2010.06.28 (Mon)
映画『ブレードランナー』を観る
『ブレードランナー』1982年製作、アメリカ、香港映画
監督 リドリー・スコット
出演 ハリソン・フォード
ルトガー・ハウアー
ショーン・ヤング
エドワード・ジェームズ・オルモス
ブライオン・ジェームズ
ジョアンナ・キャシディ
【あらすじ】時は2019年、地球の環境が悪化した結果、人類の多くは宇宙へと移住して行き、地球に残った人は、過密な都市空間に住んでいた。一方、移民惑星の宇宙開拓前線ではレプリカンとと呼ばれる人造人間が奴隷として働いていた。外見上は人間と変らないが、彼らには感情が欠如していた。それが製造から月日が経ち、彼らの中にも感情が芽生えだした。やがて彼らも人間に反乱するようになりるが、そのレプリカント達を処刑するのがブレードランナーである。こうして植民地惑星から4体のレプリカンとが脱走し、地球に潜入し人間社会に紛れ込もうそしていた。そこで、ブレードランナーのデッカードは、レプリカントを追う任務を任される。こうしてレプリカントとブレードランナーの対決が始まるが・・・・・・。
この映画を観たのは30年近く前になる。1982年製作だから、おそらくその年か翌年に封切られたと思う。でも、その頃の批評は散々で、同じ頃に製作された『E.T』や少し前の『スター・ウォーズ』と比較しても人気がなく、SF映画でも異質な雰囲気を持つこの作品は判りにくいという意味で受けなかったように思う。確かに上映当時、当時のSF映画の概念からは浮いていた。1982年からだと2019年というのは近未来ではあるが、所謂、大宇宙を舞台にしているのでもなく、また、異性人が登場するというのでもない。舞台はあくまで2019年の地球であり西洋の都市ロサンジェルスである。それも何処か雑然とした都市空間が現れる。どこかゴミゴミしていて、西洋の近代都市の整然さは垣間見れないし、どちらかというとアジアの都市の猥雑さを含んだ、陰鬱で退廃的な画面が映画全体を支えている。
ところで原作はフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』であって、このような題名だと、いくらか意味が判るかと思うが、内容は結構、哲学的なものであって、単純で判りやすいストーリーでないことは確かである。それをリドリー・スコット特有の無国籍風の映像、世界観というものがあり、こういった暗い内容で終始していて、当時の人には一般受けしなかったといえるだろう。それが、現在では『ブレードランナー』は一部の人に熱狂的に支持される映画となってしまった。また、リドリー・スコット自身も考えるところがあって、何度も編集を重ね、色々なバージョンの『ブレードランナー』が存在する。
当初、上映された『ブレードランナー』もあれば、国際バージョンもあり、ディレクターズ・カット版もある。さらに、ファイナル・カット版もあるし、結局は、それぞれのバージョンで観た印象は徐々に違ってくるし、それぞれの人が好きなように解釈すればいいっことであって、映像は多くは語らない。詳細を知りたければ原作を読めばいいのだし、映画と小説を同一線上で語れない。それだけに『ブレードランナー』はカルト的な人気のある映画として、今では語られるのかもしれない。
『ブレードランナー』トレイラー。
監督 リドリー・スコット
出演 ハリソン・フォード
ルトガー・ハウアー
ショーン・ヤング
エドワード・ジェームズ・オルモス
ブライオン・ジェームズ
ジョアンナ・キャシディ
【あらすじ】時は2019年、地球の環境が悪化した結果、人類の多くは宇宙へと移住して行き、地球に残った人は、過密な都市空間に住んでいた。一方、移民惑星の宇宙開拓前線ではレプリカンとと呼ばれる人造人間が奴隷として働いていた。外見上は人間と変らないが、彼らには感情が欠如していた。それが製造から月日が経ち、彼らの中にも感情が芽生えだした。やがて彼らも人間に反乱するようになりるが、そのレプリカント達を処刑するのがブレードランナーである。こうして植民地惑星から4体のレプリカンとが脱走し、地球に潜入し人間社会に紛れ込もうそしていた。そこで、ブレードランナーのデッカードは、レプリカントを追う任務を任される。こうしてレプリカントとブレードランナーの対決が始まるが・・・・・・。
この映画を観たのは30年近く前になる。1982年製作だから、おそらくその年か翌年に封切られたと思う。でも、その頃の批評は散々で、同じ頃に製作された『E.T』や少し前の『スター・ウォーズ』と比較しても人気がなく、SF映画でも異質な雰囲気を持つこの作品は判りにくいという意味で受けなかったように思う。確かに上映当時、当時のSF映画の概念からは浮いていた。1982年からだと2019年というのは近未来ではあるが、所謂、大宇宙を舞台にしているのでもなく、また、異性人が登場するというのでもない。舞台はあくまで2019年の地球であり西洋の都市ロサンジェルスである。それも何処か雑然とした都市空間が現れる。どこかゴミゴミしていて、西洋の近代都市の整然さは垣間見れないし、どちらかというとアジアの都市の猥雑さを含んだ、陰鬱で退廃的な画面が映画全体を支えている。
ところで原作はフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』であって、このような題名だと、いくらか意味が判るかと思うが、内容は結構、哲学的なものであって、単純で判りやすいストーリーでないことは確かである。それをリドリー・スコット特有の無国籍風の映像、世界観というものがあり、こういった暗い内容で終始していて、当時の人には一般受けしなかったといえるだろう。それが、現在では『ブレードランナー』は一部の人に熱狂的に支持される映画となってしまった。また、リドリー・スコット自身も考えるところがあって、何度も編集を重ね、色々なバージョンの『ブレードランナー』が存在する。
当初、上映された『ブレードランナー』もあれば、国際バージョンもあり、ディレクターズ・カット版もある。さらに、ファイナル・カット版もあるし、結局は、それぞれのバージョンで観た印象は徐々に違ってくるし、それぞれの人が好きなように解釈すればいいっことであって、映像は多くは語らない。詳細を知りたければ原作を読めばいいのだし、映画と小説を同一線上で語れない。それだけに『ブレードランナー』はカルト的な人気のある映画として、今では語られるのかもしれない。
『ブレードランナー』トレイラー。
*Trackback
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
| BLOGTOP |