2015.03.22 (Sun)
ピンク・フロイドのアルバム『狂気』を聴く
このアルバム『狂気』がリリースされたのは1973年らしい。らしいというのは確たる記憶がないからなのだが、ピンク・フロイドのアルバムは当時、シド・バレット在籍の頃の『夜明けの口笛吹き』から始まって『神秘』『ウマグマ』『原子心母』『おせっかい』『雲の影』とサウンド・トラック版の『モア』以外は全て持っていた。こういうとちょっと変わったロック愛好者であったかもしれない。当時、ロック好きと言うと当然、保守本流はハード・ロック。みんなレッド・ツェッペリンやディープ・パープルとかを聴いていたのかも。それ以前では王道を行くビートルズ、ローリング・ストーンズは別にしてもクリームやジミ・ヘンドリックスとかザ・フー、CCR、GFRのファンはいたがピンク・フロイドを熱心に聴いている者は私の周辺にはいなかったので淋しいものだった。当時、ピンク・フロイド、ムーディー・ブルース、キング・クリムゾン、EL&Pとかを聴いていると異端児扱いされる場合もあった。もっともキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』ほどメジャーなアルバムだとみんな聴いていたのでキング・クリムゾンは好きと言う者もいたが、ピンク・フロイドとなるとちょっと違ってくる。あんなものロックじゃないと言って憚らない輩もいたのは事実である。そういった意見が支配していた時代、私はピンク・フロイドを熱心に聴いていたものだ。
さて、このアルバム『狂気』はピンク・フロイドのコンサートに行った翌年に出された。この中で『マネー』という曲がシングルで発売されがラジオで流れていた。ピンク・フロイドと言うのはシングル盤よりもアルバムで聴いてこそ活きる音楽。当然、アルバムを買った。でも初めてアルバムを聴いたときの印象は意外だった。それは珍しく歌詞の付いた曲が多いと言うこと。『原子心母』『おせっかい』で感じたインスルメンタルの大曲があまりなく『マネー』などは普通のロック・バンドのような楽曲だと思った。それが意外だったのだ。ピンク・フロイドはこのような曲作りもするのだとと面食らった覚えがある。でもトータル的にはピンク・フロイドらしさはあったが、驚いた部分が散見され当初はつまらないアルバムだと思ったものである。その後、聴きこむことにより、その思いは払拭されたのではあるが。
しかしである。私の印象とは正反対にピンク・フロイドの『狂気』は全世界で大ヒットした。それまでピンク・フロイドに見向きもしなかった人が買い求め、日本でもこれを境にピンク・フロイド・ファンが増えていったように思う。また何時の間にかプログレッシヴ・ロックなんて言われ出していた。私は当時????? 何で突然ピンク・フロイドが持て囃されるようになったのか不思議に感じたものである。もうマニアックな音楽ではなくなっていたのかな。結局、このアルバムの大ヒットをきっかけに過去のピンク・フロイドのアルバムを買い求めて聴く人が増えたのであるが、何か釈然としなかった。でも一部のマニアックな・ファンしか聴かなかったピンク・フロイドを聴く人が一気に増えて嬉しかったというのを覚えている。なにしろその一年前の1972年3月のピンク・フロイドの京都府立体育館の公演では、入りが悪く空席が多かったもので人気がないのだなと痛切に思ったものだから、『狂気』は世の中のロック・ファンを振り返らせてくれた奇跡のアルバムと言えるかもしれない。作家の安倍公房がピンク・フロイドのファンだと後年になって知ったのだが、安倍公房が何時からピンク・フロイドを聴いていたのかそれは判らない。でも『狂気』でピンク・フロイドを聴き始めた人は多いように思う。ただ私が感じるに、どれほど讃美され、ロック史上に残る名盤とされ、売り上げの面でもロングセラーを記録している歴史的アルバムになっているといっても私から見るとピンク・フロイドらしくないっといった印象は拭えない。やっぱりアトム・ハート・マザーの時のようなロック・シンフォニーのような曲がそれらしく思える。また『原子心母』を初めて聴いた時ほどの衝撃度は『狂気』には感じなかった。それは私がデビュー間もない頃からのピンク・フロイド・ファンだったからかもしれないが。
尚、このアルバムは『狂気』という邦題がついているが原題は『The Dark Side Of The Moon』である。だから聴いてみると狂気と言う印象と違うように聴こえるのしょうがないだろう。この狂気と言うタイトルは東芝EMIの洋楽プロデュサーだった石坂啓一が考えたらしい。この人はプログレッシヴ・ロックという言葉も生みだし、『原子心母』『おせっかい』のタイトルも考えた人である。
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