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2013.11.27 (Wed)

映画『エデンの東』を観る

『エデンの東』1954年制作、アメリカ映画

監督 エリア・カザン

出演 ジェームズ・ディーン
   ジュリー・ハリス
   レイモンド・マッセイ
   リチャード・ダヴァロス
   ジョー・ヴァン・フリート

【あらすじ】第一次世界大戦がヨーロッパで繰り広げられている1917年、カリフォルニア州北部の田舎町サリナスに住む少年キャルは中年女性を尾行していた。その女性は父から亡くなったと聞かされていた母親らしき人だった。しかし無下なく追い返される。その女性はモントレーで酒場を経営しているケイトという女性だった。父のアダム・トラスクは生真面目で農場を営んでいた。またキャルには温厚な性格の双子の兄アロンがいた。キャルは兄のアロンと違って反抗的な性格で父から邪険にされていた。アロンには恋人アブラがいて、2人で冷凍保存に使う氷倉庫で逢い引きしていた。その2人をキャルは隠れて覗いていた。それを知らぬアブラはキャルが不気味だとアロンに告げたいた。父からの愛情を受けていないキャルは突然、父がレタスの冷凍保存に使う氷を倉庫から打ち砕く。父アダムは聖書の一説を引用して叱責をするが、逆に死んだ母のことを問いただす。父は母との不仲をキャルに話すが生きてはいないという。キャルは再びケイトの店に向かい対面に臨むがまたも追い返される。本当の母なのか謎は深まるが、アダムの旧友である保安官サムから両親の新婚当時の写真を見せられケイトが実の母であると確信を持つ。

 そんな或る日、キャルはアロンの恋人アブラに父から愛されてないと悩みを打ち明けると、アブラも同じ悩みを抱えていたときがあると言い2人は急接近する。まもなくしてアダムが冷凍保存したレタスを使った取引を実行に移すが、列車が立ち往生した関係で氷が溶けてしまい損害を受ける。それでも善人アブラは憔悴していたが冷静であった。それを見たキャルは損失を補おうと取引に先見の目があるウィルに相談する。すると戦争に伴う特需で大豆が高騰するであろうと言われるが、その資金に5000ドルが必要と言われ、再三ケイトのところにお金を借りに訪れる。そこでケイトと接見することが出来、父との不仲だった話を聞かされる。つまり母とキャルはアダムの正直すぎる堅物さに嫌気がさしていたということで同調し上手く金を借りることに成功する。すると、まもなくしてアメリカがドイツに宣戦布告し青年たちが戦争に駆り出される。アダムは徴兵の委員をやらされ清廉潔白なアダムは心が痛んでいた。戦争は思ったより長引き大豆は高騰しキャルは5000ドルをウィルから受け取り、父アダムの誕生日にプレゼントとして渡そうと誕生日パーティーをアブラと計画した。その日に兄のアロンはアブラとの婚約を父に発表してアダムを歓喜させるが、その後でキャルはアダムが損失した同額の5000ドルの札束をプレゼントする。するとアダムに、戦争特需の相場で設けた大金は徴兵の委員をやっている手前受け取れないから返して来いと逆に諭される・・・・・・。

 この映画は若い頃に何度も観た。今でもジェームス・ディーンの熱演と共に小生の心の残っている良い映画だ。原作はジョン・スタインベックの小説だが、原作を読んだ人は判ると思うが、映画は小説の最後の方の僅かな部分だけを映画にしているのだ。でも、それだけで十分に親子愛をいうものを表現した作品となっている。物語の原典は旧約聖書のカインとアベルにあることは一般的に知られている通りである。アダムとイブの息子たちカインとアベルの兄弟の葛藤の話を頻繁に例として持ち出されるが、多少、例えとは違ってもジョン・スタインベックは現在風にアレンジして小説化している。それを基にエリア・カザンが脚本をポール・オズボーンに書かせ、そこへ新人ジェームズ・ディーンの演技があって秀作となったことは言うまでもない。ジェームズ・ディーン以外にもケイトを演じたジョー・ヴァン・フリートといい、懐かしくもあるレナード・ローゼンマンの主題曲の名旋律。最も撮影中はジェームズ・ディーンの勝手気ままな性格が周りを困惑させたと言い、台詞を覚えてこないジェームズ・ディーンに父親アダム役のレイモンド・マッセイが手を焼いたという逸話も残っている。それでいて最後の方のシーンで、5000ドルを父アダムに渡して返して来いと言われた後の演技は即興で行ったものだというから、ジェームス・ディーンは天から授かった役者の申し子かも知れず、24歳での突然の事故死を惜しまずにはいられない。まさに映画も現実もジェームズ・ディーンであって、彼は永遠の若者であるべきだったのだ。まさに反抗的若者そのものであり、それこそ理由なき反抗であり、大人になってはいけなかったのかも・・・・・・・・。もし今も生きていたら82歳の筈。しかし、82歳のジェームズ・ディーンなんて皆目、想像も出来ない。デームズ・ディーンは子供の頃に母と死別。その後は色々とあったことを故エリザベス・テイラー(映画『ジャイアンツ』で共演)が晩年にジェームズ・ディーンとの想い出話として残しているが、今は2人ともこの世の人ではない。死人に口なしで何処までが事実なのかは疑わしい。やはりジェームス・ディーンは永遠の若者で在り続けてほしい。


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2013.01.14 (Mon)

映画『セクレタリアト/奇跡のサラブレッド』を観る

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『セクレタリアト/奇跡のサラブレッド』2010年制作、アメリカ映画

監督 ランドール・ウォレス

出演 ダイアン・レイン
   ジョン・マルコヴィッチ
   ディラン・ウォルシュ
   ジェームズ・クロムウェル
   ケヴィン・コナリー
   スコット・グレン

【あらすじ】1969年、伝統あるサラブレッド生産牧場のメドウ・ステーブルのオーナーであるクリストファー・チェナリーは病に倒れ、また経営する牧場も赤字が続いていた。そういったことからクリスの息子も牧場の売却を模索する。だが、18年前に結婚し既に専業主婦となっていた娘ペニー・チェナリー・トゥイーディーは牧場売却に反対する。ペニーは経営権を父のクリスから譲り受けメドウ・ステーブルの経営に乗り出した。ただし牧場経営には全くの素人であるペニーは、牧場を安く売却しようとしていた調教師をクビにして新しい調教師ルシアン・ローランをパートナーに選んだ。一度、調教師を引退していたルシアンだったがペニーの熱意に応えることにした。翌年には牧場に残った老繁殖牝馬サムシングロイヤルに一頭の栗毛の牡馬が産まれた。ペニーはこの子馬をビッグレッドと呼んだ。それから2年後の夏にペニーは牧場の事務を引き受けていたエリザベス・ハムに感謝してこのビッグレッドにセクレタリアト(秘書官の意)と名付けいよいよデビューすることとなった。セクレタリアトは大型で見事な栗毛の牡馬に成長していた。だがデビュー戦で出遅れ前を塞がれたり他馬にひっかけられそうになったりして追い込んだが4着に敗退してしまう。これでペニーは騎手の交代を言い渡す。こうして選ばれた騎手が気の強いロン・ターコット。そして、ここから馬主ペニー・チェナリー・トゥイーディー、調教師ルシアン・ローラン、騎手ロン・ターコット、競走馬セクレタリアトによる伝説の物語が開始されるのである。

 まさかアメリカ史上最強馬の一頭と言われるセクレタリアトの伝記映画があるとは知らなかった。何故なら日本では劇場未公開だったからで、巷のショップで偶然見つけたDVDでこの映画を知ることとなった。でも配給がディズニーとは驚いた。そういえば私が10代の頃、海外の競馬を知り結構はまったものだが、その頃に轟いていた海外の競走馬ニジンスキー、ミルリーフ、ブリガディアジェラード、アレフランス等のヨーロッパ勢に対し、アメリカの競走馬では断然にセクレタリアトが輝いていた。それは1973年だった。アメリカにとんでもないサラブレッドがいるとは聞いていた。前年の1972年に2歳馬でありながら年度代表馬に選ばれ、その勝ち方が他を圧していたという。その頃、日本では怪物ハイセイコー騒ぎで誰もアメリカの競走馬のことまで知る由もないが、私はそのセクレタリアトのことが気になってしょうがなかった。でもケンタッキー・ダービーをレコード・タイムで圧勝、プリークネスSも圧勝。いよいよ25年振りにアメリカ三冠馬の栄誉を懸けてベルモントSに出走するという記事を新聞で読んだ覚えがある。ただし当時は今のように海外の競馬を生中継することなどありえず、動く映像を観ることも難しい時代だった。そして、日本では怪物ハイセイコーが日本ダービーで敗れた。それから1週間後のことである。セクレタリアトがベルモントSで三冠を目指すことが新聞記事に書いてあったように思う。スピードと最後の爆発力は他の馬を寄せ付けないが問題はスタミナだということ。過去にボールドルーラーの産駒は1マイル半の距離を勝ってないという現実があって、セクレタリアトはそれに打ち勝てるかと記事は綴られていた。

 そして翌日である。一般紙の朝刊のスポーツ欄で、私は1枚の写真に度肝を抜かれた。それはチェックのメンコをつけた馬が1頭で走っている姿。ただし遥か後方に数頭の馬が小さく写っていて記事は「超怪物セクレタリアート、25年振りの三冠馬」と記してあった。距離の壁をぶち破ってセクレタリアトはアメリカ三冠馬になったのだと思った。それも2着に31馬身もの着差をつけ、タイムもダートコースの1マイル半で2分24秒0という驚異的なものであった。まだ当時の日本レコードは2400mの芝で2分26秒6だったから如何にセクレタリアトの走破タイムが凄いものであるか文章だけでも伝わってきた。そして39年経つが未だにこのトラックレコードは破られるどころか1秒以内のタイムを叩き出す馬も皆目出現しないという。この実態から如何にセクレタリアトが驚異的なサラブレッドだったということが判明するだろう。

 ところでこの映画が日本で未公開だったのは判るような気がする。それは日本での世間における競馬の捉え方が西洋とでは違うからであろう。昔よりは理解されるようになったとはいえ、まだまだ競馬への認識は所詮ギャンブルであり、1頭のサラブレッドに焦点を当ててみたところで映画がヒットするとは思えない。何年か前にやはり『シービスケット』というサラブレッドの伝記映画が公開されたが、作品自体はアカデミー作品賞にノミネートされるほどの秀作だったのに期待外れの入りだった。なので日本では公開されなかったのだろう。もっとも競馬を知っていても、今から40年ほど前に活躍して一世を風靡したアメリカの競走馬の話など興味を持つ人なんていない気もするが・・・・。


 映画紹介ビデオ


実際の映像 1973年ベルモントS 大喜びするペニー・チェナリーが大写しになる

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2011.03.29 (Tue)

映画『レイジング・ブル』を観る

 『レイジング・ブル』1980年制作、アメリカ映画

 監督 マーティン・スコセッシ

 出演 ロバート・デ・ニーロ
    キャシー・モリアーティ
    ジョー・ペシ
    フラング・ヴィンセント
    ニコラス・コラサント
    テレサ・サルダナ

 【あらすじ】1964年、ニューヨークはバルビゾン・プラザ・シアターの楽屋で肥った中年男が映画『波止場』の台詞の一節を繰り返していた。この男はかつて世界ミドル級チャンピオンで怒れる牡牛(レイジング・ブル)と恐れられたジェイク・ラモッタである。話はさかのぼって1941年、彼は黒人ボクサーと闘いKO寸前まで相手を叩きのめしたのにも拘わらず判定負けをしてやけ酒を飲み妻に当たり散らす。妻は散々ジェイクの態度に嫌気がさしていた。そこへ金髪の若い女性ビッキーとジェイクは出会い結婚する。それからのジェイクは試合で連戦連勝、当時、無敵のボクサーだったシュガー・レイ・ロビンソンをも破ったのである。だが、それでも彼は世界タイトル・マッチをやらせてもらえなかった。そこでジェイクは裏の組織に八百長を強いられた。結局、負けて、その御礼として世界ミドル級タイトルに挑戦できるようになったのである。こうして1947年、念願の世界ミドル級タイトル・マッチに臨んだ。相手のチャンピオンはフランスのマルセル・セルダン。試合は激戦となったが、10回TKOでジェイク・ラモッタはとうとう世界ミドル級チャンピオンとなった。しかし、それと引き換えに妻ビッキーとマネージャーである弟ジョーイとの猜疑心から心が離れていくようになる。こうして3度目の防衛戦でジェイクは宿命のライバル、シュガー・レイ・ロビンソンと対決。ジェイクはロビンソンに敗れ引退する。引退したジェイクはフロリダでナイトクラブの経営を始めたが、やがて彼のところから妻が去り弟が去っていく・・・・・・・。

 この映画は実在したボクサー、ジェイク・ラモッタの半生を描いた映画である。ほとんど全編白黒で、冒頭からマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲』が流れる中、ジェイク・ラモッタが1人黙々とシャドー・ボクシングをやっている。このあたり実に巧みな編集である。所謂、『ロッキー』のようなボクシング映画と対極をなす。けして成功物語ではなく、どちらかというと成功の陰で人生に挫折しかけた男の生きざまをコツコツ表現している。この映画を観ているとボクシングシーンに登場するロバート・デ・ニーロと引退してからのロバート・デ・ニーロが同じ人物かと思ってしまうほど外見が違っている。この映画のために本人は25kgも肥ったというが、この好演により彼はアカデミー主演男優賞を受賞した。ところで、この映画の中で主人公ジェイク・ラモッタが対戦するボクサーには、拳聖といわれ全階級通じても史上最高のボクサーと評されるシュガー・レイ・ロビンソンを始め、エディット・ピアフの恋人で飛行機事故で突然亡くなったマルセル・セルダンが登場する。

シュガー・レイ・ロビンソンはアマチュア時代85戦全勝(69KO)。1940年に19歳でプロデビュー。1965年、44歳で引退するまでの間、200戦175勝(109KO)19敗6引き分けを記録。世界ウエルター級タイトル獲得、その後に世界ミドル級タイトルを5度も獲得。プロデビューから40連勝した。アマ、プロ通じて初めて負けた相手がジェイク・ラモッタだったのである。そこからジェイク・ラモッタとは宿敵となり、通算で6度対戦。最後の対戦はロビンソンに打たれまくってもダウンをしなかった。だが一方的に打たれまくられるので『聖バレンタインデーの虐殺』と呼ばれた。

 マルセル・セルダンは旧フランス領アルジェリア出身のボクサーでいわずとしれた歌姫エディット・ピアフの恋人だった。世界ミドル級タイトルを時のチャンピオン、トニー・ゼールから奪いフランスの英雄となる。だが、初防衛戦でジェイク・ラモッタと対戦。激しい試合となったが、左肩を脱臼したマルセル・セルダンが10回終了で棄権。ルールによりTKOでジェイク・ラモッタがタイトルを獲得した。マルセル・セルダンはラモッタがリターン・マッチを受けたのでタイトルを奪還するべく、試合の地ニューヨークに乗り込もうと搭乗したが、飛行機が墜落してしまった。この時、エディット・ピアフは公演でニューヨークにいて飛行場まで迎えに行く予定だったというが、訃報は親友のマレーネ・ディートリッヒから聞かされた。

 最後になるがジェイク・ラモッタの戦歴は106戦83勝(30KO19)敗4引き分け。試合ぶりからRaging Bullと呼ばれたのである。ボクシングでの闘い方はまさにブルファイターで、史上もっともタフな選手と言われたのである。また、余談であるがかつてポール・ニューマンが主演したボクシング映画『傷だらけの栄光』の主人公ロッキー・グラジアノも実在した世界ミドル級チャンピオンで、彼は少年時代はジェイクラモッタの悪友であった。尚ジェイク・ラモッタは90歳になったが今も健在である。


 映画『レイジング・ブル』トレイラー。


 実際のジェイク・ラモッタとシュガー・レイ・ロビンソンの試合。


EDIT  |  20:27  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2011.03.26 (Sat)

エリザベス・テイラーが亡くなった

 このところ帰りが遅かったので書けなかったが、女優のエリザベス・テイラーがこの23日に亡くなったので、そのことを少し書いてみる。エリザベス・テイラーは79歳だったという。私が小学生のころであるが、膨大な資金で制作された映画『クレオパトラ』を京都の四条の映画館まで母と姉に連れられて観に行った覚えがある。内容は今となってはあまり覚えてはないが、クレオパトラという世紀の美女が大昔のエジプトにはいたのだということを実感した映画である。それ以来クレオパトラと言うとどうしてもエリザベス・テイラーを思い出してしまう。その後、この映画を何度か観る機会があったが、スペクタクルは見事であったが、金を掛けたにしてはさほどいい映画とも思えずエリザベス・テイラーの女優としてのキャリアを考えた場合、この映画に出演しない方が良かったのではないかともいえる。が、クレオパトラ役はエリザベス・テイラー以外に考えられなかったというのも事実であり、この映画で史上初の100万ドルという出演料が話題になったほど当時は大女優としての道をまっしぐらに突き進んでいたという印象がある。

 映画『クレオパトラ』で私はエリザベス・テイラーを知ることになるのだが、その後、私も成長して数々のエリザベス・テイラー出演の映画を観る機会が増えた。それで彼女が出演している映画をどれだけ観たかをざっと数えてみた。『名犬ラッシー』『緑園の天使』『若草物語』『花嫁の父』『陽のあたる場所』『雨の朝巴里に死す』『ジャイアンツ』『去年の夏 突然に』『バターフィールド8』『クレオパトラ』『予期せぬ出来事』『いそしぎ』『バ―ジニア・ウルフなんかこわくない』『夕なぎ』『ザッツ・エンタテインメント』『トスカニーニ 愛と情熱の日々』・・・・・観そこなった映画も多いが、エリザベス・テイラーの出た映画は少女時代から晩年も含めて全般的に観ている方だと思う。一般的にエリザベス・テイラーは美人女優と言われているが私もそれは認める。マリリン・モンローはセクシー、オードリー・ヘプバーンはキュートとするとまさにエリザベス・テイラーこそビューティフルということになるだろう。『若草物語』や『花嫁の父』に出ていた頃のリズはそれこそ絶世の美女だった。それが何時しか美人女優という代名詞がとれて演技派女優として知れ渡っていところが、ちょうど私がリズの映画をよく見ていた頃である。2度も夫となったリチャード・バートンと出た『いそしぎ』『バージニア・ウルフなんかこわくない』の頃であろうか。もうその頃というのは、エリザベス・テイラー自身も30代半ばにさしかかっておりかつての美貌ぶりだけが売り物の女優と違って演技派として通る大女優であった。『いそしぎ』(1965年)では女流画家役で宗教家の校長(実の夫だったリチャード・バートンが演じる)と不倫する映画であるが、主題曲『The Shadow of Your Smile』という甘美な曲と相成ってドロドロとした印象ではなかった。またリズが2度目のオスカーを受賞した『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)ではリチャード・バートンと夫婦役をやり、ここではそれまでのリズのイメージと打って変わって肥って登場。リチャード・バートンと役の中でののしり合う。

 ただし演技派の女優として名を高めるようになってからはだんだんと映画の出演本数も減っていった。その一方で社会における慈善活動とかをやり始め、銀幕のスターとは違った一面を見せるようになるが、外見からして最早かつての美女だった面影は影を潜めていた。これは残念で仕方がないが、子役時代から映画に出続けて、美貌の女優として人気が出て、やがて8回の結婚と7回の離婚遍歴が有名になるほど私生活でも賑やかであった。ただその私生活における恋愛歴が芸の肥やしとばかりリズの女優としての地位を確立していったのだとしたら、リズの芸歴はただの美人女優で終わっていたのかもしれない。

 2011年3月23日、ロザンジェルスで死去。享年79歳。死因はうっ血性心不全。ご冥福をお祈りします。


 映画『花嫁の父』(1950年)トレイラー。



 映画『クレオパトラ』(1963年)トレイラー。



 映画『いそしぎ』(1966年)のシーン集スライド・・・The Shadow of Your Smileの歌にのって・・・


EDIT  |  17:05  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2010.12.24 (Fri)

映画『スイング・ホテル』を観る

 『スイング・ホテル』1942年製作、アメリカ映画

 監督 マーク・サンドリッチ

 出演 ビング・クロスビー
    フレッド・アステア
    マージョリー・レイノルズ
    ヴァージニア・デイル
    ウォルター・エイブル
    ルイーズ・ビーヴァーズ

 【あらすじ】ショウビジネスで生きる2人、ダンサーのテッドとシンガーのジム。ジムはショウビジネスに幻滅を感じ、テッドにコネチカットの田舎で農場をやり、ついでに長年のパートナーだったライらと結婚する打ち明けた。しかし、ライラはショウビジネスが諦めきれずテッドと恋におちてダンスパートナーとして残ることになった。ジムは1人寂しくコネチカットへ旅立つ。しかし農場での仕事は彼には難しかった。そこでジムは名案を思いつく。農場をホリデイ・インという名の祝日だけ開くエンターテイメント会場に改築してショウを開催するというものだった。こうして1年で祝日だけ営業するというホリデイインが営業を始めるが・・・・・・・。

 この映画は何の毒も棘もない恋愛ミュージカルの類なのだが、映画史においては価値のある映画である。それは何かというと、クリスマスのスタンダードナンバーである『ホワイト・クリスマス』がこの映画で紹介されたということである。現在では誰でも知っている『ホワイト・クリスマス』であるが、この映画の中でビング・クロスビーが歌って火がついたのである。映画は1941年11月から1942年2月まで撮影。ちょうど太平洋戦争勃発で日本の国中が慌しい時期にアメリカのハリウッドではこんな映画も製作されていたのである。映画もアメリカとイギリスで大ヒットし『ホワイト・クリスマス』も音楽チャートで1942年10月から11週間もの間首位を守るという文字通りの大ヒットを記録する。

 つまり戦前のエンターテイナーであるビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演とアーヴィング・バーリンが曲を提供したことにより映画も曲も大ヒットしたのである。『ホワイト・クリスマス』の曲自体は一人歩きし、今では誰でも知っているクリスマス・ソングの一つとなっったが、オリジナルはこのように映画から出てきたものである。でも1942年というと日本では太平洋戦争に突入した翌年である。日本流に言うと昭和17年ということになる。この時代には当然、敵国の映画等は上映できるはずがない。したがってこの映画そのものも戦後に入ってきているし、楽曲の『ホワイト・クリスマス』も実際に日本で知れ渡るようになるのも、映画『スイング・ホテル』のリメイク版である『ホワイト・クリスマス』(1954年)によるところが多い。したがってオリジナルである『スイング・ホテル』を観てない人も多く、この映画の存在さえも知らな人は意外と多いのである。当映画は、いわゆる古色蒼然としたミュージカル映画である。映画そのものは特筆すべきものではないが、ビング・クロスビーの甘い歌声とフレッド・アステアの華麗なタップやダンスは見所である。


 映画の中で『ホワイト・クリスマス』を歌うビング・クロスビーとマージョリー・レイノルズ。

EDIT  |  12:39  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2010.08.05 (Thu)

映画館も行かなくなった

 今日も似たような内容で申し訳ないが、毎度、毎度、口をついて出ることは暑いの一言。毎日、灼熱地獄ですっかりグロッキーであるが、まだ食欲はあるので大丈夫だろう。でもまだ8月の5日なんだ。そろそろ暦の上では立秋ということになるから、暑中見舞いも残暑と書かなければならないだろうが、これから暑さが本番ではないか。若い頃は暑いのは嫌いだが、体力があったから海、山、プール、川、涼を求めて頻繁に出かけていったものだが、この歳になると空調の効いた室内でウトウトと昼寝をしているか、読みかけの本を読んで暇を潰しているほうがいい。

 最も出かけるとなると、海、山には行こうとは思わない。もうすっかり身体がアウトドアからインドア用に仕上がってしまっているので、スポーツをしようとも思わないし、無理に汗をかきたくもない。だから大型書店で立ち読みをしていたり、これまた大型家電販売店内をウロウロしてみたりする。もっとも今はやりの、郊外型ショッピングセンターやアウトレットばかりの店にも行こうとは思わない。

 昔なら、この暑い時、決まって涼しい映画館で1日を過ごしたものである。盆休みなんかどこへ行っても人が多いから、ロードショーから流れてきた三本立ての映画館で、アンパンとコーヒー牛乳を片手に持ってまる1日入りびたりだったことを思い出す。こういった映画館は観たことのある映画と、まだ観たことのない映画とセットで上映する場合が多いので、既に観賞済みの映画の時は決まって、お昼寝の時間であった。冷房が効いていて、椅子に深く腰をかけて居眠りするのである。ウトウトとしているとセリフが妙に心地よいので居眠りには最適の空間である。なかでもフランス映画というのは居眠りするのに好都合である。何故かあの囁くように喋るフランス語というのは眠気を誘う。よく目が覚めてスクリーンに目を向けるとアラン・ドロンが大写しになっていたということがあったものだ。、また小生は西部劇が苦手で、ジョン・ウェインなんかが出ていたら大概は寝ていたかな。でも、こうして1日、暇を潰せる二流映画館が好きで、よく通ったものなのだが・・・・・・。

 最近は映画館ともご無沙汰になってしまった。それはあのシネマ・コンプレックスの登場によって、以前のスタイルの映画館が激減したからである。今のシネマ・コンプレックスはスクリーンこそ、一つの建物の中に7も8も、いやそれ以上あるだろう。そこで臨機応変に上映映画を変え、最も動員できる映画を三つ、四つのスクリーンで上映したりして客を捌こうとしている。そして、途中入館が出来ないし、途中で出るともう入れない。このシステムが嫌なのだ。それにスクリーン自体が小さすぎる。映画を観ているといった感じではない。これなら家で大型のワイド画面のテレビで観ているのと大差ない。

 やはり映画は大型スクリーンで観るべきであり、また途中から観て、観たところまで来ると納得して出て行ったものだ。それに朝から晩まで居られたから、気に入った映画なら何度も観て帰ったものだ。こうして暑い夏は、涼を求めて二番館の三本立てを観て1日楽しんだというのが、かつての映画好きの過ごし方だったのだが・・・・。

 それで往年の名画に敬服したものである。今思えば・・・・・『或る夜の出来事』『つばさ』『逢びき』『怒りの葡萄』『失われた週末』『エデンの東』『市民ケーン』『望郷』『81/2』『サウンド・オブ・ミュージック』『赤い砂漠』『去年マリエンバートで』『カビリアの夜』『冒険者たち』『波止場』『サンセット大通り』『男と女』『博士の異常な愛情』『俺たちに明日はない』『シェーン』『奇跡の人』『サイコ』『黒いオルフェ』『ニノチカ』『イヴの総て』『情婦』『アラバマ物語』『欲望という名の電車』『レベッカ』『夜と霧』・・・・・いっぱい観たなあ。ちょっと思いつくだけでも、これでだけ出てきた。でももう映画館に行くこともないか。シネコンでは行き気が起こらない。

 時と共に映画館も様変わりしたが映画も随分と内容が変った。3Dって、あれは何だ。CGを駆使したり映像に細工したり視覚効果ばかり狙った映画が多いような気がするが、これも時代の定めかな。もっといい脚本で内容の或る映画を作ってほしいとは思うが・・・・・・・。
EDIT  |  21:23  |  映画  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑
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