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2010.06.13 (Sun)

①サッカーに対しての蘊蓄を述べてみると・・・

 FIFAワールドカップが始まってからというものは、このブログもサッカーに関する記事が暫く増えそうな気がするなあ・・・・・・・・。

  これまでスポーツの記事が少なかったように思う。でもワールドカップともなると次第とテレビに齧るついてしまうというのはどういうことなのか。それは元来から私はサッカーが好きだったというのもあるが、やはりワールドカップというのは特別な意味があるのだろう。国の威信をかけて戦っているようなところがあって、どれだけの名選手でも4年に一度の大舞台でお国代表のユニフォームを着て試合に出ることは、サッカーのプレイヤーとしては憧れなのだろう。とにかく必死さが垣間見られて激しいプレーに息を呑む。それがワールドカップなのである。

 私は小学校3年までボールを受けることが出来ず、そのためドッジボールやソフトボールが大嫌いであった。これは家庭環境に関係すると思うが、兎に角小学校の3年まで野球のボールも触ったことがなく、グローブもバットも持っていなかった。親父がそういったことには一切、関心がなく、したがってキャッチボールというものを経験したことがなかった。野球なんていうのは観るものだと思っていた。しかし、余所の家庭の子供達は幼いときから大方が親とキャッチボールをやっていたり広場で草野球をやっていたから上手かった。だから小学校に上がってからは、見事にハンデとなり球技が苦手で体育の時間は憂鬱であった。それが、小学校4年の時に体育の時間でサッカーというものを知った。それは手を使わず、脚や頭でボールをキープして、敵陣のゴールにボールを入れるという。これが私には新鮮に思えて、この日からサッカーが好きになった。世の中には手でボールを受けなくてもいい球技があったのだ。とにかく蹴ればいいのだ。これほど楽しいものはない。でも今から思うと、体育の時間にやっていた我々のサッカーというのは、酷いもので一つのボールに、敵味方全ての者が集まって、ボールを蹴るだけという単純なサッカーだった。今の上手い小学生から比べると考えられないぐらい下手糞だが、当時の小学生なんてサッカーの認識がなく、テレビでさえもほとんど中継しなかった。あの当時のスポーツ中継なんて、野球か相撲か水泳、あとはプロレスとボクシングがあるぐらいで。サッカーなんて観たこともなかった。

 それが東京オリンピックで色々な競技が生中継されるに至り、私は学校から帰ってオリンピックの日本対アルゼンチンの試合を観た。おそらくこれが私にとって、初めて観るサッカーのテレビ中継だったように思う。この時、日本はアルゼンチンに3対2で逆転勝ちしたのだが、この試合で得点をとった選手の一人が川淵三郎である。でも私は、これがサッカーかといった程度にしか観てなかったように思う。結局、東京オリンピックで優勝したのがハンガリーで、世界一強い国はハンガリーだと思い込んでいた。


 この頃にサッカーの日本リーグが創設されたと思う。いわばJリーグの前身だが、あの頃はアマチュアである。社会人リーグといっていいだろう。八幡製鉄だとか東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)、古河電工(ジェフ千葉の前身)、三菱重工(浦和レッズの前身)、日立製作所(柏レイソルの前身)、ヤンマー・ディーゼル(セレッソ大阪の前身)等の8チームで始まったのである。その頃は広島にある東洋工業が強かったように思う。また正月にある全国高校サッカーの中継もあった。この当時は大阪、兵庫で開催されていたということも今の人は知らないだろうな・・・・・。

 この頃から日本のサッカーは次のメキシコ・オリンピックを目指してメキメキと強くなっていた。ちょうど天才ストライカー釜本邦茂の出現と俊足フォワード杉山隆一のプレーぶりにマスコミが注目し始め、新聞とかの見出しもだんだんと大きくなっていったという記憶がある。それでサッカー世界一のハンガリーを何時しか日本が倒すのだと、私は勝手に思い込んでいた。つまり当時、サッカー世界一を決めるのはオリンピックだとばかり信じていた。

 ところがである。私は中学校に入り、最初はバレーボール部に入部した。何故かと言うと入学した中学校にサッカー部がなかったからだ。それが中学2年でサッカー部が創部され、さっさと私はサッカー部に移籍した。その頃の顧問は大学を出たばかりで、よく世界のサッカーの話をしてくれたのだが、そこで初めて聞いた事実に私は衝撃を受けた。サッカー世界一を決めるのはアマチュアしか参加できないオリンピックではない。真の世界一を決める大会は別にあるという。プロが参加して覇権を争う世界選手権というものが4年に1回開催されているという。

 私は唖然となった。ちょうど、その頃、たまたまであるがテレビのサッカー特別番組を観た。それは顧問が言っていたサッカーの世界選手権の過去の映像を映し出している番組であった。世界中のサッカー強豪国16ヶ国が開催地に集まって1ヶ月弱の間にリーグ戦とトーナメント戦を行い、サッカー世界一を決めるというものだった。それで1966年のジュールリメ杯世界選手権の映像をテレビは流していた。そこで映し出された映像は衝撃だった。それまで観ていた日本のサッカーとは明らかに違っていて、個人技が見事で、ブラジルの選手達は相手の守備陣を撹乱するぐらいドリブルで抜いていく。その時に観た選手がガリンシャであった。残念ながらペレは相手に徹底的にマークされ、負傷し満足にプレーができずに不満足な結果にいたった。

 この時、注目を浴びたのがポルトガルのエウゼビオであり、西ドイツの若きベッケンバウアーであり、台風の目になった北朝鮮の選手達であり、ソビエトのヤシンであり、優勝した地元イングランドのボビー・チャールトンであり、ハースト等であった。そして、この時以来、私のサッカー遍歴からオリンピックの文字は消え、ジュールリメ杯世界選手権を観てみたいという願望に変ったのである。


 1966年のジュールリメ杯フットボール世界選手権イングランド大会決勝の映像。
 イングランド対西ドイツ
 ボビー・チャールトン、ゴードン・バンクス、ボビー・ムーア、ジェフ・ハースト、ウベ・ゼーラー、フランツ・ベッケンバウアーといった懐かしい面々が見られる。この試合の延長戦前半のハーストのゴールが今でも論議される疑惑のゴールである。

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