2009.10.24 (Sat)
去り行くタワー
旧・朝日放送社屋の隣にあった電波塔が取り壊されている。すでに天辺までの高さが100mを僅かに超えているぐらいまでに低くなっている。でも朝日放送の電波塔といっても判りにくいかもしれないが通称で大阪タワーというと判るだろうか。大阪タワーといっても知名度なら通天閣よりも遥かにおちる。でも高さでは通天閣の103mに対して大阪タワーは158mと優っていた。
大阪タワーは朝日放送が中之島から大淀区に移転してきた時、社屋と同時に造られた。当初は社屋の上に鉄塔が建てられるはずだったが、少なくとも110m以上の電波塔が必要ということで、社屋の上では無理があることから急遽、社屋の横の空き地に建てられる事となったが、土地が狭いことから東京タワーのような裾が広がった形の鉄塔が造れず、やむなく五重の塔のような形となったようだ。
完成が1966年7月というから、まだ完成して43年にしかならず、それでいて壊されているのである。既に朝日放送が昨年、堂島川沿いに新社屋を建てて移転したことは、このブログ上で記事にしたことがあるが、この大淀の旧・社屋は完全に跡形もなくなり更地となっている。それで大阪タワーがグリップダウン工法(通称ダルマ落とし)で、取り壊されている最中なのだが、ずいぶんと低くなったものである。この調子だと年内にすっかり姿を消してしまいそうであるが、それにしても大阪タワーというのは実に短い命だったなと思う。
そもそも大阪を代表する鉄塔というと通天閣が在り、こちらは明治時代に初代が建てられ、現在のは2代目である。でも高さが103mと低い。まあ、テレビ塔でもなく、もともとは博覧会の目玉として建てられた鉄塔なので、形が面白かったのだが、空襲で焼け落ち、戦後に地元の商店街の人の嘆願で建てられた鉄塔なので、大阪の人には低くても愛着があるのだろう。でも大阪タワーは知名度でも今一つであった。本来、建てられるはずではなった鉄塔だが、急遽建てられ、電波塔としての役割を果すことになるのだが、大阪タワーなんていう名前から想像すると意外にも低い。158mなんて東京タワーの半分もない。
もっとも関西には東京タワーのような電波塔を建てる必要などないから、この程度の高さでおさまっているのだが・・・・・・・・・。つまりだだ広い関東平野全体にテレビの電波を届かすのが必要だったから、東京タワーはあの高さになり、新たに第二東京タワーも超高層ビルが乱立した今日においては、600mの高さが必要だったということになるのだが、関西では標高600m以上ある生駒山の山頂に小さな電波塔さえ建てれば、それで関西全てに電波が行届くので、桁外れの高さの電波塔を建てる必要が全くないのである。それで大阪タワーなんていう名の鉄塔もあまり活躍することもなく、お役ごめんとなってしまった。
2008年9月20日に書いた記事を参照してもらうと判ると思うが、大阪タワーも低くなり、隣の元ホテル・プラザの高さとあまり変わらなくなりつつある。このまま、工事が進み、いよいよ消えてなくなるのだろう。いずれ大阪タワーなんていう大袈裟な名前を持った鉄塔があったと、人から人に語り継がれるようになり、その頃には、この周辺も大阪タワー以上に高いビルディングで埋もれつつある街に変貌しているかもしれない。
左の元ホテル・プラザが搭屋部分も含めて高さが88m(23階)である。それから推測すると、大阪タワーの高さは100mと少し超えているぐらいだろうか。いや、100mもないかもしれない。
違う角度から撮ってみた。右の板塀は旧・朝日放送社屋があったところ。
大阪タワーは朝日放送が中之島から大淀区に移転してきた時、社屋と同時に造られた。当初は社屋の上に鉄塔が建てられるはずだったが、少なくとも110m以上の電波塔が必要ということで、社屋の上では無理があることから急遽、社屋の横の空き地に建てられる事となったが、土地が狭いことから東京タワーのような裾が広がった形の鉄塔が造れず、やむなく五重の塔のような形となったようだ。
完成が1966年7月というから、まだ完成して43年にしかならず、それでいて壊されているのである。既に朝日放送が昨年、堂島川沿いに新社屋を建てて移転したことは、このブログ上で記事にしたことがあるが、この大淀の旧・社屋は完全に跡形もなくなり更地となっている。それで大阪タワーがグリップダウン工法(通称ダルマ落とし)で、取り壊されている最中なのだが、ずいぶんと低くなったものである。この調子だと年内にすっかり姿を消してしまいそうであるが、それにしても大阪タワーというのは実に短い命だったなと思う。
そもそも大阪を代表する鉄塔というと通天閣が在り、こちらは明治時代に初代が建てられ、現在のは2代目である。でも高さが103mと低い。まあ、テレビ塔でもなく、もともとは博覧会の目玉として建てられた鉄塔なので、形が面白かったのだが、空襲で焼け落ち、戦後に地元の商店街の人の嘆願で建てられた鉄塔なので、大阪の人には低くても愛着があるのだろう。でも大阪タワーは知名度でも今一つであった。本来、建てられるはずではなった鉄塔だが、急遽建てられ、電波塔としての役割を果すことになるのだが、大阪タワーなんていう名前から想像すると意外にも低い。158mなんて東京タワーの半分もない。
もっとも関西には東京タワーのような電波塔を建てる必要などないから、この程度の高さでおさまっているのだが・・・・・・・・・。つまりだだ広い関東平野全体にテレビの電波を届かすのが必要だったから、東京タワーはあの高さになり、新たに第二東京タワーも超高層ビルが乱立した今日においては、600mの高さが必要だったということになるのだが、関西では標高600m以上ある生駒山の山頂に小さな電波塔さえ建てれば、それで関西全てに電波が行届くので、桁外れの高さの電波塔を建てる必要が全くないのである。それで大阪タワーなんていう名の鉄塔もあまり活躍することもなく、お役ごめんとなってしまった。
2008年9月20日に書いた記事を参照してもらうと判ると思うが、大阪タワーも低くなり、隣の元ホテル・プラザの高さとあまり変わらなくなりつつある。このまま、工事が進み、いよいよ消えてなくなるのだろう。いずれ大阪タワーなんていう大袈裟な名前を持った鉄塔があったと、人から人に語り継がれるようになり、その頃には、この周辺も大阪タワー以上に高いビルディングで埋もれつつある街に変貌しているかもしれない。
左の元ホテル・プラザが搭屋部分も含めて高さが88m(23階)である。それから推測すると、大阪タワーの高さは100mと少し超えているぐらいだろうか。いや、100mもないかもしれない。
違う角度から撮ってみた。右の板塀は旧・朝日放送社屋があったところ。
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