2010.04.07 (Wed)
久米正雄『受験生の手記』を読む

久米正雄の『受験生の手記』というと中学生の時、読書感想文の課題図書の一つに指定されて読んだ覚えがる。何でこの小説が選ばれたのか知る芳もないが私は当時、教師の嫌がらせかと勘繰ったぐらいだ。とにかく主人公が勉強ばかりしているといった印象があった。それで国語の教師も、我々、生徒にこの主人公ぐらい勉強するようにと説いた。しかし、私は大きなお世話であると言いたかった。久米正雄がこの『受験生の手記』を書いたのが大正時代の初期である。今の大学と違ってごく僅かな選ばれたエリートしか大学に進学できなかった時代の小説である。だから主人公が勉強ばかりしているというのは当たり前であり、勉強の虜のような連中しか大学に行かなかったのだから当然である。中学時代の教師が、この主人公である健吉は1日10時間を勉強するのだといって力説していたことを思い出すが、それを我々のような昭和時代の凡人に対し、同様の勉強をやれというのも所詮、無理な話ではあるが、教師という立場から何かと向学心をつけさせようと苦心惨憺していたのだろう。大人になった今だから、判ることだが中学生の頃には、何故、勉強するのか私自身もよく理解していなかったというのが本当のところで、もっと勉強していればよかったと後悔するのは誰しも同じだろう。
話を『受験生の手記』に戻すが、ここでこの小説のことをウダウダ書いてもあまり意味はない。なにしろ旧制時代の一高を受けようとする受験生の話なので、現在とはかけ離れすぎていてあまりリアルではない。だから簡単なあらすじだけを書いておくとする。
・・・主人公の健吉は一高の受験に一度失敗している一浪である。また翌年の受験に備えて、東京の義兄の家に居候して受験勉強に励んでいた。とはいうもののなかなか集中できない。さらに、義兄の姪にあたる澄子に淡い恋心を抱くようになる。それから間もなく健吉の弟である健次がやはり受験のたやってくる。弟も一高受験するためで、兄弟で同時期に同じ学校を受験するのであった。やがて運命の試験が始まり、その結果、健吉はまたも不合格。一方の弟は合格であった。傷心している健吉にさらに追い討ちをかけるかのように、澄子が弟の健次に恋をしていることが判る。健吉は汽車に乗り田舎に帰る決心をするが、途中、下車して猪苗代湖に入水自殺を計る。
大正時代の受験生にありがちなナイーヴで繊細な神経を持ち合わせたエリート達。こんな例はいくらでもあったのではないだろうか。男女七歳にして席を同じゅうせず。と言われた時代のお話であるからして、旧制の高等学校を受験するエリート学生たちは、今の高校生のように恋愛経験などあるはずもない。だが、思春期に入っている年代だから当然のように好みの異性に恋心を抱くことは想像できる。それが受験失敗から、恋心を抱いている女性が、よりによって自分の弟が好きであったという現実が、彼を自殺に追いやったとしたら何とも切ない話である。最も戦後の学制改革で旧制の高等学校はなくなり、男女別学から男女共学になった。全てが戦前と変わってしまった。今の高等学校は誰でも入れるし(もちろんレベルの差はあるが)、大学の進学率も飛躍的に上がり、選り好みさえしなけらば高卒の全員が大学に入れるようになった。こんな時代だから、健吉のような壊れ易い繊細な神経を持っている生徒は希少価値になりつつある。でも今は贅沢になった分だけ、どうしようもなく甘やかされて自立心欠如から引き篭もりになっている児童、生徒も増えたというが、健吉の持つ繊細とは雲泥の差がありそうだ。
ところで作者の久米正雄であるが、彼自身は推薦で一高に入っているので浪人の体験はなく、どこで小説の題材を拾ってきたのかは不明であるが、久米正雄は、その後に東大文学部に入り卒業後、師事していた夏目漱石の長女筆子に恋するが、直後に夏目漱石が亡くなったので漱石夫人に結婚の許しを請うている。結局、結婚は敵わず筆子はよりによって同門の小説家だった二枚目の松岡譲と結婚する。このことについて、久米正雄は後々まで色々と記述していて、よほど悔恨していたとみえる。そういった久米正雄の性格から考えると、一高の受験失敗よりも恋していた女性に裏切られたことによって自殺したということの方がストーリーの中においては、重要性をおびていたのかも知れない。もっとも松岡譲とは久米正雄の晩年に和解している。尚、『受験氏の手記』を言う小説は短編、中篇を集めた『学生時代』という小説集の収められている。
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