2011.01.22 (Sat)
GDPが中国に抜かれる
このほど日本のGDPが中国に抜かれることが確実になった。先ほど中国の国家統計局が発表した内容によると2010年の国内総生産(GDP)は前年比16.7%増の39兆7983億元(514兆9959億円)で、2月に発表される日本の名目GDPを超えることが確実となり、事実上、中国が日本を追い抜き世界第2位の経済大国となった。これで日本は1968年以来、42年間守り続けた世界第2位の経済大国の地位をとうとう明け渡したことになる。
ところで国内総生産って何だ? ということになるが、国内総生産とは国内で1年間に行われた生産活動によって産み出された価値額の合計ということになる。つまり経済を統計的に把握するのに用いられる指標で、国内で産み出された付加価値の総額のことといえばいいのだろうか。またこの国内総生産の伸び率が経済成長率ということになる。
このように書くと、いよいよ日本は落ちぶれる経済大国だといった印象が強まっていきそうだが、そもそも考えてみるとこれまでGDPが世界第2位だったという方が不思議なぐらいだ。国土は狭くアメリカや中国の20数分の1。それでいて人口は1億2700万人。それもどんどんと労働人口が減りつつあり老人が増加の一途。アメリカは人口が3億1千万人、中国に至っては何と日本の10倍強の人口を誇る。こんな超大国と肩を並べてきた方が奇跡に近いのだ。だから中国に追い抜かれたからってどうなんだということになるが、これまで日本人の意識の中にあった自負、自信というものが徐々に薄らいでくるのかもしれない。
日本という国は敗戦の痛手から奇跡的に立ち直り、戦後はなりふり構わず前進してきた。その結果、世界第2位という経済大国になり、いつしか世界の中で先進国として認めれれるようになり、これまでアジアの最先端国としての誇りを持ってきたのである。それが中国にGDPで抜かれることが確実になると、世界の注目はアジアでも中国に目がいくことになる。そういった意味では斜陽国家といわれることになるかもしれないが、これも考えようではないだろうか。
今まで中国は近代化が遅れていただけである。毛沢東の時代に文化大革命があり、共産党一党独裁の統制下で資本主義を遠ざけていた。それが結局は近代化に遅れたことを悟り、資本主義を導入するようになり、急速に経済発展を為してきた。つまり毎年、10%前後の経済発展を達成している。一方、日本はというとバブル崩壊以降、ほとんど足踏み状態といってもいい。これだと追い抜かれるのは当然である。だが、我々にとっての問題は、そんな名目上のことよりも国民の生活が向上したかどうかの方が大事なのであって、中国に抜かれたからって失望している人がどれだけいるのか・・・・。それに昔から世界一の人口を誇る中国のことである。その原動力は膨大な人口に支えられているところが多く、マーケットとしても大きいのが一因しているし、中国が本気で経済発展を進めるといずれは世界1になるであろうということはとっくの昔に言われていた。これまで眠れる獅子だったのである。でも、中国は数字の上では確かに世界2位の経済大国になったかもしれないが、所得格差も激しく1人当たりのGDPは日本の10分の1以下というお粗末さである。また漢民族以外は虐げられている部分もあり、民主化の動きも封じられ、国民のストレスはどうなっているのか。近くの国でありながら、まだまだ不可解なことが多く、GDPが世界第2位なら第2位である国らしく、論理的で文化的である真に豊かな大国に成長してほしいものだ。また日本は日本で中国に臆することなく、近代化の先進国として揺るぎない自信を保ちつつ、内需拡大はもちろんであるが、もっと大人の国になってほしいと思う。とにかくGDPというのはその国の経済力を窺う意味ではいいが、その国の豊かさな指標とは関係ない。日本人が住みたいと思うような豊かな国は、必ずしもGDPの指標で判断したりしないでしょう。これからの日本に求められるのはもっと違う意味での豊かな国ということになると思うけど。
ところで国内総生産って何だ? ということになるが、国内総生産とは国内で1年間に行われた生産活動によって産み出された価値額の合計ということになる。つまり経済を統計的に把握するのに用いられる指標で、国内で産み出された付加価値の総額のことといえばいいのだろうか。またこの国内総生産の伸び率が経済成長率ということになる。
このように書くと、いよいよ日本は落ちぶれる経済大国だといった印象が強まっていきそうだが、そもそも考えてみるとこれまでGDPが世界第2位だったという方が不思議なぐらいだ。国土は狭くアメリカや中国の20数分の1。それでいて人口は1億2700万人。それもどんどんと労働人口が減りつつあり老人が増加の一途。アメリカは人口が3億1千万人、中国に至っては何と日本の10倍強の人口を誇る。こんな超大国と肩を並べてきた方が奇跡に近いのだ。だから中国に追い抜かれたからってどうなんだということになるが、これまで日本人の意識の中にあった自負、自信というものが徐々に薄らいでくるのかもしれない。
日本という国は敗戦の痛手から奇跡的に立ち直り、戦後はなりふり構わず前進してきた。その結果、世界第2位という経済大国になり、いつしか世界の中で先進国として認めれれるようになり、これまでアジアの最先端国としての誇りを持ってきたのである。それが中国にGDPで抜かれることが確実になると、世界の注目はアジアでも中国に目がいくことになる。そういった意味では斜陽国家といわれることになるかもしれないが、これも考えようではないだろうか。
今まで中国は近代化が遅れていただけである。毛沢東の時代に文化大革命があり、共産党一党独裁の統制下で資本主義を遠ざけていた。それが結局は近代化に遅れたことを悟り、資本主義を導入するようになり、急速に経済発展を為してきた。つまり毎年、10%前後の経済発展を達成している。一方、日本はというとバブル崩壊以降、ほとんど足踏み状態といってもいい。これだと追い抜かれるのは当然である。だが、我々にとっての問題は、そんな名目上のことよりも国民の生活が向上したかどうかの方が大事なのであって、中国に抜かれたからって失望している人がどれだけいるのか・・・・。それに昔から世界一の人口を誇る中国のことである。その原動力は膨大な人口に支えられているところが多く、マーケットとしても大きいのが一因しているし、中国が本気で経済発展を進めるといずれは世界1になるであろうということはとっくの昔に言われていた。これまで眠れる獅子だったのである。でも、中国は数字の上では確かに世界2位の経済大国になったかもしれないが、所得格差も激しく1人当たりのGDPは日本の10分の1以下というお粗末さである。また漢民族以外は虐げられている部分もあり、民主化の動きも封じられ、国民のストレスはどうなっているのか。近くの国でありながら、まだまだ不可解なことが多く、GDPが世界第2位なら第2位である国らしく、論理的で文化的である真に豊かな大国に成長してほしいものだ。また日本は日本で中国に臆することなく、近代化の先進国として揺るぎない自信を保ちつつ、内需拡大はもちろんであるが、もっと大人の国になってほしいと思う。とにかくGDPというのはその国の経済力を窺う意味ではいいが、その国の豊かさな指標とは関係ない。日本人が住みたいと思うような豊かな国は、必ずしもGDPの指標で判断したりしないでしょう。これからの日本に求められるのはもっと違う意味での豊かな国ということになると思うけど。
2010.12.25 (Sat)
巨大書店
先日の12月22日、大阪梅田の茶屋町に売り場面積2060坪、書籍数200万冊を数える日本最大の書店『MARUZEn&ジュンク堂書店』がオープンした。面白いのは書店の老舗である丸善と新興書店のジュンク堂が共同で出店したということである。丸善は東京に本店があり古くからの老舗。一方、ジュンク堂は神戸に本店がある新興書店だからよくぞ共同で出店に踏みきったなあと思う。だが、出版不況で本が売れない時代にはたしてニーズがあるのだろうかと思ってしまうがどうなんだろうか。ことにジュンク堂書店は大型店をこの20年ほど前から全国に増やしてきた。この書店が開店するまでは東京・池袋のジュンク堂書店が日本最大だったのであるから、まだまだ出店する計画があるのではないだろうか。
ジュンク堂は、そもそも創業者の工藤恭孝が1963年に神戸元町で大同書房を開店させたことに端を発す。それが1976年、父・工藤淳の名前をもじって書店名にし、神戸の三宮センター街の地下に大きな書店をオープンした。ここからジュンク堂がスタートするのだが、1988年に京都・四条富小路に神戸の本店を上回る巨大店を店開きした。そして、ここから全国展開を開始するのである。
1996年、座り込みコーナーを設置して本を立ち読みではなく座って読んでもらおうと新しい巨大店を大阪の難波にオープン。さらに近畿を離れ仙台、東京池袋にも巨大店をオープン。1999年、ジュンク堂大阪本店を堂島に開店。この店舗は1480坪の売り場があり、当時では日本最大であった。それが、その後もジュンク堂は全国各地に巨大店をオープンし続け、所謂、書店の老舗である紀伊国屋、丸善、三省堂といったところの店舗よりも大きさでは凌駕していったのである。
そういえば今から30年少し前、東京駅八重洲口から近い所に八重洲ブックセンターがオープンして話題になったことがある。40万冊を売り場に並べ、超巨大書店と騒がれた。でも今回、オープンしたMARUZEN&ジュンク堂はその5倍の規模である。それもジュンク堂ばかりが大きい店舗をオープンさせているから面白い。狙いがどこにあるのか判らないが、巨大書店は立ち読みするのに都合がいいから、出店は本好きにとっては有り難い。でも赤字経営にならないか他人事ながら心配になってくる。
ところで、この大阪の梅田地区は、今回オープンしたMARUZEN&ジュンク堂書店以外にも5店舗の巨大店がある。この店から僅か300m行った所に紀伊国屋梅田本店が或る。ここは1969年に東京の新宿にある紀伊国屋が満を持してオープンさせた巨大店である。この当時、大阪にこんなに大きな本屋はなかったので驚いた。今も阪急梅田駅の真下という立地の良さもあり、何時も人でごった返している書店である。また、紀伊国屋が大阪に店舗を出したことに影響され、その数年後に地元の老舗書店である旭屋書店が御堂筋の曽根崎警察署のすぐ南側に巨大店をオープンさせた。こうして梅田は暫くの間、紀伊国屋と旭屋の2大店舗の時代が続いていたものである。それが何時の間にか、三省堂書店が東京からやってきて地下街に巨大店舗を出した。ところが数年で撤退。理由はよく判らない。その代わりといったら何だが、阪急電鉄がブックファースト梅田店をよりによって御堂筋を挟んだ旭屋のすぐ近くにオープンさせる。そして、1999年、神戸のジュンク堂が梅田から程近い堂島。かつて毎日新聞大阪本社のあったところにオープンさせる。さらにジュンク堂は梅田のヒルトンホテル大阪のショッピングゾーンにジュンク堂ヒルトンプラザ店をオープン。そこへ今回の開店。これでこの付近の半径600m以内に巨大書店が6店舗も存在することになる。またこれだけではない。来年には一度、撤退したはずの三省堂書店が梅田に巨大店舗を再び開店させるという。
ただでさえ本が売れない時代に、これだけ巨大店ばかりオープンさせる意味は何処のあるのだろうか・・・・。ペーパーレスが叫ばれ、事務所からは紙が消えつつあり、各自の机にはパソコンが一台づつ置いてあるだけ。また電子書籍がこれから躍進するといわれ。ますます紙に印刷された本は店頭から無くなっていくという人もいる。つまり時代とは逆行していると思われる中での開店なのである。でも、まだまだ電子書籍よりも紙に印刷された文字や絵、写真の方が温か味があっていいとは思うけど、これから数10年後を見越した場合、どうなんだろうかとは
考えてしまう。でも、それだけ需要があるということなのだろう。さらに、この巨大店に入って売り場に並ぶ人の行列を見るや日本人には本好きが多いことを再認識する。これを見れば書籍が簡単には廃らないなあと思い安心したまでである。
この度、オープンした『MARUZEN&ジュンク堂書店』。この建物の地下1階と7階までが書店。

ジュンク堂は、そもそも創業者の工藤恭孝が1963年に神戸元町で大同書房を開店させたことに端を発す。それが1976年、父・工藤淳の名前をもじって書店名にし、神戸の三宮センター街の地下に大きな書店をオープンした。ここからジュンク堂がスタートするのだが、1988年に京都・四条富小路に神戸の本店を上回る巨大店を店開きした。そして、ここから全国展開を開始するのである。
1996年、座り込みコーナーを設置して本を立ち読みではなく座って読んでもらおうと新しい巨大店を大阪の難波にオープン。さらに近畿を離れ仙台、東京池袋にも巨大店をオープン。1999年、ジュンク堂大阪本店を堂島に開店。この店舗は1480坪の売り場があり、当時では日本最大であった。それが、その後もジュンク堂は全国各地に巨大店をオープンし続け、所謂、書店の老舗である紀伊国屋、丸善、三省堂といったところの店舗よりも大きさでは凌駕していったのである。
そういえば今から30年少し前、東京駅八重洲口から近い所に八重洲ブックセンターがオープンして話題になったことがある。40万冊を売り場に並べ、超巨大書店と騒がれた。でも今回、オープンしたMARUZEN&ジュンク堂はその5倍の規模である。それもジュンク堂ばかりが大きい店舗をオープンさせているから面白い。狙いがどこにあるのか判らないが、巨大書店は立ち読みするのに都合がいいから、出店は本好きにとっては有り難い。でも赤字経営にならないか他人事ながら心配になってくる。
ところで、この大阪の梅田地区は、今回オープンしたMARUZEN&ジュンク堂書店以外にも5店舗の巨大店がある。この店から僅か300m行った所に紀伊国屋梅田本店が或る。ここは1969年に東京の新宿にある紀伊国屋が満を持してオープンさせた巨大店である。この当時、大阪にこんなに大きな本屋はなかったので驚いた。今も阪急梅田駅の真下という立地の良さもあり、何時も人でごった返している書店である。また、紀伊国屋が大阪に店舗を出したことに影響され、その数年後に地元の老舗書店である旭屋書店が御堂筋の曽根崎警察署のすぐ南側に巨大店をオープンさせた。こうして梅田は暫くの間、紀伊国屋と旭屋の2大店舗の時代が続いていたものである。それが何時の間にか、三省堂書店が東京からやってきて地下街に巨大店舗を出した。ところが数年で撤退。理由はよく判らない。その代わりといったら何だが、阪急電鉄がブックファースト梅田店をよりによって御堂筋を挟んだ旭屋のすぐ近くにオープンさせる。そして、1999年、神戸のジュンク堂が梅田から程近い堂島。かつて毎日新聞大阪本社のあったところにオープンさせる。さらにジュンク堂は梅田のヒルトンホテル大阪のショッピングゾーンにジュンク堂ヒルトンプラザ店をオープン。そこへ今回の開店。これでこの付近の半径600m以内に巨大書店が6店舗も存在することになる。またこれだけではない。来年には一度、撤退したはずの三省堂書店が梅田に巨大店舗を再び開店させるという。
ただでさえ本が売れない時代に、これだけ巨大店ばかりオープンさせる意味は何処のあるのだろうか・・・・。ペーパーレスが叫ばれ、事務所からは紙が消えつつあり、各自の机にはパソコンが一台づつ置いてあるだけ。また電子書籍がこれから躍進するといわれ。ますます紙に印刷された本は店頭から無くなっていくという人もいる。つまり時代とは逆行していると思われる中での開店なのである。でも、まだまだ電子書籍よりも紙に印刷された文字や絵、写真の方が温か味があっていいとは思うけど、これから数10年後を見越した場合、どうなんだろうかとは
考えてしまう。でも、それだけ需要があるということなのだろう。さらに、この巨大店に入って売り場に並ぶ人の行列を見るや日本人には本好きが多いことを再認識する。これを見れば書籍が簡単には廃らないなあと思い安心したまでである。
この度、オープンした『MARUZEN&ジュンク堂書店』。この建物の地下1階と7階までが書店。

2010.11.17 (Wed)
ヨドバシカメラ京都店

京都駅前にヨドバシカメラ京都店がオープンした。ちょうど京都タワーの裏側のビルで、もともと近鉄百貨店が建っていた所である。それ以前というと丸物百貨店があったところでもある。ヨドバシカメラというと、今、物凄い勢いで店舗を増やしつつある家電量販店であるが、ヤマダデンキ、コジマデンキといった北関東から全国展開している量販店が郊外中心なのに対し、西新宿に本店のあるヨドバシカメラは大都市の根幹駅のすぐ近くに店舗を構える都心中心主義である。
そもそもヨドバシカメラというのは名前のとおりカメラ屋さんであった。創業者の藤沢昭和によって1960年設立された藤沢写真商会が前身である。それが1967年7月、西新宿の淀橋において淀橋写真商会を設立。そこから今日の発展へと繋がっている。まだ当時の西新宿といえば今のような副都心もなく、もちろん都庁もない。淀橋浄水場があった頃である。私は調布にある親類の家へ行く時、京王帝都に乗り換えるため何度か訪れた土地であるが、それ以前の西新宿の風景というと今とは隔世の感がある。
その西新宿は淀橋で営業を始めたカメラ屋さんが、だんだんと事業を拡大し、家電量販店として売り上げを伸ばしていく。いつのまにか西新宿で派手なネオン看板が目立っていたというのがヨドバシカメラである。そのヨドバシカメラが東京を離れ、日本全国に店舗を展開していくのである。1991年4月に仙台。2000年6月に札幌。
1990年代だったろうか、大阪駅北側に大阪鉄道管理局の大きなビルがあったが取り壊され、国鉄が空き地を売りに出した。入札制で、真っ先に入札に名乗りを挙げたのが三越百貨店で、もう一つがヨドバシカメラであった。その頃、関西ではヨドバシカメラは無名に近く、誰もが空き地は老舗の三越百貨店が建つと思い込んでいた。それがその土地を仕留めたのが何と、無名のヨドバシカメラであった。
ヨドバシカメラは巨大な店舗を建て、マルチメディア梅田店として2001年11月にオープンさせた。これが大当たりで、大阪駅前、阪急電車の西隣、地下鉄御堂筋線直結という立地が幸いし何時も超満員。その後も売り上げが下がるどころか好調続きで、現在では年間売り上げが1000億円以上と、ヨドバシカメラ全店中、トップの売り上げを記録している店舗となってしまった。
ところで何故、大阪でヨドバシカメラがこれだけ売り上げを記録したのか・・・。当初、大阪の電気屋では値切り交渉が当たり前で、値札よりも如何に安く買うかは買い手の腕の見せ所といった風潮があった。それが若い世代になると、値切り交渉が相対的に苦手で、値切るのは格好が悪いという人までいる。また喋りが巧い人は値切り交渉で安く買い物をするが、口下手な人は高く買わされているといった不平等感があった。その結果、値切り交渉は一切受け付けず、ポイント制導入という東京式の販売方式に若い人は群がったのかもしれない。つまり大阪の買い物客の風習も大昔とは一変してしまったということなのだろう。こうしてヨドバシカメラは東京から来た量販店だが、今では大阪の梅田の街にすっかり溶け込んでしまった。
それから9年。今度は京都駅前にヨドバシカメラがオープンしたのである。梅田店よりもやや店舗は小さいが、巨大店で或ることに変わりはない。ただ京都駅前は大阪の梅田ほど人の動きが活発でなく、繁華街としても比較にならないほど小さい。それにJRで新快速に乗れば京都駅から大阪駅へは30分ほどで行ける。商圏がダブらないかなあと思う。もっとも私は京都駅に行く方が近いから利用するには便利はいい。それに仕事の帰りにも寄れるので嬉しくもあるが・・・・・・。先立つお金がないことには買う物も買えないのだが・・・。ところでヨドバシカメラが、もし大阪の淀屋橋に店舗を出したとしたら、ヨドバシカメラ淀屋橋店というややこしい名前になるけど・・・・・・まあ、有り得ないけどね。。
2010.10.07 (Thu)
日本人のノーベル賞受賞者が2人
昨晩、日本人2人がノーベル化学賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。最近は尖閣諸島付近において中国漁船が日本の海上保安庁の船に衝突し、外交問題へと発展。それ以来、中国になめられまくっているが、そこへ相変わらずの異様な円高ときては何かと閉塞感の漂う日本丸だった。そこへ日本人2人の学者がノーベル化学賞を受賞という降って沸いたような明るいニュースが飛び込んで、まだまだ日本も吾を見失っていないぞと自信を取り戻させるような出来事であった。
今回、ノーベル化学賞を受賞されたのは鈴木章、根岸英一の両名。鈴木章さんは北海道大学の名誉教授で、根岸英一さんはアメリカのパデュー大学特別教授である。今回の受賞対象となった研究業績は・・・・・有機合成におけるパラジウウム触媒を用いたクロスカップリング・・・・・・。クロスカップリングって何だ?
異なる有機化合物の骨格となる炭素同士を仲立ちする金属の触媒によってつなげる反応と説明されているが化学の知識を全く持ち合わせていない私には、何のことかさっぱりわからない。説明されているのを続けて読むと・・・・・有機化合物の炭素は化学的に安定していて他の炭素とは反応しにくく、以前は結合させるのに何段階ものステップの反応が必要だったり、効率が悪かったりして、思い描いた新しい化合物を得るのは難しかった。これに対してクロスカップリングは、1回の反応で、速く、効率よく結合させ、複雑で多彩な物質を工業的に製造することを可能にした。触媒にはパラジウムのほか、ニッケルや鉄等も利用される。
以上のような説明で判るだろうか。まあ判らないだろうが、つまりこれらは有機合成法の実用化が進み、やがて複雑で多彩な物質を効率よく作り出すことが可能となり、海の生物から採取した物質をモデルにした抗炎症剤、エイズ治療薬、抗癌剤、抗生物質等の優れた医薬品の開発に繋がったというから凄いものである。2人ともアメリカ・パデュー大学のブラウン教授に学んだ同窓生で、2人の研究成果は、それぞれが根岸カップリング、鈴木カップリングを見出した。
これで日本人のノーベル賞受賞者の数は18人となり、出身大学別で言うと東大が7人、京大が5人、名古屋大が2人、北大、東北大、東工大、長崎医大が1人ずつだが、東大の7人中、3人は文学賞の川端康成、大江健三郎、平和賞の佐藤栄作ということを考えると、物理学、化学、生理学、医学といった理系関係の受賞者に限れば、京大が1番ノーベル賞受賞者を出していることが判る。これはおそらく国を司る政治家や官僚育成機関の趣が強かった東大とは違って、政治に関係なく自由な研究に没頭することが出来た京大の学風と関連しているからだろう。でも、最近は儲からない学者の道を志す人もあまりいないというし、理系に進む若者も減っていく一方とも聞いている。つまり日本の学者がノーベル賞を受賞するのも今の間だけということか? こりゃ、やっぱり斜陽国家の道をまっしぐらだなあ。
今回、ノーベル化学賞を受賞されたのは鈴木章、根岸英一の両名。鈴木章さんは北海道大学の名誉教授で、根岸英一さんはアメリカのパデュー大学特別教授である。今回の受賞対象となった研究業績は・・・・・有機合成におけるパラジウウム触媒を用いたクロスカップリング・・・・・・。クロスカップリングって何だ?
異なる有機化合物の骨格となる炭素同士を仲立ちする金属の触媒によってつなげる反応と説明されているが化学の知識を全く持ち合わせていない私には、何のことかさっぱりわからない。説明されているのを続けて読むと・・・・・有機化合物の炭素は化学的に安定していて他の炭素とは反応しにくく、以前は結合させるのに何段階ものステップの反応が必要だったり、効率が悪かったりして、思い描いた新しい化合物を得るのは難しかった。これに対してクロスカップリングは、1回の反応で、速く、効率よく結合させ、複雑で多彩な物質を工業的に製造することを可能にした。触媒にはパラジウムのほか、ニッケルや鉄等も利用される。
以上のような説明で判るだろうか。まあ判らないだろうが、つまりこれらは有機合成法の実用化が進み、やがて複雑で多彩な物質を効率よく作り出すことが可能となり、海の生物から採取した物質をモデルにした抗炎症剤、エイズ治療薬、抗癌剤、抗生物質等の優れた医薬品の開発に繋がったというから凄いものである。2人ともアメリカ・パデュー大学のブラウン教授に学んだ同窓生で、2人の研究成果は、それぞれが根岸カップリング、鈴木カップリングを見出した。
これで日本人のノーベル賞受賞者の数は18人となり、出身大学別で言うと東大が7人、京大が5人、名古屋大が2人、北大、東北大、東工大、長崎医大が1人ずつだが、東大の7人中、3人は文学賞の川端康成、大江健三郎、平和賞の佐藤栄作ということを考えると、物理学、化学、生理学、医学といった理系関係の受賞者に限れば、京大が1番ノーベル賞受賞者を出していることが判る。これはおそらく国を司る政治家や官僚育成機関の趣が強かった東大とは違って、政治に関係なく自由な研究に没頭することが出来た京大の学風と関連しているからだろう。でも、最近は儲からない学者の道を志す人もあまりいないというし、理系に進む若者も減っていく一方とも聞いている。つまり日本の学者がノーベル賞を受賞するのも今の間だけということか? こりゃ、やっぱり斜陽国家の道をまっしぐらだなあ。
2010.06.05 (Sat)
またまたまたまた首相が替わった
鳩山由紀夫首相の突然の辞任により、後任が注目されていたが、昨日の6月4日、民主党の菅直人代表が、第94代、61人目の内閣総理大臣に選出された。・・・といってあまり国政の話をやりたくはないけども、菅直人という人がようやく首相になったのかといった思いがあり、また一方では菅直人は首相にはならないだろうとも小生は思っていたのだが、民主党が政権を握るとこうもあっさりと首相になってしまうのかと驚いている。
でも最近は安倍、福田、麻生、鳩山と4年で4人も首相が替わるというこの国で、今更、誰がなっても同じではないかといった失望感ばかりがあるが、ただいえることは2世、3世の政治家でないということだけが救いのような気がする。
思えば今から30年以上前になるが市川房枝というお婆さんがいた。お婆さんというと失礼だが、当時、20歳そこそこの小生から見ると、随分と歳のいったお婆さんに見えた。白髪頭で眼鏡をかけ男のような太い声で弁が立つ。こんな女性の政治家もいたのだと思ったが、聞く所によると、女性の地位向上に尽力した人で、戦後に女性参政権運動を展開し、見事勝ち取った人である。今日、女性が選挙に参加できるのはこの人のおかげといってもよい。だから簡単に興味がないからといって投票を放棄する女性は、市川房枝の苦労話でも知っていてもらいたいが、ここではそんなことは書かない。
とりあえず話を前に進める。この市川房枝という人が衆議院選挙に当選した時、この選挙事務所に若い男性が何時もいたことと思い出す。実は、この若者が菅直人だったのである。それで彼は何をやっていたかというと、市川房枝の選挙事務長を務めていたのである。もともと菅直人は東京工業大学時代に政治サークルに属し志はあったようだ。大学を出て弁理士の試験に合格。弁理士とはあまり聞きなれないが、産業財産権等に関する業務を行なうためには必要な資格なのである。試験には一次、二次、三次とあり、そこでは特許法、実用新案法、意匠法、商標法、工業所有権法に関する条約や著作権法、不正競争防止法などが出題され、また物理学や高等数学、化学等の問題も出るので、大半は大学の理数系出身者が弁理士の試験に合格している。
つまり菅直人は政治とは正反対の応用物理学を学んでいた人であり政界では異色であろう。それが市川房枝の選挙事務所で選挙参謀として活動していたことから、自らも政界を目指すようになったともいえる。しかし、菅直人は選挙運動に参加する前から、特許事務所に勤める一方で様々な市民運動に参加していたという変り種。だから、ある程度はやらせてみても面白いとは考えているのだが、問題が山積している現在の日本の状況。これまでの首相たちがすぐに問題を先延ばししてしまい、挙句の果てには舵取りをあっさりと放棄してしまう。これだと何の問題も解決しない。今、立ち向かわなければならない難問が山脈のように立ちはだかっているというのに、舵取り役がコロコロ替わり、右往左往している有様だから一刻も早く、軌道修正してもらいたいというのが本音だが、彼の理系出身の応用のきく頭脳と市民運動で養った行動力でもって、少々古い表現だが万機公論に決すべし・・・・。といって期待はあまりしてないが・・・・・・・・・・誰かが舵をとらないといけないのだから。。
でも最近は安倍、福田、麻生、鳩山と4年で4人も首相が替わるというこの国で、今更、誰がなっても同じではないかといった失望感ばかりがあるが、ただいえることは2世、3世の政治家でないということだけが救いのような気がする。
思えば今から30年以上前になるが市川房枝というお婆さんがいた。お婆さんというと失礼だが、当時、20歳そこそこの小生から見ると、随分と歳のいったお婆さんに見えた。白髪頭で眼鏡をかけ男のような太い声で弁が立つ。こんな女性の政治家もいたのだと思ったが、聞く所によると、女性の地位向上に尽力した人で、戦後に女性参政権運動を展開し、見事勝ち取った人である。今日、女性が選挙に参加できるのはこの人のおかげといってもよい。だから簡単に興味がないからといって投票を放棄する女性は、市川房枝の苦労話でも知っていてもらいたいが、ここではそんなことは書かない。
とりあえず話を前に進める。この市川房枝という人が衆議院選挙に当選した時、この選挙事務所に若い男性が何時もいたことと思い出す。実は、この若者が菅直人だったのである。それで彼は何をやっていたかというと、市川房枝の選挙事務長を務めていたのである。もともと菅直人は東京工業大学時代に政治サークルに属し志はあったようだ。大学を出て弁理士の試験に合格。弁理士とはあまり聞きなれないが、産業財産権等に関する業務を行なうためには必要な資格なのである。試験には一次、二次、三次とあり、そこでは特許法、実用新案法、意匠法、商標法、工業所有権法に関する条約や著作権法、不正競争防止法などが出題され、また物理学や高等数学、化学等の問題も出るので、大半は大学の理数系出身者が弁理士の試験に合格している。
つまり菅直人は政治とは正反対の応用物理学を学んでいた人であり政界では異色であろう。それが市川房枝の選挙事務所で選挙参謀として活動していたことから、自らも政界を目指すようになったともいえる。しかし、菅直人は選挙運動に参加する前から、特許事務所に勤める一方で様々な市民運動に参加していたという変り種。だから、ある程度はやらせてみても面白いとは考えているのだが、問題が山積している現在の日本の状況。これまでの首相たちがすぐに問題を先延ばししてしまい、挙句の果てには舵取りをあっさりと放棄してしまう。これだと何の問題も解決しない。今、立ち向かわなければならない難問が山脈のように立ちはだかっているというのに、舵取り役がコロコロ替わり、右往左往している有様だから一刻も早く、軌道修正してもらいたいというのが本音だが、彼の理系出身の応用のきく頭脳と市民運動で養った行動力でもって、少々古い表現だが万機公論に決すべし・・・・。といって期待はあまりしてないが・・・・・・・・・・誰かが舵をとらないといけないのだから。。
2010.04.05 (Mon)
ゆとり教育見直し
来年の春から、小中学校でゆとり教育が見直しされるという。このほど文部科学省が示す学習指導要領によると、内容、授業時間とも約40年ぶりに増やされ、全面実施が小学校で来年度から、中学校で再来年度から行なわれるという。
とりあえず小学校の教科書を来年度から変えるらしく、学習指導要領を文部科学省が全面改定し学習内容を充実させ新指導要領に基づいた新しい教科書を使用するという。新しい教科書は現行教科書と比べ、平均ページで全体で25%、算数で33%、理科で37%増え、基礎の反復や実験、観察が増えたらしい。ところで何故、ゆとり教育が見直されるかというと、どうも日本の小学生、中学生の学力が落ちていることから、ゆとり教育の見直しがされるという。それで日本の児童、生徒の学力が本当に落ちているのかどうかということになるが、どうも本当らしい。経済協力開発機構が世界15ヶ国の15歳を対象に実施する国際学習到達度調査によると日本の生徒の学力低下は明確であるという。
2007年度の国際学習到達度調査によると、日本の生徒の学力は、読解力15位、数学10位、科学6位となり、読解力にいたっては最下位という有様で、日本の未来を担う10代の生徒達がこれでは我が国の将来は暗いと思ったのだろうか、ようやくゆとり教育を見直すというから滑稽である。
そもそも私の世代ではゆとり教育っていわれても、あまり実感がない。我々は詰め込み教育時代の世代なので、何でもかんでも叩き込まれ、やたら覚えろ覚えろと強要されたので、ゆとり教育というものがよく判らない。それで今は円周率が3.14と教えないで3でいいなんて何処の誰が言い出したのか?
でもおかしなもので、その昔は詰め込み教育がよくなくて、全人教育が必要だということで、ゆとり教育を推奨したのでは・・・・・・といいたいが、実は教員達が土曜日も休みたいとか言い出したというのが学校週5日制の始まりだと噂では聞いている。労働問題から発展し、教員達も世間の企業並みに週休2日制をということで、生徒達が犠牲になったのではないのか。
まず1992年の9月から公立の小中高の学校が毎月第2土曜日を休日になった。その後、1995年4月から第2、第4土曜日が休日になる。そして、2002年の4月から全国の公立の学校が毎週土曜日を休むようになり、その結果、ゆとり教育が行き過ぎて学力低下を招き、このほどのゆとり教育見直しということなのだが、何ともおかしな話である。
当時の文部省は学校週5日制にしてしまうと生徒達の学力低下が起こるのが予測できなかったのだろうか・・・・。考えてみると判るが、毎週土曜日の授業がカットされるのである。年間にしてどれだけの授業時間が無くなるのだ。その結果、教わる内容が低下することも見えていただろうし、それでいてゆとり教育といって全人教育を試みたつもりだが、結果としたら逆効果だったとしかいいようがない。全人教育とは程遠い、道徳の欠如した生徒・児童が増殖し、学級崩壊にも繋がっている。結局はゆとり教育からの歪ばかりが浮き彫りにされてしまった。
無理もないのだが、全人教育だといって土曜日を休みにして読書を薦めても生徒達の読書量が増えるわけではなく、テレビを観るか、テレビゲームをするか、携帯電話を弄るか、パソコンを弄るか、あとは外へ出て遊ぶだけといった状況になるのは判りきっているだろうし、昔と違って今は勉学意欲を失わせる媒体が身の回りに転がっている。そんな環境下において勉強を自主的にやる子はよほど出来た子だろう。こんな子は放っておいても自分で学ぼうとするからいいが、大部分の子はそうはいかないのだ。無理にでも勉強を強いる環境下におかないと勉学意欲がわいてこないもので、課題を与えて、学習させないと身につかないだろう。それを頭から授業時間を削ってしまい、教える内容を削減した結果、日本の生徒達の学力低下を生んでしまったのは明白なのに、何を今更、ゆとり教育を見直すとは・・・・・・。
公立の学校がゆとり教育実施から土曜日も休みにした関係で、この間、都会では詰め込み教育を相変わらず続けている私立学校が躍進してしまったことは偶然の産物だけでは済まされないだろう。10代の間は何でも吸収してしまうほど能が活動的である。この年代に何もかも覚えておくと将来、忘れないことが多い。それでいて、ゆとり教育を押し進めた結果、読解力がなく、観察力がなく、物覚えが悪く、道徳心がなく、辛抱強さがないような若者がだんだん増えているような気がするのだが。
時代とはいえ、全般的な知力は私よりも年配の人の方が若者よりも明らかに勝っていると思う。やはりゆとり教育は見直されなければならないだろう。それで、今の大学生ぐらいから下の年代は土曜日休日が当たり前だと思っているだろう。昔は土曜日も学校が当たり前だったのだ。でも、大学出たばっかりの先生もゆとり教育世代である。はたして日本の子供達の学力再生を達成できるかどうかは、これからにかかっているが、現実的に失った10年は大きいような気がする。
とりあえず小学校の教科書を来年度から変えるらしく、学習指導要領を文部科学省が全面改定し学習内容を充実させ新指導要領に基づいた新しい教科書を使用するという。新しい教科書は現行教科書と比べ、平均ページで全体で25%、算数で33%、理科で37%増え、基礎の反復や実験、観察が増えたらしい。ところで何故、ゆとり教育が見直されるかというと、どうも日本の小学生、中学生の学力が落ちていることから、ゆとり教育の見直しがされるという。それで日本の児童、生徒の学力が本当に落ちているのかどうかということになるが、どうも本当らしい。経済協力開発機構が世界15ヶ国の15歳を対象に実施する国際学習到達度調査によると日本の生徒の学力低下は明確であるという。
2007年度の国際学習到達度調査によると、日本の生徒の学力は、読解力15位、数学10位、科学6位となり、読解力にいたっては最下位という有様で、日本の未来を担う10代の生徒達がこれでは我が国の将来は暗いと思ったのだろうか、ようやくゆとり教育を見直すというから滑稽である。
そもそも私の世代ではゆとり教育っていわれても、あまり実感がない。我々は詰め込み教育時代の世代なので、何でもかんでも叩き込まれ、やたら覚えろ覚えろと強要されたので、ゆとり教育というものがよく判らない。それで今は円周率が3.14と教えないで3でいいなんて何処の誰が言い出したのか?
でもおかしなもので、その昔は詰め込み教育がよくなくて、全人教育が必要だということで、ゆとり教育を推奨したのでは・・・・・・といいたいが、実は教員達が土曜日も休みたいとか言い出したというのが学校週5日制の始まりだと噂では聞いている。労働問題から発展し、教員達も世間の企業並みに週休2日制をということで、生徒達が犠牲になったのではないのか。
まず1992年の9月から公立の小中高の学校が毎月第2土曜日を休日になった。その後、1995年4月から第2、第4土曜日が休日になる。そして、2002年の4月から全国の公立の学校が毎週土曜日を休むようになり、その結果、ゆとり教育が行き過ぎて学力低下を招き、このほどのゆとり教育見直しということなのだが、何ともおかしな話である。
当時の文部省は学校週5日制にしてしまうと生徒達の学力低下が起こるのが予測できなかったのだろうか・・・・。考えてみると判るが、毎週土曜日の授業がカットされるのである。年間にしてどれだけの授業時間が無くなるのだ。その結果、教わる内容が低下することも見えていただろうし、それでいてゆとり教育といって全人教育を試みたつもりだが、結果としたら逆効果だったとしかいいようがない。全人教育とは程遠い、道徳の欠如した生徒・児童が増殖し、学級崩壊にも繋がっている。結局はゆとり教育からの歪ばかりが浮き彫りにされてしまった。
無理もないのだが、全人教育だといって土曜日を休みにして読書を薦めても生徒達の読書量が増えるわけではなく、テレビを観るか、テレビゲームをするか、携帯電話を弄るか、パソコンを弄るか、あとは外へ出て遊ぶだけといった状況になるのは判りきっているだろうし、昔と違って今は勉学意欲を失わせる媒体が身の回りに転がっている。そんな環境下において勉強を自主的にやる子はよほど出来た子だろう。こんな子は放っておいても自分で学ぼうとするからいいが、大部分の子はそうはいかないのだ。無理にでも勉強を強いる環境下におかないと勉学意欲がわいてこないもので、課題を与えて、学習させないと身につかないだろう。それを頭から授業時間を削ってしまい、教える内容を削減した結果、日本の生徒達の学力低下を生んでしまったのは明白なのに、何を今更、ゆとり教育を見直すとは・・・・・・。
公立の学校がゆとり教育実施から土曜日も休みにした関係で、この間、都会では詰め込み教育を相変わらず続けている私立学校が躍進してしまったことは偶然の産物だけでは済まされないだろう。10代の間は何でも吸収してしまうほど能が活動的である。この年代に何もかも覚えておくと将来、忘れないことが多い。それでいて、ゆとり教育を押し進めた結果、読解力がなく、観察力がなく、物覚えが悪く、道徳心がなく、辛抱強さがないような若者がだんだん増えているような気がするのだが。
時代とはいえ、全般的な知力は私よりも年配の人の方が若者よりも明らかに勝っていると思う。やはりゆとり教育は見直されなければならないだろう。それで、今の大学生ぐらいから下の年代は土曜日休日が当たり前だと思っているだろう。昔は土曜日も学校が当たり前だったのだ。でも、大学出たばっかりの先生もゆとり教育世代である。はたして日本の子供達の学力再生を達成できるかどうかは、これからにかかっているが、現実的に失った10年は大きいような気がする。