2013.04.28 (Sun)
室生寺に行く
先週の話であるが女人高野と言われる室生寺に行ってきた。何時以来だろうか。随分と久しぶりになる。若い頃だったから、これまた30年以上前のことだろう。京都からだと結構、遠いので滅多に行けない寺ではある。何しろ三重県との県境に近い奈良の山の中にあるお寺だから、その気にならないと来ることもない。何処にあるかというと奈良県宇陀市。かつては宇陀郡室生村であった。それが周辺の幾つかの町と村が合併して宇陀市となったがとても市と言えるようなところではない。とにかく山奥。近鉄大阪線室生口大野駅で降りて路線バスで4、5㎞ほど室生側沿いの一本道を登って行く。道路の両側は山である。かれこれバスで20分。寂しい山村の到着。この山村に室生寺はある。奈良時代の末期、この地で皇太子山部新親の病気平癒の祈願が興福寺の5人の高徳な僧によって行われ、これによって卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたとと言われている。
室生寺はそれ以来、山林修行の道場として、法相・真言・天台等、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われてきた。その他、厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女人の参拝を許したことから女人高野として親しまれているのである。
室生寺は真言宗室生寺派の山寺で宇陀川の支流室生川にかかる太鼓橋を渡ると正面に本堂がある。そこを右に折れ暫く行くと仁王門がある。仁王門を通り石段を上がると正面に金堂がある。左には弥勒堂を見てさらに石段を上がると如意輪観音を本尊とする本堂がお目見えする。そしてその左後方の石段の上には何とも神々しい五重塔が姿を現すのである。さらに五重塔から400段の石段を上がると空海を祀る奥の院御影堂がある。即ち石段を上がり続ける典型的な山寺で、鄙びた中にも平野部にある寺にはない大自然と調和した伽藍の見事な佇まいに思わず見とれてしまう。ただし奥の院まで来ると流石に息が上がってしまう。でも昼間なのに杉の大木が鬱蒼と立ち並んでいて暗い木陰を冷気がわたる。まさにこれこそ室生寺独自の魅力であろう。
室生寺の仁王門をくぐるといきなり石段が続いている。石段の上には金堂が構えている。

室生寺の金堂。平安時代の初期の建造物で、釈迦如来立像が御本尊である。もちろん国宝である。

こちらは金堂から少し上がったところにある本堂である。潅頂堂と呼ばれ室生寺の本尊如意輪観音菩薩像が安置され、真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であることから本堂おも呼ばれている。建立は1308年で国宝。

本堂の左後方。石段の上に五重塔が姿を現す・

この風景は写真集とかでもあまりにも有名である。

これを見たくてみんな室生寺を訪れるのである。

総高16.1m。野外に建つ五重塔としては日本一小さい。勾配が緩い軒の出の深い檜皮葺の屋根は、朱塗りの柱、白い壁心地よい対照を保つ見事なまでの秀麗さである。建立は平安時代初期といわれ、室生山最古の建築物である。1998年9月の台風で杉の大木が倒れ大きな損傷を蒙ったが、2年後に修復落慶した。

光を浴びて神々しい。

やや上から見下ろす。

五重塔を抜けると400段の石段がある。その上に御影堂のある奥の院がある。

これは奥の院にある舞台造りの位牌堂である。どこか清水の舞台を連想させる。

室生寺境内には南北朝時代に東奔西走した公卿北畠親房とされる墓があるが、ここでははなく五條市の賀名生(あのう)にある説が有力。

室生寺はそれ以来、山林修行の道場として、法相・真言・天台等、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われてきた。その他、厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女人の参拝を許したことから女人高野として親しまれているのである。
室生寺は真言宗室生寺派の山寺で宇陀川の支流室生川にかかる太鼓橋を渡ると正面に本堂がある。そこを右に折れ暫く行くと仁王門がある。仁王門を通り石段を上がると正面に金堂がある。左には弥勒堂を見てさらに石段を上がると如意輪観音を本尊とする本堂がお目見えする。そしてその左後方の石段の上には何とも神々しい五重塔が姿を現すのである。さらに五重塔から400段の石段を上がると空海を祀る奥の院御影堂がある。即ち石段を上がり続ける典型的な山寺で、鄙びた中にも平野部にある寺にはない大自然と調和した伽藍の見事な佇まいに思わず見とれてしまう。ただし奥の院まで来ると流石に息が上がってしまう。でも昼間なのに杉の大木が鬱蒼と立ち並んでいて暗い木陰を冷気がわたる。まさにこれこそ室生寺独自の魅力であろう。
室生寺の仁王門をくぐるといきなり石段が続いている。石段の上には金堂が構えている。

室生寺の金堂。平安時代の初期の建造物で、釈迦如来立像が御本尊である。もちろん国宝である。

こちらは金堂から少し上がったところにある本堂である。潅頂堂と呼ばれ室生寺の本尊如意輪観音菩薩像が安置され、真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であることから本堂おも呼ばれている。建立は1308年で国宝。

本堂の左後方。石段の上に五重塔が姿を現す・

この風景は写真集とかでもあまりにも有名である。

これを見たくてみんな室生寺を訪れるのである。

総高16.1m。野外に建つ五重塔としては日本一小さい。勾配が緩い軒の出の深い檜皮葺の屋根は、朱塗りの柱、白い壁心地よい対照を保つ見事なまでの秀麗さである。建立は平安時代初期といわれ、室生山最古の建築物である。1998年9月の台風で杉の大木が倒れ大きな損傷を蒙ったが、2年後に修復落慶した。

光を浴びて神々しい。

やや上から見下ろす。

五重塔を抜けると400段の石段がある。その上に御影堂のある奥の院がある。

これは奥の院にある舞台造りの位牌堂である。どこか清水の舞台を連想させる。

室生寺境内には南北朝時代に東奔西走した公卿北畠親房とされる墓があるが、ここでははなく五條市の賀名生(あのう)にある説が有力。

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