2013.05.18 (Sat)
リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝展に行く
ただ今、京都市美術館で開催中の『リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝』と題された展覧会に行ってきた。と言いたいが、同じ美術館内で同時開催中の『ゴッホ展 空白のパリを追う』の方は人が数珠つなぎだったので、こちらの方の展覧会に入っただけである。つまり予想されたことだが、ゴッホの方は人が入るだろうからと最初からあまり乗り気ではなかった。でも日本未公開の作品が何点かあると言うので、早目に家を出て美術館に到着したのだが、予想以上にゴッホ展の方は人気があったようだ。既に開館の前から列をなしていたようである。まあ日本人はゴッホが好きだからしょうがないが、もし人が余り並んでいなかったらゴッホ展に行くつもりであった。しかし考えは甘かった。やはり土曜日だ。人出が凄い。ゴッホの展覧会なんて平日の早朝に行かないとまず空いてない。判り切ったことだが、絵の回りに何重もの人垣が出来て、その外から絵を観るなんてことだけは避けたいから諦めた。それでリヒテンシュタイン展の方に行った訳なんであるが・・・・・・。
何でゴッホと言うのは何時ものことながらこれほど人気があるのかな。勝手に小生が分析したのだが、おそらく我々の身近にいる画家だから人気があるのだと思う。絵そのものはけして天才、達人、名人の域ではないし、レンブラントやダ・ヴィンチ、フェルメールのように到底、素人に真似が出来ないという絵でもない。つまり絵心のある人なら描ける絵だから人気があるのだろう。日曜画家と言われるアマチュア画家の手本になるといってもいいぐらいの絵であるし、それでいて個性がある。でもゴッホが何故に人気があるかというのは、その生きざまなのであるが・・・・・。これは話が長くなるからやめるとして、とにかくゴッホに限らず一般的にいって印象派の絵は人気がある。それに比べると、リヒテンシュタインの方は人が入ってなかった。でも空いている方がゆっくり絵を鑑賞できるので結果として良かったのだが。
ところでリヒテンシュタインって国名ではないかと思われるだろう。その通り。オーストリアとスイスに挟まれた小さな小さな国である。国名からも判る通りドイツ語圏の国である。人口は僅か35000人。もともとオーストリアのハプスブルク家の臣下として活躍したリヒテンシュタイン家が1608年に侯爵家となり、17世紀末から18世紀にかけて現領地を獲得。神聖ローマ帝国に属する領邦国家としてリヒテンシュタイン侯国が誕生。後の1866年にドイツ連邦解体と共に独立国となるのである。ところが国家元首であるリヒテンシュタイン侯爵家はリヒテンシュタインのファドゥーツ城に住まず、長らくウィーンに居を構えていたので、美術コレクションはウィーンにあって一般市民でも鑑賞することが出来た。それが第2次世界大戦を機に侯爵家はリヒテンシュタインのファドゥーツ城に住むようになり、一緒にコレクションも移されたという。しかし、同時にコレクションも秘蔵となってしまったのである。それが2004年からリヒテンシュタイン侯爵家のウィーンにある夏の離宮でコレクションが公開されることとなり、このほどコレクションから約90点が日本での公開となった。
さて、その内容であるがルネッサンス、イタリア・バロックの絵画を始めとして、ラファエロ・サンティ『男の肖像』、レンブラント『キューピッドとシャボン玉』、フランドルの画家ブリューゲル、ヴァン・ダイクの油彩画数点。そしてルーベンスの油彩画が8点。中でも小品であるが、まな娘を描いた『クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像』は見逃せない一点ではある。その他、彫刻、工芸品、家具等、侯爵家が過ごした雰囲気を、今も残す夏の離宮そのものを再現する形となっている。展覧会としてはリヒテンシュタイン侯爵家のコレクションは、過去にニューヨークで1985年~1986年に開催された時以外は例がなく、今回は日本での公開となったということである。でもその貴重な作品が陽の目を見るにしては隣のゴッホ展に比べると人気がなさすぎだな。
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