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2013.12.29 (Sun)

百田尚樹『黄金のバンタムを破った男』を読む



 これは1人のボクシング選手にスポットをあてたノンフィクションである。著者は今、公開されている映画『永遠の0』の原作者である百田尚樹である。『永遠の0』というのはゼロ戦の神風特攻隊の話だが、この本がミリオンヒットをするなどよく売れたという。本来は放送作家で、朝日放送の人気番組『探偵ナイトスクープ』のチーフライターである。それが最初に書いた小説『永遠の0』がベストセラー。それ以降は『BOX』『モンスター』『海賊とよばれた男』と話題の作品を出していて、今、最も勢いのある作家の1人である。そんな百田尚樹が書いたノンフクションが『黄金のバンタムを破った男』である。
 この本は1人のボクサーに焦点を当てたノンフィクションであるが、ただ1人のボクサーにだけ焦点を当てるのだけではなく、彼のおかれた立場や彼が登場するまでのボクシング界の実情、そして彼を取り巻いた人物たち全て、及び当時の社会事情まで事細かに書かれている。百田尚樹の書斎は資料に埋まれて足の踏み場もないというほどらしいが、本を書くにあたり徹底的に調べあげていて、小生も知らない箇所も多く、なるほどと思うところであった。描写力も優れていて、時代を忠実に追ったノンフィクションだが読んでいて飽きさせな文筆力に唖然とした。それで小生はあっと言う間に読み終えてしまったのである。
 さて黄金のバンタムを破った男と言うタイトルであるが、ボクシングを知らない人なら何の事だと思われるだろう。バンタムと言うのはボクシングのバンタム級のことである。そのバンタム級で黄金のバンタムと呼ばれた男がいた。ブラジルの英雄でエデル・ジョフレという。

 エデル・ジョフレは1936年3月、ブラジルのサンパウロで生まれた。ボクシングジムを経営する父アリステディスからボクシングの手ほどきを受け、アマチュアボクサーとして1956年のメルボルン・オリンピックに出場。準々決勝で敗れたが、アマ時代の通算は150戦148勝2敗というとてつもない成績だった。翌1957年プロボクサーとしてデビュー。
類い稀な才能を発揮。デビューからいきなり5連続KO勝利。その後、引き分け3を含むが負け知らずで38戦目に空位となった世界バンタム級のタイトルをメキシコのエロイ・サンチェスと争い6回KOに下し世界バンタム級チャンピオンとなるや、その後も防衛を繰り返し、ピエロ・ローロ、ラモン・アリアス、ジョニー・コードウェル、ハーマン・マルケス、ホセ・メデル、青木勝利、ジョニー・ジャミトー、ベルナルド・カルバロと8度の防衛戦を全てKOで下し17連続KO勝ち。まさに天下敵なしの強さで、チャンピオンの中のチャンピオン。通算で50戦47勝(37KO)3引き分け無敗。このエデル・ジョフレの圧倒的な強さを人はゴールデン・バンタム(黄金のバンタム)と評したのである。そして昭和40年5月18日、無謀にもこの怪物エデル・ジョフレに挑戦した22歳の日本の若者がいた。それがこの本編の主人公である。その名をファイティング原田と言う。

 ファイティング原田というと日本のボクシングファンなら知らない人はいないほど有名なボクサーであるが、あの頃、エデル・ジョフレに挑戦するのは無謀と言われていた。また大事な素材を潰すと言って反対する人も多かった。それほど当時のジョフレは強かったのである。ガードで身体を固め防御する。最初は出てこないので相手は攻めてくるが、序盤が過ぎたあたりから相手の攻撃を読み切ったところで、次第と防御から攻撃に転じるや強烈なフォロースルーと右のアッパーで仕留める。まさにボクシングの申し子のようなボクサーだった。一方のファイティング原田は1943年4月に東京の世田谷で生まれた。本名原田政彦。背が高くなくズングリしていてボクサーに向いてない体型。それでいて中学卒業前に笹崎ジムに入門。デビューからこれまた連戦連勝。東日本新人王決定戦では海老原博幸(後の世界フライ級チャンピオンでサウスポーの強打者)から序盤2回ダウンを奪い判定で勝利。僅かデビューから2年半で世界フライ級チャンピオンだったポーン・キングピッチに挑戦権を得る。それはポーン・キングピッチに挑戦が決まっていた矢尾板貞雄が突然に引退してしまったので、その代役として19歳の原田がタイトルマッチを戦うこととなった。だがキャリアがなく不利と思われていた原田が若さを発揮して老獪なチャンピオンを圧倒。11回に狂った風車と評されるほどの連打を浴びせ、白井義男以来、日本人2人目の世界チャンピオンになる。しかしリターンマッチが相手のホームタウンのバンコクであったがため僅差の判定で敗れ、減量苦からバンタム級に上がってきたのである。それから2年以上経過、今度は2階級制覇を目指してバンタム級王座に挑戦。ところが相手が悪すぎる。黄金のバンタムが相手である。助言者はジョフレが引退してからタイトルを狙ってもいいからとか、まだ時期尚早という人もいたほどだ。それでも原田陣営は可能性を信じて挑戦したのである。

 このあたり筆者は克明にそれまでに行きつくところの日本ボクシング界の事や、社会背景のことまで忠実に書いている。百田尚樹は小生と同年代と言ってもいいくらいなので、書いてある内容はほぼ覚えていたが、百田尚樹はこの試合の詳細をラウンドごとに書いている。そういえば小生が自分で試合を採点しながら観ていたのも、この試合が最初だった。とにかく小生も勝ち目がないだろうと観ていたような記憶がある。でも今、この本を読むとどんな試合だったかなと漠然としていて克明に覚えているわけでもない。なにしろ昭和40年のことである。小生はまだ小学校の高学年だった。試合は原田が左右のショートを連打するが、ジョフレは下がってカウンターを狙い、突如、前に出てコンビネーションのあるパンチで応戦する。試合は一進一退だった。序盤から中盤に試合が進んでいき、勝てっこないから次第に原田は意外とやるとなり、やがてもしかして・・・に変わって行く。そして15回終了まで原田は倒されずに持った。いや、それどころか見せ場を多く作り日本中を熱狂させた。この時の視聴率は54.9%だったというから如何に多くの国民がこのボクシング中継を観ていたかということだ。それで2対1の際どい判定ながら原田は勝ったのである。奇跡だと言われた。この偉業は世界中に配信され、世界中のボクシング関係者が驚いたという。とにかく敗れたことのないエデル・ジョフレを日本の若いボクサーが破ったのだ。これでMasahiko Haradaの名は一気に有名になる。エデル・ジョフレは初の敗北で口惜しがったという。しかし、試合後は笑顔で原田を祝福した。
 原田も一世一代の勝負が出来たと思った。ジョフレを破ったから次の防衛戦は問題ないと思ったが、原田はクラスをバンタムに上げても減量に苦しんでいた。普段から体重が60kgを超えているのにバンタム級のリミットである53.5kgに落とさなければならない。さらに体重を落とした状態で過酷なトレーニングをする。それで初防衛戦の時のコンディションは悪く(対アラン・ラドキン)、勝つには勝ったが今後に不安を残した。
2度目の防衛戦はまたエデル・ジョフレであった。今度はジョフレが本気で勝ちに来るので原田は今度こそ危ないと思ったものだ。かくしてバンタム級王座に輝いてから1年後の1966年5月31日、ファイティング原田はチャンピオンとしてエデル・ジョフレの挑戦を受ける。前回はエデル・ジョフレは負ける筈がないと思っていたかもしれない。それが油断に繋がった。今回はそういった余裕も見せず、来日しても必死だったように思う。生涯で初めて負けたのがよほど残念だったのだろう。練習にも本気で取り組み試合に臨んだのである。今回も激戦だった。どちらも負けていない。意地と意地のぶつかりあいだ。しかし、若い原田は終盤の14回、15回になって無尽蔵のスタミナを見せつけてジョフレを驚かせた。猛ダッシュをしたのである。ジョフレはこの日本の若者の何処にこれだけのスタミナが残っていたのだろうか。もう呆れ顔で最後はやや戦意喪失気味だったのを覚えている。今回は前回よりも点差が開き、原田の勝利が確定的だった。こうして奇跡は2度起きた。原田は無敵のジョフレに2度も勝ったのだ。尚、この時のテレビの視聴率63.7%。

 ところでジョフレは老いて全盛期を過ぎていたのだから原田が勝って当たり前だと思わないでほしい。何故ならジョフレはこの後、いったん引退する。が、原田が減量苦から逃れるためバンタム級からフェザー級にクラスを上げ、世界を目指すという話を聞き、3年後にエデル・ジョフレもカムバックしているのだ。ところが1969年7月オーストラリアで世界フェザー級チャンピオン、ジョニー・ファメンションに挑戦した原田が実に不可解なインチキ判定に屈し(ダウンを2度奪い終始優勢だった)、3階級制覇はならなかった。そして燃え尽きて原田は翌年に引退したため、エデル・ジョフレは原田を倒すチャンスもなくなってしまった。でもカムバックしても負けず37歳にしてホセ・レグラを倒しWBC世界フェザー級チャンピオンとなるから恐れ入る。さらに元世界フェザー級チャンピオンで、こちらもカムバックしてきた7歳下のビセンテ・サルディバルの挑戦を受け4回KOで退けるなど、怪物ぶりは老いても健在であった。ただ原田のいないボクシング界で試合をする意味もなく、王座を返上。その後、40歳まで闘い通算78戦72勝(50KO)2敗4引き分けで完全に引退した。それで生涯でたったの2敗が何れもファイティング原田だったのが何時までも心の奥に残っていたのか、ジョフレは引退してからかなりの年月を経た日に原田へ手紙を出している。その内容は旧交を深めようというものだった。旅費も宿も全て負担するから遊びに来いというではないか。原田は喜んだ。急いでブラジルに行く準備を進めたが、その中で条件としてボクシングのエキシビジョンマッチを行おうというのが気になった。そして関係者に聞くと、ジョフレは今度こそ原田を倒すと言って、本気でトレーニングを行っていると聞いて原田はジョフレの申し出を断ったという。如何にも負けん気の強いジョフレらしい話だ。

 しかし、黄金のバンタムと呼ばれバンタム級史上でも最強ではないかと評されるジョフレを2度も破ったことで世界ボクシング殿堂入りした原田。一応、世界2階級制覇したボクサーなのだ。今のように統括団体が4団体、17階級あって世界チャンピオンが60人も70人もいる今とは違い、世界チャンピオンがたった11人しかいなかった時代の2階級制覇である。それだけでもすごいのに世界ボクシング殿堂入りの要因がエデル・ジョフレを破ったということが最優先されたのだ。これだけでエデル・ジョフレがどれだけ凄いボクサーか判ろうかというものだ。でも原田自身63戦56勝(23KO)7敗という成績が示すほどの立派なボクサーだったのだ。でもジョフレと言うとんでもない怪物がいたことで、それが独り歩き伝説となったのである。当時小生は子供だったのでそれほどの偉業とも思えなったが、この本を本を読んでいると、それは凄いことだったのだなと思わざるを得ない。それを考えると昨今のボクシングの世界チャンピオンが昔ほど注目されなくなったのは判るような気がする。

原田が世界バンタム級タイトルを奪取したジョフレ戦


世界バンタム級王者になってからのジョフレ戦


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2013.09.08 (Sun)

ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』を読む

 この小説も入院している間にそれこそ40年数年ぶりに読んだのである。これも長い小説で岩波文庫で全4巻だったかな。子供のころは確か『噫無情』という題だったように思うが、最近は『レ・ミゼラブル』と原題で表記されることが多くなった。これも今時の流行りかな。でもフランス語でレ・ミゼラブルと言ったって何の意味か判らない。小生は昔のように『あゝ無情』のタイトルの方が判りやすいと思うのだが・・・・。

それにしても長い小説だ。あらすじを簡単に説明しようにも簡単に行かない。それでも簡単にあらすじを書くとするか。餓えのため泣く甥や姪のためにパンを盗んで19年もの長期間懲役を科せられたジャン・ヴァルジャンは、釈放されたのが1815年ワーテルローの戦いの年であり、既に46歳になっていた。だが惨めな姿をしたジャン・ヴァルジャンに街の人々は扉を閉ざす。そんなジャン・ヴァルジャンにミリエル司教は彼を人間としてもてなす。なのにジャン・ヴァルジャンは徒刑の間に悪を身に染み込ませてしまったのか、司教大事にしていた銀の食器を盗んでしまう。翌朝、憲兵に捕えられたジャン・ヴァルジャンを司教は許し贈り物として与え、ついでに銀の蝋台も与える。これをきっかけに立ち直り善と徳の道へと向かうようになる。
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 ジャンはマドレーヌと名を変え北部フランスのに住みつき、町の発展につくし人望を集め市長となる。しかし、前科者は社会復帰を認められていない。往年のジャンを知っている冷酷無情な警部ジャベールは彼を快く思っていない。折から誤ってジャン・ヴァルジャンとして捕えられた男があり、ジャンは一夜の苦悩の末、自らの正体を告白し男を救う。結果としてジャベールに前科者として逮捕され、終身刑の判決を受け脱獄する。

  ジャンは市長時代に薄幸の女フォンテーヌにその死の床でした約束を守って、人非人のテナルディエ夫婦のもとで惨めな幼年時代を送っていた娘コゼットを救い出す。パリにコゼットと共に居を構えたジャンは、ようやく愛するべき子を得て心的にも人間として成長する。ところがジャベールの追及はここにも及び、2人はとある僧院に身を潜め、ここでコゼットは美しい娘に成長する。やがて僧院を出て街中でひっそり暮らす2人が散歩の道で出会う青年マリウスと、コゼットはひそかに恋心を抱き合うようになり、ジャンはそれに嫉妬する。

  折しも1832年6月、共和党の反乱が起こり、マリウスもそれに加わる。ジャンもそれを知ってバリケードをに赴き、スパイとして捕えられていたジャベールを逃がし、傷ついたマリウスをコゼットを奪う者として半ば憎みながらも、地下水道を通って救い出す。その出口で再度まみえたジャベールは2人を送り届けるとセーヌに身を投げる。傷いえたマリウスとコゼットは結婚し、取り残されたジャンは衰弱していくが、ジャンの正義と慈愛の心を知ったマリウスはコゼットトと共にジャンを訪れ、2人の愛に包まれてジャンは息を引き取る。その枕もとにはかつてミリエル司教から与えられた銀の燭台が灯されていた。

 以上、簡単なあらすじだが、これだけ長い話を簡単にあらすじにするのは難しい。もっと色々と込み入った話が含まれているが、それらを事細かに書いていては字数が幾らあっても足りないので、簡単に纏めてみたのだがそれでも小説の大雑把な筋書きしか判らないだろう。

 ヴィクトル・ユゴーは1845年~1862年までかけて書いたというから、内容が濃くて長い。その主題となるものは惨めな人を作る出している者への憤りから生みだされたものとされ、タイトルのLes Miserables(惨めな人々)という題の通りの小説である。社会への悪を告発し人間性の善の成長を讃え、さらに時代の風俗の全体像を描き出すことに勢力を注いでいる。・・・・・法律と習俗とがるために、社会的処罰がうまれ、それによって文明のただ中に人工的に地獄が生みだされ、神のつくりたもうべき宿命が人間のつくる運命によってもつれさせられて・・・・・とヴィクトル・ユゴーは言っている。こうしてユゴーは悪に立ち向かう良心の芽生えと成長をする人間としてジャン・ヴァルジャンを登場させたのである。しかし、ヴィクトル・ユゴーがこの小説を書かないまでも、善と悪というのは何時の時代でも存在する。しかし、善と悪は紙一重のところがあり、現在社会のように、より複雑な世の中になると簡単にはいかないのが現実である。善の行為だからと行っていても実はそれが間違っていた行為だということは大いにありうるし、善だ悪だと白黒はっきり分別できない場合も多々ある。それだけにヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の小説は長すぎるにしては判りやすい小説ということはできるだろう。何が善で何が悪だと読んでいても明確なのである。したがって小学生用に短く書き直された『レ・ミゼラブル』もあれば、コゼットに焦点を当てた少年少女向け小説やコミックもあるぐらいだ。謂わば思慮分別の判断がまだ出来ない小学生に読んでもらいたいのか、その類いの『レ・ミゼラブル』版が過去に幾度となく出版されている。でも小生は全容を知るには、映画や少年少女向けではなく完全版で読むべきだと思う。でも長いからあまり読んでいる人はいないだろう。それに話が今となっては時代錯誤も甚だしいというのもある。でもユゴーという人の人間性がよく表れている。今の日本にこの様な善悪の判りやすい小説が誕生するかと言ったらあり得ないだろう。
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2013.08.11 (Sun)

村上春樹『ノルウェイの森』を読む

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 この小説も入院中に読み直してみた。入院中にいったい何冊の本を読んだのかと問われそうだがいちいち数えてないので判らない。20冊以上は読んだだろう。この村上春樹『ノルウェイの森』もそうだ。この『ノルウェイの森』は単行本で刊行された時に一度読んだものだが、それから20年以上経過している。その間、一度も読みなおしたことがない。正直言って何処が良いのか面白いのかよく判らない小説。感覚的すぎて苦手と言えば苦手な小説でハードカバーの単行本で刊行された当初、読んだだけでその後は一度も読んでない。ただ時代背景的に、同調できる部分があったんで懐かしいなあと思い、再び読んでみたという訳だ。

 ところで当時、題名の『ノルウェイの森』いうのが気になって書店の入口で堆く積まれていたのを手に取るや、内容も確認せずに買った覚えがある。『ノルウェイの森』とは当然ビートルズの有名な楽曲だ。なので内容も確認せず買って読もうと思い赤と濃緑の装幀の2冊の本を纏めて買って読んだかな。でも内容をあまり記憶してない。印象に残らなかったいうのもあるが、題名の『ノルウェイの森』と小説の内容とは何の関係もなかったということ、結局はビートルズの楽曲と同じ題名ということで買ってしまったのかな・・・・。 それ以前は村上春樹と言う人の本はエッセイ以外は読んだことがなかった。が、この小説からきっかけに村上春樹の著書を、その後に頻繁に読むようになったから判らないものだ。

 ところでこの小説の内容だが、タイトルにひかれて買ったものの小説の舞台がノルウェイでもなく、ましてやビートルズの『ノルウェイの森』とはほとんど関係がない。ただ物語の始まりで37歳の主人公がハンブルク空港に到着寸前に機内のスピーカーからオーケストラが奏でる『ノルウェイの森』を聴き、主人公の僕は遠い昔を思い出し混乱するのであった。それは色々あり過ぎた若い頃の思い。自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くの物のことを考え、失われた時間、死にあるいは去って行った人々、もう戻ること
ない想い。これらが錯綜し当時の記憶が蘇ってくる。

 1969年秋、主人公は草原で直子と2人で歩いていたことを思い出す。18年も前のことだ。ただ恋人でもなかった。直子と言うのは神戸で過ごしていた高校時代に親友だったキズキの恋人だったのだ。しかし、キズキは高校3年の5月、突然のように自殺してしまった。僕は1968年春、東京の私立大に入学した。直子も東京の武蔵野にある小さな大学に入学し、その年の秋に偶然、東京で直子と再会する。それ以来、僕と直子は時々、会うようになる。そして直子の20歳の誕生日に彼女と寝ることとなるが、意外にも直子はそれまで処女であったという。ところが直子はそれからまもなく東京を去り、京都の山間部にある診療所に入ることとなる。その一方で僕は緑という同じ大学の女性と知り合うこととなる。緑は直子とはまったく違った活発で明るい性格の女性だった。緑の実家は東京の下町で小さな本屋を営んでいたが、母は他界し父も脳腫瘍で入院していて余命も限られていた。緑はよく大学を欠席しているときは病院で父の看病に行っていた。そうこうしている間に緑の父親は亡くなる。

 時は1970年に入っていた。僕は玲子という直子と同じ病院にいる年配の女性から手紙をもらう。手紙にはその後の直子の精神的状況が主に書かれていた。直子は手紙を書くつもりでいたがなかなか書けず、代筆の形で玲子が書いたものだった。それから間もなくして緑からの手紙が届く。内容は大学の中庭で待ち合わせて昼食を一緒に食べようというものだった。しばらく僕は緑と会ってなかったのである。ところが緑と会うや僕がコーラを買いにいっている間に置き手紙を残していく。緑は髪型が変わっているのに気がついてなかったから、もう会わないでくれという。さらに玲子から手紙が来た。直子は家族と専門医との話し合いの結果、一度、別の病院に移り集中的な治療を受けここに戻るといいのではないかという合意に達したと書いてあった。

 僕は1970年の春、たくさんの手紙を書く。直子には週一回、玲子にも緑にも書いた。6月の半ば、2ヶ月ぶりに緑が話しかけてきた。緑はワタナベ君(僕)と会えなかった2ヶ月がとても淋しかったし、彼と別れたと言った。そして、あなたが好きになったと告白する。数日後、玲子から手紙が来た。良い知らせで直子が快方に向かっているという。近いうちにこの病院に戻って来るかもしれないということ。手紙の内容は僕のことと緑との関係にまで触れてあった。そして直子との関係も・・・・・。

 8月直子は自殺した。葬儀が終わって僕は1人旅に出る。鄙びた田舎町を1ヶ月渡り歩く。時は既に秋であった。こうして東京のアパートに戻り、気持ちの整理をしていたら、ギターケースを持った玲子が僕のアパートに現れた。玲子は若い時はプロのピアニストを目指し音大で学んでいた経験を持つ。2人は直子のことをも含め話を展開する。これから玲子は北海道に行くといい、僅かの間だが僕のアパートに泊ることとなり、玲子は会話の間にギターを弾き続けるのだった。僕と直子の想い出の曲ヘンリー・マンシーニ『ディア・ハート』から始まって、『ノルウェイの森』『イエスタデイ』『ミシェル』『サムシング』『ヒア・カムズ・ザ・サン』『フール・オン・ザ・ヒル』とビートルズ・ナンバーが続く。さらに『ペニー・レイン』『ブラック・バード』『ジュリア』『64になったら』『ノーホエア・マン』『アンド・アイ・ラヴ・ハー』『ヘイ・ジュード』、ドリフターズの『アップ・オン・ザ・ルーフ』、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』、ドビュッシーの『月の光』、、そこからバート・バカラックの『クロス・トゥ・ユー』『雨に濡れても』『ウォーク・オン・バイ』『ウェディングベル・ブルース』、さらにボサノヴァを10曲ほど弾き、ロジャース=ハートやガーシュウィンの曲を弾き、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ、キャロル・キング、ビーチ・ボーイズ、スティービー・ワンダー、『上を向いて歩こう』『ブルー・ベルベット』『グリーン・フィールズ』等、48曲。49曲目がビートルズの『エリナー・リグビー』そして50曲目に再び『ノルウェイの森』を弾いた。夜も更け、僕は玲子と性交渉を持った。こうして日が明け、玲子は旭川へ旅立っていき、その後で僕は緑に電話をかけ、僕には君が必要だと言った。

 以上が村上春樹の『ノルウェイの森』のおおよその筋書きである。なんだか何処に小説の主題があるのか分からない。実に感覚的な小説と言えばそれまでだが、そこには誰しも青春時代に持つ限りない喪失感、挫折感とさらに心の震えと感動、そして再生、色々な観念が内包されている小説であると思える。人間が大人になる直前の多感な時の1ページ、幾つもの壁があり精神的に成長していく過程で僕は色々と体験していくが、キズキの自殺、直子の自殺、それと多くは語られていないが永沢の恋人ハツエの死、緑の父の死と、周囲で起こりうるこのような事象があまりにも大きすぎる。この中で作者はキズキや直子の自殺が何に起因するのか敢えて言及されてないが大凡の見当はつく。小説の内容からして恋愛関係なのかそれとも社会への大いなる不安なのか、それはどうでもいい。ただ学生運動が最も活発で会った1968年~1970年、何かが起こりそうだ何かが変わって行きそうだという世情への不安があったことは確かだ。これは恋愛小説だとされる意見が支配的だが、小生はそのような捉え方はしていない。矢鱈と街に出て女生と知り合って性交渉を持つなど、ある意味、やり場のない不安のようなものが先立っているのか。それとも捌け口としてであろうか。作者はそれにもあまり言及していないが、直子の20歳の誕生日に性交渉を持ったこと、または積極的に性の話をする緑。恋愛小説と言えばそうであるかもしれないが、時代は若者文化が最も華開いた時期でもあり、学生運動がピークを迎えていた時期でもある。ちょうど1968年~1970年といえばヒッピーやフーテンなどが世に蔓延った。ちょうど小生もその時代のことはよく覚えているが、ある意味、この僕のような生活を送った若者が非常に多かったと思う。それで、今とは違う若者文化が栄えていたあの頃を思い出さずにはいられなかった。

 この小説に出てくる多くの音楽がそれを表現しているが、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン等・・・。所謂、団塊の世代へ捧げる村上春樹の記念碑的な小説のように感じたのである。何故なら、作者の他の作品とは随分と違っているからである。この作品を改めて読み直してみて村上春樹にしてはえらい現実的な話だなと思ったからであるが・・・。

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2013.08.05 (Mon)

メルヴィル『白鯨』を読む

 入院中にやはり病院内に蔵書されていたハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』も読んだ。これも40年振りかな。そもそも中学生の時グレゴリー・ベック主演の映画『白鯨』を観たのが『白鯨』という小説を知るきっかけになったかな。それで大学生のころに原作のメルヴィル『白鯨』を読んだものだ。ただし当時は捕鯨の解説が多く、内容も暗くて面白くないなあという印象でしかなかった。そして再びこの歳になって読んでみた。『白鯨』は語り手としてイシュメイルと名乗る主人公が登場してくる。ちなみにイシュメイルとは旧約聖書に登場してくる人物で、アブラハムがその侍女に生ませた子であり、追い出されて荒野を行く無宿者の名である。この旧約聖書から名を拝借したのかメルヴィルは、陸上の生活に鬱勃たる不満を抱いて捕鯨の世界に向かうイシュメイルを語り手として小説を展開している。ついでにいうと船長のエイハブも旧約聖書のイスラエル王アハブから頂いたものである。

 物語は19世紀のアメリカの東部。ナンタケットという捕鯨基地にやってきたイシュメイルは南太平洋出身のクィークェグという巨漢の銛打ちと汐吹亭という木賃宿で知り合う。一見、野蛮人だがイシュメイルは入れ墨をしたこの奇怪な人物から、彼はキリスト教徒には発見できない真の人間愛を知る。彼等は捕鯨船のピークォッド号に乗り込み、クリスマスの日に運命的な航海に出発するが、その前に狂人のイライジャより破滅的な運命について警告を受ける。

 船長のエイハブは乗組員たちに彼の片脚を奪った白いマッコウクジラ、モービー・ディックへの憎悪を吹き込み、色々な手段で乗組員の魂を支配してしまう。エイハブは最初に白鯨を発見した者への賞金として金貨をメインマストに打ちつける。彼は太陽に嫉妬し、それへの挑戦として四分儀をたたきつけて壊し、船の位置を確かめ、進路を決定する自らの方法を考案する。エイハブは一等航海士で敬虔なキリスト教徒スターバックの白鯨
の追跡を中止しようという訴えをも退け、哀れなビップの願いにも耳をかさない。捕鯨船にはそれ以外、三等航海士フラスク、黒人の銛打ちダグー、アメリカ原住民のタシデゴ等、多様な人種が乗り込んでいたが、皆、モービー・ディックを仕留めることしか頭にないエイハブに従うしかなかった。しかし、なかなかモービー・ディックは姿を現さない。数年追いかけたのち、ようやく日本近海でモービー・デッィクを発見。ここから壮絶な闘いが始まる。

 ここでエイハブは彼の分身ともいえる悪魔のような銛打ちフェデラーを銛打ちに指名し白鯨モービー・ディックを追う。しかし3日間にわたる死闘はエイハブだけではなく、乗組員全体への破滅に終わる。結局、イシュメイルだけが生き残るのである。

 この小説は19世紀前半から中頃のアメリカにおける主要産業であった捕鯨業について空想とリアリズムを交えて語られているが、イシュメイルの見るところでは船長のエイハブは気が狂っている。過去に白いマッコウクジラ、モービー・ディックに片脚を食いちぎられ、復讐の鬼と化して乗組員にまで自分の執念を巻き込んだ末、彼ら全てまでを破滅に追い込んだ。結局、メルヴィルは一般的に言われるシェークスピア悲劇の小説化、悪が人間の外的環境よりは、その心の中に存在するとするホーソーンの象徴的表現に深い、恐ろしい道徳的真理を見い出したのではないか。メルヴィルはホーソーンを規範として、シェイクスピア悲劇の影響の下に捕鯨の物語を書きなおしたといいうことかもしれない。

 ハーマン・メルヴィルは19歳でリヴァプール航路の船に乗り込んでいるし、さらに捕鯨船アクシュネット号に乗り込んで南海に出航したりしている。また、その後、オーストラリアの捕鯨船ルーシー・アン号に乗る。そして、1843年24歳の時、またも捕鯨船に乗り込んでいる。こう言った体験から、メルヴィルに『白鯨』を書かせたのであろうが、メルヴィルはそれ以前にも、『タイピー』『レッド・バーン』『マーディ』『ホワイト・ジャケット』といった著作品がある。何れもこういった海洋物の作品であるが、『白鯨』には彼の人生観が現れているであろう。絶えず死と隣り合わせであると言った乗組員の追いつめられた生活の中で、メルヴィルは様々な人を船の中に登場させ、彼らがどのように思いどのように生き、そのように散って行ったのか。そして白鯨を原始的な自然力、または人間の運命の力の象徴ととらえ、それに立ち向かう人間の艱難に対して勇敢に挑戦する精神の寓話としてイシュメイルに語らせているように思える。

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2013.08.01 (Thu)

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読む

 病院の蔵書コーナーのところに懐かしい文学作品があった。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』である。病院には新潮社文庫版で3巻あったが、他の文庫では4巻か5巻位ある長い長い小説である。それで高校の頃に一度読んだが、もう大昔の話なのであまり詳細を覚えていない。なのでどうせ退屈な入院生活だし、この際、読んでやろうかと思い再びこの歳になって読んだという訳である。こういった古典的文学作品と言うものは、小生のような年齢になるとほとんど読まないものだが、どうせリハビリ以外やることがないので暇にあかせて読んでみた。そうせ病院を出ると読むこともないのだし・・・・・。

 それにしても長い小説だな。話も複雑である。話は1860年代のロシアの地方都市、成金カラマーゾフ家の人々をめぐって展開する。父フョードルは地主貴族とは名ばかりの裸同然の身から出発し、居酒屋の経営や金貸しなどのあくどい稼業で今日の地位を築き上げた成り上がり者である。もはや彼は抑制のきかぬ激しい情熱を持つ物欲と淫蕩の権下化となり、自分も堕落し、周りにも堕落をまき散らすシニカルな毒説家である。

 フョードルの先妻の子で長男のドミートリィは父から抑制のきかぬ情熱譲り受けたものの純粋さを持っている。ただし酒に溺れ、馬鹿騒ぎまでやらかすが、心の中は高潔なものへの憧れがありただし広い心も持ち合わせている。ただし妖艶な美貌の女性グルーシェンカの肉体に夢中になると、許嫁を放り出してしまい父を敵視し殺してやりたいほど憎む。

 次男イワンは後妻の子で理系大学を卒業した聡明な青年である。だがフョードルの人間蔑視が異なった形で彼に投影している。イワンは神を否定し「神の創ったこの世界を認めぬ以上、人間には全てが許される」という独自の理論を打ち立てる。無神論者であり虚無主義者である。ただイワンにも血が流れている。それは兄ドミートリィの許嫁カテリーナに対する思慕に現れるのだった。

 三男アリョーショは修僧院で愛の教えを説くゾシマ長老に傾倒する純粋無垢な青年で、誰からも愛され天使と呼ばれている。しかし彼自身もカラマーゾフ家の血が流れていることは理解している。

 スメルジャコフはカラマーゾフ家の使用人で、癇癪の病を持ち下男として上辺は実直に働いているが、浅薄で奸智にたける。差別扱いされているだけにフョードルを憎む気持ちはだれよりも強いが、実はスメルジャコフはフョードルが白痴女に生ませた子であると噂されている。彼もまたイワンに影響された無神論者である。

 以上がカラマーゾフ家の家族および同居者であるが、ここにカテリーナとグルーシェンカの2人の女性が配される。グルーシェンカはフョードルと組んであくどい儲け仕事に手を染め、自分に熱を上げる親と子を適当に翻弄し、カテリーナを意地悪く嘲笑するような悪女であるが、アリョーシャの澄んだ眼が透視したように、心の奥には純真な清らかさが生きている。これに対しカテリーナは極めて誇りの高い傲慢な女である。

 この2人の女をめぐって父と子、兄と弟の複雑に絡み合った愛欲の闘いが演じられる中で、父フョードルが何者かに殺害される事件が起こる。兄弟たちのいずれも動機がある。スメルジャコフは当の夜、癇癪の発作が起こったという理由から容疑を逃れる。そしてドミートリィが豪遊など様々な状況証拠が揃っていることで逮捕されるのだった。やがて裁判が始まる。裁判の結果、実は神がなければ全てが許されるというイワンの理論にそそのかされてルメルジャコフ癇癪を隠れ蓑にしてフョードルを殺したのである。判決が出る前の日に、スメルジャコフはイワンを訪ねて、全てを打ち明けあなたが殺したのだと言い残して自殺する。

 公判の場で、証人のイワンが突然「私があいつをそそのかして殺させたのです」と
大声で叫び、激しい狂気の発作を起こしたまま連れ去られる。愛するイワンの証言で衝撃をうけたカテリーナはドミートリィを犠牲にしてイワンを救おうとして、父親殺しの罪をドミートリィの手紙を提供する。すると「ドミートリィ、あんたの蛇があんたを破滅させたんだわ」とグルーシェンカが怒りに満ちて叫ぶ。そのグルーシェンカも「許してやれよ」とドミートリィの言った一言でカテリーナを許すのだった。ドミートリィは実際には手を下していないが、心の中で何時も殺してやろうと思っていたことは、殺したも同然だと自分の罪を認めるのである。苦悩の末、それを償おうと不思議な明るい気持ちで20年の懲役の判決を受ける。

 大急ぎで大まかなあらすじを書くとこのようになる。推理小説的な部分もあり父フョードルを殺した犯人まで記述したのはこれから読む人にとってはちょっとまずかったかな。でも、この小説はそんな誰が殺したということよりも、もっと重要なテーマが幾らでも内包されているからあまり大きな意味はない。とにかく素晴らしい小説である。傑作が多いドストエフスキーの中でも屈指の傑作と言えよう。それだけに長くて難しくもあるが・・・・・・。

 この作品の魂はイワンの劇詩『大審問官』であるといわれ、居酒屋でアリューショと対坐したイワンが、この劇詩を読みあげるところにある。この内容も長いので割愛するが、この部分を知りたければ『カラマーゾフの兄弟』を読んでください。つまり作品の内面はと言うとアリューショを巡ってゾンマ長老とイワンの間に展開される思想の闘い、キリスト教と無神論の対決があり、それ以外にも現在社会にもつながる様々な問題が作品の中に採り上げられているということだ。まさに世界文学史の中においても重要度の高い作品と言うことは間違いないだろう。
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2013.07.29 (Mon)

スティーグ・ラーソン 『ミレニアム1』を読む

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  入院している間に読んだ小説『ミレニアム1』のことでも書くとするか。この小説はミステリー物で珍しいスウェーデン発の小説。当初、皆目聞いたこともないスティーグ・ラーソンという作家だし、海外版ミステリーなんてこの歳になって今更読む気も起らない。しかし、長い退屈な入院生活を送るのも有意義に過ごしたいしと思ったところ、姉が持ってきたのがこの『ミレニアム1』と言う小説。でも海外物のミステリーなんて苦手。ちょっと読む気が起こらないなと姉に言うと・・・絶対に面白いから読めと言って置いて行った。

  『ミレニアム1』は文庫本で上下2冊あって全部で850ページぐらいある。ちょっと読むのに骨が折れそうだ。でもどうせ暇な時間を潰すのにはいいかと考え、しぶしぶ読みだした。兎に角、登場人物が多すぎる。これは海外ミステリーを読むときに何時も感じることであるが、読みだした当初は誰が誰だか判らない。それに海外の小説はファーストネームで呼ぶことが多く、ファミリーネームであまり人のことを呼ばないようだ。さらにミドルネームで呼んだり、愛称で呼んだりするから人の名前をフルネームで認証してないと時々判らなくなるのだ。それで読み始めはページの冒頭にある登場人物の説明のところを絶えず捲りながら読み進めると言った状況である。それで今回はスウェーデンのい小説。英米系なら人物の名前も覚えやすいが、スウェーデンとなると話は違ってくる。スミスだとかテーラーだとかライアンだとか、ロバートだとかジョンだとかマイケルだとか、メアリーだとかエリザベスだとかキャロラインだとかといった聞き慣れている名前ではなくて、北欧の聞き慣れない名前を覚えなくてはならない。まあ、スウェーデンと言うと昔の女優でグレタ・ガルボとかイングリッド・バーグマンという女優がいたし、テニスにビヨン・ボルグと言うのもいた。それで○○○○ソンという苗字が多いことも知っているので、そういった雰囲気の名前が多いのだろうと考えていた。ところがこのミステリー、ミカエル・ブルムクヴィストが主人公で、そこにもう一人リスベット・サランデルという人物が加わる。つまりW主人公と言ってもいいかな。名前がややこしくてすぐには覚えられない。殊に話の大部分がヴァンゲル家の話になるので、一族の名前を暗記しておかないと話が本当に判らなくなる。それで登場人物と一緒に、小説の最初にヴァンゲル家の家系図というものも紹介されている。つまりヴァンゲル家における一大企業を経営する一族30人ほどが小説の中に出てくるので結構、こういったミステリーを読み慣れてない者にはとても疲れる小説である。それは今までの体験から判っていたので、海外もののミステリーを小生は最近はほとんど敬遠してきたのだが、姉が読め読めというから仕方なく読み進めたまでである。

 月刊誌『ミレニアム』の発行責任者であるミカエル・ブルムクヴィゥトは大物実業家ハンス=エリック=ヴェンネルストレムの違法行為を暴く記事を発表した。だが逆に名誉棄損で有罪になり彼は発行責任者として率いていた『ミレニアム』から退いた。そんな折、ヴェンネルストムのライバル関係にある大企業グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルから依頼を受けるのである。それは36年前にヴァンゲル一族の住む島から忽然と失踪したヘンリックの兄の孫にあたる16歳の少女ハリエットの行方を突き止めてほしいというものだった。それでこの謎を解いてくれればヴェンネルストレムの秘密を全て教えてやるというものだった。ブルムクヴィストはやむなく乗り気ではないが、その依頼を引き受けることにした。

  一方でもう一人の主人公リスペット・サランデルがいる。彼女は小柄で24歳。背中に大きなドラゴンのタトゥーが入った女性調査員。非社交的で社会とのつながりを持たず、体中にあるタトゥーにピアス、どぎつい服装で周囲をはねつける。カワサキのオートバイに跨り外見は15歳ぐらいにしか見えない。それでいて調査をさせれば1分の隙もない見事な報告結果を持ってくる。どんな依頼でも秘密を100%の精度で暴く力を持っている。だがリスペット・サランデルは他人に言えない秘密を抱え、重い過去を背負っていた。小説ではブルムクヴィストとサランデルの話が交互に進みやがて2人が交差する。こうして2人はお互いのパートナーとして調査を進めることとなり、事態は急展開をみせるのである。

 ところで、この『ミレニアム』は3部作である。この『ミレニアム1』(ドラゴン・タトゥーの女)は3部作の第1部に過ぎず、このあと2部、3部と続くのであるが、もういいかなとは思う。でも確かに読んでいて面白く引きこまれる小説ではある。本国スウェーデンでは『ミレニアム』3部作が刊行から2011年6月までに360万部を売り上げたという大ベストセラーとなった。これは凄いことである。スウェーデンの人口は日本の13分の1。約900万人と言うことを考えたら驚異的な数字である。『ミレニアム』3部作はスウェーデン推理作家アカデミー最優秀賞、ガラスの鍵賞を受賞。映画化もされ2009年春に第1部の映画が公開されスウェーデン映画としては最高の観客動員を記録。残りの2部、3部も映画化さらにハリウッドでもリメイク版の制作が進行中らしい。さらに英語圏及び、フランス、ドイツ。スペイン等30ヶ国で翻訳され、全世界で6000万部の売り上げを記録したミステリーである。第1部の映画の方は日本でも既に上映されたが観客動員の方はどうだったのか。あまり派手な話題は聞かないが。

 著者ステーグ・ラーソンは1954年生まれとなっているから小生と同世代と言ってもいいだろう。スウェーデン通信に20年以上勤務する傍ら、極右思想、人種差別に反対する運動を繰り広げ、1999年からはこいったテーマを扱う雑誌の編集長となった。こういった経験が小説の中に生きているのかも知れず、小説のテーマともいえる女性に対する偏見、軽蔑、暴力を描写するのに凄まじいものがある。結局、この小説3部作は大ベストセラーとなるものの著者のスティーグ・ラーソンは2004年11月、第3部を書きあげ、第4部の執筆中に心筋梗塞で亡くなるのである。第1部の発売の前だったらしく、まだ50歳だった。本人はこれほどの話題書になることは判っていたのだろうか。翻訳された国々でそれぞれがベストセラーとなった『ミレニアム』である。確かに面白いのであって、読みだすと先が知りたくなる。ただ一言言わせてもらうならば、余りにも猟奇的であるし、ヴァンゲル一族が如何に病んでいるかを考えた場合、こんな憎しみ合った一族って現実にいるのか何と思い、読書後の感想はけしていいものではなかった。だから姉のように2部も3部も続けて読もうとは思わなかった。
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