2010.02.09 (Tue)
キリン、サントリー経営統合交渉決裂
キリン・ホールディングスとサントリー・ホールディングスの経営統合交渉が決裂したという。そもそもこれは当初から無理があったのではないかとは思うが・・・・。つまり株式を公開しているパブリック・カンパニーのキリンと、株式非上場のオーナー会社であるサントリーというのは、経営統合へむけて交渉中という情報が流れてからでも、どうだろいうかという懸念はあった。ことにサントリーは株式の約90%を創業者一族が運営する寿不動産が保有するという稀有な会社で、株式を証券取引所に上場していないのだ。だから根本的にキリン側との考え方が違いすぎていたとしかいえないだろう。
でも何故、経営統合の話が持ち上がったのだろうか。日本国内の企業が相次いで再編する中で、キリンもサントリーも、今後の人口減少で国内市場に期待できなくなったことから、海外へ向けて大いなる進出を計るうえで、統合は必要であると考えたのかもしれない。でもお互い個性の強い会社同士である。交渉途上ですでにもめていると言う情報は入っていた。キリン側は統合比率を2対1ぐらいで話を進めていたらしい。でもサントリー側は譲らず、結局は交渉が決裂してしまった。こうして世界で戦える食品、飲料の総合会社の誕生は泡と消えてしまったのだが、はたして統合すれば何もかもいいことばかりなのかどうか・・・・・。マイナス面もあると思うのだが。
キリンというのはかつての大財閥であった三菱グループの一角としてビールを製造販売して伸し上がってきたのに対し、サントリーは鳥井家が中心になって日本発のウイスキー会社として君臨してきたのである。それがサントリーも近年はウイスキー以外のビールや、飲料水全般を製造販売して大きくなった特殊な会社である。それがお互い相容れない社風が真っ向から対立したのかもしれない。
ただ私なんか思うが、企業の個性が強いから互いに切磋琢磨してライバルとして、相手を尊重しつつも自社を伸ばすことに夢があったのではないだろうか。それが同業者同士が再編ばかり繰り返し、強大企業になったからといって、いっそう発展があるかというと、結果的からいって疑問符がつくのではないだろうか。かつての合併や統合は大きいほうが小さいほうを吸収する形で合併したりしているが、かつてのスカイラインを生んだプリンス自動車なんかにもいえるが、日産に吸収され暫くはよかったものの、今となってはトヨタの後塵を拝している。それで今回は大きいほうのキリンがサントリーをおそらく吸収しようとしたのかもしれない?
ただサントリーの創業者一族は名うてのツワモノだったということか。簡単には条件を呑まず譲らずといったところか。ただ関西の人間にとっては、これで良かったという人は多い。キリンと統合すると、どうせサントリーも東京に本社を移してしまうことが目に見えているからだ。今や関西発(大阪)の大企業の多くが、東京に本社を移してしまった。いったい何100社あるのだ。結局、大阪の地盤沈下を嘆いている関西財界人の多くも、裏ではきっちり東京にシフトを移しているではないか。これだと自分で自分のクビを締めている様なものだ。これで大阪、関西の経済衰退を防げるのか・・・・。企業がどんどんと出て行ってしまうのに、地盤沈下が防げるはずなどないと思うけど。こうして企業の東京集中が強化され、どの企業も個性がなくなり、だんだんと日本全体が沈没していくという図式が判らないのだろうか・・・・・・。企業は育まれた土地にあるから個性があるのに、何でもかんでも同じ地域に集まると、烏合の集のようになってしまうかもしれないし、没個性ばかりが寄り集まって、どこも似たり寄ったりということもありうる。だからある意味で、今回のキリン、サントリーの経営統合交渉の決裂は、関西の人にとっては嬉しいニュースかもしれない。要するにサントリーは、もうこれ以上大きくならなくてもいいから、何時までも文化事業に投資する優良企業であって欲しいと願うのみである。
でも何故、経営統合の話が持ち上がったのだろうか。日本国内の企業が相次いで再編する中で、キリンもサントリーも、今後の人口減少で国内市場に期待できなくなったことから、海外へ向けて大いなる進出を計るうえで、統合は必要であると考えたのかもしれない。でもお互い個性の強い会社同士である。交渉途上ですでにもめていると言う情報は入っていた。キリン側は統合比率を2対1ぐらいで話を進めていたらしい。でもサントリー側は譲らず、結局は交渉が決裂してしまった。こうして世界で戦える食品、飲料の総合会社の誕生は泡と消えてしまったのだが、はたして統合すれば何もかもいいことばかりなのかどうか・・・・・。マイナス面もあると思うのだが。
キリンというのはかつての大財閥であった三菱グループの一角としてビールを製造販売して伸し上がってきたのに対し、サントリーは鳥井家が中心になって日本発のウイスキー会社として君臨してきたのである。それがサントリーも近年はウイスキー以外のビールや、飲料水全般を製造販売して大きくなった特殊な会社である。それがお互い相容れない社風が真っ向から対立したのかもしれない。
ただ私なんか思うが、企業の個性が強いから互いに切磋琢磨してライバルとして、相手を尊重しつつも自社を伸ばすことに夢があったのではないだろうか。それが同業者同士が再編ばかり繰り返し、強大企業になったからといって、いっそう発展があるかというと、結果的からいって疑問符がつくのではないだろうか。かつての合併や統合は大きいほうが小さいほうを吸収する形で合併したりしているが、かつてのスカイラインを生んだプリンス自動車なんかにもいえるが、日産に吸収され暫くはよかったものの、今となってはトヨタの後塵を拝している。それで今回は大きいほうのキリンがサントリーをおそらく吸収しようとしたのかもしれない?
ただサントリーの創業者一族は名うてのツワモノだったということか。簡単には条件を呑まず譲らずといったところか。ただ関西の人間にとっては、これで良かったという人は多い。キリンと統合すると、どうせサントリーも東京に本社を移してしまうことが目に見えているからだ。今や関西発(大阪)の大企業の多くが、東京に本社を移してしまった。いったい何100社あるのだ。結局、大阪の地盤沈下を嘆いている関西財界人の多くも、裏ではきっちり東京にシフトを移しているではないか。これだと自分で自分のクビを締めている様なものだ。これで大阪、関西の経済衰退を防げるのか・・・・。企業がどんどんと出て行ってしまうのに、地盤沈下が防げるはずなどないと思うけど。こうして企業の東京集中が強化され、どの企業も個性がなくなり、だんだんと日本全体が沈没していくという図式が判らないのだろうか・・・・・・。企業は育まれた土地にあるから個性があるのに、何でもかんでも同じ地域に集まると、烏合の集のようになってしまうかもしれないし、没個性ばかりが寄り集まって、どこも似たり寄ったりということもありうる。だからある意味で、今回のキリン、サントリーの経営統合交渉の決裂は、関西の人にとっては嬉しいニュースかもしれない。要するにサントリーは、もうこれ以上大きくならなくてもいいから、何時までも文化事業に投資する優良企業であって欲しいと願うのみである。
2010.01.11 (Mon)
今日は成人の日らしい・・・
今日は祝日だが何の日だったのかとカレンダーを見たら成人の日であった。でも1月の中頃の祝日というと成人の日しかない筈なんだが、このところ成人の日が毎年違うので、つい何の日だったのかと考えてしまうのである。何時から祝日が日曜日の翌日にくるようになったのかなあ。もう何年も前のことだが、未だに成人の日は1月15日というのが私の記憶の中から離れない。でも、この日が来るたびに思う事だが成人の日なんて必要あるのかなあ。
昔は元服といたものがあったらしいが、現在のような複雑な構造社会においては意味をなさないだろうし、現在の成人年齢というのは、まだ独り立ちしていない人が多く江戸時代の社会とは大きく異なっているから成人というものも何を持って成人とするのかよく判らないところが多い。一応、大人として認めるということになるのだろうが、これは社会人として独り立ちするということと自己責任を持つということ、またそれには社会的責任を持つということも含まれるのだが、とてもそれに見合うことが出来てない大人が多くて困ってしまうのだが。所謂、子供大人が多いという現実があって、最近はその割合が増しているように思う。
最近の成人式で式の最中に大騒ぎする者や、酒を飲んで警察に検挙される者が日本の何処かで必ずいるが、こんなの昔では考えられなかったことだ。それが7、8年ぐらい前から成人式となるとこういったことがニュースになる。やはり全体的に精神年齢が昔より低くなっていることは確かなようだ。成人というのは個人の責任で何をやってもいいことになっている。親の承諾もいらないし、酒も飲めるし煙草も解禁、その他、何でも自由になる。でも一方で自分の行動に責任も持たなければならない。それは当然のことである。それを自由だから公式の場で暴れるやら酒を飲んで騒ぐというのは、意味を穿き違えているとしか思えない。彼らはもっと本当の意味での大人にならなくてはならないだろう。あんなことをやっている間は、まだまだ子供としかいえないね。それに成人式が嫌なら成人式に行かなければいい。それともみんなが集まる場で、目立ちたいだけなのか・・・・・・。
私なんか成人式に参加しなかった。私の成人式というと、かれこれ30何年も前のことだったが、あんなもの行く必要あるのかと思ったし、成人式を行なう意味もないと考えていた。だからその日は、前日の夜勤明けから帰ってきて、昼間はひたすら眠っていた(大学生だったんだが)。何だか振袖着たりスーツ着たりで着飾りすぎだろ。それに卒業した学校の友人達と再会する意味でみんな行っていたのだと思う。要は同窓会のようなものだった。だから私は行かなかった。
もっとも20歳といっても充分、精神的にも経済的にも社会的にも大人の人がいるかと思えば、30歳なっても一向に大人に成りきれない人がいる以上、地方自治体が税金をつぎ込んで、こういった公の式を行なう意味もないだろう。もうやめてしまえばどうかと思う。その結果、酒を飲んで騒ぐ連中のパーフォーマンスの見せ場に成り下がっている。彼らは人に迷惑をかけても平然と行いを遂行しようとする暴走族とやっていることはあまり変わらない。こんな彼らも大人の仲間入りするのだから困ったものだが、騒ぐことを目的にしてしまっている連中がいるのも確かなことだから、成人式もそろそろやめてしまってもいいのでは・・・・・・・。
それにしても新成人の数が減ったものである。今年は127万人しかいないという。それも今後、減り続けるというから少子化の問題は大きい。我々の頃では180万人前後だと思うが、私より上の団塊の世代では220万人~250万人の人が新成人になっていた。つまり団塊の世代に比べると今は半分の人しか新成人にならないのか・・・・・。今後、日本が老人大国へ移行していく過程において、若者の持つ意味はだんだんと大きくなっていくというのに、これだけ若者が少なくなっていくと日本の未来も明るくはないなあと意を強く持ってしまった。どうせ私は、あと30年生きているかどうか判らないが、若者が老人になる頃の日本はと見渡すにつれ暗い話題しか出てこないというのでは、少子化になるのも無理はないなあ・・・・・・。
昔は元服といたものがあったらしいが、現在のような複雑な構造社会においては意味をなさないだろうし、現在の成人年齢というのは、まだ独り立ちしていない人が多く江戸時代の社会とは大きく異なっているから成人というものも何を持って成人とするのかよく判らないところが多い。一応、大人として認めるということになるのだろうが、これは社会人として独り立ちするということと自己責任を持つということ、またそれには社会的責任を持つということも含まれるのだが、とてもそれに見合うことが出来てない大人が多くて困ってしまうのだが。所謂、子供大人が多いという現実があって、最近はその割合が増しているように思う。
最近の成人式で式の最中に大騒ぎする者や、酒を飲んで警察に検挙される者が日本の何処かで必ずいるが、こんなの昔では考えられなかったことだ。それが7、8年ぐらい前から成人式となるとこういったことがニュースになる。やはり全体的に精神年齢が昔より低くなっていることは確かなようだ。成人というのは個人の責任で何をやってもいいことになっている。親の承諾もいらないし、酒も飲めるし煙草も解禁、その他、何でも自由になる。でも一方で自分の行動に責任も持たなければならない。それは当然のことである。それを自由だから公式の場で暴れるやら酒を飲んで騒ぐというのは、意味を穿き違えているとしか思えない。彼らはもっと本当の意味での大人にならなくてはならないだろう。あんなことをやっている間は、まだまだ子供としかいえないね。それに成人式が嫌なら成人式に行かなければいい。それともみんなが集まる場で、目立ちたいだけなのか・・・・・・。
私なんか成人式に参加しなかった。私の成人式というと、かれこれ30何年も前のことだったが、あんなもの行く必要あるのかと思ったし、成人式を行なう意味もないと考えていた。だからその日は、前日の夜勤明けから帰ってきて、昼間はひたすら眠っていた(大学生だったんだが)。何だか振袖着たりスーツ着たりで着飾りすぎだろ。それに卒業した学校の友人達と再会する意味でみんな行っていたのだと思う。要は同窓会のようなものだった。だから私は行かなかった。
もっとも20歳といっても充分、精神的にも経済的にも社会的にも大人の人がいるかと思えば、30歳なっても一向に大人に成りきれない人がいる以上、地方自治体が税金をつぎ込んで、こういった公の式を行なう意味もないだろう。もうやめてしまえばどうかと思う。その結果、酒を飲んで騒ぐ連中のパーフォーマンスの見せ場に成り下がっている。彼らは人に迷惑をかけても平然と行いを遂行しようとする暴走族とやっていることはあまり変わらない。こんな彼らも大人の仲間入りするのだから困ったものだが、騒ぐことを目的にしてしまっている連中がいるのも確かなことだから、成人式もそろそろやめてしまってもいいのでは・・・・・・・。
それにしても新成人の数が減ったものである。今年は127万人しかいないという。それも今後、減り続けるというから少子化の問題は大きい。我々の頃では180万人前後だと思うが、私より上の団塊の世代では220万人~250万人の人が新成人になっていた。つまり団塊の世代に比べると今は半分の人しか新成人にならないのか・・・・・。今後、日本が老人大国へ移行していく過程において、若者の持つ意味はだんだんと大きくなっていくというのに、これだけ若者が少なくなっていくと日本の未来も明るくはないなあと意を強く持ってしまった。どうせ私は、あと30年生きているかどうか判らないが、若者が老人になる頃の日本はと見渡すにつれ暗い話題しか出てこないというのでは、少子化になるのも無理はないなあ・・・・・・。
2009.09.19 (Sat)
シルバーウィークだとさ・・・
今日から世間は5連休。何やらシルバーウィークというそうで、こんなの今月のカレンダーを捲るまで気がつかなかった。何で5連休に・・・・・と思ったら、敬老の日を月曜日の21日にもってくることによって23日の秋分の日と、間の24日の休日を含め、土曜日からの5連休が実現したということだそうな。どうも政治的な匂いがプンプンするな・・・。聞く所によると2007年5月、自民党と公明党との間で検討され決まったそうだ。また11月上旬にも大型連休をという構想があるらしい・・・・。
結局は景気対策として内需拡大を狙ってのものだろうが、このことによって人が大型連休を利用し、旅行や買い物やレジャーだといってお金を使ってくれることによって、人と物が動き経済が活発化するという事から、秋の大型連休導入を考えたのだろうが、こちらとしてはあまり嬉しくはない。まず、盆休みからまだ1ヶ月余りしかならないのに、庶民にそんな出費をする金がどこにあるというのだ。またこの不景気な時に、連休全て休める人がどれだけいるというのだろうか。多くの人は休み返上で出勤して汗を流しているだろうし、サービス業だと、まず休みは1日もないだろう。結局、全て休めてお金をつぎ込んで贅沢できる人というのは、一部の大企業に就労している人か、公務員か・・・・・ごく少数の人だけではないだろうか・・・・・。それに我々としては5連休よりも、一週間の真ん中に休みがある飛び石連休というのが案外、身体も心も癒すのに都合が良かったのだが、そういったものが無くなってきて、3日も4日も休日を続けられると、身体もなまるしだんだんと労働意欲がおちて来るのだが・・・・・・。いずれにしても政治主導で出来上がったシルバーウィークなど嬉しくも何にもない。それどころか出勤日数が、そのまま給料に反映するという派遣労働者のことは考えなくてもいいのか。彼らは連休が増えることで、実働出勤数が減り給料もダウン。それでいて増えた休日は、じっと金も使わず時間を潰さなくてはならないのだ。つまり、この秋の大型連休導入もお金持ち優遇の政策にしか見えないってことである。休みを増やすのもいいが、もっと考えなくてはならないことが山ほどあるだろう。どうも最近、この国の政治屋さんは人気取りの政策ばかりで実が伴ってないようで、困ったものです。
結局は景気対策として内需拡大を狙ってのものだろうが、このことによって人が大型連休を利用し、旅行や買い物やレジャーだといってお金を使ってくれることによって、人と物が動き経済が活発化するという事から、秋の大型連休導入を考えたのだろうが、こちらとしてはあまり嬉しくはない。まず、盆休みからまだ1ヶ月余りしかならないのに、庶民にそんな出費をする金がどこにあるというのだ。またこの不景気な時に、連休全て休める人がどれだけいるというのだろうか。多くの人は休み返上で出勤して汗を流しているだろうし、サービス業だと、まず休みは1日もないだろう。結局、全て休めてお金をつぎ込んで贅沢できる人というのは、一部の大企業に就労している人か、公務員か・・・・・ごく少数の人だけではないだろうか・・・・・。それに我々としては5連休よりも、一週間の真ん中に休みがある飛び石連休というのが案外、身体も心も癒すのに都合が良かったのだが、そういったものが無くなってきて、3日も4日も休日を続けられると、身体もなまるしだんだんと労働意欲がおちて来るのだが・・・・・・。いずれにしても政治主導で出来上がったシルバーウィークなど嬉しくも何にもない。それどころか出勤日数が、そのまま給料に反映するという派遣労働者のことは考えなくてもいいのか。彼らは連休が増えることで、実働出勤数が減り給料もダウン。それでいて増えた休日は、じっと金も使わず時間を潰さなくてはならないのだ。つまり、この秋の大型連休導入もお金持ち優遇の政策にしか見えないってことである。休みを増やすのもいいが、もっと考えなくてはならないことが山ほどあるだろう。どうも最近、この国の政治屋さんは人気取りの政策ばかりで実が伴ってないようで、困ったものです。
2009.08.30 (Sun)
衆議院選挙の日
政権が交代するのかどうか問われる衆議院選挙の日であった。今回は静かであったが、何年か前までは我が家の周辺は煩かった。とにかく衆議院の選挙ともなれば、ある党からひっきりなしに我が家へ電話がかかってきたものだ。家の電話がけたたましくなるから受話器を取ると、決まって「○○党ですが、選挙に行かれましたか」「いや、まだです」と言おうものなら、「すぐに行ってください。それで○○党を入れてください」と来るから、鬱陶しいことこのうえない。父が無くなって6年にはなるが、生きていた頃はオヤジが関係してた縁で、小生の方まで電話がかかってきては入れてくれ、入れてくれと催促する。小生が若い頃は、こちらも若気の至りで言い返したものだが、歳をとってくると、こちらも相手にするのが面倒くさくなって「ハイ、わかりました」といって、さっさと電話を切ったものだ。
かつては小生の家まで来ては、よく○○党をよろしくと挨拶をするから、こちらも黙ってなくて論争になったものである。
「○○さんは、政治にあまり関心がなさそうなので、○○党をよろしくお願いします」
「残念ながら、○○党には入れません」
「それなら、どこか支持してる党でもあるのですか」
「支持してる党は直接にはないけども、あなた方が支持してる政党には入れたくない」と言ったら、そこから論争になって、最後に「もっと本を読みなさい」と言われたので、少なくとも彼らには負けない程度の読書量があることは明確だったので、「あなた方よりは本を読んでいますよ」といったら、無言で帰っていった。
いったい選挙って何だと思う。人に薦められたから投票するのか、それとも誰を入れれば判らないから人に言われるままに投票するのか・・・・。これでは釈然としないだろう。日頃の政治無関心がこういったときに迷いを与えるのだと思うと、訳もわからずに投票に行っていいのかと思う。投票に行け行けというが、その裏で誰に入れていいかも判らないような、無頓着派、無関心派、無党派、入り乱れて投票率が上がれば選挙への関心が高くなって、興味が注がれているなんてマスメディアは採り上げるが、そんな短絡的なものではないだろう。
同じ一票といっても、考えつくして入れた一票もあれば、誰を入れていいか判らないから、人に言われるまま入れた一票も同じ一票なのである。また、なかには組織だって、○○さんに入れて、比例代表は○○党に入れましょうと、教えまわっている団体もある。はたしてこれで全うな議員が選ばれるのかどうか・・・・・小生は何時も疑問に感じているのであるが。
ただ政治といっても、人によっては理想となるものは違うだろうし、それによって支持する人、政党も違うのは当然のことである。ましてや現在のような大衆社会になると、厖大な人口に一定の生活水準の生活を維持させたいならば、政党が変わって、政治屋が変わっても、やる政治はみんな同じなんだと思うが・・・・。結局、行なう政治はみんな似てくるということだろう。
まあ、政治屋さんが大義名分をがなりたてるのもいいけれども、国民がすきっ腹では大衆はそっぽを向くだろうし・・・・・・・選挙なんてものは大義名分をがなりたてている連中の自己満足に過ぎない。また、連中の大半は偽善者である。嘘つきで、ホラ吹きであって、こうでないと政治屋になれないだろう。
でも政治にとって究極の理想というものがあるらしい。鼓腹撃壌という言葉を知っているだろうか。古い中国の歴史書に掲載されているが、腹づつみをうち、大地を叩いて歌うことを意味している。つまり天下太平を楽しむことをいう。
遥か大昔、堯と舜という理想の帝王がいて、彼らが政治を治めていた世は、まさに太平で幸福であったという。
堯が帝位について数10年、国は平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに却って、天下は本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているのか不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子どもたちが、堯を賛美する歌を歌っていた。堯は大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふとかたわらに目をやると、老百姓がおなかを叩いてリズムを取りながら(=鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。
日出でて作き、日入りて息う。
井を鑿りて飲み、田を耕して食う。
帝力我に何かあらんや日が出りゃ働き、日が沈めば休む。
井戸を掘って飲み、田を耕して食べる。
帝の力がなんであろう。居ても居なくてもおなじことさ。
この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる
まあ、こんなことは、高度で複雑なな現在社会に当てはめてみても仕方が無いが、現在の日本はどこか病んでないだろうか・・・・・・。大衆に政治を感じさせない政治が理想とするならば、今の日本は政治の不備さを感じることばかりである。最も政治を感じない大衆が多すぎるけども・・・・・・。
かつては小生の家まで来ては、よく○○党をよろしくと挨拶をするから、こちらも黙ってなくて論争になったものである。
「○○さんは、政治にあまり関心がなさそうなので、○○党をよろしくお願いします」
「残念ながら、○○党には入れません」
「それなら、どこか支持してる党でもあるのですか」
「支持してる党は直接にはないけども、あなた方が支持してる政党には入れたくない」と言ったら、そこから論争になって、最後に「もっと本を読みなさい」と言われたので、少なくとも彼らには負けない程度の読書量があることは明確だったので、「あなた方よりは本を読んでいますよ」といったら、無言で帰っていった。
いったい選挙って何だと思う。人に薦められたから投票するのか、それとも誰を入れれば判らないから人に言われるままに投票するのか・・・・。これでは釈然としないだろう。日頃の政治無関心がこういったときに迷いを与えるのだと思うと、訳もわからずに投票に行っていいのかと思う。投票に行け行けというが、その裏で誰に入れていいかも判らないような、無頓着派、無関心派、無党派、入り乱れて投票率が上がれば選挙への関心が高くなって、興味が注がれているなんてマスメディアは採り上げるが、そんな短絡的なものではないだろう。
同じ一票といっても、考えつくして入れた一票もあれば、誰を入れていいか判らないから、人に言われるまま入れた一票も同じ一票なのである。また、なかには組織だって、○○さんに入れて、比例代表は○○党に入れましょうと、教えまわっている団体もある。はたしてこれで全うな議員が選ばれるのかどうか・・・・・小生は何時も疑問に感じているのであるが。
ただ政治といっても、人によっては理想となるものは違うだろうし、それによって支持する人、政党も違うのは当然のことである。ましてや現在のような大衆社会になると、厖大な人口に一定の生活水準の生活を維持させたいならば、政党が変わって、政治屋が変わっても、やる政治はみんな同じなんだと思うが・・・・。結局、行なう政治はみんな似てくるということだろう。
まあ、政治屋さんが大義名分をがなりたてるのもいいけれども、国民がすきっ腹では大衆はそっぽを向くだろうし・・・・・・・選挙なんてものは大義名分をがなりたてている連中の自己満足に過ぎない。また、連中の大半は偽善者である。嘘つきで、ホラ吹きであって、こうでないと政治屋になれないだろう。
でも政治にとって究極の理想というものがあるらしい。鼓腹撃壌という言葉を知っているだろうか。古い中国の歴史書に掲載されているが、腹づつみをうち、大地を叩いて歌うことを意味している。つまり天下太平を楽しむことをいう。
遥か大昔、堯と舜という理想の帝王がいて、彼らが政治を治めていた世は、まさに太平で幸福であったという。
堯が帝位について数10年、国は平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに却って、天下は本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているのか不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子どもたちが、堯を賛美する歌を歌っていた。堯は大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふとかたわらに目をやると、老百姓がおなかを叩いてリズムを取りながら(=鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。
日出でて作き、日入りて息う。
井を鑿りて飲み、田を耕して食う。
帝力我に何かあらんや日が出りゃ働き、日が沈めば休む。
井戸を掘って飲み、田を耕して食べる。
帝の力がなんであろう。居ても居なくてもおなじことさ。
この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる
まあ、こんなことは、高度で複雑なな現在社会に当てはめてみても仕方が無いが、現在の日本はどこか病んでないだろうか・・・・・・。大衆に政治を感じさせない政治が理想とするならば、今の日本は政治の不備さを感じることばかりである。最も政治を感じない大衆が多すぎるけども・・・・・・。
2009.08.27 (Thu)
演説カーが喧しい
エドワード・ケネディが亡くなったという。小生が小学生の頃、時の大統領だったジョン・F・ケネディが暗殺された。それから5年後、今度は弟のロバート・ケネディがまたまた暗殺された。ケネディ家は呪われているなんて言われたりして、ケネディ家の4人の男達の末弟だけが生きていた。それがエドワード・ケネディである。長男は既に第二次世界大戦で戦死していて、次男がジョンで三男がロバートだった。結局、彼らは政治家になるためのような教育を受けていて、3人が死亡。残ったのはエドワードだけとなった。でもエドワードはスキャンダルが多く、男4人の中では1番凡庸であっただろう。でも戦死、暗殺死でなく、人生を全うし病死した。77歳だった。民主党の重鎮とされていたが、最近は脳腫瘍で身体の方も思うようにならず、1月のオバマ大統領の就任式に顔を出したのが公式の場での最後の姿となった。これでアメリカのケネディ王朝は完全にフィナーレを迎えたことになる。
一方、日本では今週の30日に衆議院議員選挙が行なわれる。そして、何時ものように党の街宣カーや演説カーが連日のように、騒音を撒き散らしている。それで昨日、職場にいる若い衆が草津に行くという。草津なんかで降りてどうするのだろうと訪ねたら、麻生太郎が来るという。まあ、総選挙が近くなると地元の党公認候補の応援演説に来ることは多々ある。でも残念ながら、小生、あの喧しい演説が大嫌い。したがって汚い声の持ち主である麻生太郎なんて見たくも無いが・・・・・・といっても、何年か前に一度、本人が演説しているところを偶然通りかかって見てしまったことがあるが・・・・・・・・・。
今日になって、麻生太郎を見に行った際の感想を彼が述べていた。「日本の総理があれではいけませんね」「貧相でチビやろ」「ホンマ、あんなんが外国へいったらなめられますわ」
でも麻生の祖父に当る吉田茂はもっとチビだったが貫禄はあった。しかし、麻生太郎には何も無い。それで何しに草津へ来たのかというと、滋賀三区から自民党公認で出馬している宇野治の応援のために来たらしい。宇野治・・・・・・・・どこかで聞いたような・・・・・宇野宗佑の息子かな? と思ったら、どうやら女婿らしい。やっぱりな・・・・。政治家は、2世、3世だらけであるが、息子がいなければ娘の夫でも引っ張り出すらしい。それだと地元の後援会が推すので、当選する可能性が高いという。あの先生にお世話になったから、その息子さんを応援しようということになる。つまりこれが日本の選挙なのである。みんな政治信条なんて持ってやしない。日本国民の民度なんて、その程度なのである。それだけに時流に流されやすい人が多く、選挙もブームというか追い風に乗った方が勝つらしい。それだけ無党派が多いということであろうか。
小生なんか、昔から首尾一貫して政治信条を変えた事などないぞ。だから天変地異がひっくりかえようが、何が起ころうが目移りはしないし、入れる政党も唯一つ。何処の党を入れるかって・・・・。そんなもの言ったところでしょうがない。ただ自民党ではないとだけ言っておこう。
でも宇野治の義父である宇野宗佑って、何ヶ月、総理に在任していたのだ。とてつもなく短命の首相だったように思うが、神楽坂の芸妓の告発によりスキャンダル発覚。私はこれで首相を辞めました(小指を立てて)といったことが現実になってしまったスケベ首相であった。でも知事という身分でありながら、若い女性に痴漢行為を働き、居直っていたハゲ漫才師がいたが、それよりはましかなといったところである。でも、何れにせよ宇野宗佑の女婿というと、あまり印象がよくないが、地元だと先生の後釜ということで票も伸びるのだろうが、無党派層が大勢、投票に駆けつけると簡単に当選ということもいえなくなるのだろう。選挙とはそんなものなのだ。無関心派が選挙に来てくれない方が、陣営によっては助かることもあるのだ。だから皆さん、選挙に行って、2世、3世議員を落としましょう。
一方、日本では今週の30日に衆議院議員選挙が行なわれる。そして、何時ものように党の街宣カーや演説カーが連日のように、騒音を撒き散らしている。それで昨日、職場にいる若い衆が草津に行くという。草津なんかで降りてどうするのだろうと訪ねたら、麻生太郎が来るという。まあ、総選挙が近くなると地元の党公認候補の応援演説に来ることは多々ある。でも残念ながら、小生、あの喧しい演説が大嫌い。したがって汚い声の持ち主である麻生太郎なんて見たくも無いが・・・・・・といっても、何年か前に一度、本人が演説しているところを偶然通りかかって見てしまったことがあるが・・・・・・・・・。
今日になって、麻生太郎を見に行った際の感想を彼が述べていた。「日本の総理があれではいけませんね」「貧相でチビやろ」「ホンマ、あんなんが外国へいったらなめられますわ」
でも麻生の祖父に当る吉田茂はもっとチビだったが貫禄はあった。しかし、麻生太郎には何も無い。それで何しに草津へ来たのかというと、滋賀三区から自民党公認で出馬している宇野治の応援のために来たらしい。宇野治・・・・・・・・どこかで聞いたような・・・・・宇野宗佑の息子かな? と思ったら、どうやら女婿らしい。やっぱりな・・・・。政治家は、2世、3世だらけであるが、息子がいなければ娘の夫でも引っ張り出すらしい。それだと地元の後援会が推すので、当選する可能性が高いという。あの先生にお世話になったから、その息子さんを応援しようということになる。つまりこれが日本の選挙なのである。みんな政治信条なんて持ってやしない。日本国民の民度なんて、その程度なのである。それだけに時流に流されやすい人が多く、選挙もブームというか追い風に乗った方が勝つらしい。それだけ無党派が多いということであろうか。
小生なんか、昔から首尾一貫して政治信条を変えた事などないぞ。だから天変地異がひっくりかえようが、何が起ころうが目移りはしないし、入れる政党も唯一つ。何処の党を入れるかって・・・・。そんなもの言ったところでしょうがない。ただ自民党ではないとだけ言っておこう。
でも宇野治の義父である宇野宗佑って、何ヶ月、総理に在任していたのだ。とてつもなく短命の首相だったように思うが、神楽坂の芸妓の告発によりスキャンダル発覚。私はこれで首相を辞めました(小指を立てて)といったことが現実になってしまったスケベ首相であった。でも知事という身分でありながら、若い女性に痴漢行為を働き、居直っていたハゲ漫才師がいたが、それよりはましかなといったところである。でも、何れにせよ宇野宗佑の女婿というと、あまり印象がよくないが、地元だと先生の後釜ということで票も伸びるのだろうが、無党派層が大勢、投票に駆けつけると簡単に当選ということもいえなくなるのだろう。選挙とはそんなものなのだ。無関心派が選挙に来てくれない方が、陣営によっては助かることもあるのだ。だから皆さん、選挙に行って、2世、3世議員を落としましょう。
2009.08.22 (Sat)
サントリーミュージアム休館
大阪の天保山にあるサントリーミュージアム天保山が来年の暮れで休館するという。何とも寂しい話であるが事実のようだ。私も何度か訪れたことがあって、公立の美術館にない奇抜な企画展示等があって気に入ってる美術館だったのに、年間数億円の赤字が嵩み、休館することになったらしい。
そもそもサントリーミュージアムは1994年秋にオープンした新しい美術館である。安藤忠雄設計による斬新な建物で、美術館以外にもアイマックスシアターという巨大スクリーンを持つ劇場も館内にあり、完成当時は話題になったもので、一時期は年間101万人の入館者があった。しかし、最近は入館者が減り昨年1年間では65万人しか入館者がなかったという。とはいうもののサントリーという企業は、サントリーミュージアム以外にもサントリー美術館、サントリーホールをも所有していて、いずれも儲かってないという。でも文化事業に熱心な企業としてのイメージがあって、赤字覚悟で文化事業に手を出してきたのに残念である。
ただ邪推でいうならば、キリンホールディングスとの統合の話があり、キリン側から採算の合わない事業を撤退せよという圧力がかかっているのではないかと・・・・・・・・・??
サントリーは非上場企業である。だから株主からの突込みがなく、これまで色々な文化事業に手を染めてきたのである。でもサントリー美術館にせよ、サントリーホールにせよ、建てた場所は東京である。ところが、サントリーというのは大阪の企業なのである。それで大阪の企業なのに、東京にばかり文化施設を作って完全に大阪を無視していると長い間、揶揄されてきた。このような大阪の財界人や文化人の要望に応えてようやく建てられたサントリーミュージアム天保山である。・・・・でも年々、累積赤字が溜まる。そこへ上場企業であるキリンホールディングスとの統合の話が進むと、赤字の事業は当然、撤退せよという方向に向うのだろう。それでその矛先は唯一、大阪にあるサントリーの文化施設に向けられたというと、今度の統合は我々、近畿在住の者にとって何のメリットも無いと思えるが、企業統合が流行る今のご時世、その流れに乗るしかないのだろう。
企業統合はいいこともあるが、必ずしもいいことばかりではない。確かに時流に乗るのはいいが、得てして企業イメージまで変わってしまうから危険な賭けである。しかし、良いイメージを持っていたサントリーまでが、利益を追い求めるだけの味気ない企業に変わっていくのは忍びない。それも大阪の土地で育まれた優良企業だけに寂しいものがある。全国的には、よくガメツイだとかケチだとか間違って伝えられている印象の強い大阪の企業だが、使うときにはいくらでも損を覚悟で大金を投資するものである。だが日頃は無駄遣いをしない。このような精神で培われていたサントリーだけに、サントリーミュージアム休館の話は寝耳に水であった。それで休館後はいったいどうなるのか判らないが、引き続きミュージアムとして残してくれると嬉しいのだが、現実は厳しいのだろうなあ・・・・・・。とにかく文化を維持するのには大金が必要なのであって、文化事業は儲からないものなのである。だからといって、これを無駄金だとして削ってしまうと、そこで文化は衰退するのである。それでサントリーも文化事業を徐々に縮小していくのだろうか・・・・・。今後は、何とも水臭いビールやウイスキーを飲まされそうだなあ・・・・・。
そもそもサントリーミュージアムは1994年秋にオープンした新しい美術館である。安藤忠雄設計による斬新な建物で、美術館以外にもアイマックスシアターという巨大スクリーンを持つ劇場も館内にあり、完成当時は話題になったもので、一時期は年間101万人の入館者があった。しかし、最近は入館者が減り昨年1年間では65万人しか入館者がなかったという。とはいうもののサントリーという企業は、サントリーミュージアム以外にもサントリー美術館、サントリーホールをも所有していて、いずれも儲かってないという。でも文化事業に熱心な企業としてのイメージがあって、赤字覚悟で文化事業に手を出してきたのに残念である。
ただ邪推でいうならば、キリンホールディングスとの統合の話があり、キリン側から採算の合わない事業を撤退せよという圧力がかかっているのではないかと・・・・・・・・・??
サントリーは非上場企業である。だから株主からの突込みがなく、これまで色々な文化事業に手を染めてきたのである。でもサントリー美術館にせよ、サントリーホールにせよ、建てた場所は東京である。ところが、サントリーというのは大阪の企業なのである。それで大阪の企業なのに、東京にばかり文化施設を作って完全に大阪を無視していると長い間、揶揄されてきた。このような大阪の財界人や文化人の要望に応えてようやく建てられたサントリーミュージアム天保山である。・・・・でも年々、累積赤字が溜まる。そこへ上場企業であるキリンホールディングスとの統合の話が進むと、赤字の事業は当然、撤退せよという方向に向うのだろう。それでその矛先は唯一、大阪にあるサントリーの文化施設に向けられたというと、今度の統合は我々、近畿在住の者にとって何のメリットも無いと思えるが、企業統合が流行る今のご時世、その流れに乗るしかないのだろう。
企業統合はいいこともあるが、必ずしもいいことばかりではない。確かに時流に乗るのはいいが、得てして企業イメージまで変わってしまうから危険な賭けである。しかし、良いイメージを持っていたサントリーまでが、利益を追い求めるだけの味気ない企業に変わっていくのは忍びない。それも大阪の土地で育まれた優良企業だけに寂しいものがある。全国的には、よくガメツイだとかケチだとか間違って伝えられている印象の強い大阪の企業だが、使うときにはいくらでも損を覚悟で大金を投資するものである。だが日頃は無駄遣いをしない。このような精神で培われていたサントリーだけに、サントリーミュージアム休館の話は寝耳に水であった。それで休館後はいったいどうなるのか判らないが、引き続きミュージアムとして残してくれると嬉しいのだが、現実は厳しいのだろうなあ・・・・・・。とにかく文化を維持するのには大金が必要なのであって、文化事業は儲からないものなのである。だからといって、これを無駄金だとして削ってしまうと、そこで文化は衰退するのである。それでサントリーも文化事業を徐々に縮小していくのだろうか・・・・・。今後は、何とも水臭いビールやウイスキーを飲まされそうだなあ・・・・・。