2007.11.15 (Thu)
船場吉兆の偽装表示問題に触れる・・・・・
相変わらず食品偽装問題が日本列島で吹き荒れているが、このところ1番目立っているのは高級料亭『船場吉兆』の食品偽装である。福岡の百貨店岩田屋で販売している『船場吉兆』の菓子や惣菜の賞味期限偽装表示問題で、店舗の女性パート、アルバイト達が反旗を翻し、次から次へと不正行為が発覚しているのだ。当初、『船場吉兆』側は本社の関与はないと発言し、現場に責任を押し付けていたが、パート従業員の発言により、次から次へと偽装が暴かれていった。
賞味期限のラベルの張り替えは当たり前、期限切れ間近のお菓子や惣菜については、日持ちがするから1ヶ月ぐらい伸ばしても大丈夫だから売れという指示・・・・。これらは全て『船場吉兆』の湯木尚治取締役の命令だという。また現場責任者のパート従業員の女性によると、偽装が発覚した10月31日~11月1日の夜、『船場吉兆』が営業する『吉兆博多店』の個室で軟禁状態にされ、湯木尚治取締役から「すべて私の責任」とする内容の文書に名前を書けと迫られたという。
『船場吉兆』側は11月9日、湯木正徳社長と長男の湯木喜久郎取締役、湯木尚治取締役が記者会見を開いて頭を下げたのはいったいなんだったのだろうか・・・・。嘘と偽りで固め、高級料亭というプライドだけが強くて、中身は空虚で愚かな実態が浮き彫りにされた形となった。
うーん、吉兆も地に落ちたなあ・・・・。いったいどうなってしまったのか・・・・。ここで私は『吉兆』の創業者である湯木貞一のことが突然のように思い浮かんだ。
湯木貞一・・・・1901年神戸生まれ、1930年に大阪の新町で割烹料理の店『吉兆』を開店。初日はお客がゼロだったという。でも口コミで客が増え、評判を呼び、小林一三、松永安左エ門といった財界人が常連客となる。茶道に目覚め、茶懐石を料理に取り入れるなどして料理の品格を高めた。1933年には石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗に因む十字仕切りのある器にヒントを得て、松花堂弁当を発案する。
その後も湯木貞一は料理界に新風を吹き込み、料理を文化として高め、ポール・ポキューズが来日した時には、『吉兆』などで懐石料理、京料理の料理法や盛り付けを伝授した。やがてポール・ポキューズは、その体験から素材を活かしたり、盛り付けに工夫したフランス料理を生み出すこととなる。そして、湯木貞一は料理界では初めての紫綬褒章を受章し、1997年にこの世を去ったのである。
さて、今回の『船場吉兆』の食品偽装問題であるが、創業者の湯木貞一が知ったら、どんな顔をするだろうか・・・・。『船場吉兆』の社長は湯木貞一の娘婿である。取締役の2人は孫である。いわば代を重ねるごとに質が低下していくパターンであるが、あいにく湯木貞一には子供が1人だけではなかった。子沢山だったので、息子や娘に暖簾分けの形でそれぞれを独立させたのである。それが今日ある吉兆グループ5社である。
『元吉兆』『神戸吉兆』『船場吉兆』『京都吉兆』『東京吉兆』の5社が独立採算制で切り盛りしていて、何処が本家とか分家とか言う概念はない。したがって各吉兆で、色合いが違っていて、それぞれに特徴があるという。なかでも『船場吉兆』はお菓子等を販売し、吉兆グループでも失笑を買っていたという。
ところで、今回の『船場吉兆』の問題発覚で思ったことだが、どれほどの高級ブランドでも、心を失えばただの三流料亭に墜落してしまうということだ。このようなブランドというのは築き上げるのは大変だが、名誉失墜は簡単である。これからはたして『船場吉兆』の信用は取り戻せるのだろうか・・・・・・。おそらく信用ガタ落ちで前途多難だと思われる。自業自得だから仕方ないが、ただ他の吉兆グループにまで、その影響が出て来るのではないかと、私は懸念しているのだが・・・。しかし、まさか他の吉兆でも同様な食品偽装をやってないだろうなあ・・・・。もしやっていたとしたら、世の中、信じられるものが何もなくなる。これぞ、まさしく世も末だ!
賞味期限のラベルの張り替えは当たり前、期限切れ間近のお菓子や惣菜については、日持ちがするから1ヶ月ぐらい伸ばしても大丈夫だから売れという指示・・・・。これらは全て『船場吉兆』の湯木尚治取締役の命令だという。また現場責任者のパート従業員の女性によると、偽装が発覚した10月31日~11月1日の夜、『船場吉兆』が営業する『吉兆博多店』の個室で軟禁状態にされ、湯木尚治取締役から「すべて私の責任」とする内容の文書に名前を書けと迫られたという。
『船場吉兆』側は11月9日、湯木正徳社長と長男の湯木喜久郎取締役、湯木尚治取締役が記者会見を開いて頭を下げたのはいったいなんだったのだろうか・・・・。嘘と偽りで固め、高級料亭というプライドだけが強くて、中身は空虚で愚かな実態が浮き彫りにされた形となった。
うーん、吉兆も地に落ちたなあ・・・・。いったいどうなってしまったのか・・・・。ここで私は『吉兆』の創業者である湯木貞一のことが突然のように思い浮かんだ。
湯木貞一・・・・1901年神戸生まれ、1930年に大阪の新町で割烹料理の店『吉兆』を開店。初日はお客がゼロだったという。でも口コミで客が増え、評判を呼び、小林一三、松永安左エ門といった財界人が常連客となる。茶道に目覚め、茶懐石を料理に取り入れるなどして料理の品格を高めた。1933年には石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗に因む十字仕切りのある器にヒントを得て、松花堂弁当を発案する。
その後も湯木貞一は料理界に新風を吹き込み、料理を文化として高め、ポール・ポキューズが来日した時には、『吉兆』などで懐石料理、京料理の料理法や盛り付けを伝授した。やがてポール・ポキューズは、その体験から素材を活かしたり、盛り付けに工夫したフランス料理を生み出すこととなる。そして、湯木貞一は料理界では初めての紫綬褒章を受章し、1997年にこの世を去ったのである。
さて、今回の『船場吉兆』の食品偽装問題であるが、創業者の湯木貞一が知ったら、どんな顔をするだろうか・・・・。『船場吉兆』の社長は湯木貞一の娘婿である。取締役の2人は孫である。いわば代を重ねるごとに質が低下していくパターンであるが、あいにく湯木貞一には子供が1人だけではなかった。子沢山だったので、息子や娘に暖簾分けの形でそれぞれを独立させたのである。それが今日ある吉兆グループ5社である。
『元吉兆』『神戸吉兆』『船場吉兆』『京都吉兆』『東京吉兆』の5社が独立採算制で切り盛りしていて、何処が本家とか分家とか言う概念はない。したがって各吉兆で、色合いが違っていて、それぞれに特徴があるという。なかでも『船場吉兆』はお菓子等を販売し、吉兆グループでも失笑を買っていたという。
ところで、今回の『船場吉兆』の問題発覚で思ったことだが、どれほどの高級ブランドでも、心を失えばただの三流料亭に墜落してしまうということだ。このようなブランドというのは築き上げるのは大変だが、名誉失墜は簡単である。これからはたして『船場吉兆』の信用は取り戻せるのだろうか・・・・・・。おそらく信用ガタ落ちで前途多難だと思われる。自業自得だから仕方ないが、ただ他の吉兆グループにまで、その影響が出て来るのではないかと、私は懸念しているのだが・・・。しかし、まさか他の吉兆でも同様な食品偽装をやってないだろうなあ・・・・。もしやっていたとしたら、世の中、信じられるものが何もなくなる。これぞ、まさしく世も末だ!
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