2014.02.22 (Sat)
本が邪魔
昔から本は読んできたといってもけして文学青年ではなかった。中学の頃まではマンガしか読まなかったし学校の夏休みになると読書感想文というものを出さなくてはならなかったが、これが大嫌いであった。とにかく小説の一冊もほとんど読まなかった。それが高校あたりから少しずつ読むようになり、大学に進んだあたりから本を立て続けに読むようになっただろうか。それからというものはジャンルに拘らず乱読である。最初はエッセイから読みだしたのかな。それから純文学、ミステリー、小説の合間に歴史書、面白くもない大学の経済学関係の書物、科学書、哲学書・・・・・20歳前後が本を一番読んだかもしれない。それが社会に出ると読書ペースが一気に落ちて週一冊のペースに落ち着いてしまった。その原因は社会に出ると時間的制約が大きくなったということである。だから学生の間に出来る限りの本を読んでおくということだ。社会人になると本当に仕事に追われゆっくりと本を読んでいる時間がない。それにストレスもたまるしなかなか物事に集中できない。本を読んでいても仕事のことが気になって文字を目で追っているだけのとこもあって、学生のころに読んだ本の内容は覚えているのに、社会人になってから読んだ書物の内容はお粗末ながらあまり覚えていない。困ったものだがそういうものなのだ。だから知識は何でも吸収力のある若い時に出来る限り詰め込んでおいた方が良いのだ。これは歳をとってから判ることなので、若い時はそんなことを考えないだろうが・・・・。
ところで本を最近、読まなくなった。読んでいることは読んでいるのだが目が悪くなったからだろうが老眼鏡がないと読み辛いからだ。外出しても本を持って電車の中で読むようにしているのだが、本を持って出たのはいいが老眼鏡を忘れたりするので結局、読めなかったりする。小生、若い頃は目が良かったので眼鏡など必要ないと思っていたのだが、40代後半あたりから次第と文字が読みにくくなり急激に読書ペースが落ちたことを痛感する。それで何の話だってことになるのだが、こんなに本を読まなくなっても増えるのが本だということをいいたかったのだ。知らぬ間に本は段々と増えていく。今、狭い自室(寝床と書斎兼用)に本が増えすぎて本が書架からはみだしているのだ。CDも多いのだが、これ等は別室に置いているが、本は寝転がって読んだりするので寝床の横に置いていたりするが、増殖して部屋を侵食中である。しかし、増えるものだな。10年以上前に本があまり増えすぎて500冊ほど処分したのだが・・・・。それからまた増えて自室の書架(箪笥の高さのが2つある)から溢れ、仕方なく階段の脇に置いていたが階段が狭くなるので、この分は5年ほど前に処分した。それで階段には置けないので自室に置くこととなる。すると段々と部屋が狭くなっていくのである。それでまた処分を考えないといけないのだが、二束三文の文庫本なんて古本屋に持って行っても喜んでなかなか受け取ってくれない。それに大量の本を纏めて処分できないでいる。仕方なしに自室の床に置いているのである。それとまた捨てきれない本もあるのだ。昔、友人のライトバンに積んでもらって大量に処分したが、あとで後悔したことがあった。その時は処分したが、今は絶版になって今は手に入らない書物もあったからだ。本を読まない人からしてみたらなんでだと思うだろうが、本と言うもんは簡単に捨てきれないものだ。でも段々と本が邪魔になってきた。どうにかしないといけないのだが。
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