2013.08.01 (Thu)
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読む
病院の蔵書コーナーのところに懐かしい文学作品があった。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である。病院には新潮社文庫版で3巻あったが、他の文庫では4巻か5巻位ある長い長い小説である。それで高校の頃に一度読んだが、もう大昔の話なのであまり詳細を覚えていない。なのでどうせ退屈な入院生活だし、この際、読んでやろうかと思い再びこの歳になって読んだという訳である。こういった古典的文学作品と言うものは、小生のような年齢になるとほとんど読まないものだが、どうせリハビリ以外やることがないので暇にあかせて読んでみた。そうせ病院を出ると読むこともないのだし・・・・・。
それにしても長い小説だな。話も複雑である。話は1860年代のロシアの地方都市、成金カラマーゾフ家の人々をめぐって展開する。父フョードルは地主貴族とは名ばかりの裸同然の身から出発し、居酒屋の経営や金貸しなどのあくどい稼業で今日の地位を築き上げた成り上がり者である。もはや彼は抑制のきかぬ激しい情熱を持つ物欲と淫蕩の権下化となり、自分も堕落し、周りにも堕落をまき散らすシニカルな毒説家である。
フョードルの先妻の子で長男のドミートリィは父から抑制のきかぬ情熱譲り受けたものの純粋さを持っている。ただし酒に溺れ、馬鹿騒ぎまでやらかすが、心の中は高潔なものへの憧れがありただし広い心も持ち合わせている。ただし妖艶な美貌の女性グルーシェンカの肉体に夢中になると、許嫁を放り出してしまい父を敵視し殺してやりたいほど憎む。
次男イワンは後妻の子で理系大学を卒業した聡明な青年である。だがフョードルの人間蔑視が異なった形で彼に投影している。イワンは神を否定し「神の創ったこの世界を認めぬ以上、人間には全てが許される」という独自の理論を打ち立てる。無神論者であり虚無主義者である。ただイワンにも血が流れている。それは兄ドミートリィの許嫁カテリーナに対する思慕に現れるのだった。
三男アリョーショは修僧院で愛の教えを説くゾシマ長老に傾倒する純粋無垢な青年で、誰からも愛され天使と呼ばれている。しかし彼自身もカラマーゾフ家の血が流れていることは理解している。
スメルジャコフはカラマーゾフ家の使用人で、癇癪の病を持ち下男として上辺は実直に働いているが、浅薄で奸智にたける。差別扱いされているだけにフョードルを憎む気持ちはだれよりも強いが、実はスメルジャコフはフョードルが白痴女に生ませた子であると噂されている。彼もまたイワンに影響された無神論者である。
以上がカラマーゾフ家の家族および同居者であるが、ここにカテリーナとグルーシェンカの2人の女性が配される。グルーシェンカはフョードルと組んであくどい儲け仕事に手を染め、自分に熱を上げる親と子を適当に翻弄し、カテリーナを意地悪く嘲笑するような悪女であるが、アリョーシャの澄んだ眼が透視したように、心の奥には純真な清らかさが生きている。これに対しカテリーナは極めて誇りの高い傲慢な女である。
この2人の女をめぐって父と子、兄と弟の複雑に絡み合った愛欲の闘いが演じられる中で、父フョードルが何者かに殺害される事件が起こる。兄弟たちのいずれも動機がある。スメルジャコフは当の夜、癇癪の発作が起こったという理由から容疑を逃れる。そしてドミートリィが豪遊など様々な状況証拠が揃っていることで逮捕されるのだった。やがて裁判が始まる。裁判の結果、実は神がなければ全てが許されるというイワンの理論にそそのかされてルメルジャコフ癇癪を隠れ蓑にしてフョードルを殺したのである。判決が出る前の日に、スメルジャコフはイワンを訪ねて、全てを打ち明けあなたが殺したのだと言い残して自殺する。
公判の場で、証人のイワンが突然「私があいつをそそのかして殺させたのです」と
大声で叫び、激しい狂気の発作を起こしたまま連れ去られる。愛するイワンの証言で衝撃をうけたカテリーナはドミートリィを犠牲にしてイワンを救おうとして、父親殺しの罪をドミートリィの手紙を提供する。すると「ドミートリィ、あんたの蛇があんたを破滅させたんだわ」とグルーシェンカが怒りに満ちて叫ぶ。そのグルーシェンカも「許してやれよ」とドミートリィの言った一言でカテリーナを許すのだった。ドミートリィは実際には手を下していないが、心の中で何時も殺してやろうと思っていたことは、殺したも同然だと自分の罪を認めるのである。苦悩の末、それを償おうと不思議な明るい気持ちで20年の懲役の判決を受ける。
大急ぎで大まかなあらすじを書くとこのようになる。推理小説的な部分もあり父フョードルを殺した犯人まで記述したのはこれから読む人にとってはちょっとまずかったかな。でも、この小説はそんな誰が殺したということよりも、もっと重要なテーマが幾らでも内包されているからあまり大きな意味はない。とにかく素晴らしい小説である。傑作が多いドストエフスキーの中でも屈指の傑作と言えよう。それだけに長くて難しくもあるが・・・・・・。
この作品の魂はイワンの劇詩『大審問官』であるといわれ、居酒屋でアリューショと対坐したイワンが、この劇詩を読みあげるところにある。この内容も長いので割愛するが、この部分を知りたければ『カラマーゾフの兄弟』を読んでください。つまり作品の内面はと言うとアリューショを巡ってゾンマ長老とイワンの間に展開される思想の闘い、キリスト教と無神論の対決があり、それ以外にも現在社会にもつながる様々な問題が作品の中に採り上げられているということだ。まさに世界文学史の中においても重要度の高い作品と言うことは間違いないだろう。
それにしても長い小説だな。話も複雑である。話は1860年代のロシアの地方都市、成金カラマーゾフ家の人々をめぐって展開する。父フョードルは地主貴族とは名ばかりの裸同然の身から出発し、居酒屋の経営や金貸しなどのあくどい稼業で今日の地位を築き上げた成り上がり者である。もはや彼は抑制のきかぬ激しい情熱を持つ物欲と淫蕩の権下化となり、自分も堕落し、周りにも堕落をまき散らすシニカルな毒説家である。
フョードルの先妻の子で長男のドミートリィは父から抑制のきかぬ情熱譲り受けたものの純粋さを持っている。ただし酒に溺れ、馬鹿騒ぎまでやらかすが、心の中は高潔なものへの憧れがありただし広い心も持ち合わせている。ただし妖艶な美貌の女性グルーシェンカの肉体に夢中になると、許嫁を放り出してしまい父を敵視し殺してやりたいほど憎む。
次男イワンは後妻の子で理系大学を卒業した聡明な青年である。だがフョードルの人間蔑視が異なった形で彼に投影している。イワンは神を否定し「神の創ったこの世界を認めぬ以上、人間には全てが許される」という独自の理論を打ち立てる。無神論者であり虚無主義者である。ただイワンにも血が流れている。それは兄ドミートリィの許嫁カテリーナに対する思慕に現れるのだった。
三男アリョーショは修僧院で愛の教えを説くゾシマ長老に傾倒する純粋無垢な青年で、誰からも愛され天使と呼ばれている。しかし彼自身もカラマーゾフ家の血が流れていることは理解している。
スメルジャコフはカラマーゾフ家の使用人で、癇癪の病を持ち下男として上辺は実直に働いているが、浅薄で奸智にたける。差別扱いされているだけにフョードルを憎む気持ちはだれよりも強いが、実はスメルジャコフはフョードルが白痴女に生ませた子であると噂されている。彼もまたイワンに影響された無神論者である。
以上がカラマーゾフ家の家族および同居者であるが、ここにカテリーナとグルーシェンカの2人の女性が配される。グルーシェンカはフョードルと組んであくどい儲け仕事に手を染め、自分に熱を上げる親と子を適当に翻弄し、カテリーナを意地悪く嘲笑するような悪女であるが、アリョーシャの澄んだ眼が透視したように、心の奥には純真な清らかさが生きている。これに対しカテリーナは極めて誇りの高い傲慢な女である。
この2人の女をめぐって父と子、兄と弟の複雑に絡み合った愛欲の闘いが演じられる中で、父フョードルが何者かに殺害される事件が起こる。兄弟たちのいずれも動機がある。スメルジャコフは当の夜、癇癪の発作が起こったという理由から容疑を逃れる。そしてドミートリィが豪遊など様々な状況証拠が揃っていることで逮捕されるのだった。やがて裁判が始まる。裁判の結果、実は神がなければ全てが許されるというイワンの理論にそそのかされてルメルジャコフ癇癪を隠れ蓑にしてフョードルを殺したのである。判決が出る前の日に、スメルジャコフはイワンを訪ねて、全てを打ち明けあなたが殺したのだと言い残して自殺する。
公判の場で、証人のイワンが突然「私があいつをそそのかして殺させたのです」と
大声で叫び、激しい狂気の発作を起こしたまま連れ去られる。愛するイワンの証言で衝撃をうけたカテリーナはドミートリィを犠牲にしてイワンを救おうとして、父親殺しの罪をドミートリィの手紙を提供する。すると「ドミートリィ、あんたの蛇があんたを破滅させたんだわ」とグルーシェンカが怒りに満ちて叫ぶ。そのグルーシェンカも「許してやれよ」とドミートリィの言った一言でカテリーナを許すのだった。ドミートリィは実際には手を下していないが、心の中で何時も殺してやろうと思っていたことは、殺したも同然だと自分の罪を認めるのである。苦悩の末、それを償おうと不思議な明るい気持ちで20年の懲役の判決を受ける。
大急ぎで大まかなあらすじを書くとこのようになる。推理小説的な部分もあり父フョードルを殺した犯人まで記述したのはこれから読む人にとってはちょっとまずかったかな。でも、この小説はそんな誰が殺したということよりも、もっと重要なテーマが幾らでも内包されているからあまり大きな意味はない。とにかく素晴らしい小説である。傑作が多いドストエフスキーの中でも屈指の傑作と言えよう。それだけに長くて難しくもあるが・・・・・・。
この作品の魂はイワンの劇詩『大審問官』であるといわれ、居酒屋でアリューショと対坐したイワンが、この劇詩を読みあげるところにある。この内容も長いので割愛するが、この部分を知りたければ『カラマーゾフの兄弟』を読んでください。つまり作品の内面はと言うとアリューショを巡ってゾンマ長老とイワンの間に展開される思想の闘い、キリスト教と無神論の対決があり、それ以外にも現在社会にもつながる様々な問題が作品の中に採り上げられているということだ。まさに世界文学史の中においても重要度の高い作品と言うことは間違いないだろう。
*Trackback
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
| BLOGTOP |