2008.08.19 (Tue)
高校野球も終わったが・・・・・
このところ毎日、毎日、北京オリンピックのニュースばかりで、観るつもりはなくとも情報だけは垂れ流しのように入ってくる。それと昨日、ようやく閉幕したが高校野球と含めて、テレビは朝から晩までそればかり・・・・・。どちらも観る気はなかったが、新聞の紙面といいテレビのニュースといい、必ず大々的に報道するから結果は判ってしまう。
北京オリンピックを何故に観ないかは、これまでに理由を何度も書いたから新たに書かないが、高校野球を観ない理由は、いくつかある。
第1、高校生の野球を朝から晩まで、天下のNHKや朝日放送が生中継をする意味が判らない。
第2、教育の一環といいながら、他の運動部と比較しても野球だけを特別扱いしている。
第3、朝日新聞や毎日新聞が主催して過剰報道をしている。
第4、高校野球連盟が腐っている。
第5、野球留学生が全国で蔓延ってしまい、野球強豪高校の出現と、職業監督の出現を促進してしまい、その裏で金が舞っている。
第6、クラブ活動の一環に過ぎないのに、もはやその域を超えて、それが目的になってしまっている。
結局、高校野球というのは、新聞社が販売促進のために始めた大会であり、そこへラジオ中継、テレビ中継が加わって、次第と全国的な人気を得たがため、各地に野球強豪校を誕生させ、選手の青田買いから始まって、監督の引き抜き、野球留学生等を蔓延らせ、全国ネットでテレビ中継されることにより、スター的な扱いを受ける選手が出現してしまう・・・・・・。はたしてこれは教育の一環として行なっている大会の健全な姿かと、懐疑的になってしまう。もうNHKも朝日放送も全試合の生中継をやめたらどうかと思う・・・・・・・・・。もし中継するとしても、決勝だけとか。
それに比べると同じ高校生の運動部でも、他のスポーツだとこれほどの過剰な報道の扱いを受けることは無く、インターハイと言ってもほとんど知られることは無い。このような理由で、私はあまり高校野球が好きではないのだが・・・・・。
ただしこういったことに眼を瞑って言わせて貰うならば、最近の高校野球は大味な試合ばかりで面白くない。今年なんかは1イニングに10点やら、9点やら簡単に入ってしまう。これだとセーフティーリードはいったい何点なんだ・・・・。本当に打高投低でピッチャー受難の時代が続いているといってもいい。最近の高校野球しか知らない人は、こんなのが高校野球だと思っているかもしれない。でも私が高校生だった頃の高校野球は木製バットの時代だから、こんなに簡単に大量得点は入らなかったものだ。
当時、非力な高校生達は木製バットを短く持ち、ミートを中心としたセンター返しに徹していた。だから外野手の守備位置も、今とは違って内野のすぐ後ろに守っていたものである。つまりプロ野球の外野手よりも10m近く、前に守っていた。だから外野手の頭を超えると長打に成り、時々ランニングホームランもあったものだ。そんな調子だから、木製バット時代の高校野球では、一大会でホームラン数が10本行くか行かないかで、今のように40本も50本もホームランが乱れ飛ぶ野球とは違っていたものである。
こんな時代だら、高校野球というのはヒットか四球でランナーが出ると、送りバントかスチールで進塁させ、三塁にランナーがいるとスクイズというのがセオリーであった。でも今だと、金属バットのおかげで強打強打というのが定石かもしれない。その結果、ビッグイニングの大量得点が見込めるようになってというべきか・・・・・。本当にピッチャー受難の時代である。
今だと昭和33年の徳島商業VS魚津、昭和44年の松山商業VS三沢の延長18回引き分け(両試合とも0対0)なんてことにはならないのかもしれない。つまり昭和49年の夏の大会から、金属バットの使用が許可されてから、高校野球そのものが変わってしまったのである。それまでの快速球がバットをへし折ってしまうという醍醐味は無くなり、今あるのは甲高い金属音と共に外野スタンドまで飛んでいく白球の姿ばかりである。結局、金属バット使用により、芯に当らずともボールは飛んで行くので、安易なスラッガーばかりが急造していまい、プロ野球に入って木製バットに変わると伸び悩んでしまうのだ。
おそらく木製バットの時代と現代の金属バットの時代とでは、バッティングフォームも変化しただろう。今では、上半身を鍛えてパワーを身に付けた選手が飛距離を伸ばしているように思えるが、昔の木製バットの頃は、下半身が強くなくてはボールが飛んで行かなかった。それに真芯に当らないと木製バットは飛距離が伸びないので、技術の向上にもなったものである。だがバットの根っこや先でも当れば飛んで行く金属バットを見ていると、速く振り回すパワーさえ身に付ければボールは遠くに飛んでいくなあと意を強くした次第である。
今さらよく折れる木製バットを使用しろとは言わない。でも金属バットが高校野球そのものを大味にしてしまったのである。一見派手な撃ち合いの応酬で面白いが、如何に一点を取るかということに拘った木製バット時代の高校野球を知るものにとっては、守りの野球の面白さをもっと知って欲しいとは思う。
今から40年前の第50回記念大会の決勝戦。興国高校VS静岡商業。一点取るのに四苦八苦。当時はこのような試合が実に多かったものである。参考までにいうと、静岡商業の左腕投手は後に中退して巨人入りした新浦投手である。
北京オリンピックを何故に観ないかは、これまでに理由を何度も書いたから新たに書かないが、高校野球を観ない理由は、いくつかある。
第1、高校生の野球を朝から晩まで、天下のNHKや朝日放送が生中継をする意味が判らない。
第2、教育の一環といいながら、他の運動部と比較しても野球だけを特別扱いしている。
第3、朝日新聞や毎日新聞が主催して過剰報道をしている。
第4、高校野球連盟が腐っている。
第5、野球留学生が全国で蔓延ってしまい、野球強豪高校の出現と、職業監督の出現を促進してしまい、その裏で金が舞っている。
第6、クラブ活動の一環に過ぎないのに、もはやその域を超えて、それが目的になってしまっている。
結局、高校野球というのは、新聞社が販売促進のために始めた大会であり、そこへラジオ中継、テレビ中継が加わって、次第と全国的な人気を得たがため、各地に野球強豪校を誕生させ、選手の青田買いから始まって、監督の引き抜き、野球留学生等を蔓延らせ、全国ネットでテレビ中継されることにより、スター的な扱いを受ける選手が出現してしまう・・・・・・。はたしてこれは教育の一環として行なっている大会の健全な姿かと、懐疑的になってしまう。もうNHKも朝日放送も全試合の生中継をやめたらどうかと思う・・・・・・・・・。もし中継するとしても、決勝だけとか。
それに比べると同じ高校生の運動部でも、他のスポーツだとこれほどの過剰な報道の扱いを受けることは無く、インターハイと言ってもほとんど知られることは無い。このような理由で、私はあまり高校野球が好きではないのだが・・・・・。
ただしこういったことに眼を瞑って言わせて貰うならば、最近の高校野球は大味な試合ばかりで面白くない。今年なんかは1イニングに10点やら、9点やら簡単に入ってしまう。これだとセーフティーリードはいったい何点なんだ・・・・。本当に打高投低でピッチャー受難の時代が続いているといってもいい。最近の高校野球しか知らない人は、こんなのが高校野球だと思っているかもしれない。でも私が高校生だった頃の高校野球は木製バットの時代だから、こんなに簡単に大量得点は入らなかったものだ。
当時、非力な高校生達は木製バットを短く持ち、ミートを中心としたセンター返しに徹していた。だから外野手の守備位置も、今とは違って内野のすぐ後ろに守っていたものである。つまりプロ野球の外野手よりも10m近く、前に守っていた。だから外野手の頭を超えると長打に成り、時々ランニングホームランもあったものだ。そんな調子だから、木製バット時代の高校野球では、一大会でホームラン数が10本行くか行かないかで、今のように40本も50本もホームランが乱れ飛ぶ野球とは違っていたものである。
こんな時代だら、高校野球というのはヒットか四球でランナーが出ると、送りバントかスチールで進塁させ、三塁にランナーがいるとスクイズというのがセオリーであった。でも今だと、金属バットのおかげで強打強打というのが定石かもしれない。その結果、ビッグイニングの大量得点が見込めるようになってというべきか・・・・・。本当にピッチャー受難の時代である。
今だと昭和33年の徳島商業VS魚津、昭和44年の松山商業VS三沢の延長18回引き分け(両試合とも0対0)なんてことにはならないのかもしれない。つまり昭和49年の夏の大会から、金属バットの使用が許可されてから、高校野球そのものが変わってしまったのである。それまでの快速球がバットをへし折ってしまうという醍醐味は無くなり、今あるのは甲高い金属音と共に外野スタンドまで飛んでいく白球の姿ばかりである。結局、金属バット使用により、芯に当らずともボールは飛んで行くので、安易なスラッガーばかりが急造していまい、プロ野球に入って木製バットに変わると伸び悩んでしまうのだ。
おそらく木製バットの時代と現代の金属バットの時代とでは、バッティングフォームも変化しただろう。今では、上半身を鍛えてパワーを身に付けた選手が飛距離を伸ばしているように思えるが、昔の木製バットの頃は、下半身が強くなくてはボールが飛んで行かなかった。それに真芯に当らないと木製バットは飛距離が伸びないので、技術の向上にもなったものである。だがバットの根っこや先でも当れば飛んで行く金属バットを見ていると、速く振り回すパワーさえ身に付ければボールは遠くに飛んでいくなあと意を強くした次第である。
今さらよく折れる木製バットを使用しろとは言わない。でも金属バットが高校野球そのものを大味にしてしまったのである。一見派手な撃ち合いの応酬で面白いが、如何に一点を取るかということに拘った木製バット時代の高校野球を知るものにとっては、守りの野球の面白さをもっと知って欲しいとは思う。
今から40年前の第50回記念大会の決勝戦。興国高校VS静岡商業。一点取るのに四苦八苦。当時はこのような試合が実に多かったものである。参考までにいうと、静岡商業の左腕投手は後に中退して巨人入りした新浦投手である。
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