2010.06.12 (Sat)
FIFAワールドカップに物申す
アフリカ大陸の最南端の南アフリカで、4年に1回の世界最大のイベント2010年FIFAワールドカップが始まった。
私はこれまでオリンピックは21世紀の現在、必要ないとこれまで何度も書いてきた。その勢いで言うならば、サッカーのワールドカップも同様、基本的には必要ないとは思っている。でもサッカーの場合は、オリンピックを開催することの無意味さに比べれば、幾分は許されるとは思っている。何故なら、たった一つの競技のみの開催である。国全体を会場としている。オリンピックのように人気のある競技の側で、皆目、人気の無い競技を開催する意味のなさに比べると、サッカーは世界中で最も人気のある競技であるからだ。
アフリカやアジア、南米の貧しい人でもテレビのワールドカップに夢中になっている。これはオリンピックでは考えられない。オリンピックは自国のヒーロー、ヒロインに注目することはあるが、自国の選手が弱い競技や他国の選手にまであまり関心を示さない。それでいて国別メダル獲得数を競い合ってナショナリズムを昂揚させる。まあ、ワールドカップも国の対抗戦だから、同様のナショナリズムを生むのだが、これほどまでに世界中の人が一つの競技を通して話題を共有することなどFIFAワールドカップ以外は考えられない。
ただ何故に私がワールドカップは現在では昔ほど必要ないと思っているかというと、それはこれだけ国際化が進み、ヨーロッパの大半のクラブにブラジルやアルゼンチン、ウルグアイ、チリ、コロンビア、パラグアイ等の選手が在籍する現在、国別の対抗戦でサッカー世界一を決める意味があるのかと考えたからである。レアル・マドリッドやバルセロナ、ユベントス、マンチェスターU、アーセナル、ACミラン、インテル、バイエルン・ミュンヘンといったヨーロッパのビッグ・クラブには、多国籍軍といえるほど世界中からサッカーの名選手が集まっている。そして、彼らは膨大な資金でクラブからクラブへと移って行ったりする。所謂、クラブ同士の駆け引きがあって、クラブの浮沈はそれらの外国人選手にかかっている。そういった中で、それぞれ各国のリーグ戦があり、またヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグがあり、クラブ世界一を決めるトーナメントがある。こういったサッカーの重要な試合が、毎年のように行われるのである。いわば、多国籍の選手が一つのクラブで何ヶ月もプレーを行い、やがてチームプレーとして熟成され、強豪となっていくクラブの過程というものがあって、今や国の代表よりもクラブ代表の方が強いといわれる時代にあっては、お国代表のサッカー世界大会が、世界最高峰の試合を繰り広げているといえるのかという疑問が絶えず私の中にあるからだ。
彼らは国代表として招集され、僅かな試合だけを共にプレーする。お互いの呼吸が必ずしも絶妙という訳にはいかない。一方、所属クラブにおいては、年間何10試合も仲間同士で試合し、互いに意志の疎通も、阿吽の呼吸も見事に合い、そういった中でこそ世界中が驚嘆する芸術的プレーが生まれるのである。
だが一方で、最近のワールドカップに至っては、クラブ同士の試合に比べるとつまらない試合が目立ち始め、ラフプレーも多く、守備的でつまらない。また体調面でも万全ではないのだろう。大会前から評判だった選手が、ワールドカップで凡プレーばかりを見せている。これは結局、何に起因するかというと、各自の所属クラブの試合が強行日程で組まれていて日頃から疲れているのに、いざ国代表の試合に招集されても、体調が優れず普段の動きか出来ないからである。また、国代表といってもお互いの選手は所属クラブが違い日頃は一緒に練習はしていない。だからチームプレーとしては噛み合い難く僅かな日数での練習では、チームとして未完成といった状況で大会に臨む場合が多い。
つまりこれだけ本国から選手が出てしまう時代になると、代表召集にも時間がかかり、合同練習もままならないから、チームプレーが徹底しないのである。だから最近のワールドカップは昔のワールドカップよりもつまらない試合が増えたと私は思っているのだが・・・・。とにかく1970年代までは、南米の選手は自国のクラブからあまり出なかった。かのペレも、リベリーノもジーコも、マラドーナもそうだった・・・・。それが1980年代に入り、南米のスター選手はヨーロッパのクラブに大金で誘われるようになり、すっかり時代が変ってしまった。サッカースタイルも昔とは違って、30年ほど前は試合を観ただけで、これはブラジルのサッカー、これは西ドイツのサッカー、これはイングランドのサッカーと判ったものだ。でも最近は、何処の国のリーグ戦も似たようなサッカーをやりだした。何処の国のサッカーも国際的になったからだろう。でも、昔は良かったとは言わないが、そういった意味合いからも今更、国別のワールドカップを行なう意味があるのだろうかと思った次第である。でもワールドカップともなると、好カードは観るだろう。1970年のワールドカップから注目している私としては、2010年のワールドカップが、どのようなものになるのかといった興味もある。ただし私は日本には期待していない。3戦全敗の可能性もある。でもちまちました守備的なサッカーはやめてくれ。せっかくの大舞台だ。攻めて行って大敗してもいいではないか。気持ちよく散ろうではないか・・・・。
私はこれまでオリンピックは21世紀の現在、必要ないとこれまで何度も書いてきた。その勢いで言うならば、サッカーのワールドカップも同様、基本的には必要ないとは思っている。でもサッカーの場合は、オリンピックを開催することの無意味さに比べれば、幾分は許されるとは思っている。何故なら、たった一つの競技のみの開催である。国全体を会場としている。オリンピックのように人気のある競技の側で、皆目、人気の無い競技を開催する意味のなさに比べると、サッカーは世界中で最も人気のある競技であるからだ。
アフリカやアジア、南米の貧しい人でもテレビのワールドカップに夢中になっている。これはオリンピックでは考えられない。オリンピックは自国のヒーロー、ヒロインに注目することはあるが、自国の選手が弱い競技や他国の選手にまであまり関心を示さない。それでいて国別メダル獲得数を競い合ってナショナリズムを昂揚させる。まあ、ワールドカップも国の対抗戦だから、同様のナショナリズムを生むのだが、これほどまでに世界中の人が一つの競技を通して話題を共有することなどFIFAワールドカップ以外は考えられない。
ただ何故に私がワールドカップは現在では昔ほど必要ないと思っているかというと、それはこれだけ国際化が進み、ヨーロッパの大半のクラブにブラジルやアルゼンチン、ウルグアイ、チリ、コロンビア、パラグアイ等の選手が在籍する現在、国別の対抗戦でサッカー世界一を決める意味があるのかと考えたからである。レアル・マドリッドやバルセロナ、ユベントス、マンチェスターU、アーセナル、ACミラン、インテル、バイエルン・ミュンヘンといったヨーロッパのビッグ・クラブには、多国籍軍といえるほど世界中からサッカーの名選手が集まっている。そして、彼らは膨大な資金でクラブからクラブへと移って行ったりする。所謂、クラブ同士の駆け引きがあって、クラブの浮沈はそれらの外国人選手にかかっている。そういった中で、それぞれ各国のリーグ戦があり、またヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグがあり、クラブ世界一を決めるトーナメントがある。こういったサッカーの重要な試合が、毎年のように行われるのである。いわば、多国籍の選手が一つのクラブで何ヶ月もプレーを行い、やがてチームプレーとして熟成され、強豪となっていくクラブの過程というものがあって、今や国の代表よりもクラブ代表の方が強いといわれる時代にあっては、お国代表のサッカー世界大会が、世界最高峰の試合を繰り広げているといえるのかという疑問が絶えず私の中にあるからだ。
彼らは国代表として招集され、僅かな試合だけを共にプレーする。お互いの呼吸が必ずしも絶妙という訳にはいかない。一方、所属クラブにおいては、年間何10試合も仲間同士で試合し、互いに意志の疎通も、阿吽の呼吸も見事に合い、そういった中でこそ世界中が驚嘆する芸術的プレーが生まれるのである。
だが一方で、最近のワールドカップに至っては、クラブ同士の試合に比べるとつまらない試合が目立ち始め、ラフプレーも多く、守備的でつまらない。また体調面でも万全ではないのだろう。大会前から評判だった選手が、ワールドカップで凡プレーばかりを見せている。これは結局、何に起因するかというと、各自の所属クラブの試合が強行日程で組まれていて日頃から疲れているのに、いざ国代表の試合に招集されても、体調が優れず普段の動きか出来ないからである。また、国代表といってもお互いの選手は所属クラブが違い日頃は一緒に練習はしていない。だからチームプレーとしては噛み合い難く僅かな日数での練習では、チームとして未完成といった状況で大会に臨む場合が多い。
つまりこれだけ本国から選手が出てしまう時代になると、代表召集にも時間がかかり、合同練習もままならないから、チームプレーが徹底しないのである。だから最近のワールドカップは昔のワールドカップよりもつまらない試合が増えたと私は思っているのだが・・・・。とにかく1970年代までは、南米の選手は自国のクラブからあまり出なかった。かのペレも、リベリーノもジーコも、マラドーナもそうだった・・・・。それが1980年代に入り、南米のスター選手はヨーロッパのクラブに大金で誘われるようになり、すっかり時代が変ってしまった。サッカースタイルも昔とは違って、30年ほど前は試合を観ただけで、これはブラジルのサッカー、これは西ドイツのサッカー、これはイングランドのサッカーと判ったものだ。でも最近は、何処の国のリーグ戦も似たようなサッカーをやりだした。何処の国のサッカーも国際的になったからだろう。でも、昔は良かったとは言わないが、そういった意味合いからも今更、国別のワールドカップを行なう意味があるのだろうかと思った次第である。でもワールドカップともなると、好カードは観るだろう。1970年のワールドカップから注目している私としては、2010年のワールドカップが、どのようなものになるのかといった興味もある。ただし私は日本には期待していない。3戦全敗の可能性もある。でもちまちました守備的なサッカーはやめてくれ。せっかくの大舞台だ。攻めて行って大敗してもいいではないか。気持ちよく散ろうではないか・・・・。
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