筒香(横浜高校)、北条(光星学院)等は当然、大阪か兵庫か京都辺りの強豪校に普通なら入学していただろう。それが地元の強豪を選ばず遠方の県へ行き実績を残した。結果として野球弱小県のレベルが上がったとも言える。それはそれでいいが、結局はそれがより野球留学を助長させ、地元の公立勢が皆目甲子園に出られなくなったとしたら、本来の高校野球の在り方が失われてきたと言うことになる。かつては地方の高校から都会の強豪校へ野球がしたいがため留学したというのがあったが、今はそれが全国へ広がってしまった。だから何処の代表かなんてほとんど意味がなくなってしまった。昨今、よく言われる熊本の秀岳館高校の監督が元・松下電器の監督で、その後、全国的な強豪で知られる枚方ボーイズで選手を育成していた。そして枚方ボーイズから選手を大勢連れて行き、秀岳館高校に入学させた。したがって突然、秀岳館が強くなったというのは偶然ではないのだ。こういった例が全国各地にはある現象だ。だから昔のような高校野球とは意見合いは違っている。
ところで野球の強い大阪であるが、けして昔から強かったという訳ではない。大阪が強くなったのは戦後のことであろう。それもボーイズリーグ(リトルリーグとは異なる)を始めてからのことである。戦前も浪華商業の優勝はあるが、近畿でも大阪より兵庫、京都、和歌山の方が圧倒的に野球は強かった。さらに突き詰めて言うならば大正から昭和の始めに強かった県は限られていた。春夏の当時の中等野球で強かったのは愛知、岐阜の東海勢。京都、兵庫、和歌山の近畿。香川、愛媛の北四国。そして広島。この辺りの学校ばかりが優勝していたというのが現実で、関東に至っては慶応普通部が優勝したのが一度あるだけであった。つまり静岡、長野から広島にかけての太平洋側及び瀬戸内海側の学校しか優勝しなかったのである。
それが戦後になり小倉高校が2連覇し九州に初めて優勝旗が渡った。さらに湘南高校が初めて昭和24年・神奈川に優勝をもたらし時代は変わっていった。でも当時は文武両道の学校が強く、飽くまでも教育の一環と言った印象はあったのだろう。それがだんだんとマスメディアが高校野球を採り上げるようになり、私学は生徒を集める手段として甲子園に出ることにより学校の知名度が上がることを必然とした。まあ進学実績を上げるかスポーツで有名にするかが手段として手っ取り早かったのだろう。こうして全国から有力な選手を集める私学が増えて行き、それが各地に広がっていったというのが今の有様である。
さて大阪決戦となった今回の選抜であるが、なんでこんなことになったかというと2強時代になってしまったからであろう。つまり大阪桐蔭か履正社に良い選手が集まりやすくなった。その結果、かつて私学7強(浪商、明星、PL、大鉄、北陽、興国、近大附属、上宮は時代が遅くて入らない)と言われた時代があった大阪であるが、この頃は何処が出て来るか判らなくて今ほど選手が集中せずそこそこ分散していたものだ。それが良い選手が2校に絞られるようになり、この2校に入れなくなった大阪の野球少年達は遠方の強豪校へ分散していったというのが、より大阪の2強化を進めてしまい、以前より2校が強くなってしまったのだが、ただ面白くなくなったとも思える。また大阪の2強化は東京化、神奈川化したともいえる。東京も神奈川も最近は2校以外あまり出なくなってしまった。かつて大阪の良さは強豪が多い群雄割拠だったのに2強に絞られてしまうと全くもってつまらない。今後、しばらくはこの状況続くのかもしれないが、こうなるとますます小生は高校野球から興味が薄れてしまう。それとこれからは何処の県でも選手を他県から集めた強豪私学しか甲子園に出てこれなくなるかも知れない。もう公立高校と私立高校は別で大会を開催しないといけないのではないかとさえ思ってしまう。
さて、最後になるが大阪勢の決勝戦が行われる一方で、かつて高校野球の代名詞的強さを誇ったPL学園の野球部廃部が決まったらしい。もうPLの復活はないかもしれない。選手を全国から集めて強豪にのし上がる先鞭をつけた学校がPLだが、今や全国の強豪が昔のPLよりも露骨な選手集めのようなことをやっている。もう部活の延長で野球をやり甲子園で勝ち抜くことは至難の業になってしまったようだ。仕方がないと言えばそれまでだが、なんだか寂しいね。
今年の選抜大会の決勝はご存じの通り大阪の強豪2校が戦う大阪決戦となった。結果はともあれ何れこのようなことが近いうちに起こりうるだろうと小生は思っていた。それは大阪という野球盛んな地域の強豪校が2校出ていたことと、最近は強豪校の多い大阪の中でもこの2校が他を圧していた。つまり素質のある選手が集まりやすい環境にあるということ。そして今年の選抜のような決勝戦になってしまった。でも今まで大阪勢2校が決勝に残らなかった方が不思議なくらいだ。過去にはベスト4に大阪の学校が2校残った例は1979年(浪商、PL)、1981年(PL、上宮)、1990年(近大附属、北陽)、1998年(関大一、PL)と4度あったぐらいだ。だが何れかの学校が準決勝で敗れて大阪決戦にならなかっただけだ。だから別に驚かない。そして5回目にしてようやく大阪同士が決勝に残ったということだろう。ただ過去に選抜では愛知県同士(2回)、京都府同士、東京都同士の決勝戦があったのである。ただ最近は野球レベルの高い大阪で大阪勢(兵庫も含めて)の成績が振るわないと言われていた時期がある。1990年代後半から10年間は低迷していたのである。何故なら大阪の素質のある中学生が遠方の県へ数100人も野球留学するため大阪の学校が空洞化して弱くなってしまったと言われたのである。一因として大阪に野球強豪校が多かったがため、とてもじゃないが甲子園に出られないと思ったのか遠方の県へ野球留学する選手が大変な数になったと言われる。
ごく一部の例を出すとダルビッシュ(東北高校)、田中将大(駒大苫小牧)、坂本(光星学院)、内海(敦賀気比)、筒香(横浜高校)、北条(光星学院)等は当然、大阪か兵庫か京都辺りの強豪校に普通なら入学していただろう。それが地元の強豪を選ばず遠方の県へ行き実績を残した。結果として野球弱小県のレベルが上がったとも言える。それはそれでいいが、結局はそれがより野球留学を助長させ、地元の公立勢が皆目甲子園に出られなくなったとしたら、本来の高校野球の在り方が失われてきたと言うことになる。かつては地方の高校から都会の強豪校へ野球がしたいがため留学したというのがあったが、今はそれが全国へ広がってしまった。だから何処の代表かなんてほとんど意味がなくなってしまった。昨今、よく言われる熊本の秀岳館高校の監督が元・松下電器の監督で、その後、全国的な強豪で知られる枚方ボーイズで選手を育成していた。そして枚方ボーイズから選手を大勢連れて行き、秀岳館高校に入学させた。したがって突然、秀岳館が強くなったというのは偶然ではないのだ。こういった例が全国各地にはある現象だ。だから昔のような高校野球とは意見合いは違っている。
ところで野球の強い大阪であるが、けして昔から強かったという訳ではない。大阪が強くなったのは戦後のことであろう。それもボーイズリーグ(リトルリーグとは異なる)を始めてからのことである。戦前も浪華商業の優勝はあるが、近畿でも大阪より兵庫、京都、和歌山の方が圧倒的に野球は強かった。さらに突き詰めて言うならば大正から昭和の始めに強かった県は限られていた。春夏の当時の中等野球で強かったのは愛知、岐阜の東海勢。京都、兵庫、和歌山の近畿。香川、愛媛の北四国。そして広島。この辺りの学校ばかりが優勝していたというのが現実で、関東に至っては慶応普通部が優勝したのが一度あるだけであった。つまり静岡、長野から広島にかけての太平洋側及び瀬戸内海側の学校しか優勝しなかったのである。
それが戦後になり小倉高校が2連覇し九州に初めて優勝旗が渡った。さらに湘南高校が初めて昭和24年・神奈川に優勝をもたらし時代は変わっていった。でも当時は文武両道の学校が強く、飽くまでも教育の一環と言った印象はあったのだろう。それがだんだんとマスメディアが高校野球を採り上げるようになり、私学は生徒を集める手段として甲子園に出ることにより学校の知名度が上がることを必然とした。まあ進学実績を上げるかスポーツで有名にするかが手段として手っ取り早かったのだろう。こうして全国から有力な選手を集める私学が増えて行き、それが各地に広がっていったというのが今の有様である。
さて大阪決戦となった今回の選抜であるが、なんでこんなことになったかというと2強時代になってしまったからであろう。つまり大阪桐蔭か履正社に良い選手が集まりやすくなった。その結果、かつて私学7強(浪商、明星、PL、大鉄、北陽、興国、近大附属、上宮は時代が遅くて入らない)と言われた時代があった大阪であるが、この頃は何処が出て来るか判らなくて今ほど選手が集中せずそこそこ分散していたものだ。それが良い選手が2校に絞られるようになり、この2校に入れなくなった大阪の野球少年達は遠方の強豪校へ分散していったというのが、より大阪の2強化を進めてしまい、以前より2校が強くなってしまったのだが、ただ面白くなくなったとも思える。また大阪の2強化は東京化、神奈川化したともいえる。東京も神奈川も最近は2校以外あまり出なくなってしまった。かつて大阪の良さは強豪が多い群雄割拠だったのに2強に絞られてしまうと全くもってつまらない。今後、しばらくはこの状況続くのかもしれないが、こうなるとますます小生は高校野球から興味が薄れてしまう。それとこれからは何処の県でも選手を他県から集めた強豪私学しか甲子園に出てこれなくなるかも知れない。もう公立高校と私立高校は別で大会を開催しないといけないのではないかとさえ思ってしまう。
さて、最後になるが大阪勢の決勝戦が行われる一方で、かつて高校野球の代名詞的強さを誇ったPL学園の野球部廃部が決まったらしい。もうPLの復活はないかもしれない。選手を全国から集めて強豪にのし上がる先鞭をつけた学校がPLだが、今や全国の強豪が昔のPLよりも露骨な選手集めのようなことをやっている。もう部活の延長で野球をやり甲子園で勝ち抜くことは至難の業になってしまったようだ。仕方がないと言えばそれまでだが、なんだか寂しいね。
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