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2013.05.26 (Sun)

第80回東京優駿(日本ダービー)

 競馬の記事は久しぶりになる。何故、今年は競馬記事を書かなかったのかというと、競馬記事は疲れるということ。とにかくカタガナの羅列は書いていてもイライラする。それと競馬記事をを毎週のように書いていた時、等ブログはちょっと競馬記事に頼り過ぎているなあと感じたので自粛したのもある。それと最大な要因であるが最近、競馬が自分の中でさっぱり盛り上がってなかったということ。でもダービーだし久しぶりに書いてみることにする。

 記念すべき第80回東京優駿こと日本ダービー(G-Ⅰ・3歳、芝2400m、18頭)が快晴の東京競馬場で今日行われた。もう80回もなるのだな。今から40年前の40回日本ダービーはハイセイコーで湧いていたが、あの頃の若者であった小生も歳を重ね還暦も近くなってきた。考えてみれば日本ダービーを小学生のころから、かれこれ50年近く見ていることに驚く。その間、小生の前を駆け抜けた優駿も数知れず。キーストンから始まってアサデンコウ、タニノムーティエ、タケホープ、クライムカイザー、カツラノハイセイコ、シンボリルドルフ、サクラチヨノオー、トウカイテイオー、ナリタブライアン、ジャングルポケット・・・・・・昨年のディープブリランテまで色々と思いだす。そして今年であるが、牡牝とも何だか小粒だなという印象はあった。どうも仕上がり早いマイラータイプの馬が3歳クラシック路線で活躍してきたが、ここにきて素質場馬がようやく開花してきたのか本格化してきたのか、ダービーが面白くなってきたなあという印象がある。それでも今年はずば抜けた馬はいない。

 それで1番人気は皐月賞に出れなかったキズナ。2番人気が皐月賞馬のロゴタイプ。3番人気が皐月賞2着のエピファネイア、4番人気がコディーノ、5番人気がヒラボクディープだった。さて雨も降ってないので。馬場は速いし前残りの展開が多くどういった競馬になるのかなと見ていた。これだと1番枠をひいたキズナはどうか、またマイラータイプのコディーノや仕上がり早そうなロゴタイプは・・・・・色々と見どころはあった・

 スタートが切られアポロソニックが行く。ペースは速くない。でもキズナは後ろから3番手。武豊はディープインパクト産駒のキズナで父と同じ位置から大外強襲をかけるつもりなのか。前には有力馬のエピファネイア、さらにはコディノ、ロゴタイプがいる。1000m通過は1分00秒3で速くない。前が残る可能性が十分有りうる展開である。でもキズナはまだ後方である。武豊はゆっくり構え過ぎではないかな。そしてメイケイペガスターが一気に先頭う奪う。エースが速くなった。3コーナー手前でエピファネイアが躓いた。大丈夫か。日本ダービーは過去に落馬が多かったのでひやりとした。今年はあまりばらけずに直線に向いた。アポロソニックが先頭に躍り出て逃げ込みを図る。コディーノ、ロゴタイプも仕掛けに入る。その外からエピファネイアが際立っていい脚色で伸びてきた。横一線になったがエピファネイアが先頭に立った。福永祐一初のダービー制覇なるか。ところがその外からもっといい脚色で突っ込んできたのが武豊のキズナだった。最後の最後でエピファネイアをかわしてゴールイン。

 1着キズナ 2分24秒3、2着エピファネイア 1/2馬身、3着アポロソニック 1馬身1/4、4着ペプチドアマゾン ハナ、5着ロゴタイプ ハナ。

 キズナはディープインパクトとは違って大外一気ではなく馬群をぬってきた。これは他とは力が1枚も2枚も抜けていたディープインパクトとは違い、実力差があまりない今年のダービーを象徴している。武豊もそのあたりは判っていて、道中はインコースで我慢して徐々に外へ馬を持ち出したようだ。それがうまく運び、父譲りの末脚を爆発させた、勝因はそれがすべてであるが、弥生賞の時は何だかおかしなレースで5着に敗れ皐月賞に出れなかった。それがここ2走は末脚勝負に徹し連勝。そして本番のダービーでも上がり33秒5と父並みの追い込みを発揮。見事父子2代ダービー制覇となった。

 これで武豊は2005年のディープインパクト以来、5度目のダービー制覇。最近は精彩がないなあといわれていたが、本番で勝つあたり流石に武豊だ。またこれでディープインパクト産駒は2年連続ダービーを制覇したこととなる。

 今年の3歳は力がこれまで拮抗していたので、レース毎に勝ち馬がコロコロ変わったりしていたが、ここにきて本格派してきた馬と、また巻き返しを図る陣営との勝負が秋に持ち越されることとなった。全般的に強くないなあと感じていた3歳世代であるが、秋以降の成長によって今後どのようになるか判らない。それでこそ競馬は面白いのだが古馬も強いからね。
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2013.05.26 (Sun)

大阪の80年前の地下鉄車両が・・・

 大阪の地下鉄が開通して今年で80年だと言う。というと昭和8年(1933年)のことである。日本では昭和2年の東京で開通したのに続き2番目の地下鉄と言うことになる。そもそも地下鉄は大都市における地上の交通混雑緩和のため建設された場合が多く、従ってモータリゼーションが進んだ20世紀において盛んに建設されるようになった。殊に道路に自動車が氾濫した近年になって各都市で地下鉄が敷かれたのである。ところで世界で最初の地下鉄は1863年に開通したというからまだ日本では江戸時代。産業革命がおこったイギリスはロンドンで最初の地下鉄が開通した。既にイギリスでは鉄道が沿線を延びていくように建設されていた。でも建物が密集しているロンドンの中心部では地上に鉄道が建設できなかった。それでパディントン~ファリンドンの間の6㎞を地下化したのである。しかし当時は地下鉄と言っても蒸気機関車。苦労も多かったであろうと思われる。それ以来、世界各地で地下鉄が建設されるようになったというこである。

 さて、大阪で地下鉄が開通したのは1933年5月20日。ちょうで今年で80年になるという。大阪市営地下鉄の梅田~心斎橋間がその時に開通した。それは御堂筋拡張工事と共に行われ大規模な工事であったとされる。御堂筋を拡張しその地下に地下鉄を走らせるという当時の大阪市長関一の雄大な構想の下に計画され実現したのである。それで、それを記念してか当時に走っていた地下鉄の車両の中の1両が大阪市役所の前で展示されていたので見にいってきた。クリーム色と水色のツートンカラーの105号車両である。当時の車両といえばこげ茶、濃緑、黒と言うのが相場だったと思うが、この色で走っていたというから何とも斬新であったのか。

 大阪の地下鉄は路線や車両に関してはニューヨークの地下鉄を参考にしたといわれ、6年先に開通した東京の現銀座線の車両よりも一回り大きく造られ、今では当たり前であるが自動列車停止装置を始め当時の最新設備を備えていた。さらに付け加えるなら車内に設置されていた電照式の駅名表示装置。駅名一覧表の裏側にはモーター付きの電球が仕込んであり、次の停車駅が照らし出されるなど、現在使われている装置が既にあったという現実に驚かされる。それと大阪の地下鉄御堂筋線の梅田駅に来て何時も思うことだが、駅の天井がアーチ形になっていて柱がない。天井からシャンデリアのような照明がぶら下がっている。実はこの御堂筋線の梅田~心斎橋間は昭和8年からほとんど変わってないという。(梅田駅だけはホームが増設された)。何とも贅沢な造りだったんだなと納得せずにはいられない。その後は何処にもあるような低い天井の低コストの地下駅ばかり造ることとなるのだが、昭和8年に造った時、12両の車両が停まれるように建設されたというではないか。まだ開通当時は1両か2両で運行していた時代にである。まあ、昔の大阪の人は将来を見越して何と壮大な駅を建設したものだろうか。今じゃ考えられない。


 当時使用された100型車両10両のうちの1両。先に開通した東京の地下鉄1000型車両より一回り大きく、最大10両編成までも増結を考え、電車電圧も将来の1500Vを想定s、750Vとするなど雄大な構想のもとに製作された。
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 定員120人。座席48人。最大長17.7m、最大幅2.89m、最大高3.65m。自重40t。田中車輛KK昭和8年5月製造。
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 ところで、この車両、昭和45年の大阪万博開催直前まで、クリーム色とオレンジ色のカラーで現役として走っていたので乗ったことがある。なので懐かしかった。
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